誰かの身代わりとして
異形の天使がリファとシェルカに向かって光弾を放とうとする。
その瞬間、天井の帳を突き破って出現した何かが天使を弾き飛ばした。
「――なッ!?」
驚愕する天使の喉元を掴むそれは《アルゴ=アバス》の右腕部だった。
右腕部は天使を壁に叩き付けると湾曲刃が展開、天使の左肩を壁ごと貫く。串刺しにされた天使が苦悶の呻きを上げようとするが、喉を締め上げられて悲鳴も出せない。
天使の光翼、そしてリファたちの前に出現した光弾も消えた。
「――保険を用意しておいて正解だったな」
扉の外から足音がし、マークルフが姿を現す。その後ろにはリーナも従っていた。
《アルゴ=アバス》は修復と調整のためにエルマ達に託したが、右腕部だけは“鎧”を使用できない時に備えて所持していたのだ。
「“天使”には輝力で身を守る防御があるが、てめえは例外のようだな」
マークルフはリーナを下がらせ、天使の前に立つ。
天使は視線だけを彼に向けた。
「てめえの能力を教えられた時、ピンと来たんだ。あの森人の時は輝力で防がれたが、てめえは光弾を作っている時は本体が無防備になるのは正解のようだ」
光弾は対生成の原理を利用して魔力を引き離して作っている。それは見方を変えれば天使自身に魔力が向けられていることであり、魔力で動く強化装甲を咄嗟には防げなかったのだ。
「てめえのツラにどういう意味があるかは知らねえ。外套で隠すってことは嫌な過去しかないんだろうよ……だが同情はしないぜ。こっちも被害を受けた以上、見逃すわけにいかねえんだ」
マークルフの右腕が制御信号の紋章に包まれ、装甲と同調する。
「リファ、後ろを向いてろ。見て楽しいもんじゃねえぞ」
強化装甲の手がさらに天使の喉元に食い込み、刃も肩に深く突き刺さる。
抵抗する天使の姿にリファも思わず目を背けていた。
リーナも見ているのが辛いのか顔を伏せていたが、不意に顔を上げる。
「気をつけて! 新手の天使が!?」
何かを感じたリーナの警告と同時に、周囲の壁と床一面に光の紋様が浮かび上がった。
「こいつは!?」
壁を貫き、光輪が襲いかかる。
マークルフは咄嗟に躱すが光輪は軌道を修正しながら迫り、その右腕を掠める。光輪は軌道を変えると天使を捉える強化装甲の右腕部を狙う。
マークルフは天使から装甲を離すと、手許へ引き寄せて右腕に装着した。
「伏せて!」
リーナがリファとシェルカを庇いながら床に伏せる。
その頭上を光輪が舞い、再びマークルフを狙う。
マークルフは装甲の刃に魔力を宿らせると光輪をなぎ払った。光輪はあっけなく砕けたが、輝力と魔力の衝突を伴う衝撃にマークルフは後ろに弾き飛ばされる。
「ウェド!」
床に倒れた外套の天使の傍らに、少女姿の天使が出現する。
「しっかり! 一緒に跳べますか!?」
少女天使が肩を貸そうとするが、異形の天使は腕を払ってそれを拒否した。
「……ごめん、僕は……ここまで……みたい…………それより……この……情報を……」
異形の天使が少女天使の手に触れた。少女天使の顔が驚きに変わる。
「クーラ……いままで……ありがとう……他のみんなにも……伝え……て……ね」
異形の天使が最後の力で壁にもたれかかる。しかし、その異形の顔は苦痛の中で穏やかに微笑んでいた。
少女天使はその姿をじっと見ていた。彼女の力らしい周囲の光陣が明滅する。
“聖域”の変動でまた力が不安定になっているのだ。
「……分かりました。同志ウェド、今までよく一緒に歩んでくれました。ありがとう」
異形の表情に満面の笑みが浮かぶ。
同時に少女天使はマークルフたちを睨むと姿を消した。
残された異形の天使も壁にもたれたまま事切れる。
「……男爵さん」
リファが言った。その声からは動揺が伝わってくる。
「どうした? 何か吹き込まれたのか?」
「ううん……そういうわけじゃないけど……あれ?」
リファが腕輪を見る。
「少しずつ魔力が上がってる。何か変な動きしてる」
リファが腕輪を見ながら不安な表情を見せる。
計器の針は確かに不自然な魔力の上昇を示していた。“聖域”の変動とも少し違うようだ。
マークルフは事切れた天使を睨む。そして疑念を確信に変える。
「野郎!?」
