狼犬の牙は誰がために(1)
夜のユールヴィング城の敷地内。
そこの裏庭の一角で地面が光り、やがて一体の鉄巨人が浮上した。
胸の装甲が開き、そこからエルマとリファが地面に降り立つ。
さらに巨人の頭の上に妖精族の二人ダロムとプリムが姿を現した。
「は~、やっと着いたわね」
エルマが身体を伸ばす。
「グーちゃん、ごくろうさま」
プリムが自分が立つ《グノムス》の頭を撫でた。
「夜になっちゃったね。皆、寝てるかな?」
リファが周囲を見回すと、淡く光る何かを持つ人影が近づいて来るのが見えた。
それは水晶球を持つログだ。
「エルマ、戻って来てくれたか。帰りを待っていた」
「まあ、副長さんが自らお出迎えですか?」
エルマが冗談のように言ったが、ログは真顔でうなずく。
「ああ。帰って来てさっそくだが力を借りたい」
エルマもその表情から笑みが消える。
「……何かあったんです?」
「閣下がお倒れになった」
リーナは窓から夜の空を眺める。
もう寝る時間だが、先程の“聖域”変動騒ぎもあって寝つけずに椅子に座っていた。
そうしていると外の通路を誰かが慌てて駆けていくのが聞こえた。
その行き先はマークルフの居る部屋だ。
リーナは嫌な予感にかられ、居ても立ってもいられずに自らも部屋を飛び出す。
マークルフの部屋に向かったリーナが見たのは、開けた扉の前で立つリファの姿だった。
「リファちゃん!? 帰って来てたの!?」
だが、リファは返事をすることなく、呆然としている。
その視線の先は部屋の奥で深い眠りに就くマークルフに向けられていた。
「お姉ちゃん……男爵さんがずっと倒れたままって本当なの?」
リファが震えた声で口を開く。
「……ええ」
「あたしのせい……だ」
リファの目に涙があふれる。
「あたしのために無理ばかりさせちゃったから……だから……だから……男爵さんがあ!」
リファが堰を切ったように大声で泣き出した。
「違うわ! リファちゃんのせいじゃないわ」
リーナは思わずリファを抱きしめていた。
「マークルフ様は自分の戦いをしただけよ。誰のせいでもないわ」
「だって……だってえ……」
リファがリーナの胸の中で泣きじゃくる。
彼女もブランダルクの戦いで、手負いの身体を酷使し続けたマークルフの姿を見てきたのだ。
「リファちゃんがいてくれたから、マークルフ様はブランダルクでの戦いに勝てたのよ。あの人もわたしも感謝しているわ。リファちゃんはブランダルクとマークルフ様を……導いてくれた……」
リーナはリファを慰めようとするが、その言葉が途切れる。
「導いてくれた……ブランダルクの神女だから……」
リーナの脳裏に目の前で倒れるマークルフの姿が甦る。
自分が勇士として選んでしまったが故に、彼に過酷な戦いを強いてきたのだ。
「……お姉ちゃん?」
(……わたしが……あの人を選ばなければ……わたしが……あの人を破滅へ導いてしまったんだ……)
リーナの喉から嗚咽が漏れる。自分にもどうにもならない絶望が彼女を押し潰そうとする。
足許から崩れ落ちそうになるリーナ。
「お姉ちゃん!」
それを受け止めたのはリファだった。
「大丈夫だよ! 大丈夫だから……お姉ちゃん」
リファがそう言ってリーナの背中をさする。いつの間にかリーナの方が抱きしめられていた。
「男爵さんはずっとお姉ちゃんに感謝してるんだよ……お姉ちゃんが悲しんでたら男爵さんも悲しんじゃうよ」
詳しい事情も分からないはずなのに、リファが懸命に慰めようとしてくれていた。
「……ごめん、ごめんね、リファちゃん」
「いいんだよ。あたしもブランダルクを救ってくれたお礼をしたくてここに来たんだよ。何でも言って。力を貸すからさ」
情けない自分の姿に打ちのめされそうになるが、それを支えてくれるリファの優しさがとても有り難かった。
「……失礼。姫もご一緒でしたか」
ログの声にリーナは慌てて顔を上げる。
二人の前にログとエルマがやって来ていた。
「姫様、ただいま戻りました。これからはうちもマリエルたちを手伝います。男爵を研究室に運びますね。後はお任せくださいな」
エルマがそう言うと部屋で眠る男爵の姿を覗き込む。
「まあ、姫様たちの心配も知らずによくお眠りですこと……姫様、この件については知っていて黙っていたうちも共犯者です。謝罪はあらためて、男爵が目覚めた時にさせていただきます」
