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“罠”(2)

 クレドガル王城──

 そこは現在、物々しい空気に包まれていた。

 王城を警護するクレドガルの親衛騎士たち。現在はそれに加えてヤルライノの騎士たちが警護に加わっている。

 ヤルライノ大使であるアレッソス=バッソスが王城に逗留しているからだ。

 合同で警備をする二国の騎士たちは互いに距離を置いていた。しかし顔は皆そろって緊張に包まれている。

 彼らもまたクレドガルとヤルライノの間で起きた問題に直面し、今後の行方を黙って見守るしかなかったのだ。



 クレドガル王城の賓客室。

 そこにアレッソスはいた。

 椅子に座るその顔は焦燥と苛立ちに目を見開いている。

 現在、彼は城に逗留する形となっているが、彼自身はこの部屋から動くことができなかった。

 理由は二つ。

 それは彼に向けられているシスティア王妃暴行未遂の容疑。

 そして、もう一つはその足から離れない“枷”である。

「……クソォッ!!」

 出された食事には手を付けず、アレッソスは手にした銀の肉刺をその“枷”に何度も叩き付ける。それでその“枷”に傷一つ付けられる訳ではない。それでも抑えきれない憎しみをぶつけるようにアレッソスは手を止めない。

「食事に毒を入れたとでも考えているのか。それにその装甲は仮にもクレドガルの英雄の武具である。手出しは止めてもらおう」

 部屋の入り口に立っていた見張りの騎士たちが脇に退き、そこから近衛兵を引き連れた若き国王ナルダークと大公バルネスが現れる。

「……ならば、今すぐにこの拘束を解いてもらいたいものだ」

 アレッソスは肉刺を乱暴に机に叩き付けると、同盟国の王であるはずのナルダークを睨む。

 アレッソスの左足に装着されているのは《アルゴ=アバス》の脚部であった。

 一国の王とその同盟国の大使。互いに敬意を払うはずの両者は現在、互いに怒りに満ちた視線を隠そうともしなかった。

「それは説明したはず。それは所有者であるユールヴィング卿にしか外せない」

 いつもは穏やかなはずの国王が冷ややかに告げる。

 強化装甲は装着者以外には鋼の重りでしかなく、彼自身では装甲に包まれた足を自由に持ち上げることもままならない。

 アレッソスが事実上、城に拘束されているのは自由に動けないことと、クレドガルの所有物である装甲の一部を勝手に持ち運ばせる訳にはいかないからだ。

「……そもそも、全ては自業自得なのではないか?」

 ナルダークが告げるとアレッソスは反発する。

「冗談じゃない! 何度も言っている! わたしは王妃を襲ってなどいない! 王はわたしが襲ったと証言しているのか!?」

「彼女は何も覚えていない。覚えていないから証言もできない。しかし、ならばそなたは何故あそこにいた? その装甲が装着された意味はどう弁明する?」

 ナルダークがさらに詰問を続ける。温厚で知られる若き王も今回ばかりは怒りを隠しきれずにいた。

 アレッソスはナルダークの凝視に目を背け、代わりに左脚の装甲を憎々しげに睨み付ける。

 やがてアレッソスが呟いた。

「……罠だな」

 ナルダークが看過できないとばかりに表情を強張らせる。

「どういう意味かな?」

「揃って罠に嵌めた! 違うか!?」

 アレッソスが声を張り上げる。

「誰があんなお腹の大きな女を襲うか! これは貴様らの仕組んだ罠だ! “狼犬”と貴様が結託して俺を破滅させようと企んだのだろう! 国王! そちらが王妃まで使って罠を仕掛けるような人物とは思わなかったぞ!」

