再会
中央王国クレドガルの地にある立入禁止区域。
機能停止した“機神”がそびえる地で、夜の闇に紛れるようにアレッソス=バッソスは立っていた。
「まだユールヴィングとエレナ=フィルディングは見つからないのか?」
アレッソスが傍らに立つ相手に苛立ちを隠さずに言う。
その相手は闇の外套を纏う魔女エレだ。
この立入禁止区域が現在の二人の接触場所となっていた。
「急いても事が上手く運ぶわけではありません。ユールヴィングがエレナ=フィルディングとの合流を目指して動いているのは間違いありません。むしろ、二人が合流してくれれば一石二鳥というもの。焦りは禁物ですわ」
魔女エレが余裕を崩さずに答える。
「悠長なものだな。こちらは日に日に一族の連中から突き上げられている……ユールヴィングに対してどう迎え撃つつもりか? 一族の先頭に立つ自覚があるのか? 最長老の意向をどう受け止めるのか? 他にもいろいろだ」
アレッソスが銃を抜いてあさっての方向に狙いを付ける。
「うんざりだ! 大体おかしい! そういう段取りこそ長老連中が御膳立てしておくべきものだろ? 最長老一人に怖じ気づき、こちらに筋違いの文句を言って来てるだけだ。そう思わないか?」
アレッソスの目つきが剣呑なものに変わった。
「それもフィルディング一族の舵取りをするべきが貴方様と考えての進言ではございませんか?」
「進言なものか。舵取りを任せるならちゃんと船を用意しておくべきだろう。俺一人に今までの失態の責任を押し付けているだけにしか見えない」
銃口の先に誰を描いているのかは分からないが、精神的にかなり追い詰められた目だ。
「もうしばしのご辛抱を。いずれ事態は動きますわ。その時こそ貴方様がこの“聖域”を統べるための先導者となりましょう」
アレッソスは魔女の方を向いた。
「お前は以前、願いを叶えるのが役目と言っていたな」
「ええ。ですから貴方様の願いを叶えるためにお力添えしております」
「……何故、俺だ?」
「どういう事でございましょうか?」
「はぐらかすな。願いを叶えるとしても俺を選んだ理由があるはずだ」
外套から覗く唇が薄く笑った。
「そんな事ですか。簡単な事。貴方様の願いが具体的で最も強いからでございます。“機神”を理解し、その力を誰よりも欲し、それをどう手に入れようとするか思案されている。願いを叶える方にしても漠然とした願いでは困るものでしてね。それとも、もう私たちの協力は不要にございますか?」
アレッソスは慌てて銃を収めた。
「そんな事は言っていない。協力は必要だ」
アレッソスが冷静を装いながら言う。
「頼むぞ。俺がフィルディングの全てを掌握した暁には、そなたたちの要望もできる限り叶えよう。約束させてくれ」
「勿体なきお言葉。それでは今宵はこれで。次はもっと良いご報告をできるよう努めましょう」
アレッソスが去った後、魔女エレの背後に黒剣の魔女トウが現れた。
「……あのアレッソスとかいう奴、ダメね」
トウが肩をすくめる。
「八つ当たりかと思えば、姉様相手に真摯的な態度ぶったり。まともぶってるけど自分の都合しか考えてない一番信用ならない奴だわ」
「貴女も聞いていたのね。ミューの具合はどう?」
「かなり良くなってる。もうじき復帰できそうよ」
「そう、良かった。でも無理はさせないで。それに貴女も急いで動くことはないわ。また“狼犬”側が罠を用意してないとも限らないし……それに始まりも近いわ」
エレは“機神”の姿を見上げた。
「じゃあ狙い通り、あの男が?」
「ええ。抑えの効かない自我、周囲への怨嗟、何より“機神”の力を欲する確かな渇望──間違いなく、あの男が最初になるわ」
トウも冷笑を浮かべる。
「姉様の目に狂いはなかったわね」
「ええ。でも後、もう一押しよ。決定的に追い詰める何かがあれば──」
ロータスは旧フィルガス地方の西側、山脈沿いにある街だ。
大きな都市ではないが、“聖域”西部へ旅する者、逆に西部から旅して来た者たちにとっては玄関口となる拠点であり、もう一つ、別の名物で近隣に名を知られている。
貿易商や旅人が行き交う街なかを一台の馬車が進んでいた。
「いやあ、親父がいてくれて助かったぜ」
「何を言ってやがる、二代目。わざわざそっちから呼び出しておいてよ」
御者席の白髭親父が不敵に笑う。
「ここは行商なら人目に紛れるからな。それに行商と運び屋の二足の草鞋でやってんだろ? ちゃんと荷物運びの仕事を持って来てやったんだぜ」
「やれやれ。綺麗どころはともかく、口うるさい荷物を引き受けちまったもんだ」
