藍人
いよいよ体育祭の練習がスタートした。
体育祭は体育の授業の一環なので、練習は男女別。体育祭の競技種目も男女で異なっている。私は男子として出場するけれど、足を捻挫しているので残念ながら今のところは見学だ。動き回ることもできないので、リレーや200メートル走のタイムの計測などを手伝っている。
今日は風が強く、髪やリレー用のたすきなどが風にあおられている。チアガールの練習をしている女子なんかは、風のせいでスカートがめくれているようだ。向こうの方から大きな声が聞こえてくる。その中には、ヒロインの桃華の姿もある。良かった。女の子同士、仲良く練習しているみたい。
「ほら、紫記。女子に見惚れてないで、ちゃんと計測してくれよ?」
隣のクラスの藍人が笑う。
体育の授業は隣のクラスと合同なので、蒼や藍人、橙也なんかも一緒だ。
藍人は普段は剣道部に所属しているけれど、助っ人として陸上部に駆り出されるくらい足が速い。彼はスポーツ全般得意なので、体育祭の練習を心待ちにしていたうちの一人だ。
「ああ、大丈夫。まさかこんな風の強い日に新記録を出すつもりじゃないだろう?」
「さあね」
彼は笑い方も爽やかだ。
女子に人気があるのもわかる気がする。
「紫記、俺の方も頼む」
そう言って私の肩をポンと叩いてきたのは紅だった。彼も藍人と同じくリレーに出ることが決まっているので、張り切っているのだろう。
もちろん、他の攻略対象である橙也と蒼もリレーにはエントリーされている。蒼の順番はまだ先だし、橙也はサボっているのか姿が見えない。でもまあ紅と藍人の二人がダントツで速いから、事実上の頂上決戦だ。
向こうで騒いでいた女の子達も静かになったようだ。二人のタイムが気になるのか、こちらに注目している。陸上競技用のタイム計測器があるにはあるけれど、あれは本番用。普段の体育では使わないため、私は計り間違えないようにストップウォッチに集中することにした。
「本当に記録を出すかもしれないし」
ピストルの合図とともにスタートする。二人とも走るフォームがとても綺麗で、これぞ青春! って感じだ。
ゲームには練習風景などは盛り込まれていなかったから、新鮮に映る。女の子達がキャーキャー騒いでいるのもわかるような気がする。でも、いったいどちらを応援しているのだろうか?
200メートル走はあっという間だった。
やっぱり男子は速い。僅差で藍人が勝っていたので、珍しく紅が悔しがっている。一生懸命頑張っていたから、二人ともかっこよかったよ? ほら、ヒロインの桃華も大好きな紅を見て……ないな。さっきからずっと自分のスカートの方を気にしているようだ。
「……で、どうだった? 結構いい線いってたと思うけど」
タオルを片手に藍人が私に話しかけてきた。
「そうだね。向かい風の割には好タイムだ」
「良かった。それならまだまだいけるかな? 紅輝には負けたくないな」
頭をかきながら笑う藍人は大型犬のようで可愛い。
「いや、俺は勝つもりでいるが?」
紅も自分のタイムが気になるようだ。記録を見ようとこちらに近づいてくる。汗をかいたのか少し湿った髪をかき上げる仕草が、サマになっている。
それにしても男の子って正々堂々としていていいよね? まあ、『虹カプ』自体がドロドロしていない爽やかなゲームなんだけど……
「二人とも、はい、これ。記入は自分でしておくようにって先生が」
私はタイムを書いた紙を二人に渡した。のんびり話している暇はない。次の走者の計測をしないと。
「ああ、ありがとう」
渡した紙を口にくわえ、背を向け去って行く藍人。今の表情スチルにあったっけ? と考えてしまうのは、ファンの悲しい性だろうか。
「紫記、お前藍人に見惚れているのか?」
「はい?」
紅ったら、突然何を言い出すんだろう。
あ、いけない。
次がそろそろ走るみたいだ。
「ごめん。紅、話は後で」
体育を見学している身としては、ちゃんと仕事をしなくっちゃ。私は急いでストップウォッチを構えた。
「紫、無理はするなよ」
私の耳元に唇を寄せた紅が、小さな声で囁く。
び、びっくりしたぁ。
ただの捻挫でちゃんと湿布もしているし、そんなに動き回っていないはずだけど。でもまあ、心配してくれるのは嬉しい。私は感謝を込めて頷いた。
体育祭の練習後。
ずーっとストップウォッチを見ていたせいか、それとも風で飛んできた埃が目に入ったのか、目が痛い。どっちにしろ次の授業に移る前に、目を洗っておくことにしよう。
運動場に隣接される水場に移動しようとした私の横を、桃華が友人と笑いながら通過していく。
「紫記様、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」
これくらいの挨拶なら、特に問題はないだろう。冷たくしていることに変わりはないし。……と、思っていたらちょうど強い風が吹き、桃華と友人の女生徒のスカートが私の目の前でめくれてしまった。
「「きゃーっ」」
私は咄嗟に、桃華の太ももを確認した。
……やっぱり! 桃華がヒロインで間違いない。『虹カプ』に出てくるヒロインとまったく同じ場所に、桃色のハート形のあざがあった。同姓同名ではなく本人だ。
「もうっ、紫記様のエッチ!」
桃華が私を見て頬を染める。
……え、あれ?
そうだった、今の私は男の子だったんだ。
女の子同士だと大したことがないので、全く目を逸らさなかった。だって、ちゃんとスカートの下にショートパンツ履いてるって知ってるし。
「ご、ごめん」
とりあえず謝っておこう。
風のせいだし見たくて見たんじゃない! っていうのは女子には絶対に禁句だ。
「恥ずかしいですわ!」
言いながら、パタパタ走っていく。
今日の桃華も絶好調だ。
今の仕草もすんごく可愛い。
水場に移動し水道水で目を洗っていると、誰かの足音がした。その人は私の横に移動すると、自分も顔を洗いながら話しかけてきた。
「よお、紫記。女の子みたいに綺麗な顔をしてるけど、お前もやっぱり男だったんだな」
この声は藍人だ。
何のことだろう?
私は持っていたタオルで顔を拭きながら彼に答えた。
「当たり前だろう。今更なんだ?」
「いや、さっき女子のスカートの中バッチリ見てただろ。気持ちはわかるが、お前のイメージとはちょっと違う……って、うわっ!」
藍人が私の顔を見るなりびっくりしている。
いったいどうした?
そんな大声を出すなんて。
「紫記、お前のその……目……」
「目? ……あっ」
そうか。
私はようやく合点がいった。
慌てて痛む方の目を手で隠す。
さっきから目が痛いと思っていたら、コンタクトが少しずれていたのか。私は普段は目立たないように黒のカラーコンタクトを入れている。なぜなら、その下の瞳の色は――
「藍人、僕……わぶっっ」
頭からいきなり何かを被せられた。
よく見ればジャージの上着だった。
「紫記、こっちだ。藍人、今見たことは誰にも内緒だ。いいな」
この声は紅だ。
有無を言わさぬ口調で藍人に念を押す。
彼は私の顔を隠したままいきなり横抱きにすると、どこかへ運んで行った。




