願うはただ、受け継いだ芝居と意地に終止符を
ブランダルクのある街の酒場。
そこに傭兵ギルドの記者テトアがいた。
酒場は現在、テトア以外に客はおらず、閑散としている。
他に居るのは奥の机に座っている眼鏡を掛けた小太りの老人だけだ。
「……開店休業状態ですねぇ、タヌキ親父さん」
客席に座るテトアが呟く。
「まあ、仕方ありませんよ。このご時世に呑気に酒も飲んでいられないでしょうからね」
算盤を弾きながら“タヌキ親父”と呼ばれた主人が答えた。
ここはこの街の傭兵ギルドであり、酒場も兼ねている。
現在、世界各地で謎の異形や機械の暴走が噂として世界中に拡散され始めており、人々の足は遠ざかっていた。酒場だけでなく、面する通りでも人は少なめだ。
今はいつ危険に巻き込まれるか分からず、人々も身を守ることが優先なのだ。
「もう閉めちゃったらどうです? 儲からないですよ?」
「ハハハ、そうしたい所ですがねえ」
タヌキ親父が笑って答える。
『ヌワアアアァアアアッ!!』
突如、おぞましい咆哮が響き渡った。
「まさか――!?」
テトアが手許に置いていた仕事道具の写真機を手に外に飛び出す。
「やあああッ!?」
「うわああっ!?」
外では異変に気づいた人々が悲鳴をあげて逃げ出していた。
そしてテトアも気づく。
「お嬢ちゃん、いったい何が――」
後を追って出てきたタヌキ親父もテトアの視線を追って息を呑んだ。
街の最も高い建物である見張り塔の上、そこに黒い人型の何かが立っていた。
(あれが……世界の各地で出没しているって噂の――)
テトアは望遠用のレンズを取り付けて写真機を異形に向けた。
動く相手を写真には残せないだろうが、その姿だけでも目に焼き付けるつもりだった。
レンズを通して相手の姿を捉える。
相手は鋼のツタと真紅に輝く水晶の甲殻で全身を覆った異形であった。
(間違いない。確かに“機神”とそっくり――ッ!?)
異形の“顔”がレンズを通してテトアの方を向いた。
そして、その姿が消える。
「お嬢ちゃん!? 逃げるんだ!!」
タヌキ親父が叫ぶ。
写真機から目を離したテトアが見たのは、目の前の建物の上に立つ異形の姿であった。
異形はテトアを獲物と定めたのか、全身からゆっくりと鋼のツタが蠢く。
テトアは恐怖のあまり、写真機を抱えたままその場に立ち尽くす。
『ヌワアアアッ!』
異形の咆哮と共に鋼のツタが周囲に飛び出した。それはのたうつ蛇の群れのごとく、周囲の壁を砕き、斬り裂いていく。
そしてその刃はテトアの前にも迫った。
彼女は思わず目を閉じる。
だが、鋼のツタが彼女に届くことはなかった。
恐る恐る目を開けたテトアが見たのは眼前に迫る刃のような鋼のツタ、そしてそれに巻き付いて縛り上げている光の糸だった。
「――女、命が惜しければ下がっていろ」
異形の背後に何者かが立っていた。
それは外套をなびかせ、背中から光の“翼”を広げる森人の姿だった。
(“天使”!?)
