“魔女”
「何を言っているの?」
魔女ミューが足許に倒れているリファに向かって言った。
リファは構わずにミューを睨み、さらにエルマに刃を向ける姉魔女の方も睨む。
「あたしの前にいる方が妹の方よ」
「ちょっと、貴女。いったい誰と会話してるわけ? 余計な真似をするなら貴女も容赦はしない──」
ミューの口が止まった。
「どうしたの、ミュー?」
エルマに剣を突き付けていたトウが急に黙ってしまった妹魔女に言った。
(エレナ=フィルディングから接触があったんだわ……頼むわ、上手くやってちょうだい)
エルマは妹魔女の後ろ姿を見る。
その瞬間、トウの姿がエルマの視界から弾き飛ばされた。
ミューの使役する鉄巨人が急に動き出し、残った左腕でトウを掴み上げたのだ。
「なッ!? ミュー、どうしたの!?」
慌てるトウとは対照的にミューは冷徹な口調で告げる。
「──うるさいわね。お姉様の命令よ。大人しくしてちょうだい」
ミューが振り返った。
「どうしたの!? いったい何を言っているの!? わたしよ! トウよ! 分からないの!?」
トウが訴えるがミューは涼しい顔だ。
「貴女こそいったい何を言っているの? 姉様、この女、面倒だから眠らせて行った方が良いんじゃない?」
ミューがエルマに向かって言った。
「……どうやら成功したみたいね」
エルマが怪我をした足を庇いながら立ち上がる。
「そうか!? あんたの仕業なのね! 答えなさい! いったいミューに何をしたの!?」
怒りを露わにするトウを尻目に、エルマはミューに近づいていく。
「……わたしが分かる?」
「トウ姉様でしょう?」
ミューがエルマを見ながら当然のように答える。
「そこの女は?」
エルマが目で鉄巨人に掴まった姉魔女を示す。
「捕らえるように命じられた女でしょう? どうかしたの?」
ミューは質問の意図が分からないように首を傾げた。
「ミュー! 目を覚まして!」
トウが叫ぶが代わりに鉄巨人の手で締め上げられ苦悶の声を漏らす。
「黙っていなさい。少しでも余計な真似をしたらもっと締め上げるわよ」
ミューがトウを睨みながら告げる。
「クッ、離せ!」
トウが鉄巨人に命令した。巨人の手が少し緩むが、すぐにまた閉じられ、トウの身体を締め付ける。
「言ったはずよ。それ以上は痛い目を見たくないでしょう?」
ミューが勝ち誇ったように告げた。おそらく鉄巨人を操ろうとした姉魔女の力を自分の力で相殺したのだろう。
エルマは冷静にそのやり取りを眺めていた。
(なるほど、ね。うちを姉魔女と認識したから逆に姉魔女をうちと認識したみたいね。しかも、その認識にとって都合の悪いものは無視される──勝手に帳尻合わせをしてくれるならやりやすいわ)
エルマはミューの前に立つ。
「さて、これからどうするんだっけ?」
「どうするって、大姉様たちのところに戻ってあの女と〈ガラテア〉を突き出すに決まっているでしょう?」
「ああ、そうね。だけど何であの二人を連れて行くの?」
ミューが呆れたようにため息をつく。
「そこからなの? 兄様のご命令に決まってるじゃない? もう忘れたの?」
「ああ、ごめん。そうだったわね」
姉魔女を演じるエルマをミューは全く疑ってはいないようだった。
「ミュー!」
魔女トウが会話に割って入ろうとするが鉄巨人の拘束に苦悶の表情を浮かべる。
「じゃあ、ついでにおさらいさせて。ええと、兄様と姉様とわたし達の目的は何?」
エルマは核心に迫る質問をする。
「もう、普段まじめに話を聞かないからそうなるのよ。いい、姉様? わたし達の目的は“聖域”の“要”を探し出す事。そして大姉様が兄様をう──」
クレドガルへと向かう道の端にエレナ=フィルディングと護衛の騎士隊が待機していた。
