黄司
そう思っていたら、二人ともなぜか私の方を向いている。放課後の教室には、『虹カプ』の登場人物――紅輝、蒼士、桃華と私だけ。他はみんな帰ってしまったようだ。
そんな中、蒼が私に文句を言う。
「紫記、さっきの行動は何だ。保健室から一人でさっさと戻るとは、どういうつもりだ?」
「どういうつもりって……」
うん? だって私は世話役だけど、ヒロインが登場した以上、団体行動しなくてもいいよね。それに私が先に戻ったのって、あなた達の約束のためだし。桃華を引き留めようと思っていた。
まあ実際は、紅と蒼のファンのお嬢様方が囲んでくれてたんだけどね?
「そうだな。お目付け役のお前が、俺を見ていなくてどうする」
「紅! そんなこと言ったら、花澤さんに頼りないと思われるよ?」
私は小声で慌てて注意をした。
攻略対象が情けないのはいただけない。私がいないと何もできないような、変な印象を与えてしまうのは良くないと思う。
紅は桃華に目を向けると、彼女に向かって話しかけた。
「何だお前、まだいたのか。俺達に何か用でもあるのか?」
「うわっ、バカ、紅!」
違う、本性を出すのはまだ先!
桃華とは徐々に親しくなっていって、後から俺様系になるはずだ。なのに、いきなり全開でどうする。しかも、今の言い方だとかなり冷たく聞こえてしまう。
ほのかに芽生えた彼女の恋心を、ぶっ潰したらダメでしょう! っていうより約束は? 彼女と何か約束していたんじゃなかったっけ。
ほら、桃華も紅のきっつい言葉にショックで震えて……ないな。
「ええ。紫記様に」
「ほえ!?」
まさか、私に用事?
何だろう、担任からまだ何か頼まれていたっけ?
「ええっと、何かあったっけ。よく思い出せないんだけど……」
精一杯声を低くしてクールに聞こえるように言ってみる。ヒロインが登場した途端、紫記のキャラが崩壊しているような気がする。彼女の攻略対象から外れるためにはそれもいいかもしれないが、バカと思われるのだけは勘弁願いたい。
「いえ、私がお礼を言いたかっただけなんです。今日は助けていただき、本当にありがとうございました」
ああ……なんていい子なんだろう。
心が洗われるようだ。
彼女は私が助けたことに気づいている。女子に目の敵にされず、これからも頑張ってほしいと思っていることを。
だけど、感激を表に出してはいけない。今後のためにも冷たく突き放さなければ。
「別に。君のためじゃない」
そう、主に私のため。
幼なじみの世話から解放され、幸せになりたいと思う自分のためだ。だから、お礼を言われる筋合いなんてない。感謝の気持ちがあるのなら、紅でも蒼でも両方でも、お好みの方を持って帰ってもらいたい。
「あの……」
「まだ何か? 授業はとっくに終わっている。君の面倒は見なくていいはずだ」
ハッと目を開き、息を呑む桃華。
その表情に、思わず手を差し伸べそうになってしまう。
でも、ごめんね。
仲良くできないんだよ。
だって私は攻略対象じゃないから。間違って変な期待を持たせてはならない。心が痛むし泣きそうになるけれど、ここは我慢だ。美少女をわざと悲しませなくちゃいけないだなんて、これって何の罰ゲームだろう?
近くにいるはずなのに、紅と蒼は何も言わない。私のことをひどいやつだと思っているのかな。それとも、さっきの子達は帰ったのに、今度は私が彼女をいじめるんじゃないかと思って警戒しているの?
問いかけるような紅の目。
考え込むような蒼の表情。
黙っているより「ひどいやつだ」と私をなじり、彼女を連れてどこかへ行ってもらいたい。
そんな沈黙が漂う気まずい空気の中、明るい声が響いた。元気に教室に飛び込んできたのは、櫻井三兄弟の末っ子黄司だ。
「あ、よかった~。ゆか……紫記、まだいたんだ!」
「黄!」
やっぱり運命なのかな?
紹介するまでもなく、攻略対象の方が自ら飛び込んできてくれた。初日にいきなり七人中六人と会うなんて、さすがはヒロインだ。まあ、私は攻略できないから、実際には六人中五人なんだけど。
「あっれ~~、兄さん達どうしたの? まさか取り合い?」
黄は、なにげに鋭い。
この状況を見ただけで、桃華をめぐる二人の密かなバトルがわかったのか。
「ああ。二人とも転校生を送って行く約束をしているみたいだ。丁度いい、僕も帰ろうかな」
ボソッと言ってみる。
みんなの邪魔はしたくないし、女子寮は男子寮とは正反対の方角だ。寮の中に入らなければ、近づくだけならOKだ。夕食前までは自由時間だから、別の場所で桃華とのデートを楽しんでもいい。まあ、真っ直ぐ送って行ったとしても、櫻井三兄弟なら女子寮のみんなに歓迎されるんじゃないのかな?
「そう。じゃあ紫記は、僕と一緒に帰ろう」
いや、黄。可愛く言うのはいいけれど、せっかく気を効かせたんだからあなたもヒロインと仲良くしなくっちゃ。
確かに、黄との出会いイベントは噴水近くの花壇のそば。「手折られた花が悲しい」と一人泣くヒロインを慰めるのが、黄と桃華の初めての出会い。でも今ここで会っといて、無視するのもちょっとね。
「黄、ちょうど良かった。うちのクラスの転校生を紹介するよ。彼女は花澤 桃華さん。花澤さん、彼は櫻井 黄司。一つ下の学年で、櫻井三兄弟の末っ子だ」
「……初めまして、黄司様」
彼女の可愛い声で発音すると、黄司の名前が本物の王子様のように聞こえるから不思議だ。
桃華は私のことを『冷たくしたくせに自分から話しかけてくるなんて、嫌な人!』と思ったことだろう。けれど健気にも言葉を飲み込み、黄にきちんと挨拶してくれた。
「うん、よろしく~。で? 紫記はもう帰るんでしょ。じゃあ行こうよ」
あれ、黄。
ヒロインを前にしてたったそれだけ?
もっとリアクションは?
ときめいちゃったり照れちゃったり、可愛く甘えちゃったりしないの?
「は? 何で俺らを置いて行こうとする。送る約束って何だ? そんな覚えはないぞ」
「私もだ。何も頼まれてはいない」
「え? だって約束って……」
紅と蒼が揃って口を出す。
おかしいな。だったら何で蒼が紅を呼びに来たんだ? じゃあ約束って何なの?
「へぇ。兄さん達、口を滑らせるなんてバカじゃないの? まあ僕はそんな約束、気にしてないけどね?」
黄は可愛い顔して時々辛辣だ。今も双子の兄達を面白そうに見ている。
じゃあ約束って、いったい何だったんだろう? 世話役の私にも話してくれないだなんて、少し寂しい気がする。
だけど今はそれよりも、三人がヒロインと過ごす時間の方が大切だ。せっかく桃華といられるよう気を効かせてあげたのに……
まさか、誰も彼女を女子寮まで送らないなんて、そんな恐ろしいことはないよね?




