子猫はライオンでした
「ちょ、ちょっと待って、黄! どうしていきなりこんなことを?」
私は慌てて質問した。
プロレスごっこをしたいならわかるけど、どうやら違うみたい。いつもは愛らしい黄が妖しい笑みを浮かべてのしかかり、私を見下ろしている。
「いきなり? そんなことないよ。もう十分待ったもん」
可愛く言ってもダメだから。
何を、なんてことは聞かないでおく。
聞いたら怖いような気がするから。
「ねえ紫ちゃん、僕のものになってよ」
「はい? あ、そうだ。黄、お菓子なら私もあるから、それあげる!」
必死に頭をめぐらせる。
黄は育ち盛りだから、空腹で判断力が少しおかしくなっているのかもしれない。攻略対象の一人なのに、ヒロインと私を間違えてどうする。
「ごまかしたってダーメ。ねえ、返事は?」
「黄、落ち着いてよく考えよう! 相手が違う、相手が」
一生懸命言ってみる。
桃華と黄は子猫のゆかりの世話でしょっちゅう顔を合わせている。知らない仲ではないから、そっちに行かなきゃおかしい。それなのに、手近なところで済ませようとするなんて、わけがわからない。
「紫ちゃんは紫ちゃんでしょう?」
首を傾げてきょとんとする。何が言いたいのかわからない、といった感じだ。でも、冗談にしてもこれはちょっといただけない。
「さ、黄。ふざけてないでどいて」
黄の肩に両手を置いて押し返そうとするけれど、黄はびくともしない。細身で可愛いのに力が強いって……男子高校生舐めてました。
「ふざけてないよ? 自分から触ってくるなんて、積極的だよね」
肩に置いた手を取られ、手のひらにキスをされてしまう。
ドキドキする、というより何だか怖い。紅だと全然怖くなかったのに……
この段階で私は気づいた。
この子本気だ!
「黄、お願いだからもうどいて」
「こんなチャンスはなかなかないのに? 紫ちゃんのお願いを聞いたら、僕のも聞いてくれる?」
焦げ茶色の瞳がきらめく。
普段の子猫のような童顔が、今は肉食獣のように見えている。
こんなのおかしいし、間違ってるよ? これ以上は冗談では済まされない。
私は首を横に振った。
いつもの黄の可愛いお願いなら、聞くことが出来る。でも、豹変してしまったこの黄は何を願うかわからない。
「嫌だ。やめてくれないと、本当に怒るよ」
「いいよ、怒られても。兄さん達には渡さないから。だって紫ちゃん、僕のこと好きでしょう?」
好きは好きでも意味が違う。
末っ子の黄は弟みたいな存在だ。
大切だけど、それ以上を考えたことはない。
「嫌いになるかも……」
ボソッと呟いた。
すると、みるみるうちに黄の大きな瞳に涙が溜まる。
「どうして? どうして兄さん達は良くて僕はダメなの?」
天使のような黄を泣かせたのが自分だと思うと、罪悪感が芽生えて来る。のしかかられているのは私なのに、何だか悪いことをした気分だ。
「いや、いいも悪いもないんだけど……」
今まで誰にも……夢の中でしかこんなことはされていない。あの時の私は、夢だからか全く嫌ではなかった。それに今の私は世話役で、それ以上を願っていない。願いが叶うのはヒロインだけ。性別すら偽っている私は、多くを望んではいけない。
「黄、変な勘違いをしているんじゃない? 紅や蒼は同じ学年だからたまたま一緒にいるけど、それだけだから」
「本当?」
「もちろん。むしろ最近は相手にされていないというか……」
化学の授業を思い出す。
二人共不機嫌だったし、桃華とずっと一緒にいた。おかげでこっちは橙也のセクハラ――スキンシップと藍人のボケに振り回されて大いに疲れたのだ。
「ねえ、黄。もしかして寂しかったの? よしよし」
そのまま黄を抱き締め、頭を撫でてあげる。いくつになっても黄は甘えん坊だ。きっと母のような私を紅や蒼に取られたと思って、焦ってしまったんだろう。
黄ってやっぱり可愛いな。
ふわふわの金色の髪は手触りが柔らかだ。私の胸の部分に顔が当たるのは、まあ偶然だろうけど。あ、小さくて胸だとわからないっていう発言は、藍人だけで十分だ。
そんな感じでソファに寝っ転がって二人でまったり過ごしていたら、急に扉が開いた。
「ようやく終わった。全くあの女……」
「部屋に入るまでは言葉遣いに気をつけろ。誰が聞いているかわからないぞ」
言いながら、紅と蒼が部屋に入って来た――けど固まっている。
うっわ、ごめん黄。
タイミング、最悪だったかも。
「二人で何をしている」
地を這うような低い声は紅だ。
睨みつけるようにこっちを見ている。
「黄、約束が違う」
蒼が怒ったような声で黄に言う。
約束って何だろう?
以前もその言葉を聞いたような……
「そんな約束気にしてないって言ったよ? 兄さん達とは違うんだ。これぐらいのハンデ、許されると思うんだけどな」
起き上がった黄が肩を竦める。
あれ? 黄ったら、さっきまで泣いていたのにケロっとしている。反対に、私の方がぐったりだ。あ、耳かき床に落っことしたままだった。
「誰が許すか。紫、お前もだ。危ないだろ」
耳かき踏むと痛いから?
許すって何のこと?
勘違いされているようだけど、私が引っ張ったわけではないから。のしかかってきたのは黄の方で、レスリングをしてたわけでもないから。
それに、黄が危険に見えたのは一瞬だけで、あとは平気だった。何たって涙を流して可愛らしく甘えてきたくらいだもの。紅の方こそ、自分は桃華にデレデレしておきながら私にだけは文句を言うの? ムッとしている私に向かって今度は蒼が一言。
「黄の嘘泣きに騙されたんじゃないのか? 紫、こいつは三秒で泣けるぞ」
「え……あれ?」
慌てて起き上がった私は黄の方を見る。
彼は悪びれずにペロっと舌を出していた。
待って、じゃあさっきのって嘘泣きなの?
「はあぁぁ」
紅ったら、そんなに大きなため息をつかなくったっていいじゃない。今日だってろくに口もきいてくれなかったくせに。出てきた言葉は非難とため息だけってそんなのひどい!
いけない、何だか私の方が泣けてきた。
目が潤んだせいでゴロゴロするので、コンタクトを外すことにした。洗面所を使っていると、部屋で話す三兄弟の声が聞こえてくる。
「……だろ。俺が今までどれだけ……」
「早い者勝ち……が取られ……」
「……だぞ! このことは報告……」
今日の夕食何だったっけ?
そんなに待ち望むほどのメニューだったかな。




