切って落とされる火蓋
夕刻過ぎ、日の沈みかけた宿屋の一室に扉を蹴破り、傭兵たちがなだれ込む。
しかし、すでにもぬけの殻だった。
「……一足違いか」
傭兵たちを指揮していた古傭兵の男ウォーレンが舌打ちする。
通報を受けて不審な連中が泊まる宿屋を調べに来たが感づかれたようだ。
傭兵の一人が寝台に手を当てる。
「そう時間は経ってねえようですぜ」
ウォーレンは鼻を鳴らした。
「何か残してないか、探せ」
傭兵たちが部屋の中を調べると、一人が床に落ちていた何かを拾い上げた。
「こいつは何ですかね?」
傭兵が指で摘まんだ何かをウォーレンに渡す。
それは小さな鉛玉だった。
「……銃の弾だな。さっき微かだが火薬の匂いもした」
「そんな匂いが? あっしは気づきませんでしたぜ」
「俺の故郷は機工で少しは名を知られた所でな。俺もそこの工房の息子だったのさ。もっとも四男坊で口減らしで追い出されたけどよ」
ウォーレンは掌の上で鉛玉を転がす。
「狙撃用じゃねえな。近距離まで接近してパーーンってやるヤツだ」
「そこまで分かるんですかい?」
「用途で弾は違うからな。ともかく気をつける必要があるな。奴らは懐に銃を忍ばせているようだ。隊長と副長にも急いで伝えろ」
伝令の傭兵たちが走って部屋を出た。
「いいか。怪しい連中がいても無闇に近づくな。目の前で銃を抜かれたら、あの副長でも危ういかもしれねえ」
マークルフが夜景の街並みを窓から覗く。
「女将、フィーはどうしてる?」
「今日は大公様にお付き合いするつもりで、フィーのお友達の家に預かってもらってますわ」
「気が利くな。だったら、もう少し貸し切りにさせてもらうぜ」
マークルフは敵と対峙する時の不敵な笑みで答える。
「それでは、私も地下にでも隠れていましょうか」
「そうしてくれ。少し場が荒れそうなのは先に謝っておくぜ」
「お気を付けて」
女将が壁に掛けてあったルーヴェンの肖像画を持つと、奥にある地下の階段へと消えた。
残ったマークルフと大公は近くの椅子に座る。
「無粋な連中が来るのか」
「誰かのおかげで街中の奴らが隈無く探し回った時、ついでに不審者の情報も集まってな。俺の“目”と“耳”は部下の傭兵たちだけじゃねえぜ」
「狙いは儂か」
大公が杖を握った。
「俺も入っているだろな」
マークルフも《戦乙女の槍》を肩に担ぐ。
「部下が踏み込んだが空振りに終わった。しかし、手分けして領内を移動しているのは間違いねえ。向こうも手ぶらじゃ帰れねえし、仕掛けてくるぜ。気をつけてくれ。向こうは銃を持っているそうだ」
マークルフはカウンターに置いてあった器の入った水を手にして口にする。
二人はしばらく外の気配に耳を傾けていた。
「……爺さん。エレナ=フィルディングは現在、どうしている?」
「気になるか?」
「向こうの目的を絞っておきたいのさ。奴らはフィルディングの姫がここに居ると思っているのか? それとも俺が知らないうちに来ているのか?」
マークルフの目が外への警戒を続けているのを見て、大公は答える。
「エレナ嬢は儂が預かり、ここへ連れて行くという話になっておった。ただ、すんなり事が運ぶとも思ってなかったのでな。道の途中でエレナ嬢とは別行動して身を隠させておる。刺客はここにエレナ嬢がいるか確かめるために来ておるのかもしれん。仮に見つけたらどうするつもりかまでは判らん」
「やれやれ。刺客付きの縁談なんか持ってくるから、巻き込まれるはめになるんだぜ」
「安心せい。ここに越す前の《狼犬》亭では、こういう修羅場も客のケンカぐらいにはよく起こっておった」
「……出入り禁止にしねえ女将に敬意を表するぜ」
「“狼犬”のツケが完済するまでは追い出せんらしいからな……ついでじゃ、こちらも一つ伝えておこう」
大公が杖を構えたまま続ける。
