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清算の時

 エレナは街を遠望できる丘に陣取り、夜の街を見つめる。

 悪意の異形が来襲することを察知した祖父ユーレルンは彼女に街から離れるように命じていた。

 街の一部が燃えて空を染め、警鐘が微かになり響いている。

 異形は祖父ユーレルンを目指して来襲したのだ。

「……お祖父様」

 エレナは目を閉じる。

 彼女の持つ“機神”の制御装置と異形には深い関連があるのだろう。そうすることで微かにだが異形の感覚を彼女も感じることができた。

 そして知る。

 今まさに異形が祖父の前で対峙していることを──

 エレナは指輪を嵌めた左手を握る。

 この指輪には魔力が込められていた。いざという時に“機神”に命令を下すための制御信号の出力増幅器だ。不測の事態に備えて祖父が彼女に持たせたものだった。



 ユーレルンが銃口を向ける中、対峙する異形は何も反応を見せないでいた。

「……何を考えておる? 人間だった頃の行いを思い出したか? それとも銃ごときで何ができるとでも考えておるのか?」

 ユーレルンは狙いを定めるように目を細める。

 異形はまだ動かない。

「好き放題にわめき叫ぶわりに、こちらの問いには返答もせぬか……なら、もう何も言うことはない」

 ユーレルンが引き金を轢いた。

 その瞬間、異形の眼前を目映い閃光が包んだ。

 撃ったのは実弾ではなく閃光弾。一瞬だけ視界を奪うためのものだ。

 すぐに光が消える。

 腕で目を庇っていたユーレルンが目を開けたが、すぐに顔をしかめる。

 異形の周りに細身の機械人形が立っていた。ユーレルンがこの部屋に忍ばせていた古代エンシアの遺産である護身用機械人形だ。

 ユーレルンは隠蔽用に折り畳める機械人形を部屋に隠して配置していた。閃光を合図に機械人形は展開し、その腕の針に似た武器で標的を串刺しにするように命令が組み込まれていたはずだった。

 しかし機械人形の刃が異形の直前で止まっていた。

 “聖域”内では機械の稼働時間は限られるが、それでも異形と戦わせるだけの魔力は充填していたはずなのにだ。

「……貴様が止めたのか」

 ユーレルンの問いに答える代わりに機械人形の一体が顔をユーレルンへと向けた。

 その瞬間、人形はユーレルンの前に飛び出し、その胸を斬り裂いていた。



「──お祖父様!!」

 エレナが悲痛な叫びをあげながら目を開ける。

「エレナ様、どうされました!?」

 訊ねたのは祖父に仕える護衛の騎士の一人だ。

「お祖父様があの化け物に──」

 断続的に感じる異形の気配から祖父の苦悶の声を感じたエレナが指輪を睨む。

「エレナ様──」

「お祖父様を見殺しにはできません。私が“機神”の力を起動して──」

 指輪を起動しようとした彼女の手を年輩の護衛騎士の手が止めた。

「それはなりません、エレナ様」

「しかし!?」

「相手の力が分からずに“機神”の利用は危険なので本当に必要な時以外は使用するなとユーレルン様から伝えられているはずです」

「分かっています! だからこそ、お祖父様を失うわけには──」

「それに仕掛けた“罠”を使うためには外部からの干渉も避けたいともおっしゃられていたはずです……『何があろうと手出し無用。敵の動向を見定めて次の対策に繋げよ』──これがユーレルン様のご命令のはずです」

 長く仕えてきた騎士に諭され、エレナはやり場のないもどかしさに手を握り締める。

「……お祖父様」



「……なるほど……“機神”と同じく疑似知能を持つ機械を……支配できるか」

 ユーレルンは荒れた息の中、異形を睨め付ける。

 老いぼれ、傷つき、動くに動けない身体ながらその双眸は一層鋭くなっていた。

 異形の腕から一本のツタが伸び、ユーレルンの腕を斬り付け、銃を薙ぎ払う。

 銃が部屋の隅に転がった。

「嬲り殺しのつもりか……よほど恨み骨髄と見えるな」

 右腕から血を滴らせながらユーレルンは笑う。穏やかに、しかし不敵に──

『……オイボ……レ……ショウガ……イ……キサマ……イナケレバ……』 

「……儂を老害扱いとは大きくでたな……アレッソスよ」

 ユーレルンは目を細める。

「しかし……その借り物のツタを纏うしかない虚勢など……フィルディングを名乗る資格にはない。いや、そもそも受け継ぎし制御装置を命欲しさに埋め込まなかった時点で失格だったのじゃよ」

