紫記の失敗2
紫記と桃華のときめきイベントの内容はこうだ。
――噴水の側を通りかかったヒロインは、「ミーミー」鳴くか細い声を聞く。ふと見れば、植え込みの陰に小さな猫がいる。お腹を空かせたその姿に彼女は心を痛める。
「どうすればいいのかしら? このままでは可哀想だし」
子猫に手を伸ばし、抱き上げるヒロイン。するとそこへ、攻略対象の一人である紫記が偶然通りかかる。
「紫記様!」
声をかけると、紫記が振り向いた。すると手の中の子猫が、彼の腕の中へ。途端に彼は相好を崩し、猫を高く掲げて言う。
「こんなところでどうした? お前、なんて可愛いんだ」
「ニャア」
「紫記……様?」
普段クールな紫記の意外な一面に驚く桃華。彼は何と猫好きだった。彼女は彼に好意を抱く。彼もまた、優しい桃華を愛しく思う。
二人は保護した子猫を、学園でこっそり飼うことに決めた。この日を境に、ヒロインと紫記は急接近していく――
思い出した途端に顔がこわばる。
ま、まずいまずいまずい。これは非情~にまずい。ダラダラと変な汗が流れてくるのがわかる。
せっかく今まで攻略対象として意識されないよう、ずっと冷たくしていたのに。子猫が可愛くて、うっかり素の自分を出してしまった。目を丸くする桃華と、側で見ている紅と黄。
「紫記様も猫がお好きだったんですね? 私もなんです」
嬉しそうに話しかけてくる桃華。
うん、とっても可愛らしいよ?
その笑顔はゲームの画像にそっくりだ。
『虹カプ』の紫記が急速に彼女に惹かれたのもわかる気がする。
でも、今の紫記――私は違う。女の子なのにゲーム通りにヒロインを好きになっちゃったらどうしよう? という恐れが若干あったもののどうやら大丈夫そうだ。
だけど桃華の方はどうだろう?
私が猫持って笑ったくらいでゲーム通りにときめいたりはしないよね? 自意識過剰かもしれないけれど、本物とかなり似ている場面の後だ。まさか異性として、好きになっちゃったりはしないよね?
「どうした、紫記。顔色が悪いぞ」
呆然としていた私は、紅の言葉にビックリして、手から子猫を落っことしそうになってしまう。
「ミャッ」
紅が手を伸ばし、咄嗟に子猫を受け止めてくれた。小さな猫はホッとしたのか彼の手に顔をすり寄せている。その姿に、いつもの私ならフニャッとするところだけれど、今は違う。今の私は猫に構うどころではない。
「あれ? ゆ……紫記って猫大好きだよね。どうしちゃったの?」
黄が動かない私を不審に思って近づいてくる。櫻井三兄弟と私は幼なじみ。保育園でも私達は園長の飼い猫と一緒によく遊んでいた。だから黄も、私が猫好きなことを知っている。
下から覗き込んでくるけれど、彼に答える余裕がない。
「紫記様、大丈夫ですか?」
言いながら私の腕に触れようとする桃華。案じて伸ばされたその手を、私は腕を振って大げさに避けてしまった。
「あ……。いや……その、ごめん」
伸ばした手を下ろし、悲しそうに目を伏せたヒロイン。私は彼女への言い訳を必死に探す。だけど、どう言えばいいのだろう? 桃華を傷つけたくないし、好意を持たれてもいけない。私が女性だとバレてはいけないし、かといって男性になり切ることもできない。こんな時、どうしていいのかわからない。
「本当に、ごめん」
私は言いながら後ずさると、彼らに背を向けた。とりあえず、この場は逃げ出すことにしよう。
後ろから私を呼び留める声が聞こえたような気がしたけれど、振り向かずに走る。どこでもいいから、どこか落ち着く所で考えを整理してみないと!
頭に浮かんだのは保健室奥の個室。急いでいた私は前をよく確かめずに、とにかく進んでいた。そのせいで、途中の廊下で誰かとぶつかる。
「ご、ごめんなさい」
バランスを崩した私を腕に抱き留めてくれた男子生徒。その人物にお礼を言うために、私は顔を上げた。
「……蒼!」
「紫。そんなに急いでどうかしたのか?」
不思議そうに首を傾げる蒼。
その手は私の腰に回されたままだ。
あれ? でもこの廊下って――
待って、これはきっと違う。
私はヒロインではないし、そんなわけはない。とにかく、深呼吸をして落ち着こう。
「……ゴホッゴホッ」
「大丈夫なのか?」
焦って大きく息を吸い込んだせいで、咳き込んでしまった。そんな私の背中を蒼がさすってくれる。
「ごめん……平気だから」
ゲームのイベント通りに蒼と廊下でぶつかったとしても、気にすることはない。だって、抱き留められた時からお互いのことが気になりだすのは、桃華と蒼士だ。
桃華は彼の頼りがいのあるところに惹かれ、蒼士は女の子らしい彼女を守ってあげたいと思うようになる。桃華に会うため、隣のクラスを頻繁に訪れるようになる蒼士。桃華は喜び彼から時々、勉強を教えてもらうようになる。そして、二人は放課後の教室で――
「本当にどうした、顔が赤いぞ。大丈夫なのか?」
蒼の青い瞳に焦点を当て、私は慌てて頷く。私の名前は紫記。ヒロインなんかじゃない。だからうろたえる必要なんて全くないはずだ。
たとえ今が、ゲームの蒼との出会いイベントスチル――画像と全く同じ状況でも、私には関係ない。
「熱があるのか?」
蒼が私の額に自分の手のひらを当てた。心配しないで。ゲームのシーンを思い出して赤面しちゃっただけで、熱はないはずだから。
「おい、そこの二人っ」
「紫記様!」
なぜか紅と桃華が向こう側から走って来る。私を追いかけて来たのだろうか? だけど、紅はともかく桃華はダメだ。
彼女にどう謝って、どう接したらいいのかまだわからない。
「ごめん、蒼。二人を引き留めておいて!」
言いながら反対方向へ、私は再び駆け出した。




