キスと告白
紅は私の頬に両手を添えると、瞼や頬、鼻の頭に次々キスを落としていった。大切だと言うように、慈しむように。少しくすぐったいけれど、軽く啄むようなキスは心地いい。愛しさで胸の奥がジンと熱くなるような気がした。
優しいあなたが好き。
ほんの少し意地悪なあなたも。
笑顔も困った表情も全てを近くで見ていたい。今だけでなくこれからもずっと。
紅は? 私のことをどう思っている?
目を開けると、彼の目が嬉しそうに細められるのが見えた。その表情に途端に胸が苦しくなる。普段見慣れているはずなのに、胸の鼓動が止まらない。ああもうっ、カッコよすぎるでしょ!
羽のようなキスが再び唇に落とされる。紅はそのまま、更にキスを深めてこようとした。
「ま、ま待って。まだ早いから」
胸に手を当て押しのけると、私は慌てて横を向いた。自分の顔が熱くなっているのがわかる。頬っぺたに両手を当てて深呼吸。恥ずかしくって、まともに顔が見られない。
慣れている紅と違って私は初心者だ。
それに、思わず流されてしまったけれど、まだ好きだって言ってないよね?
「早い? もう十分待ったけど」
待ったって……
寝てる間もキスしてたんなら、全然待っていないんじゃあ? あと私、まだ好きだって言ってないし聞いていない。
それなのに、こんなことって。
ついジトっと紅を見てしまう。
「そんな目で見るな。我慢できなくなるだろう?」
「我慢って何の? 紅って我慢してまで欲しいものなんてなかったよね」
紅は何にも執着しない。
だから私が告白を断った時も、あっさり引いていた。その後冷たくされたけど、私のしたことを考えれば当然の結果だと思う。
「ある。俺はお前の心が欲しい」
そう言って真剣な目で私を見るから、一瞬キュッと心臓を掴まれたような感じがした。でも、今までの諸々を考えたら、素直に信じることはできない。
「嘘! だって以前彼女がいたでしょう? 次々代わっていたのも知ってるよ」
「彼女? 彼女なんて作った覚えはない」
「だって、夜出かけてたし、家で女子大生といちゃついてたし」
昔から三兄弟はモテていた。
特に紅は、小学生の頃からひっきりなしに告白されていた。中学生の時は女生徒が家まで押しかけたり、女子大生と部屋でいちゃついていたり。だから私は早々に、彼らの女性関係を考えないようにしてきたのだ。いずれヒロインに会えば更生されると、そう思って。
紅は当時を思い出すように、額に片手を当てて言葉を発した。
「あれは夜、語学学校に通っていたからだ。家庭教師の女が絡んでくるから、スクールに切り替えた」
「……え?」
「確かに、妬かせたかったのもある。特に断らなかったのはそのためだ。まあお前は、大して動じてくれなかったようだが?」
「私?」
そ、そうだっけ。夜出かけていたのは、チャラチャラ遊んでいたからじゃなかったの?