「エレナ嬢はそなたとリーナ姫の関係を承知で縁談を受け入れておる。二人の関係を壊す気は向こうもないそうじゃ」
マークルフは鼻を鳴らす。
「自分も狙われているかもしれねえってのに、相変わらず気の強い姫さんだな」
外で警護の騎士たちの怒声が響き渡った。
マークルフたちは立ち上がる。
「来たようじゃな」
「下がってな、爺さん」
マークルフは大公をカウンターの裏に隠させると、自身も近くのテーブルを倒してそれを盾に身を潜める。
「銃持ちとは只の雇われ暗殺者じゃねえな。動かしているのも結構な貴族だな」
銃は古代エンシアの文明研究において復刻された武器だ。エンシアも火薬を用いた火器を利用していたが主流は魔力で動く武器であったためか、研究資料となる遺物や記録は少ない。
現在でも魔導機械の研究は盛んだが火薬を用いた銃の研究は限られていた。現在の技術では火薬の保存や運用方法が洗練されていないため、戦場で採用する軍などもごく少数だ。
ただ上手く使えば素人でも歴戦の戦士を倒せるため、一部の貴族や科学者が護身用などに利用していた。
極めて“贅沢”な武器というヤツだった。
外を警戒していると、夜の闇を火が横切り、壁に何かが刺さった音がした。
マークルフはテーブルから飛び出ると窓際からそれを確かめる。
「──これは!?」
壁に刺さっていたのは火矢だった。しかも導火線の伸びた筒みたいなのが巻き付けてあった。
「グーの字! 来い!」
「坊主!?」
マークルフは躊躇なく窓際から身を乗り出すと火矢を引き抜く。
外の中庭では地面が淡く輝き、そこから鋼の巨人が浮上しようとしていた。
リーナに従う古代エンシアの遺産、鉄機兵の《グノムス》だ。
「こいつを塞げ!」
マークルフは窓辺に足をかけると胸に埋め込まれた“心臓”の魔力を使い脚力を増強。その足で外に向かって大きく跳躍する。
《グノムス》の足許の地面が窪み、穴ができるとマークルフはそこに爆薬のついた火矢を投げ落とす。そして鉄機兵が覆い被さるようにその上に倒れると、マークルフもその背中に隠れて乗って耳を塞ぐ。
鉄機兵の倒れた地響きと爆音が同時に鳴り響いた。周囲を土砂が飛び散り、酒場全体が衝撃で大きく震えた。
《グノムス》の背中を盾にして爆発からやり過ごしたマークルフはすぐに立ち上がる。
隣の屋根から影が飛び降りた。それは闇に紛れるように黒装束を纏った刺客だ。近くに着地した刺客は手にした銃をマークルフに向けた。
マークルフは咄嗟に両腕で頭を庇う。
銃声が鳴った。
しかし、弾道はあさっての方に逸れ、逆に刺客の方がその場に倒れた。
顔を上げたマークルフは窓際に立つ大公に気づく。
大公は仕込み杖の鞘を刺客に向けていた。それは鞘に偽装した護身用の銃だった。
「……すまねえ、爺さん」
「どうせ、最初から儂の銃で仕留めさせるつもりじゃったのだろう。自分を囮にしたか」
大公はそう言うと仕込み杖を鞘に収める。
「死ぬ気はねえよ。狙ってくるなら確実に仕留める頭か心臓。俺の“心臓”は鉄より硬いからな。頭さえ守れば致命傷は避けられると考えたまでのことさ」
マークルフは刺客の落とした銃を拾い上げて、それを観察する。
「こいつらに心当たりはあるか、爺さん?」
「狙われる理由なら有り過ぎて分からん。そっちこそ目星は付いてるのか?」
「まあ、目星はな」
マークルフたちの目の前で《グノムス》が立ち上がる。
爆発の盾になったが問題はなさそうだった。
「グーの字。こいつをマリエルたちの所に持って行け。打てる手があるなら俺が許可する。好きにやらせろ。おまえも向こうの指示に従え」
《グノムス》が胸の装甲を開くと、マークルフは拳銃をその中に入れる。
銃を格納した《グノムス》は再び地面の下に潜行した。
「マリエルたちに調べさせるのか」