「貴様ッ!! 余がシスティアにそのような真似をさせたとでも──ッ!」

「お止めくだされ!」

 激昂して詰め寄ろうとしたナルダークを後ろからやって来た大公バルネスが押し止める。

「陛下までが取り乱されては今後のヤルライノとの話し合いに支障が出ますぞ」

 バルネスに止められ、ナルダークは歯ぎしりしながらも後に引く。

「そもそもバルネス大公! 筋書きを描いたのは貴様ではないのか!」

 アレッソスは怒りに火がついたのが暴言を止めない。

「フィルディングを裏切り、クレドガルに尻尾を振って貴族の椅子を得た小賢しい“狼犬”の盟友だけあるなな。こんな卑劣な罠を堂々と仕掛けて来るのだからよ」

「貴様! 余だけではなくバルネス老にまでそのような暴言を──」

「構いませむ。奴は自暴自棄になり、無駄に事態を大きくしたのでしょう。取り乱している者の挑発に乗ってはいけません」

 ナルダークをなだめるようにバルネスはその肩に手を回す。

「本国へ連絡はしてもらったのだろうな! ヤルライノの大使を不当な理由で拘束するからには、ヤルライノと事を構える意図があると伝えさせてもらうぞ!」

「ぬけぬけと貴様は──ッ!」

「陛下!」

 バルネスに止められたナルダークはアレッソスを一瞥すると乱暴に部屋を去っていく。

「バルネス大公。ユーレルンと手を組んだ噂はこっちも聞いているぞ。そろって俺を始末したいのだろうが、そうはいかないからな」

 アレッソスがバルネスの背中に辛辣な口調を浴びせる。

 バルネスが振り返って怨嗟に染まったアレッソスの顔を見たが、やがて黙って去っていった。



 クレドガル本国へ続く道を一つの傭兵部隊が進んでいた。

 マークルフが呼び寄せた《オニキス=ブラッド》の一隊である。

 彼らに護送される馬車の座席にマークルフがいた。その隣にはリーナが座り、後ろの席にはリファ。彼らと向かい合うようにエレナが座っていた。

 彼らは昨日、デバスから聞いたクレドガル王宮での出来事について思い巡らせていた。

 事の発端はこうだ。

 王城の一室で王妃の悲鳴が置き、城の衛兵たちが慌てて駆けつける。

 彼らが見たのはドレスを破られて倒れていた王妃と、その隣で《アルゴ=アバス》の脚部が足に装着されて身動きできないでいたアレッソス=バッソスの姿だった。

 装甲を保管していた部屋からそれも消えており、ただちにアレッソスは拘束された。

 システィア王妃は何も覚えていないらしい。気がついたらその状態であり、頭に激痛が残っていたと訴えている。

 《アルゴ=アバス》の脚部を盗み出したアレッソスの姿を偶然に王妃が目撃してしまい、アレッソスは咄嗟に殴打。さらに口封じのための凶行に及ぼうとしたと考えているらしい。

 幸いにも本人やお腹の子供は無事であったが、国王ナルダークは身重の妻に危害を加えられた事にいつになく激昂していた。臣下たちもなだめる事ができず、むしろ一部ではクレドガルの威信に対する暴挙だと強硬な意見も出ている状態だ。現在は大公バルネスがどうにかその場をまとめているらしい。

 そしてヤルライノ側も一方的な大使拘束には不満を持っており、さらに直接の目撃者やどのように装甲を盗み出したのかなど不明な点も多く、十分な説明がなされない場合は強硬な反応も予想されていた。こちらも最長老ユーレルンが裏で沈静化に動いているらしいが予断は許されない状況だそうだ。

「“狼犬”よ。そなたはどう思っている?」

 エレナが口を開いた。

「……さあな。ただ、一つ言えることは俺が保険で用意していた“罠”を利用されたみたいで面白くねえ」

「そなたは本来、あれを使ってどうするつもりだったのだ?」

 国王に渡した《アルゴ=アバス》の左脚部には細工をしていた。アレッソスがあれを破壊したり、盗み出したりした場合に備えてだった。

「奴としてはあれを俺の手に戻したくはなかったはずだ。だが、あれはちょっとやそっとの手段では破壊できない。できるとすれば盗み出すかだ。俺はアレッソスが盗み出す場合を想定していた。敢えてそれが偽物か本物か分からない状態で置いておくように大公の爺さんにも頼んでいた」

「アレッソスに盗み出させようとしたのか?」

「ああ。あれは間違いなく本物だ。しかし、装着者の俺以外にそれが本物であるかを完全に証明はできない──だが、それを逆手にとって偽物にすり変えてしまえば、俺自身が本物を渡した証明もできなくなる。そうなれば俺は偽物を出して陛下たちを欺こうとした事になり、謀反の疑いも余計に深くなって俺は追い込まれる……俺はアレッソスがそう考えてくれるのを期待していた」

