旅立ちの準備
天使襲撃から一週間ばかりが経過した。
大公バルネスは本国クレドガルへ帰還するために城を発ち、ブランダルクの使者団もリファを残して帰国していた。
警戒は続けているがその後の異変もなく、ユールヴィング城は束の間の平穏を取り戻していた。
「やはり、写真というのは絵とは違って臨場感があるな」
マークルフは執務室の応接席を陣取り、ある冊子を読んでいた。
「そうですね。復興への意気込みが伝わってくるようですわ」
隣に座るリーナが冊子を覗き込みながら答える。
二人が読んでいたのはブランダルクの傭兵ギルドが発行した冊子だ。
ギルドは傭兵たちのために世間の情勢や同業の活躍などを記事として発行しており、最近発行された冊子には現在のブランダルクの復興の様子が記事として紹介されていた。
「テトアさん、張り切ってたよ。建物なら人と違ってジッとしてくれるから捗るってさ」
冊子を持ってきたリファが二人の向かいに座りながら答える。
「あいつの撮影機は待ち時間が長いからな」
この記事には傭兵ギルドの記者テトアが撮影した写真が採用されていた。
ブランダルクで活動していた“蛇剣士”カートラッズの随行取材をしつつ、国内の復興の様子を撮影して来たらしい。記事は反響を呼び、国内の復興の熱意に一役買っているそうだ。
「テトアさん、頑張ってらっしゃるみたいですね」
「記者冥利に尽きるというところだろうな。こうして細かい破片まで見えると、ボロボロなのがよく伝わってくるな。この家屋なんか壁ぶち破られて酷いもんだ」
「そこ、トリスの街だね」
リファが言った。
「男爵さんが司祭長と戦った時に壊しちゃった所らしいよ」
マークルフとリーナの手が止まる。互いに顔を見合わせると静かに椅子から降りた。
「本当に──」
「──申し訳ありません」
深々と土下座する二人にリファが困ったように笑う。
「いいよ、気にしないで。仕方なかったことだし。それに兄ちゃんがちゃんとやってくれてるからさ」
二人は顔を見合わせるとブランダルクのある方角に向き直った。
「すまんなぁ、ルフィン。若い者ばかりに苦労かけさせるな」
「ほんと、私たちが不甲斐ないばかりに──」
土下座で謝罪を続ける二人の姿にリファが苦笑いする。
「……気持ちは伝わるんだけど、なんかお年寄り臭いなぁ」
扉を叩く音がした。
マークルフたちは慌てて席に戻ると入るように促す。
入って来たのは紙を手にしたログだった。
「何だ、ログか。どうした?」
「バルネス大公様からの知らせです。こちらの連絡網を使って急ぎの用件として伝達されて来ました」
マークルフは眉を潜めると紙を受け取る。それを目の前の卓に広げた。
「これ、傭兵さんたちが使う暗号通信ってやつだね」
「そうだ。リファも傭兵商売についてだいぶ勉強しているようだな」
「読めるの?」
「俺を誰だと思ってるんだ。それよりも爺さんが傭兵の連絡網を使ってまで急いで何を伝えに来たかだ。少し静かにしてくれ」
傭兵たちは互いに戦うことになった場合、“打ち合わせ”をする。その時に主に活用するのが炎や陽の光を用いた暗号通信だ。傭兵の棟梁を自認するマークルフはその符号のほとんどを頭に叩き込んでいた。
「こいつは──」
解読を終えたマークルフは難しい表情を浮かべた。
「閣下。大公様は何と?」
ログが尋ねる。大公バルネスはクレドガル本国に戻る道中のはずだった。
「どうやら本国からカーグ=ディエモス伯爵の一団が出発していて、その噂を聞きつけたらしい。しかも目的地はここのようだ」
「マークルフ様。ディエモス伯爵様といえば、以前にクレドガルに向かう道中でご一緒した──」
「ああ。ある意味でやりにくい相手だ。それにすでに先触れの使者をこちらに送ってきているらしい」
「それではお迎えの準備を致しませんと──」
リーナが言うがマークルフは目を瞑ると腕を組んだ。
「マークルフ様?」
