希望の行方と亡き友の本当の遺言
マークルフは一人、天幕から離れた丘の上に立っていた。黄金の槍を抱えるように腕を組みながら闇の空を睨んでいた。
背後に気配がする。
振り向くと、そこにはログとリファがいた。
「閣下、もう少しお休みになった方がよろしいのでは?」
「もう十分、寝ていたさ……いや、眠り過ぎた。リーナが待っているってのによ」
マークルフは夢で見たリーナの姿を思い出していた。
「俺を助けるためにリーナとグーの字は大芝居を打ってくれたんだ。祖国に寝返った世界の敵と思われてまで、自分を捨て石の道具にしてまで、そうやって騙し通して俺を助けてくれたんだ」
歯噛みするような思いでマークルフは答える。
「“戦乙女の狼犬”として世間を騙して上等の芝居をやってきた俺が、世間知らずのお嬢様とお人好しの鉄巨人の芝居に助けられたんだぜ? それだけでも情けねえってのによ……あいつらが必死に残してくれた希望の筋書きが分からねえ。こういう時こそ先頭に立ってその筋書きを見世物にするのが“狼犬”じゃねえか」
マークルフの脳裏に初めてリーナたちと出会った当初の姿がよぎる。
地面から現れた謎の鉄巨人と、その中で眠っていた一人の少女。
傭兵芝居を続けるマークルフを素晴らしい英雄の後継者だと信じて騙されていた彼女に、今度は自分が騙されながらも助けられたのだ。
リーナは今も祖国の亡霊相手に戦っているのだろう。
エレナ=フィルディングも同様だ。
それなのに“機神”と戦う英雄を演じるはずの“狼犬”がただ、ここで手をこまねいているだけだ。
世界は“闇”の聖地に変貌し、“機神”はリーナと同調して破壊不可能の戦乙女の武器化をしてしまった。異形が跋扈し、魔女たちの前では自分の力がまったく無力だということも先の戦いではっきりしてしまった。
どうすればいいのか、分からないのだ。
「……俺は今ほど、自分を無様だと思ったことはねえ」
己の不甲斐なさと悔しさがその言葉となって口に出る。
「そんな事ないよ! 男爵さんは格好いいよ! 兄ちゃんの次に格好いいよ!」
リファの声が背中に当たる。
振り返るとリファの心配そうな表情が目に入った。
「……あいつの次か。まあ、リファの最高の褒め言葉として受け取っておくか」
マークルフは安心させるように微笑むが、やはり今回ばかりは気持ちを偽れないのか、声に力が入らない。
リファもそれに気づいているのか、案じるような表情を浮かべたままだ。
「閣下、これからの打開策はエルマたちが現在、検討してくれています」
ログが口を開く。
「わたしも戦乙女の運命は我々を導こうとしていると信じています。待ちましょう。必ず、この局面を突破する道があるはずです」
マークルフはログと向き合い、腰に差している剣を見た。
「戦乙女か……そういえばシグの魔剣はどうするつもりだ?」
「必要となったら、わたしが取り戻します。魔剣を持っている天使と戦うことになっても必ず──」
いつにない覚悟を示すログの姿に、マークルフは黙って背中を向ける。
「……男爵さん?」
何も言わない姿にリファが声をかけるが、その間に割って入るようにログが静かに近づいた。
何も言わないが問いかけるような姿にマークルフは目を閉じる。
「……やりたくねえんだ」
消え入るようなマークルフの声だったが、それは傍で聞くログとリファにもはっきりと聞こえた。
「あの時、世界が闇に変わって、現状でリーナが武器化したら“機神”が完全に破壊できなくなると思った。だからリーナの変身を止めようとしたが……その時に俺は安堵してしまったんだ。これでリーナを失わないですむと──“機神”を倒す二度とない好機を逃がしてもあいつが生きていてくれたらそれでいいと──そう認めてしまったんだ」
震える声でマークルフは告白する。
「“機神”と戦うべき“狼犬”のはずなのに……あいつと一緒に覚悟はしていたはずなのに……いざとなって俺自身がそれを否定してしまったんだ」
マークルフは泣き言を止められない唇を噛みしめる。
「やりたくねえ……やりたくねえよ」
