噛みついた“狼犬”
城下街の場末の酒場。
日も沈んで一日の疲れを酒で洗い流そうという住人たちの喧噪を背に、カウンター席の隅にマークルフは座っていた。
その前には空の酒瓶が置いてあり、マークルフも酔いで顔を赤くしている。
謁見の翌日。マークルフは大公の屋敷にも戻らず、次の日も外をぶらつき、夜になってこの酒場に行き着いていた。
「亭主、もう一本くれ」
「おっと、亭主。それは俺のおごりにしてくれ」
マークルフが顔を上げると隣の席に一人の男が座った。
中肉中背、ツバのない帽子にくすんだ外套とさえない雰囲気の男だった。
「なんだ、おっさん?」
「“狼犬”の若旦那ですね? ダンザといいましてね。傭兵ギルド、クレドガル支部の記者の端くれでさ。一応、“毒ナメクジ”の名で通らせてもらってましてね。お見知り置きを」
「ああ、てめえか。呼ばれてもないのに付きまとって有ること無いこと書き連ねているとかいう野郎は──」
「そう言わねえでくださいよ。呼ばれて来る御用記者ばかりじゃこの商売も成り立たないもんでしてね。ところで噂を耳にしましてね。王宮でフィルディング一族相手に一悶着あったとか何とか──」
おっさん記者は亭主から酒瓶を受け取るとマークルフの杯に注ぐ。
「そこんとこもう少し教えてくださいよ。王宮のツテも今回ばかりは箝口令が敷いてあって誰も教えてくれないもんでしてねえ」
「ケッ、いま記者に話すことなんてねえよ。消えろ、酒が不味くなる」
マークルフが手を振って追い払うが記者も引き下がらない。
「あっしの掴んだ話だとヤルライノのバッソス伯が若旦那のせいで濡れ衣を着せられ、若旦那が頭を下げることになったとか。“狼犬”の名を冠する若旦那がフィルディングの連中に頭下げるなんてよほどの事ですぜ? バッソス伯も今は自分の屋敷で高笑いしながらふんぞり返っているって聞いてますぜ」
マークルフがおっさん記者を睨む。
「……知るか。てめえの顔見ながら呑めるか。帰るぜ」
「そう、つれない事を言わないでくださいよ。あっしもね、そろそろ手柄を立てないとまずいんですよ。悪いようには書きませんから。どのみち噂は広がるもんですから、尾ひれのついた噂であれこれ書かれるよりは良いんじゃないですかい?」
「フン、適当な記事書いてた報いだろうが。とっとと首でも引退でもなりやがれ」
マークルフがどうでもいいようにカウンターでくだを巻く。
「そう言わずに助けてくださいよ。タダとは言いませんから……どうです、うちの後輩で良ければ憂さ晴らしに女を紹介しますぜ」
マークルフはふんと鼻を鳴らす。
「てめえの知り合いなんて、どうせ厄介な奴しかいないんだろうが?」
「なあに、うちの後輩に小娘がいるんですがね。どんくさい奴ですけど若くて顔も悪くありませんぜ。名前がテトアっていうんですけどね──」
マークルフがおっさん記者の顔を見ると、記者が一瞬、片目を閉じる。
バン
マークルフがカウンターを叩くと記者の胸倉を掴んだ。
「……ああッ!? クレドガルのギルド記者でテトアっていやあ、あいつか? あの蛇野郎の腰巾着じゃねえか!? そいつを俺にあてがおうって言いやがるのか、ああッ!?」
酔っている勢いもあってか、あからさまに不機嫌な顔を浮かべてマークルフが怒鳴った。
その剣幕に周囲の客も歓談を止めて二人の様子に注目する。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。小娘がどうやら蛇剣士の旦那のご機嫌損ねたみたいで、こっちに帰って来る話がありましてね。物は考えようですぜ? 蛇剣士の旦那のあれこれ知っている小娘の情報込みなら悪い話じゃありませんぜ?」
マークルフが記者を突き飛ばす。記者は近くの椅子を巻き込みながら床に倒れた。
周囲で悲鳴があがり、酒場は騒然となる。
「てめえ! よりにもよって蛇野郎のお下がりなんぞ押し付けようとしやがって! 舐めてんのか!」
記者も怒り心頭の様子で立ち上がる。
「人が下手に出てりゃ……いい気になりやがって! あんたが蛇野郎を嫌っているっていうから、こうして親切で言ってやったのによ!」
