手がかりと罠
“聖域”外の山岳にある洞窟内。そこに天使たち三人が集まっていた。
「おのれッ!!」
森人の天使ドラゴが激昂して拳を洞窟の壁に叩き付ける。
その向かい側で狼頭の天使ファウアンが壁に背中を預けながら腕を組んだ。
二人とも帰還した少女天使クーラから仲間の訃報を伝えられていた。
「あの魔導王国の尖兵! 奴は俺がこの手で仕留めてやる。奴に味方する戦乙女も同罪だ!」
ドラゴが拳を震わせるとファウアンを睨む。
「貴様は何か考えているようだが、俺はウェドの仇を討つぞ」
「無論だ。俺は永らく封印されていたから二人とは付き合いが違う。しかし、同じ天使を倒された以上、奴らを敵とすることは一緒だ。俺も共に戦う」
ファウアンが答えると、クーラがそれぞれの表情を確認する。
「ウェドは我らと行動を共にした同志でした。彼を失ったことはとても残念なことです」
クーラが淡々と告げる。
“天使”はエンシアの時代にそれに対抗するように“神”に選ばれて出現した。しかし、エンシア崩壊後はその出現は減り、逆にエンシアの残党との戦いでその数を減らした。
現存する天使はクーラたちと、考えと異にして静観するごく僅かの者たちだけだった。
「あの“監視者”とやらは動かないのか?」
ファウアンが尋ねる。
「あの人は《アルターロフ》を巡る動きの監視を優先するそうです。もちろん、必要な時は我らに協力する約束はしてくれました」
「協力なんぞアテにはできん。俺の手でケリをつける」
ドラゴが鼻息を荒くする。
「気持ちは分かりますが無茶はしないでください。そして目的も忘れないで。ウェドはそのために情報を残してくれたのです」
クーラが外套から足を出して、爪先を地面に当てた。
足許に光の文字で描かれた陣形が浮かぶ。その陣形に記された文こそがウェドが最期に遺した情報だった。
「……ファウアン、どういう意味だ?」
「“聖域の特異点”という文字──おそらく、我らが探す“聖域”の“要”についての情報かも知れん。暗号らしいものがあるが内容は分からん。それが“要”の場所を知らせているのかも知れん……これが正しいことが前提だがな」
「まさか、人間が“要”の存在に気付いているというのか?」
「ありえます」
クーラが答えた。
「現在の“聖域”の決壊は一人の科学者によって引き起こされたもの。一部の人間とはいえ、“聖域”の秘密に迫っている者がいるのです」
足許の陣形が消えた。
「図らずも重大な手がかりを得ました。鍵は〈ガラテア〉とエルマという者のはずです。魔族たちも知っているかは分かりませんが、勘づかれないように注意してください」
旧フィルガス地方の荒野。
夜の闇が広がる地に、いつの間にか二つの人影が姿を現す。
黒剣の魔女トウと古代の制服姿の魔女ミューだ。
変動によって“聖域”の影響が一時的に消えた場所に姿を現したのだ。
「見たところ、何もなさそうね、ミュー」
「でも一瞬だけど強力な魔力反応を感じたわ。エンシアの兵器らしき気配よ」
「あの“狼犬”が所持する強化鎧の可能性もあるかしら。気をつけるのよ」
「そっちもよ、姉様」
二人が手分けして周囲を散策する。だが、姿を隠せそうな丘は幾つかあるが、目につく物も反応もない。
だが、トウは不審な表情を浮かべると近くの小高い丘に自ら登って行った。
「何かあったの、姉様?」
「いえ。何か怪しいのよね。反応があったはずなのにめぼしい物はない。それに──」
トウの視線が周囲の地形に向けられる。
「何か違和感があるのよ。ミュー、ここは深追いしない方が良いかも──」
姉魔女がそこまで言った時、突然に二人の足許が揺れた。
周囲の地面が軋んだ音を立て、トウの立っていた丘が急速に隆起する。
「なに──!?」
「罠!?」
周囲の地形が変わる──いや、元に戻ると同時に周囲の魔力が急速に消えていくのを感じた。“聖域”の影響が瞬時に回復しようとしているのだ。
危険を感じたミューがすぐに転移の準備をするが、その足許が陥没する。同時にその周囲を囲むように地面が隆起する。
ミューは離脱しようとしたが転移が出来ない。周囲の隆起が疑似的な“聖域”を形勢しており、彼女の力を瞬時に封じているのだ。
足許の地面がさらに陥没し、ミューが足をとられて転倒した。彼女は顔をしかめながら身体を起こす。
「アイタ、タ……あ、ありえないわ。こんな真似、人間にできるわけが──キャア!?」
下の方に仰向けに倒れたミューはスカートが捲れていることに気づくと慌てて足を隠そうとする。
