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譲れない役目

 《戦乙女の狼犬》亭――英雄ルーヴェン=ユールヴィングの二つ名と同じ看板を持つこの酒場の歴史は古い。

 最初は別の場所にあり、若き女将が営んでいたが、ルーヴェンは無名の頃からこの酒場を馴染みにしていた。そして、クレドガル王国から爵位を賜り、ユールヴィング領当主としての統治を始めると、わざわざ領内に女将を招いて店舗を引越しさせ、領主の立場を気にすることなく頻繁にここに飲みに来ていた。

 英雄の二つ名と酒場の看板が同じであるため、現在でもどちらが先なのか話題になっており、それほどこの酒場と“戦乙女の狼犬”は縁が深い場所だった。

 貸し切り状態で客のいない酒場に、先代と最も深く関わる者たちが集まっていた。

 奥で食器の片付けをしている女将。

 カウンターの前で静かに控えている副長ログ。

 そして奥の机に向かい合わせでマークルフとバルネス大公が座っていた。

「……」

 マークルフは腕組みをしながら不機嫌な表情でそっぽを向いていた。

 背後でログが控えているため、脱出は不可能。目の前にいる大公の話を聞くしかない状況だ。

「儂が何も分かっていないと思っているのか?」

 重い空気の中、大公が口を開いた。

「坊主、今までの戦いでどれだけ命を削った?」

 マークルフは答えない。

「エルマやマリエルからそなたの身体のことは聞いておる。すでに後遺症が出始めているそうではないか」

「……祖父様から《アルゴ=アバス》を受け継いだ時から、いずれはこうなると分かっていたさ」

 マークルフは仕方ないとでも言うように肩をすくめた。

「それに、今までに何度も死にかけたと思えば生きているだけ儲けものさ」

 大公が机の上に置いた手を握る。

「……これ以上、無理を重ねれば儂より先に逝くぞ」

「爺さん、長生きしそうだからな」

「はぐらかすな。坊主――いや、二代目“戦乙女の狼犬”マークルフ=ユールヴィングよ」

 大公がマークルフを厳しい目で見据える。

「よいか。そなたはルーヴェンの跡を継いだ。だが、それは徒に命を削って戦えという事ではない。奴の戦いは“機神”とそれに魅入られた者たちに抗うことじゃった。決して、生き急いで自滅するまで戦えという事ではない」

 マークルフはそっぽを向いたまま目を閉じ、黙って大公の言葉を耳にする。

「このまま命を使い果たすような真似をすれば、“機神”に運命を狂わされた犠牲者の列に加わるだけじゃ。“機神”の力に魅入られて道を踏み外した者たちと結局、一緒になる。それでルーヴェンが喜ぶとはおぬしも思ってはおるまい」

「……」

 マークルフは答えない。

「これは後見人としてではなく、先代から続く“狼犬”の盟友としての問いかけじゃ。答えんか!」

 業を煮やした大公が語気を強めた。

 マークルフは目を開くと、机に手を叩き付ける。

「だからといって、フィルディングの連中と手を組むと言うのかよ、爺さん! 日和ったのか!」

「日和ってなどおらんわ!!」

 大公が両手を机に叩き付けて立ち上がった。

 普段からは想像もつかない怒声にマークルフをはじめ、その場にいたログたちも息を呑む。

「……おぬしがルーヴェンの遺志と称号を継いだように、儂もあいつの遺志と願いを引き継いでおる。それはおぬしの戦いを見守り、その行く末をできるだけ見守ることじゃ。望みはただ一つ。坊主が“狼犬”の使命を果たし、その姿を手土産にあの世のルーヴェンに報告に逝くことじゃよ」

 マークルフは目を背ける。

「坊主。だからこそ、儂よりも先におぬしを逝かせるわけにはいかんのだ。よいか、ルーヴェンは“機神”によって人々がその運命を狂わされるのを目の当たりにし、その生涯を“機神”との戦いに捧げた。フィルディング一族と戦うのはその目的の為じゃ。決してあの一族を滅ぼす事を目的に戦ってきたわけではない」

「……“機神”との戦いは奴らとの戦いだ。それは今も変わってねえはずだぜ」

「そなたも感じているはずじゃ。フィルディング一族はいま大きく揺らいでおる。今回の縁談を持ちかけたのも一族の最長老ユーレルンの方からじゃった。一族を守るため、昔から儂やルーヴェンと戦ってきたあの男がそこまで思い詰めておる。そなたはヒュールフォン、ラングトン、そして司祭長ウルシュガル――一族の重鎮たちと戦ってきた。“戦乙女の狼犬”としての戦いは一族を変革まで導きつつある」

