ゲームの記憶
「今日からお前は紫記だ。特待生として、俺達と同じ学園に通ってもらう」
そう言って紅は、彼らの通う予定である『私立 彩虹学園』の制服を私に手渡した。けれどそれは、青と黒の男子の制服。その時の衝撃は未だに忘れられない。
「親父や長谷川のおじさん達も了承している。特待生ならお金もかからない。紫は引き続き、私達のお目付け役だそうだ」
蒼にも念押しされた。
彼らの通う『私立 彩虹学園』の男子の特待生に空きがあるという。通常なら絶対に入れない有名私立だし、タダならうちの親は反対する気なんてないと思う。
私の両親も櫻井家には恩義を感じている。
せっかくの好意を無駄にすることもできないので、自宅の売却はせずにその分だけでも返済しようと頑張っている。さすがに娘一人に負担をかけようとは思っていないみたいだ。
「いいなぁ、兄さんたち。僕は来年まで紫ちゃん……紫記に会えないのか」
言いながら、黄までイタズラを仕掛けた時のような面白そうな顔をしている。これはいつもの彼らの冗談……ではなさそうだ。
私はかなりショックを受けた。せっかく受験した公立の進学校に行けないのは残念だし、高くて有名な私立に「特待生枠で入学しろ」と言われて驚いたのは事実だ。けれど、問題はそこではない。男装しろと言われるのも、今となっては些細なこと。「お金がかからない」という言葉に反応してしまうのは、悲しいけれど。それよりも、もっとすごいことがわかってしまったのだ。
ここが、以前私が楽しんだ乙女ゲーム『虹色 奇想曲』の世界だということを。幼なじみの櫻井三兄弟はその登場人物。そして、ヒロインの攻略対象の一人であった『紫記』は、確かに私のような顔立ちをしていた――
『虹色 奇想曲』は、櫻井三兄弟の父親が理事長を務める『私立 彩虹学園』を舞台にした、学園ものの乙女ゲームだ。転校生としてやってきたヒロインの花園 桃華が、虹の七色の名を持つ誰かと恋に落ちる話だ。
攻略対象は全部で七人。わかりやすく名前に色が付いている。紅輝、蒼士、黄司の他に橙也、藍人、碧なんて人物も登場する。そして、紫記。
ヒロイン役のプレイヤーは彼らの好感度を上げて、特定の一人とのハッピーエンドを目指す。ヒロイン自身の卒業式でゲーム終了。良くてハッピーエンド、悪くてもノーマルエンドとなる。
前世の私は、このゲームのヒロインにライバルキャラが出てこない所が好きだった。悪役令嬢なんてものが存在しないから、純粋に攻略対象との恋愛を楽しめる。ノーマルエンドでも未来を予感させる内容だったし、平和な展開と甘い言葉に癒された覚えがある。イケメン達との素敵な学園生活は楽しく、ほのかに憧れを抱いていたような気もする。
どうして気がつかなかったのだろう? 聞き覚えのある名前ばかりだったのに。それに、前世の日本に『財閥』なんてものはなかった。確か戦後に解体されてたんじゃなかったっけ?
以前の生活はぼんやりとしか覚えていない。不思議なことに、ゲームの内容の方が鮮明に思い出せるのだ。覚えていないなら、そこまで大した人生を送ったわけでもなさそうだ。
それよりも、ここがゲームの世界だと気づいたことで、一つだけわかったことがある。虹色の名前の彼らは、高等部二年の春にヒロインと出会う。つまり、あと一年。一年だけ頑張れば、世話役は要らなくなる。だって、ヒロインに恋した彼らは、彼女に気に入られようと急激に成長するのだ。
思わず泣いてしまいそうだ。
寂しさなのか、嬉しさなのか。
クールが売りの『紫記』がそれではいけない。
「もしもーし、紫、聞いてる? 嫌ならこの前お前ん家で話した通り、俺と婚約する? そしたらしっかりするから、世話役なんて要らなくなるかも」
紅、何をバカなことを。
あれは冗談のはず。
家の借金はまだ半分も返せていないのだ。
世話役を蹴って面白半分の婚約なんて受けるわけがないでしょう?
「紫は前から堅実な方が好きだろう? 男装して無理に学園に通わなくても、私を選べば楽になれる」
蒼まで似たようなことを言ってくる。
同情してくれるのは嬉しいけれど、婚約ってそんな簡単なものじゃないんだよ? ヒロインが転校してきたら、解消することがわかっているのに。噂になるし絶対に嫌だ。
「紫は当然僕を選ぶよね? 兄さんたちは腹黒だし、男子寮は危険がいっぱいだよ? だったら僕の婚約者としてここに残って、好きな学校に通った方がいいと思うよ」
黄、婚約したからといってこれ以上の資金援助を櫻井家から受けるつもりはないから。第一まだ若いのに、人生縛られてもいいの?
というより、あの時のうちの父の冗談を彼らが真に受けているとは思わなかった。あれはその場のノリで出た話。うちの親も、何も本気で娘の私を押し付けようとは思っていない。
あと少しでヒロインが現れる。
全員が彼女に夢中になると知っていて、嘘でも婚約したいと思うわけがない。第一身分不相応だし、ヒロインに惹かれるあなた達の邪魔はしたくない。
それに、虹は七色なければいけない。
紫記がいないと『虹色奇想曲』――『虹カプ』のストーリーは始まらず、みんなが幸せにはなれない。
ゲームの内容なら頭の中に大体入っている。来年の今頃、三兄弟はヒロインの虜になっている。他の女性や私には、見向きもしなくなるだろう。
「『紫記』で構わない。学園の卒業資格はまともに与えられるんでしょう?」
「親父はそう言っていた。カリキュラムはまともだし、卒業後に性別や名前を書き換える位わけないそうだ」
蒼が答える。
いや、本来それやっちゃあダメだから。
「だったら今日から『紫記』と呼んで」
私は言った。長く伸ばした髪は切るつもり。男子用の制服も、たぶん似合うと思う。
それでなくても『私立彩虹学園』の卒業生はそれだけでステイタスだ。下手な進学校よりも就職率が高いと聞く。だったら私は、文字通り名を捨てて実を取ることにしよう。
『紫記』のキャラクターなら演じられる。セリフや出で立ち、行動パターンなども記憶しているから。まさか女性の私が攻略対象の一人になるとは、思いもしなかったけれど。
どちらにしてもあと少し。
女の子だとバレないように振る舞えば、いずれ彼らからは離れられる。
「意地っ張りめ」
男子として学園に通うと決めた私に、言い出したはずの紅がボソッと呟いた。