 その言葉に激昂したのか、顔面の甲殻に紅い光が宿る。

 その瞬間、部屋の隅で何かの発射音がした。

 異形もそれに気づいて両腕を広げるが、その制止の動きを無視するように異形の身体が大きく揺れた。

 異形の身体を短い槍のような物が何本も貫いていた。機械仕掛けの杭だった。

『……ガ……ゴ……ゴアッ!?』

 機械の杭が起動し、異形が戸惑いの声をあげる。そしてそれは苦悶の声に変わった。

『ガアアアァ……アアアッーーッ!?』

 異形が叫びながら後ろによろめき、思うように身体が動かないのか、その場に倒れる。

 息を整えつつユーレルンが左手で懐から何かの端末を取り出した。

「儂が先ほど撃った銃弾は……機械人形に標的を示す印じゃよ。ただし、“機神”に類する貴様にあれが通じるとは最初から思っておらん。あれは囮じゃ。この部屋に仕込んだその杭の射出装置は自動的に機械人形の包囲の内側だけに照準を定めるように設定してある。機械人形の包囲自体が貴様への照準じゃよ」

 部屋の四隅。穴の開いた箪笥、壊れた花瓶、破れた絵画の裏に見える隠し戸に杭を射出した発射装置が姿を現していた。

「回りくどいことをしたが貴様の能力は未知数……直接装置に観測させた時点で感づかれるかもしれんかったのでな。貴様もこの特殊な装置で間接的に狙われては気づくのが遅れたと見える」

 異形は自分に突き刺さった複数の杭を抜こうとするが、その前にユーレルンが裾から取り出した手許の装置を操作する。

『ゴ……ゴアアァア……アアッ!!』

 異形の声がさらに苦悶を帯びる。

「ついでに教えてやろう。貴様に打ち込んだのは古代エンシアで使われていた緊急制動装置じゃよ」

 ユーレルンが告げる。それは異形だけにではなく、その異形を通してこの場を見ているかもしれない孫娘のためにだ。

「それには輝力が封印されている。発射装置もその輝力に包まれた僅かな魔力との対消滅の威力で射出するようになっておる……儂が死んでも自動で射出するように設定してあったが……この手で引導を渡させてくれることに感謝するぞ」

 ユーレルンが制動装置の端末を握る。

「この装置の役目は制御不能の魔導機械に制動杭を打ち込み、その魔力を強制的に中和して止めるためにある。本当は“魔女”とやらへの対抗策で用意していたものじゃがな」

『……ユ……レ……キサマ……』

 杭が内部の輝力を解放する度に異形は苦しむが、それでも異形は立ち上がろうとする。

 しかし、ユーレルンはその表情を変えない。

「それでも貴様が止まってくれるとは思っておらん。それにはもう一つ機能がある。制動装置には輝力と魔力の中和によって生じる対消滅エネルギーを安全に放出する機能があるが、それを止めることもできる……この意味が分かるな?」

 ユーレルンは装置を握り締める。異形も何かを察したのか焦った様子を見せた。

「……魔力を中和されながら、行き場のなくなった対消滅エネルギーの暴発をその内部で受けるのだ。化け物に成り下がった貴様とて無事にはすむまい」

 異形がユーレルンに手を伸ばそうとするが、杭の輝きが異形の動きを抑え込む。

「これが儂の生涯最後の務めとなる……清算の時じゃ。この胸に収めた一族の秘密を全てあの世に持って行く。貴様も道連れになってもらうぞ、アレッソス」

 ユーレルンは運命を受け入れるように椅子に深く背を預けた。

(ルーヴェン=ユールヴィング……孫娘への最後の戒めにそなたの名を出してしまうあたり、きっと儂は負けを認めていたのだろうな)

 そしてユーレルンは装置を掴む指を動かす。

 その脳裏に浮かぶのは“狼犬”の名を継いだ若者と、きっとその者に惹かれているであろう孫娘の姿だ。

(そなたが全てを託した手札と儂が手塩にかけて育てた手札……あの“機神”たちを相手に通じるかどうか、見届けたかったが……それはもう儂らの役目でもないのだろう)