 大公は椅子に座り直した。

「事が上手く運べば、フィルディング一族も“機神”の呪縛から離れる未来を選択できるかもしれん。それに手を貸すのも“狼犬”の役目とは思わないか?」

「俺に奴らとの戦いを止めろと――」

 マークルフは唇を噛みしめる。

「ルーヴェンから受け継いだ戦いを捨てろとは言っておらん。しかし、“狼犬”から受け継いだ使命を変える資格を持つのも同じ“狼犬”だけじゃ。そなたは“狼犬”の役目をすでに十分に果たしてくれておる。そなたがこれから何を選ぼうとルーヴェンはきっと認めてくれるじゃろう。奴がそなたに全てを託したのはそういう――」

「勝手に祖父様の言葉を使うな! 爺さん!」

 マークルフは怒りを込めて机に拳を叩き付けた。その拳をさらに震わせる。

「俺だって祖父様の苦労をずっと見てきたんだ! そりゃ爺さんのように肩を並べて戦ったわけじゃねえ! でもよ、あの祖父様の背中を見てたら分かるんだ! 祖父様があの一族との戦いでどれだけ辛い思いをして生きてきたのかを! だから、俺は“狼犬”の名を借りて、いままで祖父様の代わりを引き受けて来たんだ!」

 マークルフは立ち上がると、やり場のない怒りを込めるようにもう一度、机に両手を叩き付けた。

「それをいまさら何だ! 俺が使い物にならなくなりそうだから年寄り同士で談合して、それを呑めってか? ふざけんな!!」

 マークルフは怒りを込めて吐き捨てると扉へと向かって行く。

「女将、爺さんの分と一緒にツケといてくれ! 爺さんのおごりなんぞまっぴらゴメンだ!」

 そう言ってマークルフは扉を開けて外へ出た。

「閣下!」

 引き留めようとしたログを大公が手で挙げて制した。

「大公様……」

「いいんだ、ログ。命懸けの戦いを続けてその先を勝手に決められては、確かに怒りたくもなるじゃろうて。年甲斐もなく儂も熱くなってしまったようだ……」



 酒場を飛び出したマークルフは、人のいない夜の町並みを眺めながら舗道を歩いていた。

「閣下――」

 呼びかけに振り向くと、目の前にログが立っていた。どうやら追いかけて来たらしい。

「爺さんの警護は?」

「お供の騎士隊が周囲に控えてます。それとは別にこちらの手の者も警備に当たらせています」

「……まったく、爺さんの接待も楽じゃねえな」

 マークルフはため息をつくと夜空を見上げる。

 雲の多い夜空だが、暗雲がかかる半月は静かに輝いていた。

「爺さんの言い分も、分からない訳じゃねえんだ」

 マークルフは呟く。

「でもよ、これは祖父様から受け継いだ戦いと同時に俺の戦いでもあるんだ。俺の戦いは最後まで“戦乙女の狼犬”を演じ切る事だ。爺さんの作った台本には納得できねえんだ」

 マークルフはログを見る。

「おまえはどう思う?」

「わたしの役割は“狼犬”の懐刀です。わたしの台本は閣下に書いていただくだけです」

「……大変なんだぜ。台本書くのはよ」

 マークルフはそう言うと苦笑する。

 やがて二人は静かな町並みを抜けて城に戻った。

 出迎えた門番たちを労い、屋敷の玄関まで辿り着く。

「お帰りなさいませ」

 玄関の真上から声がした。見上げると上階の窓からリーナが顔を出していた。

「まだ休んでなかったのか?」

「そのつもりでしたが月が綺麗だったもので、つい起きてました」

 リーナが月を見上げる。月明かりにその美しい黄金の髪が輝いて見えた。

「……俺の戦いも俺だけのものじゃなかったな」

 リーナが自分を見つめるマークルフの視線に気づく。

「どうかなさいましたか?」

「いいや。身近にいると忘れそうになるが、リーナは戦乙女だったなと思ってな」

「ただのリーナで十分です。戦乙女が必要な時なんてない方がいいですわ」

 リーナが微笑んだ。戦いなんてない方が良いという事だろう。

「……人の気も知らねえで、可愛いこと言いやがるぜ」

 マークルフはそっと笑うと屋敷に入ろうとする。

 その時、兵士の一人が近づいてきた。

「お待ちしてました、隊長。それに副長も――」

「どうした?」

「お耳を――」

 マークルフとログは兵士の耳打ちを黙って聞く。

 話を受けたマークルフはログに目で合図した。ログも兵士と共に早足で立ち去る。

「何かあったのですか?」

「出かけてくる。月の綺麗な夜だというのに無粋な奴らが多いようでな」

 マークルフは答える。

「リーナ、そっちも戸締まりは頼むぜ」

「承知しました」

 その言葉で彼女も悟ったのか、一度奥に引っ込むとやがて戻って来る。

 彼女は自分の髪と同じように輝く黄金の槍を握っていた。

