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黒き異形の呼び声(1)

「何があったのですか?」

 フィルガス地方のある村。道に立つ外套姿の小柄な少女が近くの住人を呼び止める。

「お嬢ちゃん、聞こえなかったのかい!? あのすさまじい叫び声を──」

 少女が見渡すと他の住人たちも突然の出来事に狼狽している様子だった。

 住人が去っていくと、少女の後ろから二人の人影が現れる。共に外套で身を隠した細身と大柄な二人だ。

「……そちらはどうでした?」

「こことは別の土地でも同じ咆哮が聞こえているようだ」

「ただの咆哮ではない。耳の聞こえない老人までがその咆哮を聞いている」

 細身と大柄の二人──森人の天使ドラゴと狼頭の天使ファウアンが答える。

 外套の奥からクーラが戸惑う人々の姿を見つめた。

「……あの時と同じ、エンシアを滅ぼした“闇”の暴走が始まるのかもしれません」

「“監視者”は何をやっている。まだ連絡はないのか?」

 ドラゴが訊ねるがクーラは頭を振る。

「まだです。《アルターロフ》の現状を確かめたいですが、中心は“聖域”の働きが強くて私たちが出向いても何もできません。向こうからの連絡を待ちましょう」

 ファウアンが腕を組んだ。

「逐一、情報を集めていた“監視者”がこの事態に連絡もしないとするなら、やはり中心部で何かあったと見るべきか。向こうには異端の戦乙女とその勇士もいるという話だが──」

「おい、貴様。まさか、ウェドの仇をあてにしているんじゃあるまいな?」

「味方にはなれんし、向こうもならないだろう。だが今後起こりうる異変に立ち向かえる数少ない戦力なのも間違いない。潰し合いは得策ではないかもしれん」

 ドラゴとファウアンが睨み合うが、やがてドラゴは苦虫を潰したような顔で目を背けた。

「ともかく、こちらも干渉できる範囲で動くしかありません。“闇”の動向次第では、“要”の入手を急がないといけません──」



 穴の開いた城の外壁から眼下を見下ろす黄金の鎧武者。

 黄金の強化鎧を纏うマークルフの視線の先で、黒鋼のツタと水晶の甲殻に囲まれた人型の異形が立った。

『ゴアアアァアアアアッ!!』

 異形が内側から吹き出るような怨嗟の咆哮を響かせると、全身から無数のツタを槍ぶすまのように放った。

 マークルフは背部の推進装置を展開して飛び上がるとツタの攻撃を躱す。ツタの群れが先ほどまでいた床を粉砕した。

「ゴアゴアうるせえッ!」

 マークルフが手にした《戦乙女の槍》で伸びたツタを薙ぎ払う。黄金の斧槍が鋼のツタを切断するが、切れたツタの先端が再生して伸びると槍を持った右腕に絡み付く。

 マークルフはツタに捕まったまま地面に着地した。

『マークルフ様──』

「慌てるな」

 左腕部から《魔刃》が展開すると、その湾曲刃で絡み付いたツタを切り離した。

 離れたツタが縮むと、今度は異形の全身から頭をもたげた多頭の蛇のように何本ものツタが蠢く。

「ツタを切れる分、オレフの時よりはマシだな。それよりも……やはり、センサーに反応はなしか」

 正面で動く異形を計測したが、強化鎧の計器は魔力反応を全く感知していなかった。

『“聖域”の働きも正常です。異変は特に感じられません』

 リーナが計器の音声装置を通して告げる。

 “聖域”は魔力や輝力の働きを著しく減衰させる。マークルフたちが発動させた“鎧”はその両方でもないため、“聖域”でも十分に力を発揮できるが、不可思議なことに目の前の異形も“聖域”の中心で魔力反応も見せないまま活動を続けていた。

