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伯爵と“狼犬”の侍女

 《戦乙女の狼犬》亭の店内。

窓からフィーがどんよりとした空を眺めていた。

「あら、さみしいの?」

 カウンターに立つ女将が微笑む。

「だって、男しゃくもリーナおねえちゃんも、グーちゃんもプリムちゃんもいないんだもん」

「代わりにニャーちゃんを預かったんでしょ?」

 店の隅に籠が置かれていた。そこに敷き詰められた毛布の上に猫が眠っている。

「みんな、どこに行っちゃたのかな?」

 フィーは近くの椅子に座ると足をぶらつかせる。

「さあね。きっと大事なお仕事なのよ」

「いつ帰ってくるの?」

「どうかしらね。でも、そのうち帰って来るわよ。フィー、酒場の看板娘は待つのもお仕事よ。いつの間にか帰って来て面白いお土産話を聞かせてくれるわよ」

「早く帰ってこないかなぁ」

 待ちわびるような孫娘の姿を女将は感慨深そうに見つめる。

 以前までは男爵たちが旅に出ても幼いフィーは平然としていたのだが、いつの間にか“待つ”ようになってしまっていたのだ。

 しばらく座ったまま外の景色を見るが、やがて何かに気づいたのか慌てて窓の方に駆け寄る。

「ばーちゃん!? みて! 軍隊さんが来てるよ!」

 女将も手を休めると窓に近づく。

 確かに外の大通りを見慣れぬ騎士たちが行進しており、その一団が掲げる旗にはクレドガル王国の紋章が描かれていた。



 ユールヴィング城は緊張に包まれていた。

 突然、クレドガル中央王国からの部隊が訪れ、城の前にやって来たのだ。

 やがて部隊から指揮官らしき男と部下数名が館の前に進み出る。

「我が名はクレドガル王国伯爵カーグ=ディエモス! 領主マークルフ=ユールヴィング卿に目通り願いたい!」

 厚き白い鎧に身を包んだ指揮官が野太い声で名乗りを上げる。

 その(時代遅れの)騎士道精神と勇猛さでクレドガル王国に(ある意味)名を轟かす伯爵の姿であった。

 やがて正門の扉が開く。

 だが、そこにはマークルフの姿はなく、伯爵の前に現れたのは侍女二人と古傭兵が一人だった。

「ようこそお越し下さいました、ディエモス伯爵様。まずはこのような出迎えしか出来ないことを深くお詫び致します」

 年輩の侍女の方がそう告げると深々と頭を下げる。隣にいた若い侍女と古傭兵のそれに倣った。

「そなたらはここの召使いか?」

 副官らしき騎士が口を開く。

「どういうことだ? まさかユールヴィング卿は侍女に伯爵の出迎えをさせるつもりなのか?」

「待て。あの男爵は型破りだが、礼儀知らずではない」

 詰め寄ろうとする副官を伯爵が手で制する。

「訳がありそうだな。まずはそなたらの名を訊こう」

「私は侍女頭のマリーサと申します。この者はタニア。この人は〈オニキス=ブラッド〉の部隊長の一人でウォーレンと申します」

「おお。そこの若い侍女は見覚えがあるぞ。確か、以前、男爵がリーナ殿を本国に護送した時に同行していた娘だな」

「お、覚えていてもらって光栄です」

 タニアが頭を下げ、隣にいた古傭兵ウォーレンも頭を下げる。

「うむ。先遣の使者が盗賊に襲われてここに来れず、突然の訪問になった事はまずは詫びよう。しかし、男爵は不在なのか? どこかに遠征したとは聞いておらんぞ」

 マリーサたちは互いに顔を見合わせる。

「……子細をご説明致します。まずはどうぞ、お上がり下さいませ」



「これは──」

 マリーサたちに案内されて城内に入ったディエモス伯爵はその光景に驚愕する。

 通路の先の壁が破壊され、吹きさらしになった先には通行禁止の立て看板が設置されていた。

「実は先日、天使たちにこの城が襲撃されたのです」

 マリーサは言った。

「天使だと!? “聖域”の辺境にて目撃されているとは聞いていたが、この城にまで現れているとは……確かに、これは人の所業ではないな」

「はい。ご存じかと思いますが、男爵様は先代様より受け継いだ特殊な機械を身体に埋められています。そのために天使に狙われたようでして──」

「それで、男爵は──」

 マリーサは痛切さに顔をしかめる。

「天使たちを迎撃されるために外に出られたまま……行方知れずでございます」

「まことか!?」

 伯爵も動揺が隠せないのか、思わず声を荒げる。

「ログ副長は!? あの姫君もどうされている!?」

「リーナ姫様は男爵様を探されるために一人、旅立たれました」

「何と!?」

「『あの人は生きている! 私には分かります!』……そう言い残され、お引き留めしたのですが、我々の目を盗み──」

