絶望と欲望と希望の世界で
『これより世界は闇に沈むであろう。闇の神の名を唱えよ。闇の力を求めよ。その望みを闇に捧げよ。さすれば汝は闇に受け入れられる。闇を選びし未来にその道が示されるであろう』
光を失った空の下、ある一団が森の中で身を潜めていた。
それは近くの街の住人たちであった。
“聖域”は闇の領域へと変わっていた。
異形たちがうごめき、古代王国の遺産である機械が闊歩し、人々を追い詰めている。
彼らの街も“機神”とエンシアの兵器に追われて脱出し、今も追われていた。
追って来るのは機械兵たちだ。
古代遺跡から這い出した機械人形たちは街を襲撃し、逃げ延びた住人たちは疲れを知る事なく追いかけ回していた。
遠くで人の悲鳴が聞こえた。
他で逃げていた者が機械兵に見つかったのだ。
「……うぁああああッ!」
闇に閉ざされ、断末魔の声だけが響き渡る恐怖に、ついに男の一人が耐えきれなくなってうずくまった。
「おい、しっかりしろ」
「大声を出すな。機械に見つかる」
他の者がなだめようとするが、男は狼狽したままだ。
「ア──アルターロフ!」
その場でうずくまった男は叫んだ。
「アルターロフ! アルターロフ!」
男は“機神”の名を半狂乱で叫び続ける。
「やめろ! その名を叫ぶな! お前もあの異形みたいになりたいのか!」
たまたまこの街に居合わせ、一緒に逃げていた旅人が叫ぶ。
彼らの間では噂が広がっていた。
異形の正体は闇に力を求めた者の成れの果てだと──
“機神”の名を叫んで望みを捧げた者の中から、“機神”の現し身である異形に変貌している者が現れていると──
周囲で金属が軋む音がした。機械兵が近くまで来たのだ。
「アルターロフ! アルターロフ! アルターロフ──ッ!」
死の恐怖に男は半狂乱になりながら叫び続ける。
「やめろぉッ!」
旅人が“機神”の名を連呼する男の顔を蹴り飛ばした。
「……アァ──ルーロフ、アルターロフ!」
男は鼻から血を流しながら倒れるが、“機神”の名を口にするのを止めない。
「やめろって言ってるだろうが!!」
蹴った旅人も我を忘れて男の顔を踏みつけようとするが、慌てて他の者が羽交い締めにして止める。
「こんな時に仲間割れは止めてくれ! 殺す気か!」
男の口が止まった。
半狂乱だった男は一転して静かになり、すっくと立ち上がった。
他の者もその様子に遠巻きになる。
『──グアアアアア……アアアァッ──』
男が天を仰ぐように咆哮した。
それは異形たちが世界に轟かせる怨嗟の咆哮そのものだった。
その場に居合わせる者は直感する。
闇と繋がってしまったのだと──
旅人は腕を振り払うと、腰の剣を抜いて吼える男の頭に叩き付けた。
血しぶきが舞い、男の身体が倒れる。
だが、頭蓋を砕かれた男の口からはまだ咆哮は途絶えない。
「クソッ、クソッ──止まりやがれ!」
さらに剣が振り下ろされ、男の身体を何度も刃で叩き付けていく。
それが何度も繰り返され、やがて咆哮は止まった。
他の者たちは凄惨な光景に言葉を失う。
剣を手にした旅人は血に染まった顔で振り返った。
「……俺の故郷はこいつらに……滅ぼされたんだ」
怨嗟の咆哮にも劣らぬ憎しみの眼差しで男は答える。
「自分だけ……異形になって助かろうなんて絶対に許せるか!」
旅人はさらに剣を何度も振り下ろす。まるで全ての恨みを叩き付けるかのようだった。
「このクズ野郎が──」
旅人の背中を鋼の触手が貫いた。
血だまりを作って倒れた男の全身から鋼のツタが伸びていた。
旅人の手から剣がこぼれ落ち、鋼のツタを全身から生やした男が立ち上がる。
男は歪んだ安堵の笑みを浮かべていた。自分だけは安全な場所に逃げられた高みからの安堵の笑みだ。
