戦乙女の愛は誰がために(1)
研究室の中はさながら戦場の跡地であった。
床には空いた食器やらゴミやらやりとりした資料やらが散乱し、部屋に入ったログも足の踏み場所を選ぶ有様だ。
本来ならそれを許さないはずの所長代理もまたマークルフの眠る調整台のモニターと睨み合っていた。彼女らしからぬボサボサ頭とやつれた表情をしていたが、その視線は今も監視の目を緩めていない。
マリエルがログに気づいた。
「邪魔をしてすまない。定時報告が遅れていたのでな」
「……すみません、目を離せなかったので」
「構わない。それでどうだ?」
マリエルは作業台に置いていた紅茶をすする。
「再調整の障害となっていた歪みは全て修正を完了しました。現在も“心臓”は再調整を続けています。ただ──」
「思わしくないのか?」
「はぁあ……少し時間が掛かり過ぎましたわ」
マリエルに代わって答えたのは部屋の隅で横になっていたエルマだ。部下二人と並んであられもない姿で寝ていたエルマが欠伸をしながら起き上がる。
「修正作業によって再調整に移行するまで時間を要した分の悪影響は避けられません。ここからは賭けですわね。姫様の方はどうしてますか?」
「ずっと閣下のお目覚めを祈りながらお過ごしだ……何も伝えていないが危険な状態なのを薄々気づいているらしい」
ログは未だ覚醒の予兆もないマークルフを見つめる。
マリエルが頬杖をつく。
「後は姫様の祈りが通じるのを待つだけですね」
機械が警告信号を発した。ログたちの表情が変わる。
「これは──」
「“聖域”の変動!? 二人とも起きて!」
マリエルの言葉にアードとウンロクが跳ね起きる。寝起きながらすぐに事態を把握した二人はすぐに急激な魔力変動から機械を守る作業に入った。
「また“聖域”の変動がまた始まったのか」
「ええ……予想できないとはいえ、間隔は短くなっているようですね」
エルマの深刻な表情からも“聖域”崩壊は静かに進行しているのが見て取れる。
ログは襲撃に備えて腰に下げた魔剣の柄を握った。
「ねえ、じいじ、何か変な感じがしない?」
夜の空、ユールヴィング城の屋根にいたプリムが周囲を見回す。
一緒にいたダロムも立ち上がった。城にこっそり居候している妖精たちはたまに夜の空気を吸いに外に出ていた。
「うむ……どうやら“聖域”の働きが乱れているようじゃな」
大地の妖精族である二人は地中を流れる霊力の乱れを敏感に感じ取ることができる。
「プリムや、館に避難してなさい。何か出て来るやもしれんからな」
「すまんな、もう来ている」
妖精たちが振り向くと、同じく屋根の上に装甲に身を包む狼頭の男が立っていた。
「オオカミのおじちゃん!?」
「ファウアン! 何しに来おった!?」
「そう身構えるな。今回は話に来ただけだ。来ているのも俺だけだ」
狼頭天使ファウアンは腕組みをしたまま答える。
「……プリムや、館に入ってなさい」
「ええ、プリムもおじちゃんのお話ききたい」
「昔の話がしてくて来たわけじゃあるまい、ファウアン?」
「ああ、二人だけで話をさせてくれ」
プリムは渋ったが、それでも屋根をすり抜けて屋内へと消えていった。
「ダロム、まず貴様に確かめたいことがある」
二人になったのを確かめるとファウアンが口を開く。
「貴様は“聖域”の“要”についてどこまで知っている?」
ダロムが首を捻る。
「さて、何のことだ?」
「人間たちには隠しているようだが、貴様は“神”の代理人としてこの地上に来ているのだろう。“神”の描いた筋書きに従って活動しているのではないのか」
ダロムがとぼけた振りをするが、ファウアンの鋭い双眸が睨み付ける。
「やれやれ、言い方がきついの。確かにワシが“神”様に頼まれて地上に来ているのは本当だ。だが、あの方はあくまで自ら選んだ者に見えない形で手を貸すだけだ。それは“天使”に選ばれたお主も分かっておるだろう」
狼の口が苦笑する。
「そうだな。探りはやめて単刀直入に訊く。貴様は“聖域”の“要”がどこにあるのか知っているのか?」
「知らん」
ダロムも即答した。
「そもそもワシは本当にその“要”とやらが何か知らん。“神”様からも教えられてはおらん。その存在も魔女からの話で知ったほどだからな」
ファウアンが目を細める。
「魔女たちも“要”も求めて動いている訳か」
「そもそもワシも知らんかった事をなぜお前が知っておる? お前もこの時代に復活して間もなかろう?」
「クーラが教えてくれた」
「あの小娘の天使か。その“要”とやらを探してどうするつもりだ?」
「“聖域”を修復するつもりらしい」
「なんだと!?」
あっさり返ってきた答えにダロムが驚く。
「“聖域”の決壊は確実に進行している。それに呼応して深い“闇”も動き出している。いずれ、“聖域”に封じられている《アルターロフ》も息を吹き返して活動を再開するだろう。その前に破壊された“聖域”を修復するつもりらしい。その為に“要”が必要だともな」