マークルフは再び行商の白髭親父に頼み、ロータスの街に来ていた。
荷物は彼とリーナたちである。
馬車は屋台が並ぶ大通りを進んでいたが、やがてその雑踏から離れると街の一角で止まった。
「……ここにエレナさんがいるのですか?」
荷台に身を隠していたリーナたちが外の景色を覗き見る。
「ああ、蛇剣士の情報を読み違えてなければな」
その一角は周囲を高い壁と見張り塔に囲まれ、目の前に広がる巨大な門だけが中に通じる道となっていた。
「何か、殺風景だね」
リーナの肩越しに外の景色を見ていたリファが呟く。
「昼間だからな。これが夕方ぐらいになると門が開いて華やかになる。それこそがロータスの“花”と呼ばれる街の名物、女衒街だ」
「男爵さん、“ぜげん”って何?」
「女の人が女ならではの接待をする仕事の斡旋場さ。それ以上は聞くな」
それでリファも意味を悟ったのか、そそくさと引っ込む。
「マークルフ様、ここに本当にエレナさんが居るのでしょうか?」
リーナが半信半疑で尋ねる。
あの気の強そうな令嬢がこのような場所にいることが想像できないのだろう。
「木を隠すなら森の中、女を隠すなら女の園の中だ。それにここなら出入りの監視も厳しい。フィルディング側の間者も迂闊には手は出せねえ場所だ」
「それで男爵。うちらはどうやってエレナ姫に接触するんです?」
奥に座っているマリエルが尋ねる。
「ツテを頼るさ。どのツテを頼ればいいかは蛇剣士が指名しているからな」
「あの暗号にそんなこと記されていましたか?」
疑問に思うリーナをマークルフは見つめる。
「ああ。そういう事でリーナとリファ。二人には一芝居打ってもらうぜ。ここから先は二人の協力がなければ門前払いなんでな」
「私たちがですか?」
「ああ。気づいてなかったか? 普通なら女三人揃えば目立つはずなのに、この街では番兵たちも誰も気に留めなかったろ?」
マークルフが笑う。
「ここではリーナたちは大事な“荷物”だからな。親父、これから売り込みにいく大事な荷だ。丁重に運んでくれよ」
「まったく注文の多い荷物だぜ」
白髭親父が苦笑しながら馬車を女衒街の裏門へと進めるのだった。
「こいつか。女を紹介に来たってのは?」
女衒街の片隅に《鏡花水月》の看板を出す酒場。
見た目は小汚い酒場だが、それは表向きの看板であり、その本業は街の商品となる女たちを各店に紹介する斡旋業だ。
酒場の奥にある一室で番頭格の中年男が新たな客たちの値踏みをしていた。
「へい。うちの村の娘なんですがね。溜まっていた借金を払う代わりとしてこの二人を連れて来た次第でして」
女二人を連れて来た外套姿の男が言った。若く平身低頭の態度をしているが荒事には慣れているのか、このような場でも物怖じした様子はない。
後ろには男が連れて来た二人の娘たちがいた。一人は金髪碧眼の美しい娘。もう一人は赤みがかったお下げ髪の少女だ。二人とも気の向かない表情をしていたが特に取り乱すような素振りもない。
「……こいつは珍しく上物だな。借金とやらを返すには申し分はねえ。しかし、どこからうちの事を聞いた?」
「へい。傭兵のダンナとも懇意にしてましてね。“蛇剣士”カートラッズのダンナからここで女将さんに会えると教えてもらいましてね。何しろ、女将さんの親切でお金を借りたんですが、早くツケを返さないといくら利息が増えるか怖ろしゅうございましてね」
若者が調子を合わせるように明るく答える。
「なるほどな……てめえ、でまかせ言うなよ!」
番頭の男が突然、声を張り上げた。
「女将はツケは一切しねえ主義だ! しかもてめえみたいな若造相手によ!」
番頭が控えていた用心棒の男たちにアゴで命じる。
「女は上物だがてめえのような胡散臭い奴なんぞとは取引しねえ。消えな」
用心棒の一人が無礼な若造を追い出そうとその胸倉を掴む。
「ま、まってくださいな。せっかく遠路遙々、女たちを連れて来たってのに! え、まさか、女たちだけ踏んだくるなんてアコギな真似を──」
「舐めるなよ! 俺たちは仕事の斡旋はするが人さらいはしねえ! だいたい、てめえの態度が気にくわねえ。若造のくせに嫌に肝が据わってやがる。それが一番信用できねえ!」
「ちょっと待ってくださいよ、ダンナ! 態度だけで決めつけるなんてあんまりでさあ!」
「うるせえ! とっとと連れ出せ!」
用心棒たちが男の両腕を抱え上げる。
「お待ち」
店の奥からガラついた女の声がした。
番頭と用心棒たちが慌てて道を開けると、声の主が姿を現す。
派手な化粧をしているがシワの目立つ顔、そしてふくよかな体型に派手なドレスを纏った老齢の女だ。