しかし、頭上から人影が目の前に飛び降りると刃が閃く。
「動くな。少しでも動けば斬る」
現れたのは黒い外套を纏った長身の青年だった。右手に黄金の刀身を持つ剣を持ち、逆手に構えた剣の切っ先がミューの喉元に突き付けられる。
身動きのとれないミューは男を睨むが、その男の視線は殺気と冷静さを伴っていた。動けば命がないのは決して脅しではない。
さらに地面が陥没してミューはさながらアリ地獄のアリのように転げ落ちる。
「な、何よ!?」
その底から身体の前半分だけ鉄機兵が現れ、その胸の装甲を開き、ミューはその中に落ちると装甲は閉じられた。
「ミュー!?」
トウは腰の黒剣を抜いて妹魔女の救出に向かうが、その前に陥没から抜け出た男が迎え撃つ。
「やはり貴方ね!」
それが“狼犬”の副官ログと知ったトウは真紅の魔力を剣に宿して斬りつける。
ログも自身の剣でそれを受け止めた。激しい金属音が鳴り響き、二人は刀身を重ねる。
「──その剣は、まさか!?」
トウはログの剣が全く刃こぼれのない黄金の刀身なのに気づく。ただの剣ではない。どのような名剣もトウの魔法剣を受けて平気なわけがないのだ。
二人は離れて間合いをとる。
「……貴方までが戦乙女の武器を手に入れているなんてね」
ログが無言で黄金の剣を構え直す。
トウは顔は強気を崩さなかったものの、内心では焦りを隠せなかった。
あれが戦乙女の武器なら自分の力は通用しない。“聖域”の力も元に戻りつつあり、自身も早く離脱しなければ無力化されるだろう。そして目の前の戦士はトウの腕を以てしても容易に仕留められる相手ではなかった。
地中からもミューを閉じ込めた鉄機兵が姿を現していく。駆動に霊力が使われているためか内部のミューに魔力の念話もできなかった。
「ごめん、ミュー! 必ず助けに来るからね!」
完全に劣勢を悟ったトウは舌打ちしながら後退し、やがて闇の中に姿を消すのだった。
「お疲れ様。グノムス、そのまま内部の霊力を維持しておいてちょうだい」
魔女の一人を捕らえることに成功したログと《グノムス》の前にエルマが姿を現す。
『ちょっと! 何なのよ、これは!』
外部に繋いだ音声装置から魔女の怒声と周囲を叩く音がした。
「やはり魔女と名乗るだけあって、魔力のない環境だと無力のようね。それと“聖域”の変動そのものじゃなくて魔力の有無だけでそれを判断していたようね」
『誰よ、あんた!』
「だから、こっちで作った人工的な疑似“聖域”だって気づかなくてノコノコと出てきちゃったんでしょう?」
『あんた、“狼犬”の下にいるエルマとかいう科学者ね!』
「あら、知ってるのね。男爵の下で働く女科学者はうちかマリエル。でも、すぐにうちと判断したということは何で判断したのかしら? うちらがここに居ることを知ってたの?」
エルマが腕を組みながら言った。
「最初から知っていたらノコノコとこんな罠にはかからないと思うけど。初めから男爵と関係者の人物は能力とか調べていたって事かしら? そうするとそこまでできる背後の黒幕がいるって考えていい?」
エルマの質問に魔女からの返答はなかった。
「あら、黙秘されちゃったか。ところで副長さん。あの魔女ってどんな下着身に着けていたのかしら?」
「……それは敵を知るのに必要な情報か」
「少なくとも下着の趣味は分かりますわ」
「……」
『何が敵を知るのに必要な情報かよ! スカした顔してタダ見してんじゃないわよ! このムッツリ野郎!』
再び《グノムス》の内部から魔女の罵倒が聞こえてきた。
「可愛い顔して口が悪いわねえ」
「……エルマ、尋問の仕方は任せる」
「承知しました」
ログが下がるとエルマは笑って《グノムス》の前に立つ。
「うちもあんまり酷い手段は選びたくないのよね。どう? 貴女たちの正体とか目的、素直に教えてくれないかしら?」
『教えるわけないでしょうが! バカじゃないの!?』
「まあ、そうよね。とはいっても拷問とかできないのよね。そういうの専門じゃないしさ」
『こんな狭い所に閉じ込めておいて、いけしゃあしゃあと善人面してんじゃないわよ!』
「まあ、気が強いわね。昔の怒った時のマリエルそっくり。仕方ないわ、骨が折れそうだけど話してくれるまで待つしかないわね」
エルマはにっこりと笑って《グノムス》の顔を見た。
「そうそう、この前プリムちゃんが貴方に踊りを教えたって言ってたのよね。呼んでくるから、ちょと見せてあげてくれないかしら?」
「わあ、グーちゃん、上手、上手」
《グノムス》が巨体を揺らして踊る姿を見て、笑顔のプリムが拍手した。