エレナ=フィルディングは左手に魔力を封印した指輪をはめ、その魔力を送る形で“機神”と交信、その機能を行使していた。
“機神”と交信したが結局、異形はエレナたちの方に向かう事はなかった。気づかなかったのか、それとも無視したのかは分からないが、その後はエルマたちと合流するためにクレドガルへの道を急いでいる途中だった。
(あの科学者はこの事に気づいていたのか)
遠く離れたエレナ=フィルディングにもクレドガル近郊で行われている魔女たちとのやり取りが伝わっていた。
接触しているリファの感覚を通して聞こえているのだ。
合流するためにリファと接触したエレナは向こうから“機神”の力を使ってある命令を実行するように頼まれ、それを実行した。
『妹魔女を“機神”の力で支配して、エルマを“姉”だと認識させる』
これがリファから頼まれた命令だった。
そしてやり取りから伝わるのは、その命令が成功して予想通りの効果をあげているという事だ。
(恐ろしい科学者だ……副長と並ぶ“狼犬”の片腕的存在として注意するべきというお祖父様の評価は正しかった)
魔女との会話は核心に迫っていた。
『もう、普段まじめに話を聞かないからそうなるのよ。いい、姉様? わたし達の目的は“聖域”の“要”を探し出す事──』
その瞬間、“機神”へ続けていた命令が何かに妨害された。
「──これは!?」
“機神”への命令が絶たれ、同時に妨害した何かの姿が一瞬、像となって脳裏に浮かぶ。
それは異形の咆哮を聞いた時にも垣間見た、闇の外套を纏う男の姿だった。
不意の妨害にエレナは驚くも、動揺するよりも早く彼女はその相手に向かって手を掲げた。
驚きや疑問よりも先に反撃に出ることをエレナは選んでいた。
彼女は妨害の反応を逆に辿るように一瞬、垣間見えた“男”の存在を追跡する。
そしてどこに居るか分からないが、確かに感じたその存在を見つけ出す。
「その権限を凍結する!」
エレナは手を握り締めた。
彼女の制御装置のみが有する力──他の装置所持者全ての承認を得て特定の制御装置の権限を凍結する機能を発動する。
“男”の反応が消えた。
反撃が有効だったのか不明だが、さらなる反応はもう感じられなかった。
「いかがされました?」
護衛の騎士が訊ねる。
エレナは深く息を吐いた。一瞬の攻防だが彼女の全神経を使うほどの消耗を感じていた。
「大丈夫です……しかし、命令を阻止されました。向こうがどうなったか気掛かりです」
そしてようやく驚きと疑問が甦る。
あの男は明確に“機神”への命令に干渉・妨害してきた。
それができるのは“機神”の制御装置を持つ者だけだろう。だからエレナは咄嗟に反撃してその男の権限の無効化を試したのだ。
それから異変がないという事は権限凍結が有効だったと受け取れば良いのだろうか。
しかし、彼女が持つ物以外の装置が存在するとは聞いた事がない。一族が管理していた物がエンシア時代に製造された“機神”の制御装置の全てのはずなのだ。
そして何よりも、あの男はいったい何者なのか──
とある一室。
その片隅の椅子に“エレ”は座っていた。
その瞳には幻影の男が映っている。
男は何かに精神を集中されていたが、やがて驚いたように目を見開くとその幻影が大きく乱れた。
「あなた!?」
『……大丈夫だ』
幻影の男は応える。
男は魔女たちが窮地に立っている事を知り、元凶である“機神”への命令を強制的に妨害していた。
『フィルディングの姫……わたしの力を封じに来たか。まさか、あの瞬時にここまで反撃するとは予想外だった』
男は自身の姿を明滅させながら“エレ”を見た。
『二人を撤退させるんだ。しばらく、あの二人への力の供給も滞る。無理は禁物だ』
「分かりました。ですが、あなたの方は……」