「お忘れ物ではございませんか?」

 マークルフは不敵な笑みを浮かべると手を伸ばした。

「さすが戦乙女だ。気が利くな。そこからでいい、投げてくれ」



「こうして女将の酌で飲むのも久しぶりだな」

「本当ですね。こうしていると、今でもルーヴェンの笑い声を思い出しますわ」

 大公バルネスはカウンターに席を移し、女将と二人きりで酒を飲んでいた。

「しかし、ルーヴェンの代わりは難しいな」

 戦友が今際に残したという言葉を挙げて説得しようとしたが、逆にマークルフを激昂させてしまった。

「坊主にとって、“狼犬”の名は儂が思っていた以上に大きかったのかも知れんな。あいつはルーヴェンの称号を借りて利用しているだけと言っておるが、返上するどころか、これっぽっちも曲げる気はなさそうだ」

 バルネスが一息で酒を飲み干すと女将が瓶を差し出す。空いた杯を向けると女将は静かに酒を注いだ。

「坊主には確かに才覚がある。最初はルーヴェンの跡を継ぐのは荷が重すぎると思っておったが、いまは逆に思っている。あの才覚が英雄の後継者以外の生き方を許さないのかも知れぬ」

「私には英雄の生き方は分かりませんが、以前に若様がおっしゃってました。自分が“狼犬”の名を継いだ理由なんて実は大したものじゃないって――」

 手の空いた女将は洗い終わった皿を布巾で拭き始める。

「若様はずっとルーヴェンの背中を見て育ちましたからね。あの人がボロボロの身体でそれでも“戦乙女の狼犬”であることを貫こうとしていたことも、子供心にお気づきだったのでしょう。だから、いつの日か若様はあの人にこう言いたかったそうですよ――『祖父様、無理するな。後は代わってやるからもう休め』って――」

 大公は酒を口にしながら黙って聞いていた。

「若様も跡を継ぐ時にいろいろとありましたけどね。“狼犬”の称号を受け継いだ一番の理由は言えなかったそれを果たす為らしいですわ。その思いだけは今も昔も変わってないようです」

 女将が皿を棚に片付けていく。

「若様も最初は自分があの人の代わりを果たせるのか怖くて仕方なかったそうです。でも、最近になってようやく少し追いついた気がするって――若様は別に英雄になりたいのではなく、あの人が逝っても終わらない戦いを終わらせたいのですよ。だからこそ、大公様のお申し出はそれを否定されたようで仕方なかったのかも知れませんわ」

「馬鹿者が……あやつと同じように自分がボロボロになって誰が喜ぶと思っておる。ルーヴェンだって、そこまでしろとは思っておらんわ」

 大公が吐き捨てると女将が寂しげに笑った。大公は怪訝な表情を浮かべる。

「ふふ、失礼しました。大公様の今の表情を拝見していると、あの人と口論していた時を思い出しましてね」

「確かに、いざとなるとこちらの忠告を聞かない強情なところはあやつとそっくりだよ」

「それにリーナ姫様の事もございますよ」

「……そうだな。あの姫にだけは済まぬと思っておる。今まで坊主のためによく尽くしてくれたし、その想いも知っておる。坊主との間を裂くような事は本音を言えばしたくはなかった」

「姫様にもお話を?」

「そのつもりだ。儂が進める縁談である以上、儂の口から言わねばならん事だ」

 大公は店内に飾ってあるルーヴェンの肖像画を見た。

「……まったく呑気そうな顔をしおって。お前ならあいつに何て言ったのだろうな」

 大公は昔を懐かしむように肖像画に向かって乾杯する。

「『お前の好きにすればいい。それが儂がおまえに託したことだ』――祖父様ならきっとこう言っただろうな」

 答えたのは酒場に入ってきたマークルフだ。

 その右手には《戦乙女の槍》を握っていた。

「坊主!? 戻って来たのか」

「いいや。領主としての一仕事に来たのさ」

 マークルフは答えると大公の前にあったおつまみの豆を手掴みで頬張る。

「女将、今日はもう店じまいだ。しばらく爺さんを預かっていてくれ」

「何かあったのですか、若様?」

「縁談話が気に食わない連中が俺以外にもいるらしい。そうだろ?」

 マークルフに言われた大公は杖を手にして席から立つ。

「どうにも無粋な連中が多いようでな。どうする? 破談に手を貸してもらえるよう向こうにお願いしに行くか?」

「ケッ、悪い冗談は縁談話だけにしてくれ」

 マークルフが窓際にあったカンテラの前で手を振る。灯りの明滅が合図となって外に控えている部下たちに伝わっているはずだ。

「さて、と――これから領地に紛れ込んだネズミを片づけるぜ」


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