ログとエルマ。そしてプリムとダロムが集まっていた。
「面白かったわ。ありがとう」
しばらくして踊り終わった《グノムス》にエルマが拍手しながら近づく。
「グノムス。中の魔女さんとお話しさせて」
《グノムス》が外部音声を開く。
「どお、魔女さん? 鉄機兵も結構、踊れるものでしょう?」
『……』
魔女からの返事がない。だが微かに聞こえるうめき声から、内部でかき回されてかなりへばっているようだ。
「あら、元気がないわね」
『……な、なにをし……たのよ』
「窮屈な場所に閉じ込めっぱなしだから、身体を動かしてあげたつもりだけど? あ、そういえば内部の重力制御の方向を少しずらしたぐらいかしら。あなた、普通の人間とは違うみたいだけど平衡感覚は人間並みたいね」
『……ふ、ふざけるな』
意味を知った魔女が精一杯の怨嗟の声を漏らす。
地中を自在に移動できる《グノムス》は機体がどう動こうとも内部は重力を一定に保つ機能がある。それを切ると内部でかき回されるわけだが、エルマはさらに重力制御の方向を定期的に揺らすように設定していた。こうなると平衡感覚が乱され、揺れの感じ方が尋常でなくなるのだ。
『う、うぅ……』
「吐く前に、情報を吐いてくれないかしら? 魔女の食生活までは知るつもりないのよね」
『あ、あんた……こんなことして……タダですむと……』
「何もしなくてもタダで済むとは思ってないわ。いいじゃない? 副長さんにタダで見せてあげたんだし、ついでにタダで話してくれると助かるんだけど?」
『ふ、ふざけ……ウゥッ』
「まだ協力は得られそうにないわね。グノムス、魔女さんが白状してくれそうになったら外部音声をまた開いてちょうだい」
エルマは離れると、何も知らずに様子を見ていたプリムにお願いするように手を合わせる。
「ねえ、プリムちゃん、グーちゃんが一緒に踊って欲しいみたいよ。うちも一緒に踊ってるところ、見たいわ」
「いいよ。グーちゃん、いっしょにおどろ!」
その後、小さな妖精娘と鉄巨人が一緒になって踊るという微笑ましい光景が繰り広げられるのだった。
とある一室。
高価な調度品が並ぶ寝室に一人の若い娘がいた。
身体を冷やさない厚地の寝着を纏った娘は櫛を手にし、鏡台の前で髪をすいている。
櫛の動きが下ろした髪の途中で止まった。
その穏やかな表情が落ち着いたものに変わる。
「トウが呼んでいるのですね?」
誰もいない部屋で一人呟いた女性は鏡台の引き出しから紅入れを取り出すと、それに指を這わせ、唇に紅を塗る。
女性は立ち上がると腕を伸ばした。その手の先に外套が出現し、女性はそれを纏って身体を隠した。
「行きましょうか」
その言葉を合図にするように闇の外套を纏った女性はそこから姿を消すのだった。
クレドガルの王都の外れ。
夜空の下、“機神”の姿がそびえる立入禁止区域に闇の外套姿の女性は姿を現す。
「姉様、ごめんなさい。急に呼び出して」
背後に黒剣の魔女トウが立っていた。
「いいのよ。それよりも“監視者”に気づかれてはないわね」
「気をつけているから、それは大丈夫」
機能停止していながら見る者全てを威圧するかのような異形の機械神の前で、二人の魔女が向かい合う。
「何があったの?」
「ミューが捕まった。“狼犬”の配下の連中が罠をかけてて、鉄巨人の中に閉じ込められてる」
トウが悔しそうに唇を噛みしめる。
「あれだけ疑似的な“聖域”を再現するなんて予想もしていなかった。完全にわたしたちの油断。本当にごめんなさい」
「仕方ないわ。それよりもミューは無事なの?」
「今のところは。わたしの手で助けたいけどミューを人質にされては手に余りそうなの」
「分かったわ。トウ、詳しい話を聞かせてちょうだい」
闇の外套の女性はトウから経緯の一部始終を聞くと“機神”の姿を見上げた。
「……そうね。放ってはおけないですね」
「どうするの、姉様?」
「トウ、私も行くわ」
「姉様が!? でも、その身じゃ戦いは──」
「心配しないで。戦いにするつもりはない。ミューを解き放ってくれるようにグノムスに頼んでみるわ」
「姉様はあの鉄巨人を知っているの──」
「ええ。エンシアの時代から知っているわ。あの子は優しい子よ。あの人の命令は受け付けなかったらしいけど、私の話なら聞いてくれるかも知れないわ。でも、もし戦いになるようならその時はあなたの力を貸してちょうだい」
トウは黒剣の鞘に手を伸ばす。
「もちろんよ。姉様とあの方はこの命に代えても守るわ」




