もう貴方の戦乙女にはならない(5)
エルマと森人天使ドラゴの二人は崖が続く道を歩いていた。
魔女たちから気配を隠すためにドラゴも天使の力を使えず、満身創痍の身体をおしてエルマについて歩く。
二人はダロムから伝えられた“要”の隠し場所の符号を解読し、そこに向かう途中だった。
手にした方位磁石、そして太陽の位置と時間を確認したエルマは足を止めた。
「……ここから先はうちらで行くわ。天使さん、あなたはそのクーラという天使さんを連れてきてちょうだい」
「待て! どういう事だ? “要”のある場所を教えるんじゃなかったのか!?」
「グノムスが隠した“要”の正確な位置を探るには、それが目にできる妖精さんたちの力が要るわ。少し時間がかかる。その間に“神”を召喚できるという天使さんが来てくれればその時に教えるわ」
ドラゴは耳の後ろから黄金の葉針を向いてその切っ先をエルマの眼前に向けた。
「ふざけるな! 俺が直接、その位置を確かめる! それからクーラたちを呼び寄せた方が早い!」
「……嫌な予感がするのよ。“要”が魔女たちの手に渡ったら何が起きるか分からないわ。追い詰めらているからこそ慎重にならないといけないわ」
「ダメだ! クーラもかなり衰弱しているのはここからでも分かる! 自力で移動できるほどの力も残っていない。俺が残りの力でクーラをこちらに呼び寄せるしかないんだ! この期に及んでまだ隠し立てする気か!?」
脅すようにエルマのすぐ目の前に針の先端が迫る。しかし彼女も譲る気はない。
「おい! ここで喧嘩してどうするんじゃぞい!」
剣呑な空気にダロムが二人の足許の間に入る。
「妖精さん、ともかく“要”の位置を特定して。ただし、うちの合図があるまでは出てこないで……どこで魔女たちが見ているか分からないわ」
「そんなことしなくても魔女たちが近くにいたら俺にはすぐに分かる!」
「いいえ、油断はできないわ」
天使がエルマの胸倉を掴むが、それでも彼女は一歩も退かず、宝石のような天使の瞳を睨み返す。そして足許のダロムに目で合図を送る。
ダロムは心配そうにするも、すぐに頷いて地中へと消えた。
リーナは光と闇の狭間に浮かんでいた。
天地が暗雲に包まれる無限の暗黒空間。
しかし、その暗雲が時折、目映く輝き続ける。
輝く暗雲は星雲のようにリーナの周囲を大きく渦巻き、遙か下方に吸い込まれている。
下方に吸い込まれ集約する暗雲は輝きを増し、渦の中心では太陽のような輝きが集まる。
その輝きの中に小さな一点、全ての光を呑み込むような闇の一点が浮かんでいる。
リーナは《アルターロフ》そのものを戦乙女の武器と化し、それに成り変わろうとしていた。
その過程で《アルターロフ》内部に顕現している“闇”の特異点とリーナの意識が接触し、このような特異な光景を彼女に見せていた。
『お前はこのまま“機神”を道連れに消えようというのか』
リーナが振り向く。
そこにいたのは兄ヴェルギリウスの姿だ。
今までのような幻影ではなく、よりはっきりとした実体として認識できる。
『兄様……』
『驚くことはない。お前がわたしの意識の中に来たからだ』
自分と同じ碧い瞳が彼女を映す。
『分かっているのか。それはエンシアの同胞たちを見捨てることになるのだぞ』
リーナは後ろめたさに目を背ける。
『兄様、私たちはエンシアの亡霊なのです……過去を変え、この世界を否定することは許されません。それはこの世界を紡いできた人たち、全ての願いを踏みにじることです』
ヴェルギリウスが目を閉じる。
『この世界での生活がお前を変えてしまったようだな。確かに王宮の奧で箱入り娘として暮らしていた生活よりも、ここでの日々の方がお前を成長させたかもしれん。しかし、お前はそのエンシアの人たち全ての願いを冒涜しようとしているのだ』
周囲が変わった。
リーナを取り囲むようにどこかから切り取られた風景が彼女を包むように描き出されていく。
『見るがいい。過去を変える戦いではない。これからの未来を掴みとるための戦いなのだ。そして、それはすでに始まっている』
周囲に人々の姿が映っていた。
何もいない風景が輝き、そこに何人かの姿が現れた。
それはエンシア時代の衣装だ。
人々は周囲の景色に驚くが、自分と家族が無事なのを知り、互いに抱き合ってそれを喜び合う。
別の風景では身を寄せ合うエンシアの服を着た人々を暴漢たちが囲んでいた。
だが、何かが横切り、次々と暴漢たちは血を噴いて倒れる。
人々の前にあの異形が一体現れていた。
