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風雲急の予兆

「……行方不明と聞いていたが、温泉に浸かりに来るとは良いご身分だな」

 マークルフの姿を認めたエレナが苦笑する。

「俺だけじゃねえぜ」

 マークルフが自分の背中を指す。

 そこには胸元を布で隠したリーナが彼と背中をくっつけながら湯に浸かっていた。

「お、お久しぶりです、エレナさん」

 恥ずかしさと緊張で声を上擦らせたリーナが背中に隠れたまま挨拶をする。

「後、そっちにもな」

 マークルフが離れた縁の方を指すとそこにはリファもいた。

 温泉には不似合いな腕輪をしながら湯に浸かっている。床に場違いな強化装甲鎧の右腕を置き、マークルフたちのやり取りを何とも言えない苦笑いの表情で眺めている。

 さすがのエレナも唖然としたようだが、すぐに毅然とした表情を取り戻した。

「呑気に混浴かと言いたいところだが……いつ襲われるか分からないという事か」

「察しが良くて助かる。フィルディング以外にも厄介な連中が動いていてな。俺もリーナもリファもいつ襲撃されるか分からねえ。お互いに離れない方が安全と判断したまでさ」

「フン……本当に良いご身分だな。理由をつけてリーナ姫と混浴したかっただけであろう?」

「何しろ“戦乙女の狼犬”だからな。だが、文句はなしだぜ。これはそっちの身を守ることでもあるんだぜ。あんたもエンシアの遺産を身体に埋め込んでいる以上、“天使”たちの標的にされるだろうからな」

 マークルフは自分たちを狙う“天使”、そしてそれと対立する“魔女”の存在を伝えた。

 エレナも両者の姿を見たことはないはずだが、それでもマークルフの話を疑うことなく熱心に耳を傾けていた。

「……“天使”の噂は聞いていたが、なるほどな。ここに隠れている間に予想以上に大きな何かが動いているわけか」

「そういう事だ。ここに居てもフィルディングはともかく天使どもはごまかせん。一緒に来てもらうぞ」

 エレナがマークルフの後ろに視線を向ける。

「それは誰の言葉と受け取ればいい? 私の許嫁としてか?」

 マークルフと背中同士を接していたリーナから緊張が伝わる。一瞬、離れる動きを見せたがマークルフは湯の中でリーナの手を掴んで引き止める。

「断っておくが、俺は大公の爺さんからの縁談は承知してねえ。はっきり言えば蹴るつもりだ」

 マークルフはエレナにきっぱりと告げた。

「俺はフィルディングと休戦協定を結ぶつもりはねえ。どんな好待遇であろうとそちらに取り込まれるつもりもねえ」

 エレナもマークルフの視線と共にその言葉を黙って受ける。

「俺は“機神”と決着に今後の全てを懸けるつもりだ。フィルディングの未来とやらはあんたが背負えばいい。“戦乙女の狼犬”として答える。フィルディングが“機神”の力にすがるか、それとも振り払うか──すがるなら俺はあんたとも戦う。振り払うならあんたに協力はする。それが俺の返答だ」

 マークルフの双眸を見据えていたエレナが、やがて目を閉じると含み笑いをする。

「まったく嫌われたものだな。わざわざここまで乗り込んで来て婚約破棄の言葉だけでなく宣戦布告まで聞かされるとはな」

 エレナが自嘲気味に言うと笑いかける。

「“狼犬”よ。私にはそこまで魅力がないか?」

 エレナが揶揄するような挑発するような表情で問いかける。

「少なくともこちらはそなたとの婚姻を承諾している。リーナ姫との間に入るつもりもない。私を好きにしても咎める者もいないのだぞ? この胸に埋め込まれた“機神”を制御する力と一緒にな」

 エレナが大胆にも胸元を隠していた腕を少しだけずらす。

 その艶めかしい姿を前にしたマークルフだが、やがて不敵な笑みを浮かべる。

「遠慮しておくぜ。ユールヴィング家ってのは代々、女運に恵まれてないらしくてな。高嶺の花を掴むとどんなとばっちりを受けるか分かりゃしねえ」

 マークルフはリーナに背中を預けるように自分の身体を傾ける。

「俺もいろいろと背負い込んでるつもりだけどな。だけど俺自身が背中を預けたいと思うのは一人だけなんだ」

「……マークルフ様」

 リーナの声と共に束ねていた髪がマークルフのうなじを掠めた。

 付かず離れずだった彼女の背中も逃げることなく、マークルフの背中を受け止めるようにぴったりと引っ付ける。

「エレナ=フィルディング。俺を試すつもりならもう止めておけ。あんたにはそんな挑発する姿は似合わねえよ」

 マークルフがニヤリと笑うとエレナもそれに応えるように胸元を隠し苦笑を浮かべた。

「そうだな。我ながら似合わん事をしたと思っている。だが見ることもできた。世界を支配する力すら動かす“高嶺の花”──それを一番に掴める場所にいるのに全く誘惑に動じぬその矜持をな。少しでも鼻の下を伸ばそうものなら平手打ちの一つでもかますつもりだったが、お祖父様がそなたに私を預けようとしたお考えがあらためて分かった」