「どうみても“機神”の人型みたいなくせに、全く魔力反応がないってのも解せない話だぜ」

 異形が跳躍し、城を囲む城壁の上に着地する。さらにそこから城壁の向こうに跳んだ。

「野郎ッ!? 逃げる気か!?」

『城下街はまだ人の避難が──』

「追うぞ! あれ以上、手出しはさせん!」



「──“鎧”が発動した」

 バルネス大公の屋敷の地下室。厚い石壁に囲まれた下手に大公とリファ、そしてエルマが避難していた。

 エルマは床に座りながら、箱形の測定器を睨んでいた。

「男爵さんが戦っているの?」

 リファが横から計器を眺める。計器は受信する“力”の反応そのものを動力にして針を動かす。“鎧”の放つ力に反応して針の一つが大きく振れていた。

「坊主がそこまでする相手ということか……何を相手にしているのだ?」

 用意した椅子に座る大公が訊ねるが、エルマは難しい顔をしたままだ。

「“鎧”以外の反応がないのです……男爵が“鎧”を纏うぐらいの相手なら何らかの反応があってもおかしくないのですが──」

 輝力や魔力の反応が減衰する“聖域”内でも、近くにいるなら僅かでも反応があってしかるべきなのだ。

「ありえない状況ということかね?」

「……説明をつけるだけならできますけどね。この時点で一つだけ考えるとすれば、自己完結型かもしれません」

「なんだ、それは?」

「魔力反応というのは外部の魔力を取り込み、それを力に変換する時の余波みたいなものなのです……何らかの理由で外部の魔力ではなく、内部に魔力を溜めていてそれを引き出す機関があれば魔力反応がないのも説明できます」

 エルマはそう説明すると立ち上がり、護身用の銃を手にした。

「エルマ、どうするつもりだ?」

「説明を考えてみましたが、やはり憶測だけでは意味がないですわ。ちょっと出かけてきます。計器見ているだけじゃ分からないこともあるでしょうし、直接この目で確かめてきます。ええ、危ないと思ったらすぐに逃げますから──」