 エレナが口の端を吊り上げる。

「なるほど。身を隠していれば焦れたアレッソスが行動を起こすかも知れない──ただ逃げていた訳でもないのだな」

「いろいろと敵が多いからな。せめて時間ぐらい味方にしたいじゃねえか」

 マークルフは腕を組んだまま椅子に深く背を預けた。

「……あの脚部には独自の命令を組み込んであった。強力な魔力が向けられるか、一定以上に関節部が動いた時、一番近くに居る人間の脚に自動的に装着するようにな」

「あの装甲はそなた以外にも装着できたのだな」

「他人には動かすのは無理だが、俺の命令で勝手に装着までは出来る。俺以外には装着できないという思い込みを逆手にとった仕掛けだった。爺さんにもそれを城の連中に強調するように頼んでいた。強化装甲の警備も爺さんに手を回してもらって、アレッソス側に盗み出させる隙をわざと見せるようにすることも──」

 エレナがうなずく。

「もし盗み出すか、破壊しようとすれば近くにいた犯人たちの誰かに装着する。一味の関係者を逆に捕まえる罠として起動する訳か……なるほど、なかなかいやらしい罠だな」

「そうなってくれれば、その事実を突き付けてアレッソスと対決する算段だった」

 後ろの席に座っていたリファがひょっこりと顔を出す。

「でもさ、一応は男爵さんの計画通りになったんじゃないの?」

「いいや。アレッソスが罠にかかってくれる事は期待してたが、今回についてはあまりにやり方が雑過ぎる。しかも、システィア王妃様を襲うなどとは正直言って俺も想定外だった」

 マークルフは遠くを見つめるように天井を眺める。

「王妃様は確かに美しき方だが、一国の王妃、しかも身重のお身体だ。それを乱暴しようとしたのはどうにも解せん。それにすり替えようとしたなら肝心な物が見つかってねえ。エレナ=フィルディング、あんたならただ装甲を盗むか?」

 エレナはかぶりを振った。

「いいや。当然、偽物を用意してすり替える。そうすれば本物を手に入れ、なおかつそなたを偽物を用意した罪で追いつめられるからな」

「……真相は分からねえが、ここまでこじれていると厄介だな。俺が着いた頃にはヤルライノと血を見る喧嘩になってなきゃいいがな」

「だから、そなたは行くのであろう? 部下たちは帰して──」

 エレナに言われ、マークルフは不敵な笑みを見せた。

「俺の罠が利用されたのなら、俺が出張らねえと格好がつかねえからな。ここからは俺の舞台だ──いいや、俺の一人舞台で終わらせる」



 南へと続く道。

 旧フィルガス地方の道を別の部隊が進んでいた。

 先頭に立つのは副長ログ。彼らは南端に位置するユールヴィング領への帰路へとついていた。

「男爵は大丈夫なんすかね?」

 部隊に同行する幌馬車の中で、荷台に座るアードが呟く。

「男爵も大芝居を打つために身軽でいたいのよ」

 奥に座るマリエルが言った。彼女の脇には《グノムス》から回収した《アルゴ=アバス》が木箱に詰められた形で積まれている。

「どういうことっすか?」

 アードに訊かれ、マリエルが視線を外の景色に向ける。

「男爵は最悪の場合、自らの手でアレッソスを始末する事まで考えているわ。これ以上、“機神”を巡る野望を拡散させないためにね」

「いやあ、しかし、それってかなり危ない橋なのでは?」

 アードの横に座るウンロクが言う。

「だからログ副長やうちらを遠ざけたのよ。万が一の際に共に責を問われないためにね」

 マリエルは姉エルマから託された最終調整の工程表を握っていた。

 もし、自分に何かあってもマリエルの手で《アルゴ=アバス》の改造を完成させられるようにだ。

『こういう揉め事に顔を突っ込むのはうちの方が適任よ。そっちは任せたわね』

 姉はそう言って、《グノムス》や妖精たちと一緒に男爵との同行を選んだ。

 仮に自分たちの身に何があっても副長と《アルゴ=アバス》が残れば“心臓”を回収して再起を図れるだろうという考えなのだ。

 姉が自ら危険な方を志願するのは今に始まった事ではない。だが、マリエルは感じていた。

 姉の言動の端々に見える、“機神”との最終決戦を見据えた決意。

 マリエルは自分にとってのあこがれだった人を思い出す。彼は“機神”の破壊方法を求め、自らを犠牲にしてまでそれを突き止めようとした。姉にとって唯一の理解者だったその人の遺志を、今度は姉が受け取ってそれを為そうとしている。