「……こいつは爺さんの留守中に先手を打たれたかも知れんな」
目を開けたマークルフはログに命ずる。
「ログ。すぐにその使者を捜し出せ」
「こっちから迎えに行くの?」
リファが言うとマークルフは頭を振る。
「いいや。見つけ次第、その使者を袋叩きにする」
リーナとリファが唖然とする。
「男爵さん、袋叩きって……あの、袋叩き?」
「そうだ、多勢でする方の袋叩きだ。ログ、袋叩きにしたら身ぐるみ剥いで簀巻きにしろ」
「リーナお姉ちゃん! 伯爵の使者を簀巻きだって! やっぱり男爵さんって他の傭兵さんたちとやることが違うね」
「そ、そこは感心しちゃいけないところよ、リファちゃん。ですがマークルフ様、いったい何が──」
マークルフは険しい顔をする。
「俺の予想通りなら、いま使者に踏み込まれてはまずい。とにかく時間を稼いで伯爵が来る前に手を打たねばならん。ログ、急いでくれ」
「近隣の傭兵部隊に協力を仰ぎましょう。ですが、急ぐとなると多少は足許を見られるかも知れません」
「構わん。そのあたりの交渉は任せる。それとこっちも出発の準備を急がせろ」
「御意」
ログは命令を実行するために退室した。
「リーナ、リファ。二人もいつでも旅に出られる準備をしておいてくれ──おい! 誰か居るか! 急いで人手を集めろ!」
そう言ってマークルフも部屋を出て行くのだった。
「男爵さん、何を慌ててるのかな?」
部屋に残されたリファが首を傾げる。
「分からないけれど旅の支度を早くした方が良いわね。あの様子だと本当に出発を急ぐつもりだわ」
リーナが答える。
「お姉ちゃん。前から何か準備しているみたいだけど、どこかに出発する予定があるの?」
「ええ。エレナさんを迎えに行く予定だったのよ」
「エレナさんって、あのちょっとキツめな感じのフィルディングの姫様の人?」
「そうよ。マークルフ様はエレナさんもあの天使たちに狙われる可能性があると考えて、早いうちにこちらに保護するつもりなのよ」
リファがさらに首を傾げる。
「何でエレナ姫を男爵さんが保護するの? 男爵さんてフィルディング一族が嫌いなんでしょ?」
リーナはやや躊躇った後、答える。
「実はね。マークルフ様とエレナさんの縁談話があるの。あの大公様がここに来ていたのも実はその為だったの」
リファの顔が度肝を抜かれたように固まる。しかし、やがて飛び上がるように立ち上がった。
「どうしてッ!? どうして、男爵さんとあの人が縁談話になってるのよ!?」
「ごめんなさいね、いままで黙っていて。先が決まったらリファちゃんにも説明しようと思ってたの」
リファは怒気を込めるように両拳を卓に叩き付けた。
「男爵さんに文句言ってくる!」
飛びだそうとしたリファをリーナは慌てて引き止める。
「待って! まだ決まった話じゃないから! マークルフ様も承諾した訳じゃないから! とりあえず落ち着いて! ねッ?」
リーナになだめられ、リファは渋々席に戻った。
「きっと驚くだろうなと思って皆、リファちゃんには内緒にしてたの。ごめんなさい」
「お姉ちゃんが謝ることないよ! お姉ちゃんがいるのに男爵さんの縁談なんて絶対におかしいよ! お姉ちゃんだって納得してないでしょ!」
リーナは寂しげに笑った。
「わたしは……そうね。マークルフ様がわたしを離すつもりはないって言ってくれてるから、それは嬉しいかな。でも縁談話がまとまるのならそれはそれで良い事なのかな、とも思ってる」
リファが悲しそうな表情を浮かべた。
「お姉ちゃんはそれで良いの?」
「それがマークルフ様の幸せになるのならね」
「……お姉ちゃん。前に教えてくれたよね。いつか男爵さんが自分の使命を果たしたら、自分は消えていくような気がするって──まだ、それは変わってないの?」
リファに真摯な目で尋ねられ、リーナも目を伏せる。それが答えだった。
「……やだよ」
リファの目に涙が浮かぶ。