「ああ、特殊な銃みたいだ。調べさせれば何か対策が分かるかもしれねえ。こっちだって無駄に飛び道具と張り合うのは御免だからな」
城から少し離れた場所にある、焼き窯を備えた工房。
そこでは城で使われる皿などの調度品を製造しているお抱えの工房だ。
その製品は素晴らしい出来として知られているが、そこで働いている者が何者かは秘密であり、城下街の人間でも知る者はいない。
しかし、その工房の真の目的と秘密はその地下に隠されていた。
「じいじ、できたよ!」
地下室に歯車が動く音がすると、天井の穴から鎖に吊された小さな籠が降りてくる。
その籠の中には掌に乗るぐらいの小ささの、とんがり帽子を被った女の子がいた。
妖精族の娘プリムだ。
籠が地下室の床に着くと、プリムは籠の中から金属の板を引っ張り出す。
それはプリムが工房の窯を利用して造り上げた装甲の一部だった。
古代エンシアの遺失製法を用いた特殊素材だったが、組成を解析したプリムによって製法の再現に成功していた。
「じいじ? エルマのあねさん?」
プリムが地下室を見渡す。
そこは陶芸工房の地下とは思えない、機械に囲まれた部屋だ。
特にその奥の壁には一体の鎧武者が座っていた。
それは人型を模した安置台に掛けられた鎧の部品の寄せ集めだ。
それぞれの部品は装甲の一部が剥がされており、内部機構が剥き出しになっている。
装甲も内部機構もまだ破損が目立ち、継ぎ接ぎだからけの状態だ。それでも完全にバラバラになっていた当初に比べれば見違えるほどに全身鎧としての威容を甦らせつつあった。
「こうして見ると、リーナ姫さまとよく似てるなぁ」
プリムが修復途中の鎧を見て呟く。
「そりゃ、これが“オリジナル”だしの」
鎧の隙間からプリムと同じような格好の老妖精が顔を出した。
「じいじ、そこにいたんだ」
「戦乙女が変身する“光の鎧”は元々、これを原型にしておるからの」
老妖精ダロムが鎧の中から這い出ると床に降りてきた。
「でも、ちょっとだけ形が違うね」
「ただ修復するだけなく、今後の戦いに備えてエルマ姐さんの改良を加えておるからな」
妖精たちは鎧を見上げる。
《アルゴ=アバス》──古代文明エンシアの末期に開発された強化装甲鎧。古代の遺産の中でも極めて強力な兵器であり、初代“狼犬”が“機神”の暴走を食い止めるために用いた後、後継者であるマークルフに受け継がれていた。二年前の戦いで大破した後、修復の目途が立たずにいたが、エンシアの技術を持つダロムが協力することで、ようやく復活にこぎつけようとしていたのだ。
「でもさ、じいじ。この鎧さんが復活したら、リーナ姫さまはどうするの?」
プリムの何気ない問いに一瞬、ダロムの表情が曇る。
「じいじ?」
「いや、何でもない。それよりプリムや。しばらく外に出んようにな」
「どして?」
「うむ。姐さんからのお達しでな。何か揉め事があるそうだから、巻き込まれないようにしてくれと言うておった」
プリムが地上がある天井を見つめる。
「プリムたち、なにかお手伝いしなくていいの?」
「人間の揉め事は人間側で片付ける──姐さんがそう言うておった。ワシらは親切な妖精さんじゃが、戦いの手伝いまではすることもないしの。グーの字も助っ人に出ておるし、問題なかろう」
ダロムはそう答えるとプリムが持ってきた装甲板を確かめる。
「ワシらはこの鎧の修理をすればええ。プリムや、手伝っておくれ」
「うん」
妖精たちは協力して装甲板の破片を鎧の方へと持ち上げていった。
古代技術を持つ老妖精と装甲を再現できる妖精の娘。
地下世界より来訪したこの二人の出現により、英雄の鎧は再び戦う力を取り戻そうとしていた。
地下深くより地上を見守る、見えざる運命の手に導かれ──
そして、英雄と共に対峙した宿敵の胎動に呼応するように──