マークルフはリファを突き飛ばすと装甲を纏う右腕を構えて天使に迫る。
同時に天使が魔力の燐光に包まれ、部屋を真紅の光に染めた。
山の頂まで転移した少女天使クーラは隠れ里がある谷の方に目を向ける。
「……ダメでしたか。ですが、ウェド。貴方の教えてくれた情報は決して無駄にはしません。必ず“聖域”の“要”は見つけ出してみせます」
そう言って仲間の死を悼むように目を伏せると、その姿を消すのだった。
マークルフは装甲に覆われた右腕を突き出していた。そこから伸びる刃が天使の胸を貫いている。
天使の身体から放たれていた魔力も真紅の粒子となって四散していく。そして、天使の命が尽きたことを伝えるように光も消えていった。
「マークルフ様……?」
リーナが口を開く。
「こいつ、事切れた振りして自爆しようとしやがったんだ」
マークルフは刃に貫かれた異形の天使を見下ろしながら言った。
「――おそらく光弾と逆の原理でしょう」
答えたのは扉から入って来たマリエルだった。
後から追って来た彼女は銃を構えていたが、事切れた天使を見て銃を下ろす。
「対生成の力場作用を逆にすることで自らを光弾にして自爆する……その天使の最後の手段だったのでしょう」
マークルフは黙って刃を引き抜いた。
天使の亡骸が床に倒れる。亡骸が目映い光に包まれ、その姿が今度は光の粒子となって消えていく。
「……死ぬ間際の大芝居らしいが、こっちもそういうのには慣れてるんでな。乗る気はねえぜ」
天使の亡骸は消えた。まるで最初からそこにいなかったかのようだ。
「リファ、突き飛ばして悪かったな。長殿もご無事ですか?」
「ええ。私は大丈夫です」
シェルカが答える。リファもその傍らでうなずくがその表情は硬く、ずっと天使の消えた跡を見つめていた。
その後、里の者たちが駆けつけ、シェルカが怪我人の治療と被害の確認を命ずる。
やがて天使に倒された者たちが運ばれていった。
マークルフもそれを眺めていたが、いつの間にかリーナが姿が消している事に気づいた。
彼女を探して歩いたマークルフは、遺跡の奥にある古代資料保管庫でリーナの姿を見つけた。
彼女は並ぶ書棚を見つめていたが、やがて塞ぎ込むようにその場にうずくまる。
「よう、ここに居たのか」
マークルフは近づき、声をかける。
彼女がうずくまったまま振り向くが、すぐに顔を背けてしまった。
「どうした? さっきから様子がおかしいと思っていたんだ」
マークルフはエンシアの資料が集まる部屋を眺める。
「故郷を思い出して寂しくなったか?」
リーナは背中を向けたまま首を振る。
ここまで落ち込む姿を見せることは珍しいことだった。
「……私は思い出そうともしませんでした」
リーナの声は悲哀にこもっていた。
「何がだ? 言ってみな。話だけならいくらでも聞いてやる」
リーナが顔を上げた。
「あの天使は……“小鬼の取り替え子”だったのかも知れません」
「何だ、それは?」
マークルフは初めて聞く言葉に腕組みをする。
「エンシアの時代、ごく稀にですが普通の人間の両親からあのような魔物に似た子供が生まれる事例があったそうです」
リーナが静かに語り始める。
「エンシアよりも更に古い時代の人間が交わった“亜人”の血の先祖返りと言われています」
「あれが亜人の姿なのか?」
「いえ」
リーナが首を横に振った。
「古代の亜人はもっと人に似た姿をし、魔力の影響を受けやすい種族だったそうです。エンシアの民の中にはその亜人の血を引く末裔が残っていて、その中から“小鬼の取り替え子”が現れていたそうです」
「エンシアの話は俺もいろいろと調べているつもりだが、その話は初めて聞いたな」
「当時はエンシア文明の進歩で世界全体の魔力が高くなっていました。その影響で亜人の血が反応し、隔世遺伝したのが原因と言われています。あの魔物に似た姿は不完全な隔世遺伝の影響なのです」
「エンシアではその“取り替え子”はどうなった?」
話の核心がそこにあると踏んだマークルフはリーナの前に回りながら尋ねる。
「“取り替え子”が遺伝性のものには間違いありませんから、周囲の関係者は自分たちも巻き込まれないように内密に“処理”していた事例がほとんどです……私が見たのも学術の勉強の時に“研究資料”として教本で見た限りでした」
