文化祭6
私は藍人と過ごした後、美術部の絵や彫刻、化学部の研究発表などを見に行った。紅とは特設ステージ前で別れて以来、会えていない。結局、最後まで姿を見られずに残念だった。
文化祭二日目――とうとう劇の本番を迎えた。
紅は今日も忙しいようで、練習があるからと朝早くに部屋を出てしまった。昨夜も遅くに戻って来た紅。掴まえて話をしようとしたところ、蒼と黄が話しかけてきた。『もふもふカフェ』や『お化け屋敷』の感想を是非聞いておきたいと、力説されて承諾した。
私はまだ、紅にはっきりした返事をしていない。だから二人にも、紅のことが好きだと伝えていない。紅と二人きりで話したかった。けれど、無理に近づくのも変だと思った私は、いつも通りに振る舞った。
不満そうな紅は何かを言いかけたけど、そのまま口を閉じていた。「ゆっくり考えて返事をくれ」と言った手前、自分から口出ししないと決めたみたい。
それにしても、劇!
昨日の変更といい朝早くからの練習といい、何か困ったことが起きたんじゃないでしょうね? 魔女役の委員長が「セクシーな衣装じゃないと出演しない」ってごねてたりして。黒い衣装も似合ってカッコよかったのにな。まあ、桃華の愛らしいピンクには、誰も敵わないけれど。
出番はお昼を過ぎてから。
道具の点検をしておこうと思った私は、講堂の保管場所に向かった。
「あ、紫記! 監督から薔薇追加するようにって話、聞いてるか?」
「いや。何でまた急に?」
「俺もさっき人から聞いた。お前が聞いてないなら違うのかな」
同じ大道具係の子が話しかけてきた。薔薇の話は聞いていない。でも、足りないならすぐに言ってくれるはずだよね?
色とりどりの薔薇は、ヒロインが目覚めるシーンで欠かせない。当初の台本では、薔薇に囲まれて眠る桃華に、助けに来た王子の紅がキスをする予定だった。けれど紅と桃華両方の反対にあい、書き換えられてしまったのだ。
確か『抱き締めて頬ずりする』っていうのに変わったんじゃなかったっけ? リハーサルの時もそんな感じだったから。
造花を大量に準備していたはずなのに、あれでも足りなかったのかな? そこまで薔薇をあふれさせたら、肝心の桃華が見えなくなってしまう。
誰も知らないってことは、そのままでいいんだよね? 今から準備するにしたってギリギリだ。何も聞いていないなら、変更なしでいいんだと思う。
出演者達の姿が見えない。
教室で最後の練習でもしているのかな? 自分が劇に出るわけでもないのに、何だかこっちまで緊張してきてしまう。大道具係で良かったな。もし劇に出る予定だったら、きっと本番直前までドキドキして、何も手につかなかったことだろう。
私は大道具や裏方の仲間達と早めのお昼を食べて、講堂で待機することにした。夕方からは後夜祭で、ここがダンスホールにもなる。準備のため、私達の劇が最後から二番目となっている。
最後の演目は、合唱部の混声合唱だった。コンクールでも常に上位の成績だから、気になる。せっかくだから、聞いて帰ろう。
時間が余って舞台袖でブラブラしていたら、出演者達がやって来た。赤と黒と金色の衣装に着替えた紅は、やはりすごく目立っている。ドレスの桃華と腕を組んで歩いているから、少しだけ胸が痛んでしまう。
でも大丈夫、わかっているから。役に入り込んでいるだけだよね? 他の出演者達も劇の役になり切っているようだし。ドラゴン役の子は被り物をしていないせいで、何だかよくわからなかったけれど。
人気投票で一位を獲得しようという、クラスの意気込みが感じられた。一体感も生まれている。
だから私は、くだらない嫉妬なんかで大騒ぎはしない。隣に立つのが自分じゃないからって、拗ねたりなんかしない。唇に笑みを形作ると、私は桃華と紅に近付いた。
「二人ともすごく素敵だ。頑張ってね」
「紫記様……」
ふわっとしたピンクのドレスの桃華は本当に可愛いらしい。さすがは『ミス採虹学園』だ。今日は彼女目当てのお客さんも多い。集客数が多いと投票も増えるから、是非頑張ってもらわないといけない。
紅は本物の王子様のようだ。衣装係の直しが入ったせいか、前より衣装が似合っている。思わずボーっと見ていたら、紅が私の腕を掴んで暗がりの方へ引っ張った。
「紫、話しておきたいことがある。劇に変更が加わった。キスシーンの箇所だけど、あれは俺の本意ではないから。勘違いしないで欲しい」
「え? それってどういう……」
「こんな所にいたんだ。大道具、追加の薔薇は準備できたか?」
紅と話していたら、監督の子に遮られてしまった。彼はいつもタイミングが悪い。それに追加の薔薇って何のことだろう?