 エレナが表情を引き締める。

「マークルフ=ユールヴィング。フィルディング一族は“狼犬”と長らく対峙し苦しめてきた。その一員の私がいうのは筋違いも甚だしいのだろうが……それでも頼みたい。この胸の制御装置を守って欲しい。この制御装置を相応しくない輩に利用されるわけにいかぬ。それに万が一にも破壊されれば、制御装置を失った“機神”がどうなるか私たちにも分からぬのだ。最悪、古代王国の終焉と同じ運命を辿るかも知れない」

 訴えるエレナの瞳は真剣そのものだ。

「一族こそが世界を導く貴族であるべきという矜持は私にもある。“機神”も一族が支配せねばならないという自負もあった。しかし、だからこそ一族の暴走で世界を破壊する事だけは避けなければならない。一族の現状では“機神”の力を扱い切れぬだろう……これはお祖父様と私が一族の天敵と認めた“狼犬”にしか頼めぬ事なのだ」

 そう言ってエレナが静かに頭を下がた。一族の最長老ユーレルンが貫いてきた一族を支える誇り──それを受け継ぐ彼女が天敵に頭を下げる。その姿が彼女の願いと切実さを物語っていた。

「……当然、報酬は出るんだろうな?」

 マークルフはニヤリと笑う。

「“戦乙女の狼犬”の本分は傭兵なんでな。その頼みを引き受けるに十分な報酬は出るんだろうな」

 エレナも顔を上げると同じように笑みを浮かべる。

「フィルディングの名に誓って約束しよう。手付け代わりにもならぬが、まずは私の命はそなたにくれてやる」

「それは自分の命よりも制御装置を優先して守れと受け取るぞ」

「そうして欲しい。最悪の場合、私から制御装置を抉り出そうと構わない。相応しくない者から“機神”の力を守り通してくれれば、私がどうなろうとお祖父様が必ず約束を守る」

 マークルフはうなずいた。

「あんたがフィルディングの名に誓うなら疑う理由はねえ。リーナもいいな?」

「はい」

「よし、契約成立だ」

 その返事を聞くとエレナが背中を向けた。

「それで“狼犬”よ。これからどうするつもりだ?」

「別行動している仲間たちも“蛇剣士”の暗号を解読してここに来るはずだ。合流してからアレッソスという奴の面を拝もうと思っている」

「そこまでは気づいているか。奴はヤルライノの大使としてクレドガルに来ているはずだが、どうするつもりだ? 仮にもクレドガルの男爵が他国の貴族にそうそう戦いは挑めんぞ?」

「手を打つつもりではいる。俺も余計な謀反の疑いは晴らさなきゃならねえしよ。ただ他の連中にも狙われている以上、成り行き任せの即興劇になるかもな」

「いつもの事だな。だが雇い主としてはそれを信じるしかあるまい」

 エレナが湯に浸かったまま離れていく。

「もう上がるのか?」

「仲よく混浴する気にはならん。それにいつ狙われるのか分からないと聞いた以上、長湯もしたくない」

 エレナが離れると話がついたと思ったのか、リファがマークルフの背後から近づいて来る。

「やっぱり、あの人とは婚約しないんだ?」

「当たり前だろ。“戦乙女の狼犬”が戦乙女を捨ててどうする?」

「だってさ。良かったね、お姉ちゃん」

「え……うん、まあ……」

 エレナに聞こえないようにリファが囁くが、リーナも心中複雑なのか曖昧に言葉を濁す。

「悩むことないよ。男爵さんがああ言ってるんだから、お姉ちゃんはずっと傍にいれば良いんだよ。あ、顔が赤いよ」

「リ、リファちゃん!?」

「あんまりからかうなよ、リファ。さて、俺たちも上がるか。裸のまま天使や魔女と戦うのもさすがに様にならねえしな」

「そうだね。“鎧”が必要になったら男爵さんとお姉ちゃんが裸で合体になっちゃうね」

「……は、裸で……合体……」

 リーナがそう呟いたかと思うと、やがて彼女の背中がマークルフからずり落ちていく。

「お、お姉ちゃんが沈んだ!?」

「リーナ!? のぼせ過ぎたんだ! 余計な事を言うから!」

「だ、だって!?」

「何をしている!! いいから早く助け起こせ!!」

 湯煙の中、マークルフたちの喧噪とエレナの怒号が響き渡るのだった。



「もう泣くなよ、リーナ」

 エレナが匿われていた元“高嶺の花”の生活部屋。その隅っこに浴衣姿のリーナが正座しながら背を向けている。彼女は黙ったまま背中でシクシクと泣いていた。

「恥ずかしくてお嫁に行けないなら、俺がもらってやるから」

「余計なこと言ったのは謝るからさぁ」

 リーナの背後には風呂上がり姿のマークルフとリファが同じく正座していた。マークルフが説得を続け、リファが団扇を扇いでのぼせたリーナに涼しい風を送っていた。

「いいか、リーナ。恥に支配されたら逃げるしかなくなる。自分を追い込んでも照れ隠しにもなりはしねえ。俺を見ていれば分かるだろ? 恥なんぞ捨てて開き直るしかないんだぜ?」