「何が親切だ! そんな空気読めねえから特ダネ掴めねえんだろうが! この無能記者が!」
「言いやがったな! 記者舐めんじゃねえぞ! 俺だって“毒ナメクジ”と呼ばれた男だ! 先代の七光りのてめえなんど筆一本で何とでもなるんだぞ!」
「上等だ! 筆一本どころか指一本も動かせないようにしてやらあ!」
「若造が! 伊達に傭兵記者やって来た訳じゃねえぞ!」
マークルフが上着を脱ぐと、記者も売られた喧嘩を買うように上着を脱いだ。みすぼらしい顔とは裏腹に鍛えられた胸筋と腹筋が躍動する。
「おい! ケンカだ!」
「机、運べ!」
「やっちまえ! 俺はおっさんの方に賭けるぜ!」
周囲も卓と椅子を退避させ、即席の試合会場を作る。
「亭主! 塩だ! 塩用意しておけ!」
ヤルライノ大使の館。
「そうか……まったく、落ちぶれた様だな」
夜遅く、最上階の私室で休んでいたアレッソスだが、“狼犬”側の監視をさせていた密偵の報告を受ける。
「下がっていいぞ。監視は続けろ」
密偵が退室すると椅子に座っていたアレッソスは一人、笑いを堪えきれないように大声をあげる。
密偵の報告によれば、忌々しい“狼犬”は場末の酒場で飲んだくれたあげく、酔った勢いで傭兵ギルドの記者らしい男と殴り合いの喧嘩をしたらしい。
結局、“狼犬”が勝って相手に塩をまいて終わったらしいが、自身もさんざん殴られて床に伸びてしまったそうだ。
「ハーハハハハッ! ざまあないな。その姿、この目で見たかったぞ」
「あらあら、ご機嫌でございますわね、アレッソス様」
急な声に振り向くと、そこには闇の外套を纏う魔女エレが立っていた。
魔女は近くの窓を開ける。外は月の綺麗な夜の空が広がっていた。
「外套を纏っているせいか、涼しい風が気持ちいいですわね」
「貴様か!? しばらく姿を見せずに何をしていた?」
「申し訳ございません。アレッソス様が王宮に軟禁されていたのは承知してましたが、私も目立った動きは極力控えたかったため、いざという時まで静観しておりました」
アレッソスが責めるように視線を向ける。
「他人事のように言うな。《アルゴ=アバス》の脚部を偽物にすり替えれば“狼犬”を追い込めると、わたしに偵察を命じたのはそっちではないか。まさか王妃が出てきて冤罪を仕掛けられるとは思わなかった。あれは貴様の仕業ではないだろうな」
エレは外套から覗く口許を手で隠しながら笑う。
「疑われているのですか? 私とてさすがに他人を遠くから操る能力はございませんわ」
アレッソスはそれを聞いて立ち上がると、装甲の重りがついた左脚を引きずりながら魔女に近づく。
「それが本当なら、あれはやはりクレドガル側の仕掛けかも知れないわけか……流れがこちらに向いてきたぞ。ユールヴィングや大公バルネスも自ら非を認めた以上、今後、こちらの言い分を呑まざるを得なくなる。これは好機だ。ヒュールフォンやラングトンが出来なかった“狼犬”潰しをこちらで出来れば、俺の株は一気にあがる。最長老とて口出しできなくさせることだって──」
アレッソスが高揚した声をあげる。
「いいぞ、いいぞ! まずはこの邪魔な足枷をどうにかせねばならんが、それもユールヴィングにさせよう。どうせ、これもクレドガル側の仕掛けには違いあるまい。自ら化けの皮を剥がさせてやる」
アレッソスは不敵な笑みを浮かべた。
「見ていろ、ユールヴィング。さんざん噛み付いてくれたが、本国への連絡が済み次第、今度はこちらが貴様に噛み付いてやるぞ」
アレッソスが高笑いする。
その声にエレの笑い声が重なった。しかし、それはアレッソスと異なり、嘲笑するような響きであった。そしてその視線はアレッソスに向けられていた。
「まだお気づきではありませんか」
「何が可笑しい?」
嘲笑が自分に向けられていると気づき、アレッソスが不機嫌な顔を向ける。
「貴方様はもう“狼犬”に噛み付かれて逃げられないのですよ」
魔女エレがほくそ笑みながら告げた。
その冷ややかな宣告にアレッソスの顔に動揺が浮かぶ。