マークルフは彼女の前に立って振り向く。
彼女は今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
「マークルフ様も知らない。この時代にも資料がない……エンシアの滅亡と共に葬り去られた事実なのでしょう。そうです、私も忘れていました。エンシアから生き残った私も――」
リーナの瞳がとても儚げに見えた。
「思えば現れた天使たちは皆、エンシアで虐げられた立場の者たちばかりです。彼らはエンシアの忘れてはならない記憶そのものなのかも知れません」
リーナは書棚を見つめる。
「天使たちはエンシアの生き残りを侮蔑しているのかも知れません。自分の都合の良い過去だけ残し、それを懐かしむ傲慢さを――」
マークルフもリーナの傍らで同じように書棚を見つめた。
「……リーナ、エンシアの罪全てを背負い込もうとするな」
マークルフは言った。
「罪ってのは難儀なものでな。残った誰かに寄ってたかって全てを押し付けようとするが、かといってそいつが一人で罪を背負って全てを精算すると言っても、それで皆が納得する訳じゃない」
リーナがマークルフの横顔を見る。
「罪に支配されたら罪から逃げるしかなくなる。自分を追い込んだって贖罪にもなりはしねえ」
「マークルフ様……」
「自分のやるべき事をやるしかないのさ。そのためにエンシアの人たちはリーナに願いを託して逃がしたんだろ? そのやるべき事が叶おうが失敗しようが、それが罪への答えだ」
マークルフはリーナと目を合わせる。
「そもそも全ての人の代わりなんて出来るわけねえさ。俺を見ていれば分かるだろ? たった一人の祖父様の代わりすら、ままならないんだぜ」
そう言ってマークルフは苦笑するとリーナに手を伸ばした。
「リファたちも心配してる。戻るぞ」
彼女はマークルフの姿を見ていたが、やがて微笑むとその手をとって立ち上がるのだった。
翌日――
里が襲撃の後片づけで忙しい中、マークルフは遺跡の奥にある地下空間にいた。
遺跡の地下にある空洞を利用した共同墓地。その片隅にある墓碑の前に彼は立っていた。
「親父、おふくろ、そろそろ行くぜ。次に来るのはいつになるか分からない――もしかしたら次はないかもな。その時は祖父様と一緒に待っていてくれ」
マークルフは両親の墓の前で祈り終えると振り返る。
そこにはシェルカが立っていた。
「マークルフ殿。天使の襲撃を退け、里を守ってくださったこと感謝します。ルーとウルダも立派になった姿を見せてくれて喜んでいるでしょう。皆に代わってお礼を申し上げます」
「礼は不要です、長殿。俺は先代に代わって“狼犬”の役目を務めただけです」
シェルカも墓の前に立つ。
この墓にはマークルフの父ルーと母ウルダが眠っていた。シェルカにとってもルーは兄弟同然の従兄弟であり、ウルダは親友であった。
「本当ならば私たちは貴方に恨まれても仕方ない立場ですのに――」
「あれは“事故”だった。俺は祖父様からそう聞かされています」
マークルフの両親は事故で死んだことになっている。しかし、真相は違った。
二人は“機神”の存在をフィルガスに漏らした裏切り者の一派に殺されたのだ。
一派は有力氏族だったが裏切り者を輩出したために発言力を失い、さらに長の血族であるルーとルーヴェンの娘ウルダの婚姻が重なった。“狼犬”の影響が強くなれば自分たちが完全に排斥されると危険を感じた一派の一部が、事故に見せかけて謀殺したのだ。
その後、事実を知ったシェルカは若き長として一派を完全に排斥した。少なくない血と一族の衰退を代償にして――
シェルカ自身もルーヴェンに命を差し出して詫びようとしたが、ルーヴェンは娘たちが遺した幼子を守ってくれた事に感謝し、それ以上は責めることなくその子を引き取っていったのだ。
「追いつけましたか? 先代の“狼犬”ルーヴェン殿に――」
シェルカに尋ねられたマークルフは静かに頭を振る。
「いいえ、まだまだです。少しは追いつけた気になっていましたが、やはり俺では祖父様には届かないのかも知れません」
マークルフの表情に寂しさが浮かぶ。“狼犬”の後継者として気負って生きる彼にとって、シェルカは飾る事なく本音を話せる数少ない人物であった。