やがてアードたちが来て、マークルフが寝台車に乗せられて運ばれていく。
リーナとリファは静かにその姿を見守った。
エルマはアードたちに同行し、マークルフを研究室へと運んでいく。
「現在の状態は?」
エルマは男爵を引き取りに来たアードたちと鉢合わせし、二人から男爵が再調整不調で危険な状態であることを聞いていた。
「所長代理が連日、修正作業しているおかげで小康状態を保ってます。ただ代理も無理しているみたいでして」
「姫様に隠していたことに相当、責任を感じているみたいでしてね」
アードとウンロクが答える。
エルマは運ばれる男爵の鼻をつまんだ。
「……男爵、ここで呑気に寝ている場合ではないですわよ。起きてやらなきゃいけない事は山ほどあるんですからね」
エルマたちは調整室へと入る。そこで待ち受けていたマリエルが姉の姿を見て驚く。
「姉さん、いつ戻ったの!?」
「つい、さっきよ。先日の襲撃は二人から聞いたわ。よくやったわね、さすがよ」
そう言うとエルマはアードたちに指示して、マークルフを調整台の上に寝かせる。
そして調整台に繋がれた《アルゴ=アバス》と男爵を交互に見やった。
「鎧まで引っ張り出すなんてまったく、人騒がせなお孫さんですわね。ねえ、先代様?」
エルマは冗談のように強化鎧に向かって呟くと、マリエルの席に近づく。
「姉さん、そこはうちが──」
「マリエル、ここからは引き受けるわ。あんたはしばらく寝てなさい」
エルマが作業台に置いてある資料を手にして目を通す。
「なるほど。疲弊の進んでいた左腕の機能不全が引き金になって、全身の歪みが一気に噴出。それが再調整を引き起こし、同時に妨げになっている──マリエル、あんたが予見していた通りの最悪の事態ね」
「……当たって欲しくはなかったけどね」
「悪い予感こそ当てなきゃいけないのよ。よし、アーくん、ウンちゃん、手伝ってちょうだい」
エルマが颯爽と服を脱いで半裸の格好になると、マリエルがいた席にあぐらをかいて座る。
「了解っす」
「本気になった姐さんの手伝いなんて、いやあ腕が鳴りますぜ」
アードとウンロクも予備席に座って装置を立ち上げる。
「ちょっと、姉さん! 二人とも!」
強引に外されたマリエルが抗議するが、エルマは妹の顔に指を突き付ける。
「いいから休みなさい。これは所長命令よ」
「何よ、それ! こういう時だけ所長命令なんてずるいわ」
「何を言ってんの? こういう時の所長権限よ」
エルマはモニターのデータを精査しながら、それを他の二人の装置と共有する。
「うちがA01からA15ブロックまで引き受けるわ。アーくんはA群の残りとB群の全ブロック、ウンちゃんはA・B群の干渉を監視しながらC群の調整をお願い──マリエル、何か注意事項がある?」
渋い顔をする妹にエルマは和やかな笑みを浮かべる。
「……自律神経系統が予想以上に不安定になってる。左腕部の調整は特に慎重に。下手にすると生体活動全体に影響が出てくるかも知れないわ」
「了解したわ。二人とも、やる事は対症療法よ。とにかく障害の酷い部分の歪みを緩和して。“心臓”が再調整可否の判断を出すのを少しでも遅らせるのよ。判断に迷う部分は後でマリエルに回して。さあ、開始するわよ」
エルマの合図に三人が息を合わせたように動き出した。
その様子を見守っていたマリエルだが、やがて奥にある長椅子に腰を下ろす。
「心配しなさんな。こういうのはあんたの担当だけど、三人いればあんた一人分の働きぐらいはできるわよ。ちゃんと問題が起きた時は叩き起こすから、それまでは寝ておきなさい」
マリエルが姉たちの作業を見つめていたが、やがて口を開く。
「……この前のこと、ちゃんとお礼を言ってなかったわね」
「何の話?」
「化け物の襲撃の事。姉さんの助けがなければ何もできなかったし、二人はうちの事を庇ってくれたでしょう?」
「ああ、それ? あれはあんたの手柄よ。ちゃんとこっちがやる事を読んで準備してくれてたじゃない?」
ウンロクが相づちを打つ。
「そうそう。俺らだって姐さんから代理の事を頼まれてましたからね。気にしないで……いや、どうしてもと言うなら、その、“狼犬”亭のツケがあって給金の前借りができれば──」
「ちょっと、あれだけ言ったのにまだツケ返してなかったの!?」
マリエルの怒声にウンロクが肩をすくめる。