「ど、どういうことだ!?」
苛立つアレッソスとは対照的に魔女は口許に笑みを作ったまま答える。
「一つずつお答えしましょう。まず、その左脚の装甲は紛れもなく“本物”の強化装甲でございます」
魔女が断言する。
「なんだとッ!? クソッ、やはり、そうなのか。ユールヴィングめ、こんな物を嫌がらせで足枷に残していきおって。しかし、なぜこれを国王の前でまで偽物と言い張ったのだ」
「貴方様を始末するためでございましょう」
さらっと言ってのけた魔女の言葉にアレッソスは愕然とする。
「始末する──だと!? 奴は俺を狙っているという事か!?」
「狙っている?」
魔女は意味深な笑みを浮かべる。
「はっきり言え! 奴は何を企んでいる!?」
魔女は近くの椅子に座った。
「“狼犬”は狙っても企んでもいませんわ。だって、もう目的は達成されたのですもの」
アレッソスの顔に一気に焦燥が浮かぶ。
「目的とは……目的とは何だ!?」
「たった今、申し上げましたが? 貴方様を始末することです」
アレッソスは状況が把握できないのか、うろたえる姿を見せたが、やがて机の上にある呼び鈴に手を伸ばそうとする。
魔女エレが手を伸ばした。アレッソスの腰から護身用の銃が飛び出し、魔女の細い手に収まる。
「魔力発射式の銃をまだお持ちでしたのね。私には通じないと分かっていてお持ちなのはこちらを信用されていたからでしょうか? 光栄ではございますが不用心に過ぎましたわね」
魔女がアレッソスに銃口を向けた。
「貴様!? 裏切るのか!?」
「人は呼ばないで頂きます。もう少しだけお話を楽しみましょう。私が貴方の最後の話し相手なのですから──」
銃口を向けながら魔女は口の端を釣り上げる。
「……何をするつもりだ?」
銃を向けられたアレッソスが腕を引っ込める。その顔には脂汗が浮かんでいた。
「私は貴方様に何もするつもりはありません。強いて言うなら、“狼犬”の邪魔をして最後の時間を作って差し上げただけです」
不吉な台詞を吐き続ける魔女にアレッソスの緊張が息の荒さとなって現れる。
「言ってくれ! 奴は何をした!? 俺はどうなるんだ!?」
「“狼犬”が国王の前で制御信号を発動して装甲を纏ったのは覚えてらっしゃいますわね。その時にあの片脚の装甲だけ操作していたとお考えですか?」
アレッソスが左脚の装甲を見る。
「まさか!?」
「ようやくお気付きで。国王の前で演技をする一方、その左脚に新たな命令を飛ばしていたのです。おそらく夜の時間、貴方様が一定時間、足の装甲を動かさないでいる状況──就寝している頃を条件に発動し、貴方様もろとも外に飛び出す命令です。残り魔力が少ないので短時間の起動でしかありませんがね」
「外? 外って──」
「以前、私がその気になれば貴方様を館の外に放り出して落とすことができると申し上げたことがございましたわね。同じですわ。その足に噛み付いた“狼犬”はいつでも貴方様を館の外に引きずり落とすことができるわけです」
アレッソスの双眸が恐怖と混乱で大きく見開かれる。
「酒場での喧嘩も仕組んだものでしょうね。貴方がここに間違いなくいる事を確認し、直接手を下したと思われないようにわざと目立つように喧嘩をして不在証明とするつもりでしょう」
「奴は──奴は本気で俺を暗殺にかかるつもりか!?」
エレはうなずく。
「貴方様の口がよほど軽いと判断されたのでしょう。何しろ貴方様に非を認めてまで“狼犬”とクレドガル王が“偽物”と断定したのですから、その装甲は公的に“狼犬”と無関係の偽物。それを操って貴方様を殺すことは“狼犬”には不可能ということです。おそらく私たち魔女のせいにするつもりかも知れませんね」
魔女エレが再び嘲笑する。
「私はただ見殺しにするだけですのに酷い濡れ衣ですわ。ねえ、アレッソス様?」
「バカな! そんなバカな話があるか!」
「バカは貴方様ですわ。“狼犬”とフィルディングの最長老も目的は一緒。“機神”の制御装置を持つエレナ=フィルディングの存在をこれ以上、世間に公表させない事──彼らの本気を貴方様は測り損ねていたのです。保身のためにその情報を利用しようと思われていたのでしょうが、そんな事を両者は決して許さないわけです」