(……オレフさん。貴方ならどうやって姉さんを助けようとしたんでしょうね)



 マークルフ一行は予定通りの日程でクレドガル王国国境付近まで到着した。

 そして、そこでデバスが手配していた最長老の騎士部隊と合流する。

「“狼犬”よ。私はお祖父様の所に戻る。わざわざ私を守りに来てくれた事だけは礼を言わせてもらう」

 迎えに来た護衛の騎士たちの前で、エレナが見送りに出たマークルフたち三人に告げる。

「エレナさん、男爵さんたちと一緒じゃなくて危険じゃないですか?」

 リファが心配して言うが、エレナは頭を振る。

「今は“狼犬”と一緒にいる方がお互いに危険かも知れないのだ。お祖父様はアレッソスの口から“機神”と一族に関する事実を世間に知られることを危惧しておられる。奴は破れかぶれで問題を大きくし、一族の機密を脅迫材料に自分の身を守ろうと必死だ」

 マークルフが鼻を鳴らして肩をすくめる。

「確かにフィルディング一族のお偉い方から“機神”との関わりを暴露されては否定もしきれなくなるな。名門の力を以てしてもタダでは済まんだろうよ」

「貴様にとっては一族がどうなろうと知った事ではなさそうだな」

「ああ、ないね。だが、あんたが最後の“機神”の制御装置を持っている事を知られるのはまずい。一族以外の野心家たちに余計な魂胆を抱かせるだけだ」

「そうだな。いずれ私の存在と“狼犬”との縁談についてもアレッソスは世間に暴露するかも知れぬ。奴にしてみれば“狼犬”に私ごと“機神”の支配権が渡るのだけは邪魔したいであろうからな」

 マークルフはしかめた顔を浮かべる。

「こっちから縁談は蹴ったというのにゲスな考えだ」

「このまま謀殺されるぐらいなら、一つでも多く道連れという事だろう。ともかく、私とそなたが行動を共にしては奴の話に信憑性を与えるだけだ。それにいざとなればお祖父様の下にいた方が私も自分の身を守れる」

 リーナが気持ち前に出る。

「エレナさん、天使たちにはくれぐれも気をつけてください。彼らはいつ現れるか分かりません。それに魔女と呼ばれる者たちにも──」

「私が襲撃されることを心配してくれているのか?」

「……“機神”の制御装置をな」

 マークルフが付け加えるとエレナが気丈な笑みを浮かべた。

「心配するな。直接、護衛せずともアレッソスや“天使”どもと戦ってくれるのなら約束の報酬は必ず払う」

「あんたは自分の命を心配しねえのか?」

「私の命は手付けとしてそなたに預けているからな。そなたはそちらの戦いを優先してくれればいい。それに“聖域”の変動がこの中央部に及んでくるのにも、まだしばらくは時間がかかるのであろう」

「いつになるかは予想できねえけどよ」

「そこまで変動が及べば“機神”覚醒が本気で迫る時であろう。どのみち私も命を懸ける事になる。それに“天使”どもに会えるなら訊ねてみたい気もするのだ。この最後の制御装置を破壊したら“機神”は暴走するか否か、とな。仮にも天使ならその答えを持っているかもしれんからな」

「もし、制御装置を破壊すれば“機神”は復活しないと答えたら?」

「天使どもから生き延びたら、そなたにも答えは教えてやる」

「……その時は俺に命を手付けとした事が本当に命取りになるぞ」

 マークルフが声を押し殺すように告げた。リーナとリファが彼の顔を見る。

「フフッ、そなたらしくないな。自分から手の内を仄めかすとはな」

 エレナが愉快そうに目を細めた。

「それも含めての手付けと思ってくれていい。お祖父様は現在の一族に“機神”を操る力はないと認めた。私もその決断に従う。今度、“機神”が暴走すればヒュールフォンの時の比ではなくなるだろう。それを阻止することだけはお互いに共通の目的のはずだ」