「貴方の活躍はリーナさんたちから伺いました。立派にルーヴェン殿の後継者として役目を果たしているではありませんか」
「……俺が“狼犬”を名乗る時には凄腕の剣士、優れた科学者、多くの傭兵たち、そして戦う為の武器が手許にありました。でも祖父様はそれを一から集め、遺してくれたのです。俺にはそれが真似できたとは思えません」
マークルフは視線を宙に向ける。
「リーナにも偉そうに言ってしまいましたが、本当に祖父様の代わりもままならない限りです。俺は祖父様が遺したものをそのまま受け取っているだけです」
「そうでしょうか。ただ残したものを受け取っただけで多くの者はついて来ませんよ」
シェルカが微笑む。
「遺した財産や人材よりも、最も大事な“狼犬”の使命を受け継いだからこそ、皆が命を預けて付いて来てくれるのではありませんか?」
シェルカが後ろを振り向く。
その先に出発の準備を整えたリーナとリファが立っていた。
「それにリーナさんやリファさんにとっては、貴方こそが“戦乙女の狼犬”のはずです。そうではありませんか?」
リーナとリファも笑みを浮かべ、無言でうなずく。
「貴方は“狼犬”の使命、そして我ら一族の運命も受け継いでくれました。ですが、それは共にいつか終わらせるべきものです。貴方は前に会った時に言っていましたね? 自分は“狼犬”の物語をいつの日にか終わらせるための代役に過ぎないって――」
シェルカの右手がマークルフの頬に触れる。
「それなら物語だけ終わらせなさい。貴方まで終わる必要はありません。この先にどのような戦いがあろうとも貴方は生き残って、また顔を見せてください――それが言いそびれていた、鎧を託す追加の条件です」
シェルカは手を離し、マークルフの姿を感慨深げに見つめる。
「母親恋しさに私の胸をまさぐっていたあの幼子が本当に立派になられました。死なせてしまったルーやウルダにも……これで赦しを乞えます」
「赦すも何も、祖父様も親父もおふくろも、長殿には感謝しかしておりません。俺も今の励ましに感謝しています」
マークルフは静かに頭を下げた。
シェルカは裾で目許を拭うと笑みを浮かべる。
「そうそう。お土産を用意しています。出発前に受け取りに来てくださいね。帰りの道中ででも召し上がってくださいな」
シェルカはそう言ってその場から立ち去った。
リーナとリファがマークルフの前にやって来る。そして墓碑の前で並んでしゃがむと祈りを捧げた。
「マークルフ様のお父様とお母様。どうか“狼犬”の戦いを見守りください。私もできる限りの力添えをいたします」
「男爵さん、きっとご両親も喜んでるよ。本物の戦乙女が男爵さんの面倒みてくれてるってさ」
「余計なこと言うな。それよりもマリエルは?」
「マリエルさんならシェルカ様から必要な資料を持って行く許可を貰ったので、それを見繕っているところですわ」
リーナが答えると二人も立ち上がった。
「待ってたらきりがなさそうだな。仕方ねえ、こっちから呼びに行くか」
「ねえ、男爵さん?」
歩きだそうとしたマークルフをリファが呼び止める。
「何だ?」
「誰かの代わりって――難しいね」
マークルフはフッと笑うとリファの頭に手を置いた。
「当たり前だろ。代わりがいねえから兄貴もずっとリファを心配しなきゃならねえし、俺も恩人に名物食い放題の観光、約束したんだ。それとも何か? 他の誰かと代えていいのか?」
「ええ、それはヤだ! 楽しみにしてるんだから!」
「何ですか? その名物食べ放題の観光って?」
「戦いが終わったら男爵さんが観光案内してくれるんだって。もちろん、リーナお姉ちゃんも一緒だよ」
「こいつは高くつく約束しちまったかもな。二人ともさっさと行くぞ」
マークルフは肩をすくめると歩き出す。
リーナとリファは互いに顔を見て二人で耳打ちする。やがてその後を追い、マークルフの両腕にそれぞれしがみついた。
「何だ? 二人とも急に懐きやがって」
「いいじゃん。両手に花ってやつだよ」
「英雄を演じるなら、それぐらいの姿はご両親に見せてさしあげませんとね」
「余計なお世話だ、リーナ。言っておくが食い放題以外約束しねえからな」
「ええ、男爵さんのケチ!」
「うるせえ!」