「ば、バケモンだ!?」

「やばい、こっちへ来たぞ!」

「門を開けた! 逃げられる者から早く逃げろ!」

 街の住人たちが警備兵の誘導で我先にと逃げ出す。

 街路が人々の逃げ惑う姿で埋められる中、屋根伝いに飛び跳ねながら黒き異形が現れた。

 異形の顔を覆う甲殻が逃げる人々の姿を映した瞬間、その横顔を黄金の装甲に纏われた蹴りが捉える。

 異形の姿が吹き飛び、眼下の家屋を巻き込んで地面に叩き付けられた。

『ガギャァ──ッ!』

 倒れた異形の全身からツタが放たれ、全周囲に広がった。それは射線上にある家屋の壁を貫きながらその先にいる人々を狙う。

「させるか!」

 異形を不意討ちしたマークルフはそのまま加速をつけて降下すると、装甲に覆われた膝で異形の喉元を潰すつもりで叩き付けた。

 異形の身体が石畳を割って地面にめり込み、そこから放たれたツタの軌道がずれる。狙われた人々は悲鳴をあげるがツタは彼らの頭上に逸れた。

「これ以上、好き勝手させんぞ!」

 マークルフは槍を構えて異形の胸に突き刺す。異形も両手で槍を掴んでそれを止めた。

 力比べに入った両者の腕が震えるが、強化鎧の出力が上回り、槍の先が異形の胸を狙う。

 不意に異形が手を離した。

 勢い余った槍がツタの装甲を貫き、異形を地面に串刺しとする。

 意表を突かれたマークルフだが次の瞬間、異形の全身からツタが伸び、全身の装甲に絡み付いた。

「なッ!?」

 ツタが何重にも鎧の四肢に絡みつく。切り離そうとしたが両手甲に巻き付くツタが《魔刃》の展開を妨げていた。

『ゴアアアアッ!!』

 異形が吼えると絡み付いたツタの群れが黄金の鎧を持ち上げる。

「引きちぎれないか」

『ダメです。ゴムみたいで──』

 鎧の出力を上げるが伸縮自在のツタは引きちぎれず、動きを封じ続ける。

 地面に串刺しになっていた異形が手で胸の槍を引き抜くとそれを投げ捨て、マークルフをツタで持ち上げたまま立ち上がった。

『これは──』

「平気なのか?」

 槍は最も急所であるはずの心臓部分を突き刺していた。予想通りなら異形の姿であっても中身は生身の人間のそれであるからだ。

 しかし、風穴の開いた胸はすぐにツタに覆われて、何もなかったかのように修復していた。

 異形が身体を捻る。ツタがマークルフを周囲の家屋へと叩き付けた。

『キャアッ!?』

「チイッ!」

 異形はマークルフを振り回しながら次々に周囲の家屋へと叩き付けていく。

『マークルフ様! “盾”なら展開できます!』

「分かってる! だが、あのツタを切り離さないとすぐに動きを封じられる!」

 マークルフを鉄槌代わりに異形は周囲の家屋を破壊する。“鎧”が刃を通さないと知っているのか、肉体に直接打撃を加える作戦に出たようだ。

「──いまだ!」

 ツタの隙間から背部スラスターが光を噴き、ツタに絡まれたままマークルフは異形へと体当たりする。

 異形も不意を突かれたのかまともに喰らって吹き飛ぶが絡まったツタは離れず、逆にマークルフを巻き添えに引っ張ろうとする。

 左手甲を中心に輝く“盾”が出現した。盾型の力場にさらされて左腕のツタが切れる。ツタがすぐに再生しようとするが、それよりも早く自由になった左手で地面に落ちていた《戦乙女の槍》を掴むと異形へと自ら突っ込む。

 マークルフはそのまま間合いを詰めると、両者を繋ぐツタごと異形の左腕を槍で切断した。

『ガアアアァッ!』

 異形が苦痛なのか、怒りなのか分からない咆哮をあげる。

 異形からツタを切り離したマークルフは間合いを離しながらツタの巻き付く右腕を槍の刃に叩き付けた。

 共に戦乙女の武具である手甲と槍は傷つくことなく、ツタだけが切り捨てられる。右腕から湾曲刃を展開すると全身に絡み付いたままのツタも全部切り落とす。

 落ちたツタは塵のように消滅した。

 異形は左腕を右手で掴んだまま、マークルフから逃れるように屋根の上に跳躍する。そして左肩の切断面に腕を押し付ける。つなぎ目にツタが巻き付くとやがて何もなかったかのように左腕は元に戻っていた。

 左手を動かして感覚を確かめた異形は、何を思ったかマークルフではなくどこか遠くを見るように顔をあげた。

『……ワレ……ヲ……』

 声が響いた。

『……モトメ……ヨ……ノゾメ』

 その声は最初に聞いた咆哮と同じく、脳内に響くような声であった。感情のない、しかし心の奥深くに染みこむような凍てついた声だ。

『……ワレは……セカイノ……運命……世界が……望みし……世界の大……敵と──』

 異形の声が無気味に続く。

 視界の端に見える逃げ惑う人々も動揺しており、声が周囲の全ての人間に届いていることが分かった。

「……何を言ってるか分からねえが、ロクな話じゃねえのは間違いねえな」

 やがて拘束から逃れたマークルフと再生した黒き異形が再び、互いに威嚇するように向かい合う。

『あの再生能力……中身は人間ではないのでしょうか?』

 リーナが驚きを隠せないように呟く。

「いや、刺した手応えは確かにあった。しかし肉体の損傷を無視して回復してくるようだ」

 かつて戦ったヒュールフォンやオレフは“機神”の人型形態と呼べる姿になったが、それは“機神”の一部を強化鎧代わりとして装着しているだけで中身はあくまで生身の人間だ。心臓を貫かれたり腕を切断されれば、それだけで致命的な傷になるはずなのだ。

「前に戦った連中と同じと考えない方がいいな。あの形態の弱点は攻防一体が仇になることだったが、傷を負っても無頓着なら話は別だ」

 あのツタの鎧が攻撃と防御を兼ねており、ヒュールフォンもオレフも防御を強いられればなかなか攻撃に転じることができないという弱点を持っていた。しかし、先ほどもそうだが防御を無視して攻撃してくるとなれば変幻自在の無数のツタに捕まる危険は増えるのだ。

『まるで《アルターロフ》のようですね……』

「“機神”と同じく滅ぼせないなんてオチだけは勘弁して欲しいもんだな」

 険しい顔でマークルフは槍の石突きで地面を叩く。

「グーの字、槍を持ってろ。そのまま俺を追え」

 地面から鋼の手が伸びて黄金の斧槍を掴む。

 《グノムス》に槍を持たせたマークルフは左腕からも刃を出し、両腕で双刃を構えた。

「こうなれば再生できなくなるまで細切れか、塵一つ残さずに消滅させるまでだ」

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