「貴様こそ“要”が何か知っているのか? それでどうやって“聖域”を修復する?」
「“要”が何かはもうじき分かるだろう。もう一つも考えれば分かることだ」
「考えるのも面倒臭いから今すぐ教えろ、ファウアン」
「貴様も昔と変わらんな。いいだろう、こっちも時間が惜しいからな……クーラは“神”を召喚するつもりらしい」
「は……はあッ!?」
ダロムがすっとんきょうな声で答えた。
「さすがの貴様も度胆を抜かれたようだな。だが、考えようによっては不思議でもあるまい。“聖域”を修復できるのは“聖域”を造った“神”だけだからな……ダロム、聞け。これを伝えるのが俺が来た理由だ。いいか、貴様には貴様の理由があるだろうが俺たちの邪魔をするな。魔女たちに“要”が渡れば“聖域”を修復するどころか、世界がどうなるかも分からん」
「ワシに協力しろというのか」
「そこまでは求めん。だが“神”は貴様に“要”について伝えていなかった。貴様に託したこととは別に俺たち天使が“聖域”を修復するという選択肢も用意していると考えるべきだろう。“神”の見えざる手は一つだけではないってことだ。ならば、お互いに最悪の事態に陥るのだけは避けようという提案だ」
ダロムは眉根にシワを寄せた。
「その話は分かった。それで“要”とやらがどこにあるのか分かっているのか?」
「まだだ。“要”は極めて見つけにくい形で隠されており、俺たちでは見つけ出せん。魔女たちも同様だろう。だが一人、そこに辿り着けるかもしれん人間がいる。あの女科学者だ」
そこまで話したファウアンが会話を止め、その双眸がダロムの背後に広がる夜の闇を睨む。
「人狼族の天使様と妖精族のお爺ちゃんなんて珍しい組み合わせね。いったい何の密談かしら?」
振り向いたダロムが見たのは黒剣を手にした妖艶な雰囲気を湛えた魔女だった。
「出てきたか」
ファウアンが右手を構え、魔女も剣を構える。天使の手には輝力、魔女の剣の刀身には魔力が宿り、周囲の闇を照らす。
「そう慌てないことね。今回は無理に戦うつもりはないわ」
「……何が目的だ?」
「こちらの用件を邪魔されないように貴方の足止めをするだけよ。戦いたいならこちらは構わないけどね」
小さな妖精を挟む形で狼頭の戦士と魔女は対峙するのだった。
「グーちゃん!」
“聖域”変動の警鐘を聞いたリーナは館の地下室に駆けつけていた。
彼女の声に応えて石畳の床から《グノムス》が姿を現す。
「グーちゃん、すぐに研究室に向かって!」
リーナは胸の搭乗口を開いた《グノムス》に乗り込む。
次に“聖域”変動が起きた時はマークルフを《グノムス》に乗せて地中に避難させるとログ副長と打ち合わせで決めていたのだ。
地中に潜行した《グノムス》が進む。しかし、リーナは違和感を覚えた。
「グーちゃん、ちゃんと研究室に向かってる?」
同じ城内の施設に向かうにはしては時間がかかっているように思えた。いや、確実にどこか別の場所へと向かっているようだ。
「グーちゃん、どうしたの!? どこへ向かってるの?」
リーナは隔壁を叩くが《グノムス》からの反応はない。
彼女は制止するように訴え続けるが、機体は止まることなく進み続けた。
ようやく《グノムス》は動きを止め、地上へと浮上した。
搭乗口が開き、リーナはすぐに外の様子を確かめる。
どこか街の一角らしい。目の前に教会らしき建物があった。老朽化により取り壊し予定らしく、立ち入りを禁じる立て看板が置かれていたが玄関口の扉が開いていた。その向こうに見える内部は質素な木造の椅子が並んでおり、目の前には簡素な祭壇と神像が並んでいる。しかし、女性的な線を描く神像は首から上がなくなっていた。
「……ここに入れと言うの?」
《グノムス》は動かない。その通りなのだろう。
リーナは訳が分からないまま、何かの予感を覚える。しかし《グノムス》がわざわざ連れてきたからには何かがあるはずだ。
リーナが思い切って足を踏み入れると、不意に周囲の燭台に火が灯り、暗かった教会内を照らし出す。
「──この近辺は大地の自然崇拝と“神”への信仰が融合していたようですね。エンシア勃興前の精霊王信仰に近いでしょうか」
女性の声がした。燭台に照らされる声の主は背中を向けて椅子に座る外套を頭から覆った人物であった。
「あなたは……」
「大姉様よ」
背後からの声にリーナは振り向く。そこには壁を背にした魔女ミューが立っていた。
「“神”の教会跡なんて悪趣味だけど、ここなら邪魔は入らないでしょうしね。ああ、その像の顔は気に入らなかったから破壊させてもらったわ」
ミューは軽口で言うがその視線は鋭い。リーナが外套の人物に手出ししないように監視しているようだ。
「お待ちしておりました、リーナ姫。一度、貴女様とお話がしたくてグノムスに頼みました。このような場所まで勝手にお連れしたこと、どうかご容赦下さい」