「あの麗しの乙女が、そんな無茶なことを──」

「思えば男爵様と姫様は強い絆がございました。姫様だけは男爵様の生存を確信されているのかもしれません」

 マリーサが感極まったのか、ハンカチを取り出して目頭を押さえる。

 伯爵が拳を握り締めた。

「何とも健気な……それでログ副長の方は?」

「ログさん──いえ、ログ副長も部下を率いて探索の旅に出ました」

 声を詰まらせるマリーサに代わり、タニアが答えた。

「実は天使たちはユールヴィング家の家宝《戦乙女の槍》も奪っていったのです。あれは自分たちが持つべき物だと強引に──」

「あの黄金の神槍もか!? おのれ、神の僕とはいえ何と横暴な所業よ」

 伯爵も天使たちに憤慨するように顔を赤くする。

「副長は男爵様たちと奪われた家宝を探すため、あたしたちに留守を託していつ戻られるとも分からぬ旅に──」

 タニアも顔を両手で覆い、肩を震わせる。

 ウォーレンが励ますようにその肩に手を置いた。

「今は副長の代わりに俺が城の警備を預かってます。せめて、今回の訪問の理由だけでも聞かせてください、伯爵様」

 ウォーレンに尋ねられ、伯爵は難しい顔をする。

「……実はな。今回、国王陛下の勅命により、このユールヴィング領に査察に来たのだ」

「査察!? いったい隊長が何を?」

「現在、王都に西国ヤルライノから大使が来ておってな。実はその大使であるバッソス伯がユールヴィング卿に疑いを抱いておるのだ」

「疑いとはいったい?」

「謀反だ」

 マリーサたちが驚きの表情を浮かべた。

「だ、男爵様はそのような事は決して──」

「向こうも独自に調べているらしくてな。あの古代鎧を密かに修復しているのではないかと国王陛下に訴えておるのだ」

 伯爵が答える。

「あの古代鎧は誰もが認める極めて強力な兵器だ。“機神”との戦いで大破し、現在の技術では修復できないためにユールヴィング家に返還された。しかし、それが修復できるとなれば話が違ってくる」

 伯爵も思案するような表情を浮かべた。

「大使の疑いも筋の通らない話ではない。もし、あの鎧が修復し、それを扱える男爵の手許にそのまま残るとなれば、強大な戦力が野放しになる。それに最近になって同盟を結んだブランダルクとの連携にも向こうは言及している。男爵は東のブランダルクと手を組み、版図を広げる意図があるのではないかとも──」

「それはあんまりでさぁ! 隊長は決してそのような事を企むお人ではありませんぜ」

 ウォーレンが思わず反論する。

「そもそも、あの鎧は“聖域”内では稼働も簡単ではないんですぜ」

「それは知っておる。それに我が輩もあの若者がそのような人物ではないと信じておる。しかし、大使も退かなくてな。現在、“聖域”外縁部で異変が生じているのは王国側も掴んでおる。大使は将来、“聖域”の異変が大規模になって鎧の力を自由に使えるようになると見越した男爵が、野心に駆られて動いているのではないかと疑いを持っているのだ」

 伯爵に説明されるとウォーレンも黙るしかなかった。

「まだ疑いの段階だが、下手にこじらせて外交問題にもできん。疑いは晴らさねばならんのだ。男爵の釈明を聞き、必要ならば男爵と古代鎧を引き離す算段をするために我が輩は来たのだ」

 伯爵が腕を組んで悩む。

「しかし男爵にも不測の事態が起こっていたとなると、どうしたものか」

 その姿を見たマリーサがウォーレンに耳打ちする。ウォーレンもそれを聞いて悩むような表情を見せるが、やがて頷いた。

「それしかないな……伯爵様。ご案内したい場所がございます。少し離れた場所になりますが宜しいでしょうか」



「これは……酷い有り様だな」

 ウォーレンたちに案内され、城から離れた場所に赴いた伯爵と騎士たちはその惨状に唖然とする。

 そこは何かの工房であったらしいが、その工芸品と共に見るも無惨に破壊されていた。

 地下室も剥き出しになっており、そこにはおびただしい機械の残骸が広がっている。

「この地下で隊長は家宝の鎧を保管されていました」

「機械があったということは、本当に男爵は鎧を修復していたのか?」

 伯爵が疑問を口にする。

「俺には機械のことはさっぱりですが、隊長は先代様から受け継いだ鎧をどうにか修復したいと常々思っていて、いろいろ手を尽くしていたのは間違いありません」

 ウォーレンが答えた。

「うむ、偉大なる先代から受け継いだ家宝の鎧だ。それも当然だろう。しかし、これでは鎧が破壊されてしまったのかどうかすら分からんな。鎧を管理していた科学者たちもいないのか」