だが、異形はエンシアの服を着た人々を襲うことなく、まるで彼らを守るように立っていた。
他の景色もそうだ。
この時代の人々を無差別に虐殺してきた異形が、この時代に現れるエンシアの人々を守っているのだ。
『まだ力が足りないが、それでも“神”の粛清から人々を助け、この時代に喚ぶ計画はすでに始まっているのだ。彼らを亡霊というのか?』
ヴェルギリウスがリーナの目の前にやって来る。
そしてその手が彼女の頬に触れた。
その“感触”がリーナを震わせる。
幻影ではなく温もりを伴う優しい手が、兄妹としての日々を鮮やかに思い起こさせる。
『リーナ、お前の今までしてきた事は決して間違いではない。エンシアの人々の願いを汲み取ろうとして頑張って来たんだ。それを否定することも変える必要もない。これから、その優しさをこの世界に助ける同胞たちに向ければいい』
リーナがその手から離れた。
その頬には涙が伝っていた。
『そうか……彼を裏切れないんだな。分かった、お前はここで見ているがいい。彼との決着はわたしの手で着けよう』
ヴェルギリウスの姿が消えた。
一人、残されたリーナは無限の空間の中でひとり、佇むことしかできなかった。
対峙するエルマとドラゴ。
互いに一歩も退こうとはしない。
「……どうやら、待っていても切りがないようね」
近くの崖に一人の女性が立っていた。
それは闇の外套を纏うクレドガル王妃システィアの姿だった。
「魔女!?」
ドラゴがエルマから離れて身構える。
エルマは王妃の姿をした魔女を見上げた。
「やはりね。男爵も予想した通り、王妃様が魔女の隠れ蓑だったわけか」
「まったく、あいかわらず見透かしたような態度で気に入らないわね」
「その喋り方……末っ子の魔女ね、あんた?」
「はい、その通り。どうやらこっちの策にも薄々感づいていたらしいわね。そこまでは褒めてあげるわ」
「貴様!」
ドラゴが光糸のくないを構えようとする。
「貴方は用済みよ」
魔女が微笑む。
「──ノァアアアアアッ!?」
ドラゴが苦悶の叫びをあげて身をのけぞさせ、その手からくないがこぼれ落ちる。
森人の両手の指先が全て弾け飛んでいたのだ。
ドラゴは激痛と混乱に表情を歪ませながら、地面をのたうち回る。
その姿を王妃の姿をした魔女は愉悦の笑みで眺めていた。
「当の本人だけがまだ分かっていないようね。ま、ここまでは案内してくれたから笑うのはここまでにしてあげるわ」
エルマは懐から銃を抜こうとするが、その手を何者かが掴む。
黒剣の魔女トウだ。
「そこまでにしておきなさいな。往生際は悪い方じゃないんでしょう?」
魔女に腕を捻られ、エルマは銃を取りこぼす。トウはそれに黒剣を突き刺して破壊する。
「……魔女め……ファウアンたちはどうした?」
ドラゴが顔をあげてトウを睨み付ける。
「ああ、あの二人なら見逃がしてあげたわよ。こっちの用事が優先って言われちゃってね。ねえ、姉様?」
トウが見上げた先は崖になっており、そこに一人の女性が立っていた。
その衣装はエンシアの制服風だったが、纏っているのはいつもの末妹の魔女ではなくて金の髪と真紅の瞳を持つ女性だった。女性は感情を抑えた静かな表情でエルマとドラゴをじっと見ている。
王妃姿の魔女が言う。
「なぜ、ここに気づいたかって顔してるわね、天使様? タネ明かししてあげる。忘れたわけじゃないでしょうけど貴方のその目は格好の魔力の媒体なの。こちらから居場所を隠すために天使の力を抑えていたのでしょうけど、逆にそれでその目に干渉できたの。貴方の“目”を通してやりとりは監視させてもらっていたわ」
王妃の表情がほくそ笑みに変わる。
「せっかくその女は気づいていたのにね。恨むならその女の忠告に従わなかった自分を恨みなさい? もっともこちらは感謝させてもらうけどね」
ドラゴが声にならない憤怒の形相を向けると、地面を這いずりながら落ちた黄金の枝針を口で咥える。そしてそれを指を失った両手で挟み持った。背中からも光翼を広げる。
「その姿でまだ抵抗するんだ? 残念だけど今のその弱々しい力じゃこちらの魔力には抵抗できないわよ……じゃあ、さようなら」
王妃が手を掲げる。
ドラゴは何かに気づき、次の瞬間、両手に挟んだ針で己の両目を斬り裂いた。
同時に目の前で爆発が起こった。
エルマは咄嗟に腕で身を庇うが、すぐに顔をあげる。
ドラゴが倒れていた。両手だけでなくその斬り裂いた両目からも血を流していた。背中に展開していた光翼も薄らぎ、やがて消えた。
「へえ、これは驚いたわね。自分から瞳を抉り出すなんて」