外套の女性が立ち上がって振り向く。顔と身体を隠すように外套で覆われていたが、唯一覗く口許の笑みは若い女性のそれであった。
「“狼犬”殿の安否はご心配なく。今回、我らは何も致しません。それに天使たちにも手出しはさせません」
「……あなたも“魔女”?」
「エレと申します。顔をお見せできないのですが、お見知り置きください」
(この声は──)
おそらく妖精族たちが接触したという魔女の長姉だろう。リーナも初対面となる。しかし、その声にはどこか聞き覚えがあるような気がした。
「今回、私がここに来たのは我が主人の代理としてです。貴女様に我が主人からの言葉をお伝えするためです」
「……誰なのです、その主人とは?」
リーナは緊張を抑えながら訊ねる。魔女たちの主人、それが今回の異変に大きく関わる人物かも知れないからだ。
「名を告げてもすぐには信じてくださらないでしょう。ですが、じきにお分かりと思います」
「私が信じないということは……私が知る人物ということですか?」
エレの口許が肯定の笑みを作る。
「そうです。さもなければグノムスも貴女様をここには連れてこなかったでしょう」
リーナは戸惑う。《グノムス》は彼女の命令を優先する。だが、今回はリーナの制止の声に従わず、ここに連れてきた。
自分の命令よりも優先するほど重要な相手──
(ヴェルギリウス兄様──)
リーナの脳裏に兄王子の名がよぎる。思い出したのは以前にマークルフから兄について尋ねられていたからだろう。
しかし、リーナはすぐに否定する。兄は祖国と共に最期を遂げているのだ。
「主人は貴女様に自分の許に来るように願っております。世界はもうじき変革の時を迎えます。主人は貴女様に自分と共に新たな世界の礎として立つように求めておられます。この世界に再びエンシアを──それが我が主人の望みです」
エレの台詞が彼女を愕然とさせる。それは古きエンシアに縁ある者の言葉に思えたからだ。
「あなたの主人が何故エンシアの名を──」
「お会いになれば分かるでしょう。もし我が主人と会い、あの方に力をお貸しくださるならば貴女様の大事な“狼犬”の命を助けると仰せです。貴女様も“神”に誘導されるまま、あの若者を死に導きたいとお思いですか?」
リーナは冷静に努めるが、その碧き瞳が揺れる。
「お隠しになってもその瞳を見れば分かりますわ。貴女様はご自身の役目に疑問をお持ちのはず。我が主人もそれは理解しております。主人ならば“狼犬”の延命も可能です。そして貴女様の力が得られるならば主人は“狼犬”を自らの後継たる王に、そして貴女様をその王妃として新たな世界を委ねるおつもりです」
魔女から出たのは思いがけない申し出であった。だが、それはあまりにリーナにとって都合が良すぎる話であった。
「それを信じるとお思いですか?」
「まあ、普通は信じないわよね」
背後で話を聞いていたミューが口を挟む。
「大姉様、やっぱりあの方の許へ直接連れて行かないと信じないと思うわ」
エレは歩き出してリーナに近づく。警戒するが姉魔女はそのまま脇を通り過ぎる。
「すぐに信じろとは申しません。これから起きることをその目で知り、貴女様のご意思でお越し頂くのをお待ちします」
エレは玄関から外へと出ると、表で待機する《グノムス》の前に立つ。
「この子に話し合いの場所を伝えています。もし、その気になられたら、この子に頼んでください。案内してくれるでしょう」
「待って!」
リーナが姉魔女を追う。
「何故、私にそんな申し出をするのですか? 私に何をしろと言うのですか?」
リーナとエレの間にミューが立ち塞がった。
妹魔女に守られたエレが告げる。
「貴女様は“神”に選ばれました。“神”は選んだ者の選択に世界を託しています。つまり、貴女様の選択次第で世界は“神”の思惑を越えた新たな道を見いだすことも可能なのです。我が主人はその可能性に“希望”を見いだしています」
エレの口許が微笑む。
「そして、もっと大事な理由があります。我が主人は貴女様を助けたいとお思いなのです」
「助ける……?」
「リーナ様、戻る時が来たのです。“神”の思惑によって選ばされてきた戦乙女の道ではなく、リーナ=エンシヤリスという一人の人間に戻り、貴女自身が望む道を行くべきなのです。あの方は以前のエンシア王女リーナに戻って欲しいのです。そして、そのために力をなれることをお望みなのです」
エレが頭上を見上げた。
「心の声に耳を傾け、貴女様ご自身でお決めください。ただし──」
『グオオアアアアアッッ!!』
突如、脳裏に直接轟くような叫びが聞こえた。
それは異形化したアレッソス=バッソスの出現と同じ、怨嗟と狂気を滲ませた咆哮だ。
咆哮が尾を引いて聞こえ続ける中、魔女たちが並んで立つ。
「……これは……まさか……」
「貴女様には聞こえておいででしょう? 猶予はあまりございません。時はすでに迫っているのです」