「あれ、昨日言わなかったっけ? 紅輝が花澤さんに覆い被さるシーンで綺麗に見えるようにって……ごめん、言うの忘れてたかも」
「えっと……何?」
私は混乱していた。
紅の言葉ももちろんだけど、監督の『覆い被さる』という表現も気になった。それってまさか、本当にラブシーンをする気なんじゃあ……
「紅輝、準備に向かってくれ。後は話しておくから」
「わかった。そういうことだから紫記、楽しんでくれ」
楽しめっていったい何を? 二人がキスシーンを演じるかもしれないのに、落ち着いて見ていろと?
驚く私と後から来た大道具の子に、監督が台本を見せて説明し始めた。
やはり例のシーンだ。
「『姫よ、この熱い想いをどうか受け取ってほしい。姫――』の紅輝のセリフの後なんだけどさ、結局最初に戻したんだわ。で、その前の暗転の時に花澤さんの顔の周りに薔薇を固める方向で」
最初に戻したってことは、ラブシーンを演じるってことだよね。それを紅と桃華が納得したの?
「客席からよく見えるように、紅輝が上手く角度を調節するから。君達はリハと同じように……」
角度って、キスの角度を上手く調節するってこと? みんなの前で堂々とラブシーンを演じるってことなの?
すごくショックで信じられない。そのため私は、後の言葉が頭に入ってこなかった。
「どうして……」
思わず声が出てしまう。
何で急に変更したの?
どうして二人は、あっさりキスシーンに同意したの?
「どうしてって? だって、隣のクラスのカフェの人気を見ただろう? うちも本気で頑張らないと、一位になれそうもないから」
当然のように指摘された。
だけどすぐには頷けない。
だって、紅は私に言ったのに。
『あのなー。それ、本気で言ってるんだったら怒るぞ。ところで、花澤とキスシーンって何のことだ?』
それなのに、いくら変更したからって応じるなんて信じられない。
『……キスシーンの箇所だけど、あれは俺の本意ではないから。勘違いしないで欲しい』
そう言ったけど、やっぱりこの世界はゲームと同じなの? 紅は攻略対象だから、桃華の魅力からは逃れられないの?
一位になってファーストダンスを踊るため、桃華のために紅が頑張っているのだとしたら。ここにいる私はいったい、何なんだろう……
「あんまりだ」
「そうか? 見た感じだと結構入っているぞ」
思いをまたもや口にしてしまったけれど、監督は客席のことを言っている。
舞台袖から見るだけでもかなり混んでいるのがわかる。どうやら立ち見まで出だしたようだ。
そろそろ持ち場に移動しなければならない。用意しないと間に合わない。私は無理に平静を装うと、首を縦に動かした。
「わかった。最善を尽くす」
幸い、舞台のセットに大幅な変更は加えられなかった。大道具の私達は、協力して打ち合わせ通りの役割をこなせばいい。出演者達が納得しているなら、もう私の出る幕ではない。劇が成功すればいいと思う。
だけど劇が終わったら――
やっぱり無理だと紅に告げよう。