それはかねてからブランダルクの遺跡を襲撃していた天使の一人だった。
異形も振り向くが、その顔面を覆う甲殻に森人の投げた黄金の枝が突き刺さる。森人が手を動かすと枝と繋がった光糸が異形に絡み付いてその全身を拘束した。
『ヌアアアアアアア!』
異形はもがくが細い光糸が切れる様子はない。
「この前は魔力の爆発で強引に切り離してくれたが――」
森人は異形に近づくと顔面に刺さった黄金の枝を左手で掴んだ。そして右掌を枝に近づける。
「光と闇は対の力。逆もできるという事だ」
右掌が輝き、そのまま枝を押した。
『ヌゥアアアアァアァアアア!?』
異形が悲鳴まじりの咆哮をあげる。輝きを増した枝針が異形の顔面にさらにめり込み、顔を覆う甲殻に光の亀裂が入る。
「《アルターロフ》の端末である貴様が輝力を流し込まれたら平気ではいられないはずだ」
天使が異形を蹴り飛ばした。
異形の全身の甲殻から一瞬、真紅の輝きが消え、やがて爆発するように周囲に閃光を放つ。
テトアも思わず目を閉じた。
地面に何かが落ちる音がし、閃光も消えたのを確かめてテトアは目を開ける。
異形が地面に倒れていた。
光糸で拘束されているのは変わらないが全身のツタが焦げ、甲殻も亀裂が入って光を失っている。
しかし、死んだかと思っていた異形の手足が微かに動き出す。その甲殻にもうっすらと真紅の輝きが灯火のように宿り出す。
「この程度ではくたばらんか」
森人天使が再び黄金の枝針を構えるが、異形の倒れた地面に真紅の円陣が浮かび、忽然とその姿が消えた。
「……本体はすでに回収できるまで力をつけたか」
苛立ちを吐き捨てるように森人天使が呟く。
「加勢は必要なかったですね」
いつの間にか、別の屋根の上に外套姿の少女が立っていた。
「クーラ、言いつけ通りに奴らから人間を守ってはいるが、このままでは奴らの増殖は止められん。らちが明かないぞ」
「分かっています。ドラゴ、一緒に来て下さい。ファウアンが“要”について“狼犬”側と話をつけてくれました。もうじき“狼犬”と“機神”の戦いが始まります」
天使たちの会話を盗み聞いていたテトアは驚く。
だが森人の表情は硬いままだ。
「気が進みませんか? 確かにウェドの仇との取り引きです。無理強いは――」
森人は頭を振った。
「……いや、やるさ。エンシアの尖兵と“機神”が潰し合うならそれで構わん。ウェドもあんたの言うことは素直に聞いていたからな。ウェドの分ぐらいは手伝ってやるさ」
「助かります」
天使たちの謎の会話を耳にするテトアだが、少女天使の方が気づいたのか彼女の方を向く。
テトアは身構えるが、少女天使はただ淡々と告げる。
「そこの人、気をつけてください。あの異形たちは“視線”に敏感です。命が惜しければあの者らを認識するような行為は控えてください」
そう言い残して少女が姿を消す。その後を追うように森人も姿を消した。
恐怖から解放されたテトアは安堵でその場にへたり込む。
「大丈夫かい!?」
タヌキ親父が声をかけるとテトアを助け起こし、酒場の中へと戻った。
テトアは椅子に座ると目の前のテーブルに突っ伏す。その手はまだ写真機を掴んでいた。
「ウウッ……死ぬかと思ったぁ」
「いやあ、こちらも生きた心地がしなかったですよ。だけど、さすがは“蛇”のダンナ専属の記者さんだ。普通ならそんな泣き言もでませんよ」
「嬉しくないです……どうせ、ダンナさんも『こんな特ダネ前にして何を腰抜かしている! 天使どもに取材の一つでもしたらどうだ!』とか言うに決まってます」
テトアが“蛇剣士”カートラッズの口ぶりを真似しながら愚痴をこぼす。
「確かに“蛇”のダンナならそう言うかも知れませんねえ」
タヌキ親父は何を思ったのかフッと笑うと、自分の机に戻って引き出しから何かを取り出す。そしてテトアの前に差し出した。
「そうでした。そのダンナからこれをお嬢さんに渡しておけって頼まれてましてね」
テトアの前に置かれたのは一枚の色紙だ。
色紙には写真が転写されており、写っているのは黄金の槍を構える一人の少年と、彼に肩を寄せられながら隣に並び立つ黄金の髪の少女だった。
「これってダンナさんに渡していた……」
「ええ。男爵様に寄せ書きするのも気が向かんし、いつになるかも知れないものを考えるのも面倒だから、あなたに代筆させろって頼まれてお預かりしてたものでしてね。いやあ、私としたことがすっかり忘れていましたよ。すみませんねえ」
写真は以前、マークルフの依頼でテトアが撮影したものだ。
