対峙する“狼犬”と“機神”
「……そうですか」
ある貴人の部屋。椅子に座って侍女の報告を受けた女性はそれだけ答える。
報告した侍女は女性に気を遣ったのか、あまり声をかけることなく退室した。
女性だけとなった部屋に二人の人影が現れる。
魔女の二人、トウとミューだ。
「あなた達も聞いていたわね」
女性──“エレ”が口を開く。
「ええ。あの“狼犬”、細工した挙げ句に全部あたしたちのせいにして、いっそ感心するぐらいふてぶてしいわね」
トウが肩をすくめると、エレは薄く笑う。
「でも実際、そうだものね」
「姉様。“狼犬”はこちらがアレッソスの裏にいる事に気づいたのかしら?」
「証拠は掴んでないけど、疑ってはいるでしょうね。私たちが“機神”のために暗躍しているとなればアレッソスに接触する可能性は当然、考えているはず。“狼犬”の狙いはアレッソスの件を私たちのせいにすると同時にクレドガルに私たちの情報を広げて、少しでも牽制しようという魂胆でしょうね」
「冗談じゃないわよ! 何が『末の魔女は黒の下着が好みのようです』よッ!」
謁見の場で下着の趣味を暴露されたミューが恥辱と憤りに顔を真っ赤にしていた。
「あのすかした男! やっぱり、ばっちり見てたんじゃない!」
「そうねえ。あたしの剣を見切ってくるだけあって、やっぱりいい目をしてるわ」
「変な感心しないでよ、トウ姉様! あいつら女の敵よ! 敵!」
「まあまあ。どのみち敵になるんだしさ」
トウがミューの剣幕に苦笑いする。
『ミュー、怒るのは無理もないが相手の思惑に乗らないようにな』
三人の魔女の前に黒の外套姿の幻影が現れる。
「兄様!」
幻影の男が外套を後ろにずらすと黒髪と碧眼の顔が現れる。
「兄様も聞いててくれた? 酷いでしょう! このままじゃわたし、お嫁に行けないよ」
ミューが急にしおらしくなり、背中を向けてシクシクと泣き出す。
幻影の男は苦笑し、幻影の手をミューの頭に重ねる。
『泣くことはないだろう、ミュー。気持ちは分かるが、気をつけるように。“狼犬”もただ辱めるために言ったのではないだろうからな』
「そうですわね。“狼犬”と名乗るだけあって、その嗅覚は侮れないですものね」
“エレ”の言葉に幻影の男はうなずく。
『ああ。向こうも《アルターロフ》の封印場所に近いここで我らが動いていることは考えているはずだ。まだ我らの秘密を知られるには早い。油断はしないようにな』
「兄様。そんなに気になるなら、いっそ殺してしまえばいいんじゃない?」
トウが言った。
『いや、“狼犬”には“要”の探索をしてもらわねばならない。その手がかりは“狼犬”側が握っているはずだ……それにわたしもまだ“狼犬”と話をしてみたくてな』
「兄様がそこまで言うなら、こっちは構わないけどさ」
『それより、エレ。君は気づいていたか?』
「ええ。“狼犬”がまた面白い仕掛けを用意してくれました。アレッソス=バッソスの件は私が最後の仕上げを致します」
『任せる。闇に力を求めた奴の欲望が、真の“機神”覚醒の狼煙となるだろう』
幻影の男はそこまで言って、どこか遠くを見るように視線をあさっての方向に向けた。
「どうしました、あなた?」
『……なに、“狼犬”も簡単にはそれを許さないだろうと思ってな』
外套の男は自分を睨む視線を感じていた。
機械仕掛けの神が仕向ける運命に誰よりも抗い、いつ来るかも分からぬ時に備えて牙を研ぎ続ける勇士の姿を──
マークルフは都の外れにある大公所有の館に滞在していた。
その屋上にマークルフは立つ。高い位置にあるここから夕焼けが広がる城壁の向こうを眺めることができた。
遙か先には荒野があった。かつての激闘の傷跡でもある荒野の真ん中に遠く、小さく、しかし消し去ることのできない悪夢のような異形の姿が見えた。