魔女が哀れむように肩を落とした。
「ヤルライノも動かないでしょう。フィルディングの最長老が裏で動いているという話ですし、ヤルライノ政府にしても貴方様は腫れ物扱いのようですわ。いっそお亡くなりになってくれた方が有り難いと思っているのが本音でしょうね。貴方様が不審死を遂げたとしても誰も深くは調べずに終わるでしょう。あの謁見で“狼犬”が国王を抑えきった時点で貴方様はすでに敗北していたのですよ」
アレッソスが言葉を失い、右膝から床に崩れた。その怯えた視線が左足の装甲に向けられると慌ててそれを外しにかかる。
「は、外せ! 外して──」
魔女が立ち上がり、アレッソスの眉間に銃口を突き付ける。そして口許に人差し指をあてた。
「夜ですからお静かに。それにいくらあがいてもそれは外せませんわ」
「た、頼む……外してくれ……そなたなら出来るのであろう!? 魔女は機械を自由に操作できるんだろう?」
アレッソスの瞳が懇願に変わるが、魔女は冷笑を崩さない。
「残念ながらそれはできかねます。勝手に外してしまうと“狼犬”に私たちの所在を勘づかれる危険がございまして」
「お、お前は俺の望みを叶えるために来たのではないのか!?」
「私は私自身の目的のために貴方様の力添えをしただけ。それに今も望みは叶えておりますのよ? 死にたくないという貴方様の望みを叶え、装甲が実行しようとしている命令をこちらで保留状態にしているのですから」
「えっ!?」
魔女の唇が今までになく冷徹な微笑を浮かべる。
「そろそろご理解されてると思いますが? “狼犬”の死刑執行は密偵の報告前からすでに始まっていたのですよ。ただ、すぐに死ぬのもお気の毒ですので、せめてぬか喜びとはいえ死ぬ前の楽しい時間をご用意させていただきました──さて、これ以上引き延ばすと“狼犬”側に不審に思われますし、もう貴方様は詰んでお終いになりました。保留状態の解除を以て貴方様へのお別れとさせていただきましょう」
「待ってくれ!」
アレッソスが助けを求めるように手を伸ばし、魔女の外套を掴む。
外套が滑り落ち、魔女の素顔が露わになった。
「──お前は!?」
「あらあら、お借りしている大事な身体に手荒な真似は困りますわ」
「そうか……どうりでおかしいと思っていたんだ! なぜ、あの時に貴様があんな状態で──」
左脚の装甲が浮き上がり、アレッソスを魔女から引き離す。魔女が保留を解除し、命令実行が始まったのだ。
「や、やめろ──」
開いた窓から外に投げ出されそうになったアレッソスが手すりにしがみつくが、強化装甲の力は強く、アレッソスの指を引き離そうとする。
「おい!! 誰かッ!! 誰──」
助けを呼ぼうとしたアレッソスの口に魔女が投げた銃が飛び込む。
「お返ししますわ。助けは呼ばないでくださいね。一人、突然に身投げさせるのが“狼犬”の筋書きみたいですから──」
銃で口を塞がれたアレッソスの前で、魔女が外套を纏い直して冷笑する。
アレッソスが必死に顔を振るが銃は口に張り付き、彼の助けや命乞いの声を封じた。
「何も言えず、為す術なく、ただ“狼犬”に仕留められて死んでいく心境はいかがですか?」
アレッソスの手が手すりから離れていく。死に物狂いのアレッソスが魔女を──いや自分を陥れた全てへ恨むように血走った目を向ける。
「手向けに一つだけ良い事をお教えしましょう。例え世界が貴方を拒否しても、“闇”は貴方をまだ見捨ててはいませんわ。その憎しみや恨みの力で貴方の全てをさらけ出しなさい。もしかしたら“闇”は貴方を拾ってくれるかも知れませんわよ?」
アレッソスの手が離れ、装甲に引きずられた彼の身体が宙に投げ出される。
装甲はすぐに動作を止め、何も叫べないままのアレッソスと共に夜の闇に消える。
地面に重い何かが落ちた音がした。
「さようなら、バカなお方。そして願わくばまたお会いしましょう」
銃が地面を転がるのを見つめた魔女は沈黙の夜の中、一人呟くのだった。