そして、色紙はいつか執筆する予定である『“機神”討伐記念特大号(仮)』に使うために関係者の寄せ書きを集めるために用意していたものだ。
テトアは“狼犬”の好敵手として最も有名なカートラッズに討伐祝いの寄せ書きを頼んでいたのだ。
「……結局、書いてくれなかったんですね」
「いえいえ、良かったじゃないですか」
タヌキ親父が微笑む。
「記者としては誉れですよ。傭兵が記事の代筆を頼むというのは、その記者を信用できる相手として認めたって事ですからね。“蛇”のダンナもいっぱしの記者としてお嬢ちゃんを認めたって事ですよ」
「ダンナさんが……」
テトアは空白の色紙を静かに見つめる。
「でも、ダンナさんは休暇じゃなかったんですか?」
テトアは尋ねる。カートラッズはそう言って従記者のテトアをここに残して、どこかで静養しているはずなのだ。だから彼女は現在の拠点であるここで留守番をしていたのだ。
「ははは、“蛇”のダンナがこのご時世に大人しくしている訳ないじゃありませんか。傭兵の休暇が本当に休暇と思っているなら、もう少し記者としては粘りが足りませんねえ……ダンナは平和になる前の稼ぎ時だとかで出発してしまいましたよ」
タヌキ親父は自分の席に座り直す。その姿は自分はここから離れるつもりはないと示しているようだった。
「ダンナのような方がいらっしゃるとね、ちっぽけとはいえ傭兵ギルドの看板も引っ込むに引っ込めませんでねえ。ですが、お嬢さんは自分の安全を優先してくださいな。ダンナも内心ではそう思ってるでしょうし、従軍記者ってのは無事に帰還して記事を残すのが仕事ですからねえ。もっとも、今どこが安全かなんて私も分かりかねますがね」
タヌキ親父はまたしても笑った。
テトアは親父の姿を見つめ、そして自分を置いて行ったカートラッズの姿を思い浮かべる。
色紙に写った“戦乙女の狼犬”の姿を眺めた。
現在の傭兵稼業の原点は“機神”と戦った初代“狼犬”ルーヴェン=ユールヴィングである。
彼は“機神”を巡る野望のために多くの人々が犠牲になった世界を目の当たりにし、無駄に人が命を落とすことのない傭兵芝居という仕組みを作り上げた。
テトアの伯父もかつてはその傭兵たちの芝居を本物の戦いとして記事にする傭兵ギルドの記者であった。伯父はすでに亡くなったが、その写真と記事を楽しみにしていた人々の姿を見て自分も形見の写真機を受け継いで記者になろうとした。
でも最初は彼女も疑問であった。言い方を選ばなければ世間を騙して戦争ごっこをしているだけでしかないこの傭兵稼業に何故、伯父は自分の生活を捧げたのか。
テトアは目の前の写真機を見る。
しかし、今になって彼女も何となく分かる。
きっと、伯父はこの傭兵稼業に関わる者たちの根底に流れる“意地”に惚れたのだ。
初代“狼犬”の願いを継ぎ、この世の理不尽な運命に彼らなりに抗おうとする後ろ姿に――
(男爵、それにリーナさん……がんばってください。死なないで――)
クレドガル王国内にある大公バルネスの別荘の一つ。
その一室の窓からマークルフとリーナは外を眺めていた。
広がる空は、にわかに太陽の光が差すだけの曇天であった。
「……気の利いた天気じゃねえか。これから敵陣に殴り込みに行くには丁度いい」
マークルフは不敵に笑うと振り向く。
そこには大公バルネスが立っていた。
「行くか?」
大公が口を開く。
「どこへ行くのか目星はついているのか?」
「グーの字の案内頼りさ。ただ、このクレドガル領内だろうな。“機神”が居座り、魔女たちの活動拠点もそれに近いはずだからな」
リーナが大公に向かって恭しく頭を下げる。
「大公様、お世話になりました。この地上で目覚めてから、いろいろお教えいただいた事、まことに感謝しています」
「なに、坊主のために今まで戦って来てくれたこと、ルーヴェンの分も含めて礼を言わせてもらうよ」
大公も静かに頭を下げた。
「爺さん」
「分かっておるよ、坊主。奴の骨はここで預かる」
バルネスが近くの机から何かを持ち上げる。
丁重に布に包んだ小箱。戦いに巻き込まれる恐れのある王都の墓から引き取った、祖父ルーヴェン=ユールヴィングの遺骨だ。
「しばらくは儂が預かるが、それも難しくなった場合は《狼犬》亭の女将に託そうと思う。それで良いな?」
「ああ、爺さんの所よりはそっちの方が喜ぶかもな」
「儂もそう思う。じゃが、お主たちの戦いが終わるまではここで一緒に見届けさせてもらうぞ」