『心配は要らない。少し凍結解除に時間がかかるかも知れないがな』
ミューの目が見開いた。
「貴様!!」
目の前にいたエルマを突き飛ばすと、その場に膝をついて頭を手で押さえる。
その表情は怒りに満ちていた。
「気づいたのね、ミュー!」
鉄巨人の手が緩み、トウを解放する。
「……なるほど、認識を変えられていた事は覚えているのね」
足の怪我で上手く立てないエルマも膝をついた状態で魔女の怒りを涼しい顔で受け止める。
「もう……もう許せない!」
ミューが手を掲げた。
倒れていた翼竜の首が動いてその口腔がエルマに向けられるが、翼竜の真下の地面が盛り上がり、その狙いを逸らす。
停止していた《グノムス》が再起動を終え、その傍らにはリファも駆けつけていた。
ミューが再び手を掲げるが、翼竜は急に力尽きたように動きを止めた。
戸惑うミューに姉魔女が剣を構えながら駆け寄る。
「ミュー、撤退するわよ」
「でも!?」
「姉様から連絡が来たわ。兄様たちにも支障があったみたい。帰還する力が残るうちに戻れって」
ミューの形相がさらに怒りに歪む。
「兄様たちにまで……許せない。特にそこの女! 貴女だけは絶対にタダでは済まさないわよ!」
エルマはため息をつく。
「魔女に悪態つかれるなんて、とんだ悪女扱いだわね」
トウが妹魔女の腕をとって助け起こすと妹魔女の代わりに答える。
「ええ、そうね。貴女みたいな傲慢な科学者たちがエンシアの崩壊と後の混乱を生み出したのよ。覚えておくといいわ。貴女みたいなのが世界を歪める“魔女”になるのよ」
魔女二人の姿が消えた。損壊した翼竜と鉄巨人の一緒だ。
残ったのは戦いの痕跡と足の怪我だけであった。
「大丈夫か、姐さんや?」
「血がでてるよ。はやく手当てしないと!」
足許からダロムとプリムが顔を出す。
「こっちは心配ないわ」
エルマは後ろから様子を見ていたリファと《グノムス》を見る。
「二人ともお疲れ様。そっちは大丈夫? 調子がおかしいところはない?」
「う……うん。あたしは平気」
リファが答えた。
「しかし、姐さんや。魔女を支配できるとよく気づけたもんじゃぞい。いつ分かったんじゃ?」
「確証はなかったわ。いままでに魔女から得た情報からの推測よ。ほとんど賭けね……あいつらは魔力の供給がなければ生体活動を維持できない。そしてこの前のあの脳裏に直接、響くような異形の咆哮が、何故かあの魔女たちには聞こえていなかった」
エルマは答えながら近くの岩に腰掛けた。
「人間じゃないとしても、一つの生命を持つ個体としてはどうにも不自然な点があった。だから考えていたのよ。あいつらはどんな感情豊かに見えても“心”を持っていないんじゃないかってね」
「姐さんの予想は当たっていたわけか」
「そうね。“機神”の支配能力が有効ということは疑似知能を持つ機械に近いって事でしょうね。正体はまだ分からないけど、人間と変わらない高度な人工知能インターフェースはエンシア文明後期ですでに実用の段階に入っていた。あの魔女たちはその当時に作られた存在なのではないかと、うちは考えているところよ」
ダロムは首を傾げる。
「ワシも当時のエンシアを知っておるが、あのような存在は記憶にはないの。もっとも、ワシとてエンシアの全てを見知っているわけじゃないしの」
「うちの推測が正しいとも限らないしね。だけど、一番の収穫はあいつらは“魔女”の言葉が似合うほど神秘的でも超越的な存在でもないって事よ」
エルマはその場にいる全員に向けて告げる。
「今後も魔女たちを相手にする時があると思うけど、必要以上に恐れてはいけない。あいつらは“道具”よ。道具なら何かしら対策の手段が必ずあるわ。それだけは忘れないようにしておきましょう」