もし、再び“機神”と戦うことができても、自分はリーナを犠牲にしてまで戦い抜けるのか、自分でも分からなくなってしまっていた。
重い沈黙がその場を支配する。
「……閣下がどう思われようと、我々は最後まで閣下を“狼犬”として戦わせます」
沈黙を破るようにログが答えた。
「そのためにわたしは先代様より“狼犬の懐刀”の二つ名を頂き、閣下にお仕えしてきました」
「ログ、俺にリーナを失ってでも戦えというのか? 俺にそれができると信じるのか?」
「“狼犬の懐刀”の名を剥奪されない限り、わたしもエルマたちもそのために動きます」
非情な言葉だった。
だが、逃げるなら止めないという言葉でもあった。
「それに姫様からも頼まれています。閣下との二人三脚を最後まで──そうお願いされています」
「あいつが、そんなことを……」
「それに“機神”を倒してくれというエレナ=フィルディングの依頼も残っています。傭兵の棟梁たる“狼犬”が戦乙女と依頼主に背を向ける訳にはいきません」
ログはそこで言葉を切るとゆっくりとその場を離れた。
マークルフは黙っていた。
“狼犬”の称号を継いだ時からその名と使命を守るために今まで共に奔走し、弱気になった自分をいち早く見抜いた忠臣の示した選択は、何よりも重かった。
その背中に温もりが伝わる。
リファが背中に抱きついていた。
決戦前の時とは違い、まるで彼を支えるかのように──
「あたしは何があっても男爵さんとリーナお姉ちゃんの味方だからね」
リファが呟く。
「……ありがとよ。こんな情けない姿、ルフィンにだけは見せられんな」
「大丈夫だよ、内緒にしておくから」
「優しいな、リファは──」
マークルフは闇の空を見上げた。
リーナはこの夜の闇が好きではなかった。地上の人間たちの欲望を睥睨するような姿だからだ。
今になってその気持ちがよく分かった。
変貌した地上で阿鼻叫喚する人々の姿を、この夜の闇は今も見下ろしているように思えた。
自分は再び、あの闇に挑めるのだろうか。
一番大切な光を引き換えにしてでも──
持ち込んだ計測機に包まれた天幕の中。
エルマ、マリエル、アード、ウンロクたちが記録を精査していた。
全ては現状を正確に解析し、今後の立て直しに必要な情報を集めるためだ。
そして、記録をまとめていたマリエルがやがて口を開いた。
「予想よりも力の均衡が闇に傾いていない」
「どういうことなの、マリエル?」
「この現状は“要”が闇の力に変わり、それが“聖域”に満たされているからよね。でも、それだと記録の数字と辻褄が合わない……満たされている魔力が弱いのよ」
「そ、そうなんですか。数値は十分に強いと思うんですけどねぇ」
アードが天幕の隙間から闇に覆われる空を見ながら言う。
「元々魔力が弱かった“聖域”内の数値を前提に比較してはダメ。それに空が闇に覆われているからって闇一色に染まっているって思い込みもあったのでしょうね。実際の計測数値はそれを否定しているわ」
話を聞いていたエルマがマリエルの手から記録紙を奪い、それに目を配る。
「それでマリエル、あなたは現状をどう解釈するわけ?」
「理由は分からないけど、姉さんが計算した“要”の総霊力量が闇の魔力に変換されたとしても……甘く見積もっても半分。そう、予想の半分しか影響が出ていないわ」
「それって、どういうことなんで? 変換する効率が思っていたより悪いってことですかい?」
ウンロクが首を傾げる。
「そうは思えない。闇の領域に直接、取り込まれた以上、変換効率がそこまで落ちるとは考えられない……“要”の力が予想の半分しかなかったと考える方が自然ね」
マリエルがエルマに意見を求めるように視線を向ける。
「そうね、確かに数値はそう示しているわ。ただ、“要”の秘める霊力量の計算に抜けがあったとは思えないわ。あれはオレフとうちの二人が苦労して導き出したのだから……少なくとも半分以上の誤差は考えられない」
「確かに姉さんたちの計算に誤りがあるとも思えない。何か理由があるはずよ」