「マークルフ様」
後ろから呼びかけられて振り向くと、そこにはリーナとリファがいた。
「どうした? 休んでるんじゃなかったのか?」
「リファちゃんが《アルターロフ》の姿をこの目で見たいそうですわ」
見ればリファは大公が所持する双眼鏡を手にしていた。
マークルフは肩をすくめる。
「リファも悪趣味だな。あんなゲテモノ見たって面白くねえぞ」
「だって男爵さんとお姉ちゃんも戦ったっていう伝説の化け物の姿みたいし。それにそのうち男爵さんが破壊しちゃうんなら今のうちに見ておかないさ」
リファがそう言うと前に出て双眼鏡で異形の姿を眺める。その姿はまるで観光気分の子供だ。
「……なあ。あいつさ、ブランダルクにいた時より子供っぽくなってねえか?」
はしゃぐようなリファの後ろ姿を見ながら、マークルフはリーナに呟く。
「きっと甘えたいんですよ。ブランダルクにいた頃はいろいろと不自由な生活だっだでしょうし、今でもルフィン君と会えないで寂しい時があるみたいですからね……でも、甘えられるのも悪くないって思ってらっしゃるんじゃないですか?」
マークルフは苦笑する。
「男を働かせるしっかり者のいい女になると思ってたが、男に貢がせる悪い女になりそうでちょっと心配になってきたぜ」
そう言って、マークルフとリーナは互いに笑みをこぼした。
「……うえぇ」
悪戦苦闘の末、双眼鏡の焦点を合わせたリファがうめく。
「どうだ、世界を苦しめる邪神の姿は? その名にふさわしい悪趣味だろ」
水晶質の丸い甲殻と鋼のツタとで編み上げられた三対翼の人型の上半身。まともに賛美する人間などいないだろう。
「まあ、うん……あんまり好きじゃないかな」
「何だ、煮え切らねえな。はっきり気味悪いと言ったらどうだ?」
リファが双眼鏡から視線を外して遠慮がちにリーナを見る。
マークルフはその意味に気づくと愉快そうに笑った。
「何だ、リーナに遠慮してるんだったら気にするな。リーナもあれを作ったエンシアの科学者たちの美的感覚はおかしいって言ってるからな」
「なんだ、お姉ちゃんもそう思ってたんだ。エンシアの人はああいうの趣味なのかなってちょっと心配してた」
「おかしいとまでは……ただ、機能を十二分に働かせるために突き詰めた末の機能美らしいんだけど、私にもちょっと理解できなかったかな」
リーナも苦笑する。
「それに《アルターロフ》が開発された当時はそんな事を気にしている余裕もなかった。文明の存続をかけた瀬戸際だったから──あの姿は当時の人々の必死のあがきの姿でもあったの」
リーナが遠くの機械神の姿を見る。
「そして消えさらないエンシアの罪そのものでもある……私もあれをこの世から滅ぼしたいと思ってる」
マークルフはリーナの肩に手を置いた。
「いつか叶えてやるさ。そのために俺たちは今まで頑張ってきたんだ」
リーナがマークルフと向き合う。
「マークルフ様。私はあなたの姿に教えられました。本来、私は《アルターロフ》が消えた後、エンシア復興のために目覚めるはずでした。ですが、この時代に目覚めたのはきっと貴方と一緒に戦えという運命の導きだったのだと思っています。それがエンシアから生き残った私の本当にやらなければならない務めだったと……いまならはっきりとそう言えます」
リーナの眼差しにマークルフも目を細める。
「俺も感謝してるよ。リーナがいなかったら俺はとうの昔に死んでいただろうしな」
その姿を眺めていたリファが二人を迂回しながら屋内への扉へと向かって行く。
「なんだ、もういいのか?」
「二人の邪魔しちゃ悪いからさ。邪魔者は退散するからごゆっくり」
そう言って、リファはさっさと姿を消した。
「ヘッ、いらん気を利かせやがって。あんなゲテモノ見ながら良い雰囲気になれるかってえの」
マークルフはため息をつく。