 エレナが近づき、おもむろにその右手をマークルフの左腕に添えた。

 マークルフは一瞬、険しい目を向ける。

「先代“戦乙女の狼犬”は強化装甲、そしてそなたは戦乙女の力を手にしている。しかし、その称号を持つ者の真骨頂は口八丁手八丁だとお祖父様はおっしゃっていた」

 エレナがリーナの方に視線を向けるが、やがて手を離すと背中を向ける。

「“ほら吹き”と分かっているからこそ、それを信じてその鳴らす音に従って多くの者がついて来るのだと──私はただの“大嘘つき”と思っていた」

 エレナが待っているデバスや騎士たちの方に向かいながら言った。

「頼むぞ。マークルフ=ユールヴィング、そしてリーナ姫」



 その日の夜。

 エレナを連れて騎士部隊が去り、残されたマークルフたちはそこで天幕を設営して野営をしていた。

 その天幕の一つ。即席の寝台の上でリーナとリファが一緒に毛布をかぶって横になっていた。

「ねえ、お姉ちゃん?」

 灯りを落として暗くなった天幕の中でリファが声をかける。

「どうしたの? まだ眠れないの?」

 リーナがリファと顔を向け合う。

「うん……ちょっと考えちゃったんだ」

「何を?」

「エレナさんって男爵さんに似てるなと思ったんだ」

 リファが呟く。

「どうして、そう思うの?」

「ブランダルクの戦いの時、大怪我してた男爵さんが言ってたこと思い出したの。自分では“機竜”が墜ちてくるまでに回復が間に合わないから、胸の“心臓”を抉り出して副長さんに渡してくれって──」

 リーナも思い出す。それは自分がいなかった時、双子たちに保護されていた時のマークルフの話だ。自分の代わりに副長に“機竜”迎撃をさせるため、リファの兄ルフィンに自分の“心臓”を抉れと迫った事を後になって聞かされていた。

 リファが宙を見つめる。

「兄ちゃんも言ってた。あの時の男爵さんの目はずっと忘れられないって。あたしもそうなんだ。だからエレナさんが自分の命よりも制御装置を守ってくれって言った時、すぐにそれを思い出しちゃった」

 リーナもリファと同じように宙を見つめる。

「リファちゃんもそう思うのね。わたしもそうよ……あのお二人は立場は違うけど、本当はお互いに理解しあえる二人なのかも──」

「ダメだよッ! それとこれとは別問題!」

 リファが慌ててリーナの言葉を遮る。

「お姉ちゃんが実質正妻なんだから、ドンと構えなきゃダメだよ!」

 リーナがリファの顔を見て微笑むと、また宙を見つめる。

「ねえ、リファちゃん? もし、私がいなくなったらマークルフ様は泣いちゃうかな?」

 リファがリーナの横顔をじっと見つめる。

「あの人が最後に泣いたのは先代様の最期を不本意な形で見送った後の時なんだって。もし、またあの人が泣く時があって、その時にわたしが傍にいなかったら、その時はリファちゃん、あの人に伝えてくれる? きっとエレナさんはあなたにとって素晴らしい人になってくれるかもって──」

 リファはじっと話を聞いていたが不意に顔を背けるとそこから離れて背を向けた。

「……やだ」

 リファが絞り出すようにそう答えた。

「リファちゃん?」

「お姉ちゃんは男爵さんとずっと一緒にいたくないの?」

 リファの声は震えていた。

「男爵さんとお姉ちゃんは、逃げるしかなかった兄ちゃんやあたしに光をくれた英雄なんだよ。その人たちが泣いてる姿なんて絶対に見たくない」

 声だけでなく少女の背中も震えていた。

「ごめん、リファちゃん。へんなこと言って。わたしもずっとあの人と一緒にいたいわ。当たり前じゃない」

「……じゃあ、もうそんなこと言わないで」

 リファが拗ねるように言う。

 リーナはリファの身体に腕を回した。

「大丈夫よ。あの人は“ほら吹き”だけど決して嘘で人を裏切らない優しい人。リファちゃんを泣かせたりなんかしない。わたしもそうよ。いつか、名物の食べ放題と流行の服の買い物巡り、マークルフ様と一緒に行きましょう」