「……この……殺す……」
血を吐きながら旅人は力尽きる。
「キャアアアアアッ!」
誰かが叫んだ。
男の全身から生えた鋼のツタが男の全身に絡み付いていく。
彼は自分だけでも助かりたいという欲望を闇に売ったのだ。
力尽きたはずの旅人の指先が動いた。そして、その口が何かを呟く。
次の瞬間、その旅人の身体からも鋼のツタが放たれた。
「テメエ……ダケハ……ブッコロシ……テ……」
異形化途中の男が驚愕する。
同じように異形化の始まった旅人のツタが男に絡み付いた。鋼のツタに包まれようとする男を妨害するように男を絡め取り、あたかも侵食するようにその全身を締め上げていく。
男は苦悶の表情を浮かべた。
締め上げるツタの隙間から血肉がこぼれ落ちていく。
男の顔も旅人側のツタで覆われ、やがて血しぶきをあげて男の全身は完全に締め潰された。
その間に旅人は全身に鋼のツタを纏い、完全な異形へと変化していた。
他の者たちはもはや叫ぶ言葉も失い、恐怖でその場にへたり込む。
やがて、“機神”の名が響き始める。
異形に殺されるか、機械に殺されるか、どちらかしかないのなら闇にすがってでも生きることを彼らも選んだのだ。
だが、異形から伸びたツタが槍のように残った者たちを貫き、物言わぬ屍へと変えた。
『ヴォオオオオオオオオッーーー!!』
異形が吼えた。
助かりたいがために異形になろうとする者を許さないかのように──
そこにいるのは世界を絶望に歪めようとも、自らの願望を叶えることを選んだ者の成れの果てであった。
荒野の中を傭兵の一隊が進んでいた。
その先頭に立つのはログだ。
「副長、この先に何があるんですか?」
部下の一人が尋ねる。
周囲に何もない中、ログはずっと何かを目指して歩いていた。
「わたしの予感だ。確信はない。ともかく周りを注意してくれ。瓦礫の下に閣下が下敷きになっている場合もある」
周囲は崩れた岩盤や土砂が散乱していた。浮遊要塞より落下した物だ。
やがて、ログは立ち止まった。
そして左手を見る。
革手袋に包まれた左手の甲には〈白き楯の紋章〉が刻まれている。その紋章から感じていた反応が消えたのだ。
(魔剣に何かあったのか──)
紋章は魔剣と感応しており、ログはその反応を辿って魔剣の行方を捜していた。強化鎧に装着されている魔剣を辿るのがマークルフを見つける手かがりとしていたのだ。
「副長?」
「……この近辺を捜索する。閣下の手がかりとなる物が見つかったらすぐに知らせろ」
ログの命令に傭兵たちが手分けをして周囲の捜索を始める。
ログも再び紋章からの反応を待ったが、魔剣との繋がりが途絶えたのか、何も感じることはなかった。
「副長──!?」
不意に目の前で何かが輝く。
暗闇に包まれた周囲で仄かに輝くそれは少女の姿をとってログたちの前に舞い降りる。
異変に気づいた部下たちも集まり、ログと並ぶようにして武器を構える。
「待て」
ログは手で部下たちを制すると一歩、前に進み出る。
警戒するログの目の前に少女天使が降り立った。
「貴方は“狼犬”の腹心──ログという名でしたね」
「何の用だ、天使よ?」
ログは外套の下で腰の魔法剣に手を添える。
“機神”と戦うために手を組んだが、本来は敵対する立場の相手である。
ログの放つ緊張に部下たちも油断なく天使たちと対峙する。
「“狼犬”を捜しているのでしょう? 彼の所まで案内します」
そして天使は背中を向けると歩き出した。
「閣下は生きているのか!?」
ログが訊ねるが、天使は黙って先を歩く。
天使の意図が分からなかった。
だが、ログは顔を窺う部下たちに目で合図をすると先頭に立って歩き出した。他に手がかりもなかったからだ。
しばらく天使の案内に従って歩くログたちだったが、やがて前方に細い影を見つける。