気づけばリーナが“機神”の姿を睨んでいた。
「思い出します。初めてマークルフ様と一緒に戦った時のことを──」
夕焼けに照らされるリーナの横顔。その美しさと思い詰めた眼差しにマークルフは思わず見とれる。
「あの時──マークルフ様が私の命を奪ってでも“機神”を止めようとしたあの時から、私たちの戦いは始まったのですね」
マークルフも黄昏を背にそびえる“機神”の姿を見る。
「……マークルフ様、あの時のままでいて下さいね」
マークルフが驚いて振り向くとリーナは照れ笑いを浮かべていた。
「ふふ、『変わらないでいて』なんて台詞、殿方に対して使う台詞でもありませんかしら? それに《アルターロフ》を見ながらではやっぱり盛り上がりませんし。戻りましょうか?」
リーナも屋内へと戻ろうとする。
「リーナ。俺はしばらく出かける」
マークルフは景色を見たまま呼び止めた。
「あの野郎に頭下げちまって、どこかで憂さ晴らししたい気分なんだ。明日いっぱいは帰らないかもしれねえ」
マークルフは背中を向けたまま話す。
「リーナはリファと一緒にここで旅の疲れでもとればいい。帰りは待たなくていいからな。いいな?」
リーナが立ち止まり、マークルフの背中を見つめる。
「……かしこまりました」
大公の屋敷の一室。
マークルフたちに用意された貴賓室の片隅。その机の上にダロムとプリムがいる。
特注の妖精さんサイズの毛布の上で二人は並んで眠っていた。
「は~い、起きてちょうだい。親切な妖精さんたち」
突然、毛布が取り上げられ、妖精たちは机の上をゴロンゴロンと転がる。
「ふぇ……もう、朝?」
「なんじゃあ……おや、姐さんじゃないか?」
毛布を取り上げたのは下着姿──もとい、くつろいでいるいつもの姿のエルマだった。
「お休み中、ごめんなさいね。次のおしごとが入ったわ。準備をしてちょうだい」
二人の妖精はゲンナリとした顔をする。
「ええ、またぁ?」
「ようやく徹夜続きから解放されたと思ったのに人使いが荒すぎるぞい! 児童虐待に老人虐待に妖精さん虐待を訴えるぞい!」
「いやあ、ごめんなさいねぇ。うちの職場は上司からして働き者で労働環境なんて念頭にないものでさ」
エルマが耳を塞ぎながらとぼけた風に視線を逸らす。エルマも偽装工作のために連日徹夜のはずだったが、疲れが残っているような素振りはない。普段はなまけているがいざとなれば上司以上に働き者であり、下で働く者にとっては鬼の姿であった。
妖精さんたちは諦めたように肩を落とす。
「それで……今度はどうするんじゃぞい?」
「今度は全くの偽物を《アルゴ=アバス》の左脚っぽく偽装してもらいたいのよ。元になる適当な機械部品はもうすぐ調達できるからさ。金型残してるから、妖精さんたちの能力があれば時間はかからないわ」
「しかし、全くの偽物じゃと本当に外装しか見せかけできんぞ」
「大丈夫じゃない? 都合の悪い部分は全部、魔女の仕業にするから。何たって彼女たちは魔力を自由に操れるみたいだし、魔女万能説を押しとけばいくらでもアイツらのせいにできるわ。便利よね」
涼しい顔で説明するエルマを見てダロムとプリムは声を潜ませる。
(じいじ、あねさんの方が“まじょ”みたいだね)
(プリムや、覚えておきなさい。“ヘンタイ”は近づいてはいけない人間じゃが、ああいう人は敵に回さんほうが良い人間じゃ)
夜更け。
人々が寝静まり、灯の消えた城下街をマークルフは眺めていた。
「土産だ、祖父様。女将の酌じゃなきゃ冴えないだろうけど、俺の酌で勘弁してくれ」
マークルフは振り返りると手にした酒瓶の中身を足許の小さな岩にかける。
王都の城下街を望む小高い丘。そこにひっそりと佇むこの小さな岩こそが、希代の英雄と呼ばれたルーヴェン=ユールヴィングの本当の墓であった。