「あんたかい? あたいにツケがあるって言ってるのは?」
「……ああ。俺のもう一つの名を名乗っていた人が遺したツケさ」
用心棒たちに腕を掴まれたまま若者が口調を変えて答えた。番頭たちが警戒するが女将は動じない。
「あんたがもう一つの名で通していた時代の古いツケだ。“鏡花の狩人”アマリアさんだったな」
「離してやりな」
女将がその名を聞くと用心棒に命じる。用心棒はすぐに若造から手を離した。
「せっかくツケを払いに来たってのに荒い歓迎だな」
「兄さん、あたいの昔の二つ名をよく知ってるね。その二つ名の理由も当然、知ってるわね?」
「ああ。恋多き自信家。鏡に映った自分を花に喩えてたのが由来だろ」
女将の目が細くなる。
「へえ、そこまでは知ってんだね」
「ああ。もう一つ、あるぜ」
女将の眉が動く。
「あんたは弓の名手だったらしいな。隠れていた相手を池の水面に映った姿だけを頼りに狙い撃ちしたほどにな。それがあんたの二つ名の本当の由来だ。鏡だ、花だは切り札であるその弓の腕を隠しておくための表向きの理由。あんたに二つ名をつけた人から聞いてるぜ」
若造が外套をずらして顔を晒す。
それを見て女将はやがて愉快そうに笑った。
「ハッハッハ、なるほどね。確かにあんたはツケにしてしまいそうな顔をしてるわ。あたいが唯一、ツケをふんだくれなかった名付け親の旦那を思い出すよ」
女将はひとしきり笑った後、ふてぶてしい商売の顔に戻る。
「しかし若旦那。そんな古いツケを今になって払いに来た理由は?」
「ああ。“蛇剣士”の野郎が高い金ばかりせびるもんでよ。金に汚ねえってのはむかつくもんでな。そう思うと俺もツケをチャラにしておこうと思い立ったわけよ」
女将がニヤリと笑うと様子を遠巻きに見ていた番頭に命じる。
「馬車の手配をしな。ツケの代わりっていうお嬢さん方を連れて行くよ。この兄さんはあたいが直接、話をつける」
「へ、へい」
番頭は用心棒たちを人払いさせると自分もそこから離れた。
「……待ってましたよ、若き“狼犬”殿」
女将がマークルフに言った。
「“蛇”の兄さんから珍しく大枚はたいて令嬢一人を匿ってくれと頼まれたんでね。こりゃ、一大事だとは思ってましたよ」
「ヘッ。その大枚も結局、俺が支払うはめになるんだがな。その令嬢に会えるか?」
「ええ。ですがこっちもタダじゃあ人助けしませんからね。高くつきますよ、若旦那」
マークルフは不敵に笑った。
「向こうの令嬢に請求してくれ。きっと金払いなら向こうの方が良いぞ。何しろ名門の令嬢だからな」
「そりゃ困りますね。向こうは持参金を持って来てないから“狼犬”のツケに加えてくれと言ってましたよ」
女将が愉快そうに答える。
「……あの女、相変わらず一筋縄ではいきそうにないな」
マークルフはブランダルクでの令嬢の姿を思い出すと、苦い顔を浮かべるのだった。
厚い壁で周囲から隔絶された温泉。
そこは《鏡花水月》の息のかかった娼館の屋内に設置された一般客には開放していない温浴施設であった。ロータスの街は女衒街として知られる前は温泉街であり、湯煙で壁が霞む程の広い温泉はその全盛期の数少ない名残である。
湯煙を上げる広い温泉の只中に一人の乙女の姿があった。薄く赤みがかった亜麻色の髪を頭の上で束ね、白い肩まで細い肢体を湯に沈めている。
「……ここは昔、“高嶺の花”と呼ばれた貴族や富豪専門の高級娼婦が利用していた風呂らしいな」
突然、背後から聞こえてきた声に娘は胸元を隠しながら反射的に振り向く。その毅然とした瞳が突然の乱入者に向けられた。
「素養のある子供たちを一から教育し、教養や美しさを磨かせ、それでもなれるのは一握り──いや、一握りにしかならせなかった名誉娼婦。どんなに金を積もうが本人が望まなければ相手をしないという、逆に客として選ばれることが栄誉だったらしいな」
まるで世間話をするかのように喋るのは湯煙の向こうで湯につかる若い男であった。
「しかし不景気になるとそんなお高くとまった商売は全く人気がなくなり、安く済むモグリの娼婦の方が人気が出て主流になった。人を動かすのは名誉ではなく財布というが、この“高嶺の花”専用の温泉もその栄枯盛衰の名残らしいな」
「……何が言いたい?」
声の主が誰かに気づいたエレナは落ち着きを取り戻していた。
「なーに。いまや多くの者たちから狙われる立場になった“高嶺の花”のご令嬢の隠れ場所としては洒落た場所だと思っただけさ」
湯煙の向こうからマークルフの不敵な顔が現れる。
「久しぶりだな。エレナ=フィルディング」