「ええと、元から半分しか残ってなかったとか」
アードの呟きにエルマとマリエルの視線が向いた。アードは恐縮するように身をすくめる。
「い、いや、計算に間違いがないなら、元から“要”が半分しかなかったのかなぁ……って、すみません。余計なこと言いました」
だが、マリエルは頭を振った。
「いいえ、それが一番、考えられる理由だわ。“要”も巨大な力の塊に過ぎない。力は理論上、分割はできるのだから」
「しかしですぜ、姐さん代理。“要”なんて人の手で分割できる代物じゃないですぜ」
ウンロクが言う。
それはこの場にいる者全員で確かめた事実であった。極微の存在だが無尽蔵の霊力を内包する“要”──それを分割する手段は人間の持つ科学力では実現できず、移動させるだけで限界だったのだ。
エルマが記録紙をマリエルに返すと、天幕の隅に置いた台に目を向ける。
そこに記録紙をまとめて置いてあり、その上には青金の文鎮が置かれていた。
「──『エルマへ。君の“大地特異点”存在説が完全に正しかったことを今、この場で認めて記録に残そう』……」
エルマが唐突に呟き、マリエルたちの視線が集まる。
「……そうか、そういう事だったのね。あんたらしくない、ずいぶんと素直な認め方だと引っ掛かってはいたのよ。遺言でまで人を試すような真似して、本当にあんたらしいわ」
エルマがしてやられたかのように苦笑する。だが、その笑みには落胆や憤りはなかった。
「それってオレフさんの遺言よね……何か分かったの?」
マリエルが尋ねる。
「ええ、やっと分かったわ。あいつは気づいていて、それとなく手がかりを残していたのよ。必要になるまで“神”の用意していた保険を知られないようにね」
アードとウンロクが互いに顔を見合う。
「そういえば賭けの道具を半分とか何とか──」
「そうか、あの野郎! “要”が半分しかないって気づいてたのか!」
エルマは文鎮を手にしながらうなずく。
「でも、そうなると残りの半分はどこかにまだあるってこと、姉さん?」
「ええ。しかもご丁寧にその情報も遺言に残しているわ」
「あれに……でも、“要”を示す座標軸の情報は一つしかなかったわ」
エルマは椅子に座ってマリエルたちを見渡す。
「あいつは『今、この場』でうちの“大地特異点”説が完全に正しかったと認めた。あいつは疑似“機神”化した自身の演算能力を使って“要”の場所を計算した。あいつも推定される“要”の霊力量を知っていたから、当然、それが分割されていた事に気づいたのでしょうね。それでも完全に正しかったと強調するのは分割された“要”も見つけていたからよ」
「それはどこなの?」
「遺言を残したあの場にあったのよ」
マリエルたちは驚愕する。
「あいつが『今、この場』という言葉を使った意味はそういう事よ。いい? あいつがあの遺言を残した時の状況を思い出して。あいつが遺言を記した『今』、『この場』に誰がいたのかを──」
マリエルがしばらく考える。
「あの時、男爵が“機竜”と戦うために残って、フィルアネス王子とリファちゃんが居城に戻る途中……姉さん、まさか──」
「そこにすでに“要”の半分があったのよ。“神”と接触して“要”の情報を知りえた者。大地の霊力の塊である“要”を操る能力を持つ者。それがあの時、あの場所にいた──」
その場にいる者全員が同じ姿を思い浮かべた。
「おそらく、地下に潜んでいた時に“神”と接触していたのでしょうね。そして、地上に最初に現れる前に“要”を分割し、その半分を隠し持った。その後、勇士となる者の前に現れて戦乙女となる者と引き合わせた。その後も密かに“神”の代理者として常に戦いを援助してきた──あの時もルフィン君とリファちゃんを乗せて避難していた」
この“戦乙女の狼犬”の物語の発端となった者。その物語を裏方として支えていた者。
もっと早く、あの者が“神”の用意した筋書きの実行者だったと気づくべきだっただろう。
エルマがその名を告げた。
「グノムス──あの子が“要”のもう半分を隠し持っていたのよ」