マークルフと大公がそろって笑う。
そして、マークルフは遺骨に向けて神妙な顔を向けて敬礼する。
「……行ってくるぜ、祖父様」
そして歩き出す。その後ろをリーナもついて歩き出した。
マークルフは途中で止まると、背中を向けたまま大公に言う。
「一応、俺も礼を言っておくよ。祖父様共々、世話になったな」
「礼は朗報を持って帰ってからにせい。先に礼をされても後で何を押し付けられるか分からんからな。儂も歳じゃ。これ以上、“狼犬”の面倒なんぞ御免だからの」
マークルフは肩をすくめる。
「安心してくれ。“狼犬”は俺の代で終わらせるさ――じゃあな」
マークルフとリーナは玄関前の広間に来た。
外に待機している《グノムス》の許に行こうとした二人の前に、外套姿の長身の男が待っていた。
「ログ、準備はできてるな」
「はい。すでにマリエルが鎧の稼働準備は整えております。こちらもエルマたちと合流し、支援する予定です」
マークルフが“要”を回収する間、ログにも本国からの召集命令が届き、手勢を引き連れて急いでここに駆けつけていた。
王都周辺の住民避難のために応援に駆り出されたという形だが、マークルフたちの戦いを支援させるために国王と大公が計らった事だ。
「頼むぜ、ログ……お前にもここまで付き合わせてしまったな。先代の時代から仕えてくれたこと、礼を言うぜ」
「いえ。私もここまで“狼犬の懐刀”として取り立ててもらい、感謝しております」
そのログの後ろから誰かが顔を覗かせた。
「男爵さん! お姉ちゃん!」
それは赤毛のお下げ髪を揺らすリファの姿だった。
「よう。リファも見送りに来てくれたのか」
「……これから行くの?」
「ええ、リファちゃん。見送りに来てくれてありがとう」
リーナが微笑む。
「二人で一緒に帰って来てくれるよね?」
リファが目に涙を浮かべながら二人の姿を見つめる。
その姿にマークルフは気まずそうに頬をかく。
「……さあて、今回ばかりは安請け合いできないな。正直、これからどうなるか分かりゃしねえ。だが二代目“戦乙女の狼犬”マークルフ=ユールヴィング一世一代の大舞台だ。応援していてくれ」
「リファちゃん、わたしたちは“狼犬”と“戦乙女”の物語はこれで終幕にしたいの。いえ、終幕にさせるわ。だから、待っててね」
リーナが微笑むと感極まったリファが彼女に抱きつく。
マークルフはその姿を見守る。
(ルフィン、お前も今は大変な戦いにいるんだろうが……もし、俺たちが戻って来れなかったら後の世界のことはお願いするぜ。その代わり、“機神”は刺し違えてでも破壊してみせる)
決意を固めた眼差しを瞼で覆ったマークルフだが、すぐにいつものように不敵な笑みを向けた。
「リファ、今生の別れみたいに泣くな。あんまり泣かれると戻るに戻れなくなるだろうが?」
「だってぇ……」
「ブランダルクの新たな神女様になるって啖呵を切った奴がそんな泣きっ面見せるな。安心しろ、観光旅行の約束は忘れちゃいねえって」
リファがリーナの腕の中で涙をぬぐった。
「……すっぽかしたら承知しないからね。そんなことしたら、兄ちゃんとテトアさんに頼んで“狼犬”は大嘘つきのろくでなしだって記事にして、そんで世界中にばらまくんだからね」
「おいおい、これから奮って殴り込もうってのに萎えるようなこと言うんじゃねえよ」
マークルフは苦笑しつつ、承知したとばかりに親指を立てた。
「さあ、これ以上、萎える前に出発と行こうか?」
「……はい」
リーナがリファをそっと離した。
ログも道を空ける。
「閣下、ご武運を――」
「任せろ。俺には勝利をもたらす戦乙女がついている」
そう言って歩きだそうとしたマークルフの背中にリファが抱きついた。
「……兄ちゃんもずっと男爵さんの心配していたよ。ブランダルクを助けてくれた恩返しもまだ終わってないのに死なれたら困るって。あたしもそうだよ……だから、だから本当に二人で一緒に帰って来てね」
マークルフは微笑んでリファの頭に手を添えた。
「ブランダルクの神女様もついているとなっちゃあ、ますます負ける訳にはいかなくなったな。これで俄然、やる気が出てきたぜ。なあ?」
「ええ」
マークルフが言うとリーナも微笑んでうなずく。
だが、気づいていた。
リファを見つめるリーナの瞳に浮かんだ悲哀に――
「……行くぜ」
そして勇士は歩き出す。
その後ろを戦乙女も追った。
その日、彼らは出立した。
世界に闇が忍び寄る中、全ての運命と物語に終止符が打たれることを願って――