 身分も立場も違い、命のやり取りとて何度したか分からない初代“狼犬”──

 忌々しい相手であったが、同時にとても懐かしい思いにかられていた。

(もう一度……酒を酌み交わしたいものだな。今度は立場も因縁も抜きにして──)

 杭の輝きが頂点に達し、ユーレルンの姿を閃光が包む。

「……エレナや。一族の影となって生きた儂じゃが、そなたの前だけでも孫に甘い祖父でいられたこと、感謝しておる……さよならじゃ。強く生きておくれ」



 街の一角が閃光に包まれた。

「……おじい……さ……ま」

 エレナは目を見開いたまま、その場に崩れ落ちる。

 騎士たちも騒然とするが、彼女の姿を見て全てを察したのか誰も訊ねる者はいなかった。

 エレナは服が汚れるのにも構わず、地面に背中を丸めてうずくまる。

「……お祖父様……一族のための長きに渡るお務め……まことに大義でございました」

 エレナはいつか来るべき時のために決めていた言葉を口にする。

 それは一族の闇を担った祖父への敬意であり、同時に彼女自身へのけじめとするための言葉だった。

「……エレナ様」

 騎士の一人がさすがに見かねたのか、彼女に声をかけた。

 エレナは護衛の騎士たちがいることを思い出し、唇を噛みしめると立ち上がる。目に浮かぶ涙を見せないように俯いたまま──

「心配をかけました……私は大丈夫です」

 エレナは答える。明らかに虚勢だったが、騎士たちも彼女を気遣ってか敢えて気づかない振りをしているのが分かる。

「あの化け物の息の根が止まったか、確認しなければなりません……反応はありませんが油断はできません」

「我らで斥候を用意し確認致します。それまでエレナ様、少しお休みになられてください」

「……ありがとうございます。そちらも気をつけてください。あの化け物は得体の知れない──」

 エレナの瞳が動揺に揺れる。

「エレナ様?」

「そんな──」

 エレナは街の一角を凝視する。すでに閃光は消え去っていたが、彼女だけに分かる悪意と威圧感がそこにあった。

 エレナは再び膝をつく。地面に手をつき辛うじて身体を支えた。その姿は動揺と絶望に打ちひしがれそうになる彼女の心の姿そのものだった。

「エレナ様、まさか!?」

「あの化け物は……いまだ健在です。弱まった様子も──ありません」

 騎士たちも騒然とする。

 エレナはその細い手で地面に握り締めた。

「そんな……」

 祖父の命を捨てた奥の手すらも化け物を止めることができなかったのだ。

「これでは……これではお祖父様はいったい何のために──」

 喉の奥から嗚咽がこみ上げる。

「……出発準備だ。エレナ様をここから避難させるぞ。急げ!」

 隊長格の騎士が命じると彼女を強引に立たせようとする。

「ご無礼はお許しを。今はユーレルン様の死を悲しむ時間はございません。化け物がエレナ様を狙ってこちらに来るかもしれません。ここから避難して新たな対策を立てることが優先にございます」

 エレナは顔を上げた。

「ユーレルン様はエレナ様に後を託して逝かれたのです。そのご遺志を無駄にするわけにはまいりません。エレナ様が一族の危機に対処する役目を引き継がなければならないのです」

 エレナは自分の足で立ち上がった。騎士も手を離す。

 騎士の言葉通りだ。唯一の制御装置を持つ彼女にはこれから、一族の命運を担う重責がのし掛かる。あの祖父の役目を代わりに果たさねばならないのだ。

 しかし、偉大な祖父だった故にその喪失があらゆる不安や恐怖となって彼女を襲う。

 そんな彼女の脳裏にふと浮かんだのは、祖父の天敵であった英雄の道を継ぐ若き“狼犬”の背中だ。

(マークルフ=ユールヴィング……今さらながら、おまえの苦しみが分かった。おまえは子供の時分にこの重圧を背負い……今も背負い続けているのか)