「実はその人たちもログ副長に同行しました」

 タニアが付け加える。

「もし男爵様の命が危なかったら、科学者たちの力も必要になるとの副長のご判断です。先ほどもマリーサさんが申し上げましたが、男爵様は機械を埋めてますので……」

 念入りに付け加えるタニアの説明に伯爵も首を捻らせる。

「そういうことか。しかし、詳細を説明できる者が誰もいないとなると、こちらも本国にどう説明するべきか──」

「僭越ながら伯爵様にお願いがございます」

 一同を代表するようにマリーサが言う。

「ウォーレン殿、あれを伯爵様に──」

「承知した」

 ウォーレンは持参していた荷袋の中から何かを取り出す。

 それは装甲の一部だった。

「これは古代鎧の一部か!?」

「はい。男爵様捜索のおりにこの残骸の中から発見したものです」

 マリーサが答える。

「私は先代様の頃からお仕えしており、古代鎧のことも多少は知っております。鎧は複数の部位を分割でき、これはきっとその一部です。ですから、これをお持ち帰りください。鎧は全ての部位が揃わなければ真価を発揮できません。私たちには事情は何も分かりませんが、せめて男爵様の疑いだけは晴らしたいのです」

「マリーサ殿、そなたの考えは分かった。これを持ち帰れば鎧は完成しない。詳細は不明だが、少なくとも男爵の脅威はないと説明できるわけだな」

「お察しいただきありがとうございます。本当は……ここに男爵様がいてくれれば良かったのですが……」

 マリーサはまたしてもハンカチを取り出して涙を拭く。

 その姿を見た伯爵は拳で自分の胸を叩いた。

「しかと承知した! このカーグ=ディエモス、必ずや男爵の疑いを晴らして見せよう。侍女ですらここまで涙を流して案じるほどの主君が野心で謀反を起こすなどありえん!」

「ありがとうございます、伯爵様」

 タニアも手で顔を覆いながら答える。

「どうか、隊長のことをお願いします」

 ウォーレンも腕で目を擦る仕草をした。

「うむ! あの若き男爵はクレドガル、いや世界に必要な英雄だ! 我が輩も陛下への説明を終えたら男爵捜しを手伝おうぞ!」

 マリーサたちの泣き声が止まる。

「い、いえ! 伯爵様にそこまでお願いするのは──」

「いや、主君を想う涙こそ忠義の鑑である! その涙に応えることこそ我が輩の求める騎士道でもある! 遠慮することはない! 必ずや力になろうぞ!」

「……え……あ、その、あ、ありがとうございます!」

 マリーサたちは深々と頭を下げるのだった。



「……何か、面倒なことになっちゃいましたね」

 去っていく伯爵たちの後ろ姿を見送りながらタニアが言った。その表情は先ほどまでとは打って変わってあっけらかんとしていた。

「頼まれた事はやりました。後は男爵様たちにお任せするしかないでしょう」

 マリーサが涙を拭きながら答える。

「マリーサさん、芝居なのに本当に泣いてたんですね」

「これぐらいできないと先代様にはついて行けませんでしたからね」

「へえ。芝居も年季が入ると違いますねぇ」

 何かの単語に反応したマリーサの視線が鋭くなる。

「い、いえ、やっぱり先代様は文字通り役者が違うなあって!」

 タニアが焦りながら目を逸らす。

「説得力を出すためとはいえ、隊長も手のこんだ事をしたもんだ」

 ウォーレンが廃墟の中で散乱する機械の残骸を睨んでいた。

「男爵様はブランダルクの戦いで出た兵器群のガラクタを“盟友価格”で安く調達していたそうですよ。何かの役に立つからって」

「確かに役には立ちましたよね」

 タニアが頭の後ろで手を組んだ。

「でも男爵はこれからどうするんでしょうね? いろいろ偽装工作してましたけど、やってることはただの夜逃げですよね」

「男爵様には男爵様のお考えがあるのでしょう。私たち侍女の役目はお帰りを待つことだけです。タニア、戻りますよ。今日の風呂当番は忘れずにね」

「ええ!? 男爵の芝居に協力したのに当番もやるんですかぁ」

「当たり前です。芝居と仕事は別です」

 マリーサはタニアを引っ張りながら城へと戻っていくのだった。

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