「ああ、僕も注文を出していた薬品の材料を引き取るの忘れて、薬師のガーザンさんから延滞料を請求されてて──」
「あんたもドサクサで言うな!」
アードも身を縮める。
マリエルの大きなため息が聞こえた。
「まったく……二人とももっと身の周りのことをちゃんとしてくれれば、どこに紹介状を出しても恥ずかしくないくらいの実力はあるのよ」
「あら? マリエルが褒めてくれてるわよ。二人とも、良かったわね」
「嫌ですよ、所長。僕たちを追い出すつもりですか?」
「殺生ですぜ。俺たちがいなきゃ誰が姐さんと姐さん代理を手伝うんで?」
マリエルが頬杖をつく。
「ここに居たって何時までも姉さんか、うちの手伝いにしかならないわよ」
「いやあ、僕たちはそれがしたくてここに居てるつもりですけどね」
「そうそう。知っての通り、俺らは姐さんが拾ってくれなきゃ何もできない、はみ出し者で終わってましたからねえ」
「図体がでかいだけで実験の邪魔だからって追い出されたり──」
「見た目が胡散臭いってだけで発表の場から除け者にされたり──」
アードとウンロクが昔を懐かしむように笑い合う。
「僕らは姐さんに拾われなかったら、こうして科学者の仕事なんてできずに腐っていたと思うんですよ」
「そうですぜ。何だかんだで姐さんたちの仕事を手伝うのが一番、楽しいですからね」
「二人とも、あんまりマリエルを困らせたらダメよ。あの子の下で働くならもう少し襟を正さなきゃね」
「正す襟もないその格好の姉さんにだけは言われたくないわ!」
マリエルは横になって毛布を被る。
「何でもかんでもこっちに押し付けるな、バカッ!」
マリエルは悪態をつくと、もう知らないとばかりに背中を向けてしまった。
アードとウンロクがエルマを見る。
エルマは黙ってうなずく。
(そうね、何でもかんでも押し付けて頼ってばかりで……本当に悪い姉よね。ごめんね、マリエル)
「──グーちゃん」
夜も更けた館で窓の一つが開く。そこからリーナが顔を出した。
夜着の上に上着を羽織った彼女が裏庭に呼びかける。
やがて地面が淡く輝き、そこから《グノムス》が浮上した。
「そっちに行っていい?」
《グノムス》が腕を窓の前まで伸ばすた。リーナは窓を乗り越えてその掌に乗ると窓を閉めた。
鋼の腕が地面に降ろされ、リーナは地面に降り立つ。
「お帰りなさい、グーちゃん。エルマさんたちのお手伝い、お疲れ様」
リーナは労いの言葉をかける。
「グーちゃん、いまマークルフ様は動けないの。いつ天使や魔女が来るかも知れない。ログ副長も怪我がまだ癒えていない。グーちゃんが頼みなの。お願い、マークルフ様を守って……わたしよりも先にあの人を守って」
そこまで話したリーナの表情が崩れ、その目にあふれるように涙が浮かぶ。
「グーちゃん、聞いてくれる?」
《グノムス》は答えない。しかし、常に彼女を守ってきた鉄機兵がリーナの話を拒むことはない。
「……マークルフ様はきっと危ない状況なの」
リーナが鉄機兵に寄りかかる。
「わたしには分かるの……副長やマリエルさんたちは黙っているけど、マークルフ様の中の“心臓”が止まるかどうかの瀬戸際なのよ」
彼女がきつく目を閉じる。その目からこぼれた涙が頬を伝う。
「……わたしはあの人を助けたい……でも……でも、あの人が命を繋いでも…………」
リーナは自問するように呟き続ける。
「あの人はまた戦い続ける……結局は死神が死ぬまで勇士を戦い続けさせるの……今までと一緒……イヤだよ……わたしは死神になんてなりたくない。もう“鎧”にもなりたくない……あの人が戦いで消えていくのを見たくないよ……」
リーナが《グノムス》の顔を見上げる。
「どうすればいい? どうすれば……あの人の戦いを終わらせられるの……分からないよ……わたしはどうすればいいの?」
そしてリーナは泣き出した。皆の前で辛うじて堪えていた涙が一気にあふれ出す。
数百年、彼女を守り続けたこの鉄機兵だけが弱さをさらけ出せる唯一の相手だった。
「……分からない……分からないよぉ……グーちゃぁん……」
リーナは装甲に顔を隠すようにして号泣する。
彼女にすがりつかれた《グノムス》は何も話さず、動こうともしない。
それでも涙を胸に静かに立ち続けるその姿は、まるで主人を全てから守ろうとするかのようであった。