それなら、えっと最近だ。
先日のことを聞こう。
「じゃあこの前! ドレスをくれた理由を聞いた時、どうして最後だなんて言ったの?」
「最後? そんなことは言っていない」
「言ったよ。一度くらいって……。一生に一度くらいってことでしょう?」
「在学中に一度ってことだけど? それに、一度くらい俺からのプレゼントを受け取って欲しかった」
そういえば、土産だとか謝罪だとか言っていたっけ。彼が謝ってきたのは私に冷たくしたこと。私は私で紅の俺様な様子に傷つきはしたものの、それまで甘えっぱなしだった自分に気づくいい機会にもなった。だけど、謝るだけでオートクチュールのドレスってやっぱり高過ぎると思う。
しかもまだ、聞きたいことならたっぷりある。
「教室で花澤さんとキスシーンの練習をしたのは? 紅は好きじゃなくてもキスできるんでしょう?」
浮かれてはいけない。紅を好きだと気づいたばかりの私が他人から聞かされたのは、桃華と紅のすごいシーンがあったということ。劇に必要なこととはいえ、思い出すたび胸が痛む。
「あのなー。それ、本気で言ってるんだったら怒るぞ。ところで、花澤とキスシーンって何のことだ?」
「とぼけちゃって……この前練習してたでしょう? 花澤さんが積極的で紅の方がタジタジだったって聞いてるよ」
キスぐらい平気だなんて言わないで。
劇のためとはいえ、大勢の前で桃華にキスなんてしてほしくない。誰でもいいなら、期待させるようなことは言わないで欲しい。
腕を組んで考え込む紅。
何かに思い至ったようだ。
私を見ながら話を続ける。
「キスの練習をしたことはないな。もしかして、アクションシーンのことか? それなら、彼女の回し蹴りはすごかった。張り切っていたせいで、ヒールが脱げて俺に直撃しそうになって焦った」
「え? タジタジになったのって……」
「だからアクションのことだろう? ヒールだけでなくドレスも思いきりまくり上げるから、気が気じゃなかった」
すごいシーンってキスじゃなくってアクションシーンのこと? だったら紅はあの時、何で私がいない方がいいって言ったの?
「じゃあどうして、私がいると気が散るだなんて言ったの?」
「そりゃそうだろ。お前の姿を目で追ってたら、劇に集中できない」
途端に頬が熱くなる。
紅、それって――
ドキドキするけど、その先が聞きたい。
私の肩に手を置いた紅が、私の顔を穴のあくほど見つめてきた。
「フラれようが何度だって言ってやる。俺が好きなのは紫……」
『お知らせです。ミスコン出場者及び審査員の方々は、至急会場にお集まりください。繰り返します。ミスコン出場者……』
言いかけた紅の声を、学内放送が遮る。
「くそっ」
紅、まさかミスコン出場者?
そんなわけはないから、審査員なのかな? 彼の言葉と視線に顔が火照った私は、冷静になるため関係ないことを考える。
「続きは後だ。時間のある時に話そう。紫、俺の言いたいことはわかっただろう? ゆっくり考えて返事をくれ」
「わかった」
私は頷き、紅を見上げた。
今度こそ間違えない。
素直な気持ちを言葉にして、きちんと伝えるから。
そんな紅は去り際、私の頬にさっとキスを落とした。
「じゃあ後で」
「こ、ここここ日本だよ。その挨拶おかしいから~~!」
私が叫ぶと、愉快そうに笑った彼は部屋を出て行った。
「ふう、ビックリした~」
キスまでしといて何だと思うかもしれないけれど、それはそれ、これはこれ。付き合うにしたってバカップルだと思われるのだけは心外だ。焦らなくても両想いだとわかったんだもの。私も自分の想いを言葉にしなくっちゃ。
生まれて初めてのことだから、緊張してしまう。言いたいことをまとめるためには、紅の言うように時間が必要だ。
私はソファに腰かけると、側にあったクッションを抱き締めて顔を押し当てた。
さっき、私は紅とここで……
うきゃ~~やっぱり恥ずかしい!
思い出すだけで顔から火が出そうだ。
手でパタパタ顔を仰ぎながら、辺りを見回す。誰もいなくて良かった。傍から見れば今の私、確実に変な人だ。あ、でも――
ふと気づいて悲しくなった。
私は今、男子の制服を着ている。このまま紅と恋人同士になったとしても、この姿ではデートもできない。彼の想いに応えるとしても、卒業するまで手も繋げない。
だって、傍から見れば男同士だもの。万一目撃されたら、紅に変な噂が立ってしまう。それに他の子に比べたら、私には女らしさの欠片も無い。
本当に、こんな私でいいのかな? 彼はモテるし御曹司だし、可愛い女の子を選び放題なのに……
「やめた! 考えたって仕方がないもん」
紅は私でいいと言ってくれた。
さっきのって、ちゃんと告白だったよね?
『俺が好きなのは紫……の友達の桃華!』とかだったらへこむけど。
こんな所でうじうじしてもしょうがない。
せっかくだから、学園祭を楽しむことにしようかな。