「そういう問題ではございません!」

 マークルフが真顔で言うが、リーナは背中を丸めて貝のようにうずくまってしまった。

「……ダメか。リファ、お前のせいだぞ」

「男爵さんだって調子に乗ってお姉ちゃんにベッタリひっつくから──」

 責任をなすりつけあう二人の後ろで嘆息が聞こえる。

「まったく、貴様らは何の為にここまで来たのだ」

 エレナが水差しと器を持って来ていた。リファがそれを受け取ると冷えた水を注いでリーナの傍にそっと差し出す。リーナは黙ったままそれを受け取ると背中を向けたまま飲む。

「あら、何か取り込み中みたいですね」

 部屋の入り口から聞き覚えのあるあっけらかんとした女性の声がした。

「そなたは──!?」

「エレナ様、お久しぶりです。その節はどうもお世話になりました」

 来訪客はエルマだった。

「おう、丁度いい頃合いだな。どうやらそっちも順調にいったようだな」

 マークルフが言うとエルマがその前にやって来る。

「いろいろありましたけどね。副長さんが“蛇剣士”さんの暗号を解読して、ここだと教えてくれました。留守番のマリエルが誘導してくれたんですぐに分かりましたわ」

「ログは?」

「何か確認に行ってますわ。すぐに来ると思いますけど」

 そう答えたエルマがリーナの姿を見て腕を組むとリファを見る。

「ねえ。姫様、どうしたの?」

「うーん、こっちもいろいろあって。いろいろな意味でお風呂でのぼせて、いろいろな意味で恥ずかしい姿をさらして、お姉ちゃんの乙女心がボロボロだっていうか──」

 リファの言葉にリーナがまたシクシクと背中を丸めてしまった。

「……いろいろあったみたいね。まあ、しばらくそっとしておきましょう」

 やがて扉からガヤガヤとした声が聞こえてくる。

「表はすごい人ごみでしたねえ」

「いやあ、華やかってのはやっぱりああいう匂い立つっていうのを──ああッ、いったいどうしたんです、姫様!?」

 扉から無神経に乱入して来たアードとウンロクがリーナの姿を見て驚く。

「どうしたんすか? ま、まさか、男爵がついに我慢できずに──」

「とうとう“戦乙女のケダモノ”にッ!?」

 次の瞬間、うめき声をあげて二人が沈黙する。

 二人の間を強引に割って入ったマリエルが、すれ違い様に肘と膝を二人に埋め込んでいた。

「くだらない事を言ってるじゃない!」

 手慣れた鉄拳制裁をさりげなく終えてマリエルがマークルフの前に立つ。

「男爵、《グノムス》たちも地下で待機しています。これでログ副長以外は揃いました。副長も用件が終わったらすぐにここに来ると思います」

「ご苦労。それにしてもエルマ、ログは何を確認に行ってるんだ?」

「詳しくは分かりませんが、ここに来る時に頼った傭兵部隊経由で何か伝達があったようですよ」

 マークルフも訝しむが考える間もなく、慌ただしい足音が近づく。

「閣下!」

 一同の視線の中、ログがいつになく慌てた様子で部屋に入って来た。

「どうした!?」

 マークルフもただ事ではない姿にすぐに立ち上がる。

「事情が変わりました。すぐに出立の準備をお願いします」

「何があった?」

「傭兵の連絡網を介してバルネス大公様から閣下宛てへの通達がありました。クレドガル王都ラフルへの緊急召喚命令です」

「何だと!? どういうことだ!?」

「詳しくは分かりませんが、深刻な事態が発生したようです。閣下を捜していたディエモス伯爵が捜索を切り上げて王都への帰還を開始したとの噂も入っています」

 背中を向けていたリーナが振り向く。

「マークルフ様、いったい何が起きたのでしょうか?」

 その場に居る者全ての視線がマークルフに集まる。

「分からん。しかし、俺たちが逃げ隠れしている場合ではなくなったようだ。それだけ厄介な何かが起きたという事か」

「どうするつもりだ、“狼犬”?」

 一同を代表するようにエレナが訊ねる。

「……どのみちアレッソスと対決するつもりで王都に行く予定ではいた。その深刻な事態とやらもアレッソス絡みの何かだろう。行って確かめるしかない」

 雲行きが不穏を告げるなか、マークルフは厳しい表情を浮かべるのだった。

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