「ルカの里に行ったよ。長殿も元気そうだった」
マークルフは微笑む。
「また来てくれって言われたよ。俺はあれを最後の挨拶にするつもりだったんだ……ありがたいけどさ、あの人にとってどっちが幸せなんだろうな」
ルーヴェンは母親を奪う形となったシェルカの幸せを常に願っていた。マークルフも両親に代わって自分を護ってくれた事に恩義を感じているが、そのせいでシェルカにも重責だけを残してしまった。だからこそ、彼女から奪うだけしかできなかった“狼犬”との縁もいつか終わりにするべきかと思っていたのだ。
「……もう一つ、聞きたいことがあるんだ」
マークルフは目を落とす。その不安にかられた表情は普段、誰であろうと見せることはない年相応の少年のそれだった。
「祖父様……俺はあの時、本当にリーナをこの手にかけてでも“機神”を止めようとしたのかな」
あの時、“機神”が動力としてリーナを利用していると気づき、マークルフはそれを止めようと彼女に刃を向けた。
しかし、その直前に大破していた《アルゴ=アバス》が機能を停止し、その刃が彼女に届くことはなかった。
「あの時、祖父様が俺を止めてくれた──そう思って安堵してしまった。もし、またあの時と同じようになったら俺は……本当に俺は、リーナを引き替えにしてでも“機神”を止めようとするのかな」
マークルフは拳を握る。
『あの時のままでいてください』
リーナは恋人同士の会話をしたかったわけではない。その真意は別にあるのは気づいていた。
彼女も薄々気づいているのかもしれない。
“機神”を滅ぼすために本当に必要なものを──
そしてマークルフも分かっていた。
必死にそれに代わる手段を考える一方で、迫りつつある最終決戦に備えようとしている自分の矛盾する姿を──
答えの分からない自問自答をマークルフは繰り返す。
「やはり、ここにいたな」
マークルフが振り返る。
そこには杖を手に坂道を登ってくるバルネスの姿があった。眼下の道には馬車と護衛の騎士が待機していた。
マークルフはすぐに表情を引き締める。
「何しに来やがった、爺さん?」
「戦友の墓に参りに来てやったのだ。こうしてルーヴェンの前で顔をそろえる機会など滅多にないからの。身内なら礼の一つでも言ったらどうじゃ? そっちこそ馬車に近づいたのにも気づかずに何を考えておった?」
マークルフは答えず、祖父の墓碑を見つめる。
「爺さん、俺が“魔女”と口にした時のアレッソスの反応は見たか?」
「うむ。分かり易く顔に出ておったな」
「ああ。俺が“魔女”を口にしたのに驚いた顔だった……“魔女”を知らなかった顔じゃない」
マークルフは城下街をもう一度、見る。
「奴らは魔力のある場所にしか出て来れない。しかし、“機神”の姿が見えるこの近辺でもそうとは限らない。気をつけてくれよ」
マークルフは空の酒瓶を墓の前に置いた。
「丁度いい。爺さん、祖父様の骨を預かっていてくれるか」
「場所を移す気か」
「祖父様は傭兵たちが行き来する姿が見える場所で眠るのが望みだった。それにここなら、“機神”を破壊する時に特等席にしてやれると思っていたが、この先、何が起きるか分からねえし、ここが決戦の舞台になるとも限らねえ。俺が“機神”と戦う時が来たら、その時は爺さんの手で戦いを見せてやってくれ……祖父様にも俺が“機神”を破壊する姿をちゃんと見せてやりたいからな」
マークルフはそう言うと背を向けて一人、歩き出す。
「坊主──」
「聞くな。ただの野暮用さ。グーの字が居るから大丈夫と思うが、リーナたちを預かっててくれ。じゃあな」
バルネスは遠くなる若き“狼犬”の姿を見送っていたが、やがて墓の前に立つ。
「坊主も悩んでいるようじゃな。おぬしの姿を後押しとしなければならないほどに……ルーヴェン、見守ってやってくれ」