「男爵さんとお姉ちゃんが二人揃って“戦乙女の狼犬”だもん。あたしだけじゃないよ。兄ちゃんだってそう思ってる。兄ちゃんやあたしにとって、男爵さんとお姉ちゃんの二人が目標なの」
リーナは微笑むと立ち上がってリファの隣に座り直す。
「もう、泣くことはないでしょ? 大丈夫よ。“狼犬”の使命は終わらせようと思ってもなかなか終われそうもないし、わたしもマークルフ様の傍にいたいわ」
それを聞いたリファは涙を拭いて立ち上がると両拳を握った。
「お姉ちゃん! あたしはお姉ちゃんの味方だからね。男爵さんが薄情なことするようだったら言ってね。兄ちゃんに同盟破棄してもらって、ブランダルク総出で男爵さんに殴り込みかけてあげるから!」
力説するリファにリーナは苦笑いする。
「……気持ちは嬉しいけど、ルフィン君まで巻き込むような物騒なことはやめようね。ね?」
「やっと片づいたね、じいじ」
妖精さんサイズの特製割烹着を着たプリムが言った。
「うむ。まったく、あやつも派手に壊してくれおったぞい」
同じく特製割烹着姿のダロムも天井の穴を見ながら言った。
天使襲撃によって荒らされた工房兼地下の整備室は、妖精さんたちの尽力でようやく後片づけが完了しようとしていた。
「エルマの姐さんが城に呼び出されなければ良かったんじゃがのぉ。ちっこいワシらだけでは部屋の掃除は疲れるぞい」
「ねえ、じいじ。あのオオカミの天使さん、また来るかな?」
「ファウアンか。まあ、いずれ来るじゃろうな。さて、その時はどうなることやら」
「あのオオカミさん、じいじのお友だちでしょ? ママのことも知ってたし。もっとママのお話とかききたいな」
「あやつは気難しいからのぉ。話をしてくれるといいが──」
急に上の方で轟音が鳴り響く。
巨大な槌か何かで壁を破壊する音だ。
「な、なに、じいじ!?」
「わ、分からん」
破壊する音は複数に増え、さらに男たちの怒声が行き交う。
「もしかして、強盗さん!?」
「こりゃ、強盗というよりは地上げじゃぞい!?」
戸惑う妖精たちの頭上から影がかかり、気づいた時には二人はそれぞれ鋼の手に捕まっていた。
鋼の手は背後の壁をすり抜けて伸びており、やがて《グノムス》が上半身だけ姿を見せる。
「グーちゃん!?」
「こりゃ、グーの字! いったいどうなっとるんじゃ!」
やがて階段から複数の足音が降りてくる。
先頭はマークルフだ。後に続くのはアードとウンロクだ。
「男しゃくさん!?」
「おい! いったいどうなっておるんじゃ!」
「話は後だ。グーの字、搭乗口を開けろ!」
ダロムの抗議を無視してマークルフが《グノムス》に命じる。
「隊長! ここにある陶芸品、全部壊しちまうんですかい!」
上の工房部分からウォーレンの声がする。
「金目のもんだけ回収してたら怪しいからな! とびきり上等のだけ持って行け!」
「上等って言っても陶芸なんて目利きできんですぜ!」
「取りあえずデカいのだけ持ってけ! 後は構わん! ぶっ壊せ!」
上から陶器の割れる音が響き渡り、製作者のプリムが声にならない悲鳴をあげる。
「こっちは鎧を回収する! アード! ウンロク! 必要な機材はそっちに任せる!」
「へーい!」
マークルフは奥に安置してあった《アルゴ=アバス》を部位ごとに外すと、搭乗口を開けた《グノムス》の中へ次々と放り込んでいく。アードたちも機材を物色して、一緒に中に放り込んでいく。
「男しゃくさん、ひどい~!」
「分かるように説明せんか! 地上げには断固抗議するぞい!」
《グノムス》の手の中で妖精たちが抗議の声をあげる。
「えーい! だから話は後!」
マークルフは鋼の手から妖精たちを奪い取ると《グノムス》の中へポイっと放り込んだ。
その後から鎧と機材が投げ込まれ、妖精たちの姿と声はその下に埋もれるのだった。
「よし! グーの字、城に戻れ! 向こうでエルマたちが偽装の機械を用意している。それをこっちに運んで来い! 急いで頼むぜ!」