 同時に祖父の言葉が甦る。

『どんな苦境の前でもそなたはエレナ=フィルディングとして立ち続けなさい。それでいい』

 エレナは騎士たちの目もはばからず、袖で涙をぬぐう。

 そうだ。祖父は最後まで自分の支えとなる言葉を遺してくれたのだ。

 持とうが持つまいが変わらぬ者の強さ──代が替わろうが“狼犬”であり続けるユールヴィングの姿に、エレナはその言葉の意味を感じていた。

 そうだ、負けられないのだ。自分が一族の矜持を捨てるのは祖父とその人生への侮辱なのだ。

「……化け物はこちらには来ないようです」

 エレナはいつもの彼女に戻って騎士たちに告げる。

 感じる化け物の波動ともいうべきものは確かに遠ざかっていた。

「理由は分かりませんが、もしかしたら向こうは私の存在を感知できないのかもしれません」

 しかし引っかかった。だとすれば次の狙いは何かだ。

 まっすぐに遠ざかるこの動きは新たな目的があるような動きに思える。だが、それは“狼犬”が居るであろうクレドガル王国方面ではない。もっと南側に向かって、信じられない速さで移動を開始している。

「──まさか!?」

 エレナは思い当たった。あの化け物の怨嗟がアレッソス=バッソスのそれであるなら、それは十分に考えられる目的地だった。

(“狼犬”に知らせねば──しかし、ここから使いを走らせていては遅い)

 エレナは考えていたが、やがて指輪をはめた自分の左手に目を向ける。

「……皆さん、ここから離れてください」

 エレナが騎士たちに告げた。

「何をされる気ですか?」

「今から“機神”の力を利用します。もしかしたらあの化け物に気づかれる可能性があります。そうなれば危険が予想されます。化け物の力は強大です。忠義ある一族の騎士の命を無駄に落とさせるわけにはいきませんから」

 騎士たちはその命令を聞いていたが、やがて彼らは剣を抜いた。

「ならば、なおさら離れるわけにはまいりません」

「お気持ちは嬉しいですが、これから私にどこまでできるかは分かりません。小娘一人の賭けに真に忠実なる騎士の命まで賭けるわけにはいきません」

 エレナはあらためて言うが騎士たちも引かなかった。

「その気高き姿こそ、我らがお守りするべきお方の姿でございます。こればかりは従えません」

 エレナは騎士たちの姿をしばらく見つめていたが、やがて目を閉じ静かに礼をする。

「……感謝します」

 そして左手を握った。

(“狼犬”にはあの娘が一緒に居るはず。頼む。届いてくれ──)



 クレドガル王都ラフル──

 マークルフと大公バルネスは遊戯盤を挟んで向かい合って座っていた。

「これで王手じゃ」

 バルネスが自分の駒を動かす。それを見てマークルフは肩をすくめた。

「……やっぱ強ええな、爺さん」

「坊主が弱いだけじゃ。儂に勝った奴は四人はおる」

「四人だけかよ」

「その中でも特に強かったのはあのユーレルンじゃよ」

 二人の前に紅茶碗が差し出される。出したのは部屋の隅で紅茶を煎れていたリーナだ。

「大公様はあの最長老と対局されたことがあるのですか?」

「彼奴とも腐れ縁が長いからの。思えば儂とルーヴェンはずっと彼奴と対局していたようなもんじゃった」

 大公はそう言うと紅茶を口にする。

「対局も終わりはある。儂と彼奴の腐れ縁もいずれ終わりにせねばならんがな」

「向こうの孫娘との縁談を持って来ておいて、よく言うぜ」

「老いぼれの因縁を継ぐことはない。別の形にして渡したかった」

「それを老婆心と言うのさ」

 マークルフは鎧戸で閉ざされた窓に目を向ける。すでに外は暗くなっているはずだ。

「坊主、逸る気持ちは分かるが待て。ユーレルンにも繋ぎをとっておる。向こうの手を借りるのは不本意だろうが、現在はあの化け物の所在を突き止め、止める方が先じゃ」

「……分かってる。逃がしちまった俺がどうこう言えねえしな」

「彼奴もあの化け物の存在は看過できまい。彼奴も協力相手として見るなら頼りになる相手なのも間違いはない。今は身体を休めておけ」

 やがて誰かが廊下を駆けてくる音が聞こえた。

 立ち上がったマークルフの前で扉が乱暴に開かれ、そこから慌てた様子のリファが駆け込んで来た。

「どうした、リファ」

「男爵さん、大変! 早く戻って!」

 ただならぬ様子のリファの前に大公とリーナも立つ。

「戻ってって……どういうことだ?」

 よほど慌てて駆けてきたのか息を整えたリファがもう一度、叫ぶ。

「急いでユールヴィング領に戻って! あの化け物の次の狙いはそこだって!」

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