いつの間にか魔女トウも崖の上に立っていた。
「確かにそうしなきゃ瞳の爆発で死んでたけどね。咄嗟にそこまでできた胆力はお世辞抜きに感心するわ」
瀕死の天使を魔女たちは見下ろすと、黄金の髪の魔女が口を開く。
「ミュー、身体を返すわ」
そういうと黄金の髪が黒に染まり始めた。身体も少し縮め、やがて見慣れた末妹である黒髪の魔女へと変貌する。
「──ふう、身重の身体って大変だったわね」
黒髪の魔女に戻ったミューが一息つき、自分の身体を確かめる。
「あらら、大姉様に身体を貸すのは良いけど服が少し伸びちゃったわね」
「──悪いわね、ミュー。また仕立ててあげるわ」
王妃の姿をした魔女が答え、外套を深く被り直した。
再び魔女の長姉エレが王妃に憑依したのだ。
三人の魔女が揃い、エルマたちを包囲する。
「後は“要”がどこに隠されているかね」
三人の魔女が空へと浮かび、その包囲網を少しずつ広げていく。
エルマは倒れたドラゴを気にかけながらも魔女たちの姿を仰ぎ見るが、やがて地面の周辺に真紅の魔法陣が浮かぶ。見渡す限りの地面を覆っていた。
「これは……?」
おそらく転移門だろう。三人の魔女たちが力を合わせて描いた巨大な魔法陣だ。
その魔法陣が輝いた。
陣の中にいたエルマの目が眩む。
やがて地面を照らす真紅の光が消えた。異変はないようだったが、はるか向こうにダロムとプリムの姿が見えた。
「そこね──大まかな位置さえ分かれば始められるわ」
魔女たちが手を翳した。
彼女たちの中心に小さな闇の点が浮かぶ。
「まずい! 二人とも、早くそこから離れて!」
エルマは気づいた。
妖精たちは“要”の近くまで来ていたはずだ。あの大掛かりな転移門を作ってまでダロムたちを地中から呼び寄せたのは、その位置からおおよその“要”の場所を探るためなのだ。
闇の点は魔女たちの力を受けて次第に大きくなり、ゆっくりと妖精たちがいる地上へと降り始める。妖精たちは逃げだそうとするが闇の拡大の方が早く逃げられそうにない。
闇の球体が地面に迫る中、その真下を光る何かが通り抜けた。
それは光翼を広げる狼頭天使ファウアンだった。
「掴まれ! 呑み込まれたらどうなるか分からんぞ!」
ファウアンは妖精たちをその手に掴んでいた。そのままエルマたちの方に飛んでくるとエルマと地面に倒れたドラゴを両脇に抱える。
「あれは──」
闇の球体が地上に接触した。
瞬く間に地面が闇に染まる。闇の領域が周囲を侵食する中、その中に一点の光が浮かび上がる。
男爵が敗れた場合に天使たちに渡す約束だった“聖域”の“要”だ。
光は瞬きながら闇の境界と化した地面へと吸い込まれるように呑み込まれていく。
「“要”が!? 狼さん! あの少女の天使さんは!?」
「クーラは別の場所に降ろした。すぐには動けん!」
光は静かに闇の境界へと沈んでいく。
静かに音もなく、闇の向こうへと消えた。
その瞬間、周囲が薄暗くなり始めた。
暗雲が到来したのではない。
夜が来たわけでもない。
ただ空が光を失い始めたのだ。
「じいじ、何がおきたの?」
「ワシにも分からん」
妖精たちが騒ぐなか、エルマは闇の領域を睨む。
「あれは多分、現世と闇の領域をつなぐ“門”みたいなもの……理論的には魔力に変換できる大地の霊力だけがあの“門”を通ることができるはずよ」
「大地の霊力……“要”が闇の領域に呑み込まれたというのか」
ファウアンも目の前の光景を横目で捉えながら飛翔を続ける。
エルマはファウアンの腕の中で失意にうなだれる。
「闇に呑まれても“要”の力がこの“聖域”と繋がっているとすれば……」
「どうなるのだ?」
ファウアンが訊ねる。
「……“聖域”が魔の領域に変わる。“機神”が……解放される」
「“聖域”の“要”は闇へと呑まれた」
王妃の姿をした魔女エレが宣言するように空に向かって告げる。
「“聖域”は闇の領域へと変わる」
次姉の魔女トウが言葉を続ける。
「そして、この地は闇の神とその王国が復活する」
末妹の魔女ミューがさらに続ける。
三人の魔女の手によって“聖域”の“要”は闇に染まった。
それは“要”によって維持されてきた“聖域”の力そのものが闇に染まるということだ。
空は暗雲をさらに昏くし、周囲の空気は薄紙が水に染まるように霊力から魔力へと染まり始める。
数百年にわたって“機神”を封じてきた“聖域”は変貌した。
もはや“機神”復活を妨げるものはなくなるのだ。
「──後は“機神”に抗う最後の邪魔者を葬るのみ」
魔女エレが宣告した。
計器は急激な魔力の上昇を感知していた。それも周囲全てが魔力を帯び始めている。