「……服の買い物は約束してくれたっけ?」

「“ほら吹き”ならそれぐらい、おまけでつけるべきよ。そうでしょう?」

 リファが向き直る。もう機嫌を直したのか笑っていた。

「そうだね。兄ちゃんへのお土産も一緒に買ってもらっていい?」

「ええ、もちろんよ」



 マークルフは自分の天幕で一人、椅子に黙って座っていた。

「渋い顔して、何を考えてるんですか?」

 天幕に入って来たのはエルマだった。

「考える事が多くてな。それに……エレナ=フィルディングには見抜かれたかも知れん」

 マークルフは自分の左腕を一瞥する。

「ああ、やっぱり。うちも道中で聞かれましたから。男爵がリーナ姫やリファちゃんから時々、左腕を庇って立っているような気がするが何故かって──」

「言ったのか?」

「いいえ。でも男爵を“天敵”って言ってたぐらいですから、その天敵の背負う宿命は知っていたのでしょうね。『ブランダルクでの戦いの傷は本当に癒えたのか』って聞かれましたし」

 エレナに触れられた時、マークルフの左腕は後遺症の症状が出ていた。傍目には分からないが、触れられれば隠しようがなかった。

「……正直、エレナ=フィルディングの言葉には堪えた。大嘘つきだと責められた気分だ」

「最後に男爵を“狼犬”ではなくマークルフ=ユールヴィングと呼んだのも、そういう意味かも知れませんね。付き従ってくれている戦乙女に嘘をつき続けて、何が“戦乙女の狼犬”かって──」

 エルマがからかうように言うが、マークルフにはその言葉が重く突き刺さる。

「リーナに打ち明けろって言うのか」

「もう、いつまでも隠し通せませんよ……ま、それは当人同士の問題として、うちが来た用件はこれですわ」

 エルマが一冊の古びた本を差し出した。

「マリエルからの預かり物です」

「これはルカの里から持って来た本か?」

「はい。それには《アルターロフ》開発計画を巡る資料が記録されていたので男爵に渡して欲しいと頼まれました。そこに姿絵となりますが、計画の責任者としてエンシア最後の王族たちの姿が資料として掲載されています」

「……ログから聞いたか?」

「ええ。リーナ姫が兄君のお話をしてた事を聞きました。副長も男爵と同じように第四王子について疑問を持っているようです」

 マークルフは本を手にしてしおりが挟まれた箇所を開く。

「男爵の前に幻影として現れたという闇の外套の男。おそらく魔女側の関係者と推測されるその男──その第四王子と関わりがあるとお考えなのでしょう?」

「関わりがあるかも不明だがな。何しろ、五百年も昔の人間だしな」

 《アルターロフ》開発はエンシアの破滅回避のための最後の手段だった。しかし、その強引で危険な方法は反対意見も強かったという。こうして王族が開発計画の責任者として紹介されているというのは、国策として世論をまとめる為だったようだ。

 そしてマークルフはその一人として紹介されている第四王子ヴェルギリウスの姿を確かめる。原本が失われて写本ではあったが当時の資料として残すために正確に写されていた。

 長い黒髪の二十代ぐらいの青年。

 確信はないが、マークルフは幻影の男と第四王子の姿を重ねるのだった。

「どうです? 何か掴めそうです?」

「何とも言えん。だが、聞いた限りでは容姿は似ている。次に会う時があれば確かめたいところだな」

 マークルフは本を閉じる。

 幻影とはいえ外套を目深に被っていたため、顔は分からない。だが、思えばどこかリーナを知っているような言動であった。

 兄王子の話をした時のリーナの懐かしげな表情が浮かぶ。彼女はマークルフのように疑ってなどいない。彼女にとっては疑うことのない幸せだった過去の記憶なのだろう。

「まったく、分からねえ事ばかりだな。科学者ならこういう時、どう片付けていく?」

「ま、できる事からコツコツと。そこから直面する事実を見逃さずに拾い上げていく。それしかないんじゃないですか?」

 マークルフは立ち上がった。

「俺は一番大事な事実から目を背けていた……もっと早くリーナに事実を打ち明けるべきだったのか」

「その答えは分かりません。姫様の力が必要だった。あるいは優しさからつい嘘を付き続けてしまった。理由はいろいろつけられるとしても結果は一つです──いずれ知る時が来ます。男爵の力となって共に戦って来た事実が、そのまま残酷な“罠”となって姫様を追い詰めるかも知れません」

 エルマが目を閉じる。

「男爵の体調管理はマリエルの仕事なんで、うちが言う事でもないんですけどね……男爵、あなたにはもうすでに十年後はないんです。それだけはお忘れなく」


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