それが地面に突き立つ槍だと気づくと、ログたちは慌てて駆け出した。
立ち止まった天使を追い抜き、槍の前に立ったログたちは、地面に仰向けに倒れた《アルゴ=アバス》の姿を発見する。
「閣下!」
「隊長!?」
「返事をしてください!」
駆け寄ったログたちが口々に呼びかけるが、強化鎧はまったく動く気配を見せない。
「副長、兜を外せないのですかい!?」
「ダメだ。外部からの解除はここではできない」
最悪の事態を想像し、皆が顔を強張らせる。
「彼は生きています」
後ろからの天使の声に、ログたちは一斉に振り返る。
「その鎧は完全に停止していますが、“狼犬”の命を支える制御装置は機能しています」
半信半疑の天使の言葉であるが、嘘を言う理由も考えられなかった。
「閣下をマリエルたちの所まで運ぶ。急げ」
「へい!」
ログの命令に傭兵たちも希望が出てきたのか、張り切って担架の準備を始める。
「その槍も貴方に預けましょう。“狼犬”が目覚めたら渡してください」
天使は黄金の槍に目を向ける。
「天使よ、なぜ閣下を助ける真似をする?」
「その槍が導く運命を最後まで見たくなりました。それが理由です」
天使は静かに答える。
「こちらには理解しかねる。そちらから見れば戦いに敗れた閣下は用済みのはず。戦いに協力した見返りには閣下の命も入っていたはずだ」
天使たちはエンシアの遺物の存在を許さない。強化装甲を駆るマークルフは天使たちにとって葬るべき対象のはずなのだ。
「この“聖域”の運命はまだ決まっていない──槍がそう教えてくれました」
闇に閉ざされた地上で天使の纏う淡い光。それが地面に刺さる黄金の槍を照らす。
「その槍は運命の結末まで勇士を導こうとしています。私もまた、勇士にその槍を運命の結末まで導いてほしいのです。だから助けました」
ログには天使の言葉の意味は分からなかった。
ただ、あの天使からは《戦乙女の槍》に対する並々ならぬ思い入れが伝わっていた。
「──クーラ。どういう風の吹き回しか分からんが、“狼犬”の双肩にかかった希望はまだ消えていないという訳だな」
頭上から声がした。
そこには狼頭の天使が浮かんでいたが、すぐに少女天使の隣に着地する。
「ファウアン、大丈夫でしたか?」
「俺はな。ただ、ドラゴが重傷だ。両目と手足の指を全て潰された。治療を手伝ってくれるか」
その言葉に少女天使の顔にも動揺が浮かぶが、すぐにうなずく。
「それと“狼犬”の副官よ。そちらの科学者──エルマだったな。彼女もこちらが預かっている。ダロムたちも一緒だ。“狼犬”を回復させるためにも科学者たちの力が必要なのだろう?」
ログは黙ってうなずいた。
「分かった。後で俺がダロムたちを連れて来よう」
狼頭の天使は傭兵たちに抱えられた鎧姿を見る。
「しかし、不思議だな。魔女たちなら強化装甲と一緒に体内の装置も停止させるはずだ。それなのに何故、動いている? 魔女たちが見逃すとは思えんが、悪運が強かったというべきか」
「──“狼犬”は運命に見捨てられてはいなかった」
ログが呟く。
「閣下はおのれの命と運命を“戦乙女”に託していた──まだその加護を失ってはいないのだ」
その言葉に周囲の者たちの視線が集まる。
「“戦乙女の狼犬”はまだ終わってはいない。敗北し、世界が闇に沈もうとも、戦乙女は勇士を最後まで戦わせようとしてくれているのだ──わたしはそう信じる」
ログは部下たちに告げた。
「何としても“狼犬”は復活させる。そして、もう一度、待っているであろう姫様の前に立たせるのだ。それが我々の役目だ。いいな、クズ石ども!」
「おおッ!」
絶望に閉ざされた空に、副長の号令と部下たちの声が轟き渡るのだった。