“聖域”の働きが乱れたとか、そんな悠長な話ではない。
“聖域”そのものが闇に侵食されるような異変だった。
「まさか……」
『“聖域”は闇に下った』
“機神”の前にヴェルギリウスの幻影が浮かぶ。
『もはや君に我々を止める術はない。“機神”は光と闇を超越し、新たな存在としてより進化した形で復活する』
“機神”全体の黄金の武器化は進む。
このまま“聖域”全体が魔力で満ちれば“機神”は完全な状態で武器化し、“元”には戻れなくなる。
“機神”が戦乙女の武器化をしてしまえば破壊できる可能性が完全に閉ざされてしまうのだ。
世界に光と闇の属性を併せ持つ黄金の“機神”が誕生してしまうのだ。
ヴェルギリウスは最初からこれを狙っていたのかもしれない。
「リーナ! エレナ=フィルディング!」
マークルフは叫ぶが、“機神”の武器化は変わらずに続いている。聞こえているとしても自力では止められない段階なのだ。
『マークルフ=ユールヴィング、これが最後だ──降伏したまえ』
ヴェルギリウスが言った。
『君のためだけではない。リーナのためだ。妹は優しい子だ。君を裏切りたくないために今まで必死に戦ってきたが、やはりあの子はこちらに戻るべきエンシアの人間なのだ。勝負は決した。せめてリーナを板挟みから解放してやってくれないか』
ヴェルギリウスの声はこれから世界を闇に変えようとする首謀者とは思えないほどに穏やかだった。
マークルフは眼下を見る。
地上は影が次第に濃くなっていた。
空も闇に染まろうとしている。
その中で輝こうとしているのは皮肉にも黄金に染まろうとする“機神”と、マークルフが纏う鎧に装着されたシグの魔剣、そして彼が握り締める《戦乙女の槍》だけであった。
「……その命運、ここに断ち切る」
マークルフは最大武装の発動コマンドを唱え、両腕を胸の前で交差させた。
両手甲が合体し、右腕に装着された合体手甲から一対の刃が迫り出す。
そして右手の槍に力を付与し始める。
『……どうする気だ』
ヴェルギリウスが訊ねるが、マークルフは構わずに《アトロポス・システム》の発動を続ける。黄金の槍が赤熱するように膨大な破壊力が集まっていく。
「リーナ! 今から俺が変身を止める! そのまま地上へ逃げろ!」
マークルフは叫ぶと槍を構える。
『それが──答えか』
幻影が乱れた。マークルフの纏う鎧がその全ての力を解放したことで干渉が妨害されていた。
いま“機神”を取り込み始まっている“武器”化は外部からの干渉では止められない。外部からの異物を全てはね除けるか破壊してしまうからだ。
しかし、例外がある。同じ戦乙女の武器だ。
破壊できない戦乙女の武器で干渉された場合は異物を排除できずに変身自体が失敗に終わる。
かつてマークルフ自身が“鎧”を装着しようとした時に《戦乙女の槍》を刺されて変身を阻止された経験から突き止めた事実だ。
マークルフは膨大な破壊力を帯びて輝く槍を“機神”に向ける。
“機神”の周囲には光の力場が形成されているが、マークルフは〈アトロポス・チャージ〉で強引に力場を突破して“機神”を攻撃するつもりだった。
そうすれば変身は解け、光の粒子と化したリーナはそのまま地上に降りて元の姿に戻ることができるはずだった。
『ここで武器──化を止めても──“機神”復活は──阻止でき──』
幻影の姿がかき消える。
確かに武器化を止めても“機神”を破壊する機会を逃がすことになる。ヴェルギリウスたちも二度とその機会を与えまいとするだろう。
この戦いは敗北に終わるかもしれない。
それでもせめてリーナだけは逃がしたかった。
いや──きっとこのまま彼女を失いたくなかったのだ。
(リーナを解放し……エレナ=フィルディングだけは助けてやりたいが──)
黄金化を続ける“機神”にマークルフは狙いを定める。
周囲の地面ごと機動要塞に持ち上げられる“機神”は動かない。
しかし、その近くの地面から何かが姿を現す。
それは《グノムス》であった。
光と闇の狭間に立つリーナは周囲の異変に気づいた。
彼女は“機神”と繋がり、ほぼ世界中の力を感知できるほどに空間認識が広がっている。
それが急速に闇に傾く力の流れを感じさせたのだ。
“聖域”の力が消えるとかそんなものではない。
“聖域”そのものが変質しようとしているようだ。
(いったい何が……“聖域”がこのまま……ダメ! このままだと“機神”の不安定化ができなくなって──)
戸惑うリーナだが自力ではもう止めることはできない。
(エレナさん!)
リーナが呼びかける。
エレナの存在も意思も感じられるが、向こうからは明確な応答がない。“機神”に捕らえられたままでは向こうも制止できないようだ。
焦るリーナだったが、ふと近くの地面から出現する《グノムス》の姿に気づく。
(グーちゃん!? どうして!?)
おそらく、《アイレムア》が浮上した時に地中に留まっていたのだ。そのまま“機神”と一緒に機動要塞に乗ったのだ。
自分を助けに来たのか。
だが《グノムス》はこちらに背を向けていた。その視線は空を飛ぶ《アルゴ=アバス》に向けられていた。
(いったい、何を……どうするつもりなの?)
マークルフが槍を構え、〈アトロポス・システム〉の発動を開始していた。
あのまま〈アトロポス・チャージ〉を放ち、自分が“機神”と同化するのを強制的に止めるつもりなのだ。
その間も《グノムス》はリーナではなくマークルフの方を向いている。
それは何かを彼女に選択させようとしているようだった。
そしてリーナはその選択が何かに気づいた。
(……グーちゃん)
リーナは自分を助けるために槍を向けるマークルフの姿を見つめ続ける。
誰も見ていない光と闇の空間の只中、堪えきれない悲しみを湛えたリーナの瞳が《グノムス》の背を映した。
「──グノムス、命令よ」
「グーの字!? どうしてここにいやがる!?」
鉄機兵が“機神”を背に機動要塞の縁側に立つ。
「リーナを降ろして下がったんじゃなかったのか……どけ、グーの字! そこにいたら巻き込むぞ!」
マークルフは叫ぶが《グノムス》はそこから動かない。
「どうした!? 俺の声が聞こえないのか!?」
『──グノムス、命令よ』
全体の三割ほどが黄金に侵食された“機神”からリーナの声が聞こえる。
「リーナ!?」
『あの人を──止めて』
マークルフにはその言葉が一瞬、理解できなかった。
そしてその表情は驚愕に変わる。
「リーナ! 分かっているのか!? “聖域”の力がこのままだと消える! そうなったら“機神”が完全な形で“武器化”してしまうんだぞ! そうなったらもう倒す術が──」
『グノムス、お願い──彼を止めて』
リーナの命令を受けて《グノムス》の全身が変化を始めた。
装甲が展開し、その隙間から魔力の光が漏れる。
霊力駆動からその全ての性能を発揮する魔力駆動へと切り替わったのだ。
「リーナ! 答えてくれ! どうするつもりなんだ!?」
“機神”は魔力で動く自律機械を支配できる。
魔力駆動に切り換えれば“機神”に支配される危険が高いため、その怖れがない状況下でしか《グノムス》はこの姿になることはないはずだった。
それが“機神”の目の前で自らこの姿になっている。
仮に今の“機神”が支配能力を使えないと考えても、導き出される答えは一つしかない。
《グノムス》が両腕をマークルフに向けた。その下腕部の装甲が開き、一対の砲塔と化す。
「……本気なのか……」
マークルフはどうしても信じることができなかった。
《グノムス》も、それに命令を下したリーナも、自分の意思でマークルフの行動を阻止しようとしているのだ。
「答えろ! リーナ!! いったい何のつもりなんだ!?」
『マークルフ様、私はもう──』
“機神”から伝わる少女の声は静かに、しかしはっきりと告げた。
『──貴方の戦乙女にはならない』




