天使達との戦い
「その姿……貴女たちはエンシア文明を研究する学者ですか」
天使の少女が銃口を向けるマリエルを見据える。
「ひとつ訊きます。今、口にした“鎧”とは何の事ですか?」
「天使が科学者にものを尋ねるとは思いませんでしたわ。貴女がたは科学者の中の知識の存在も許さないと聞いていましたから」
「我らの事を知ったうえでの反抗ということですね」
天使の少女が光翼を広げた。足が離れた瞬間、地面に描かれた光陣は消え、浮かんだ天使は翼から羽根を引き抜く。
「光陣がなくともこの武器は止められませ──」
銃声が響いた。
同時に天使の胸元で閃光が爆ぜ、その姿が後ろによろめく。
「これは……」
天使の表情に苦悶が浮かぶ。翼の光が淡く明滅し、その全身を包む光にも揺らぎが見える。
「そう、うちらは先代様から“天使”の存在を前々から教えられていた。エンシア文明の破壊者──いずれ戦う時の準備はしてきたのよ」
マリエルは銃を構える。
この銃は魔力を充填した弾丸を発射する対“天使”用の特殊銃だ。“天使”の纏う輝力と接触した瞬間に魔力を拡散し、反発する魔力と輝力の暴発を最大限の効果で引き起こす。輝力で身を守る天使といえども防ぎきれるものではない。
天使がさらに上昇しようとするが、マリエルはその光翼を狙って発砲する。翼に接触した魔力弾と輝力が暴発し、その片翼がかき消える。浮力を失った天使は片翼だけで何とか地面に降り立った。
「……あくまで邪魔をするのですか、エンシアの残滓にすがりつく者よ」
「逃がさないのはこちらの方よ」
天使の鋭い視線に怯むことなくマリエルさらに銃を向ける。その前には彼女を庇うように《グノムス》も立った。
天使の光翼がすぐに再生するがその光は明滅したまま、その表情にも疲弊の色が隠せないでいる。
その時、何かがマリエルの銃を弾き飛ばした。
手からこぼれ落ちた銃とどこからか飛んできた短剣が地面に落ちる。
その隙に天使の少女が動こうとするが、その前に《グノムス》が立ち塞がった。
「その銃で天使を撃って!」
マリエルが叫ぶと後ろに控えていたアードとウンロクが地面に落ちた銃に向かって慌てて駆け寄る。
天使は顔をしかめるが、形勢不利と判断したのか飛翔してその場を飛び去っていった。
「クソッ、逃げやがった」
「所長代理、大丈夫っすか」
悪態をつくウンロクの後ろでアードがマリエルに尋ねる。
「ええ、うちはね。それよりも他の人たちの怪我を確認して」
マリエルは周囲で負傷して動けない傭兵たちの姿を見回して言う。
「マリエル! 無事か!」
城から親衛騎士に護衛された大公バルネスが姿を現した。その後ろから救護班が駆けつけ、負傷者の手当てが始まった。
マリエルも周囲を見回すが、どうやら短剣を投げた何者かはすでにこの場から逃げたようだ。
バルネスが彼女の前に立つ。
「悪い予感がしてたが、まさか神族たちが出現するとはな。いつかこういう時が来るかも知れぬと思っておったが──」
「ええ。先代様から警告されていた通りの存在でした」
マリエルたちは先代ルーヴェンから強化装甲を預かった時、エンシア文明の遺産破壊を狙う天使たちの存在を教えられていた。
だからこそ、マリエルたちはその警告に従い、いつかは来るかも知れない天使たちへの備えをしていたのだ。
天使が消え去ったのを見て《グノムス》が地面の下に透過して姿を消した。おそらく主人であるリーナたちの後を追ったのだ。
「所長代理、僕たちも男爵たちの加勢に行った方が良いんすかね?」
マークルフを追ったリーナとそれを追いかける鉄機兵の姿にアードが言う。
「……いいえ。あの銃も破損しているから使えないし、かえって足手纏いだわ。後は男爵たちを信じるしかないわ」
マリエルが答えるとウンロクが銃を拾って眺める。
「あら、本当で。しかし姐さん代理。それ分かってて『天使を撃て』って言ったんですかい?」
マリエルは腕組みする。
「先代様からは他にも教わってたからね。どんな相手にも通じる最大の武器は──」
大公もつられて苦笑した。
「はったり、か」
光の糸に繋がれたマークルフと森人の天使の力比べは続く。
地面に刺した《戦乙女の槍》にしがみついていたマークルフだが、森人の天使はさらに力を増し、糸の絡みついた腕が引っ張られていく。
「……まったく、キラキラしてるくせに頑丈な糸だな。リーナのドレスに欲しい──いや、さすがに悪趣味か」
マークルフは槍を手許に引き抜くと身体を回して光糸を斧槍の刃に巻き付けた。
しかし両者に引っ張られた光糸は斧槍の刃に触れても切れない。
「無駄だ。そんなことでこの糸からは逃れられん」
「そうかよ。こっちはてめえと糸で結ばれるなんざ御免なんだがな」
マークルフは自ら天使の方へ跳んだ。引っ張られる力を利用して一気に天使に詰め寄ると槍を振るうが、天使は真上に跳躍してそれを避けると右腕を振るった。
マークルフの右腕と繋がった光糸が輪を作り、それが彼の首を絞めようとするが間一髪、それから逃れる。
「ケッ、そう簡単に──」
天使が左手で宝石を投げつける。それはくない型の宝石だ。光糸と繋がった宝石をマークルフは避けるが、宝石は背後の木の枝を支点に反転し、生き物のようにマークルフの左足に絡まる。
「──逃げられると思ったか、魔導王国の尖兵!」
天使が身を翻しながら左手を大きく引き、マークルフは木の枝に左足から逆さ吊りにされる。
「終わりだ!」
天使はさらに光糸を持つ右腕を振るう。糸と繋がったマークルフの右腕が背中側に捻られ、光糸が輪を描くとそれがマークルフの首に絡みつく。
「クッ!」
マークルフは咄嗟に槍を放して左手で首の光糸を掴む。光糸が左手ごと首を締め上げていくが手を挟まなければ窒息するか喉を潰されただろう。
森人の天使が両手の宝石を投げた。光糸で繋がったくない型の宝石が近くの木の幹に突き刺さる。しかし、マークルフを吊して締め上げる光糸の力はまったく変化がなく逃れる隙がなかった。
「往生際の悪い奴だ。そこから脱出は不可能だ」
左足一本で逆さ吊りにされ、右腕は背中に捻られ、しかも首を絞められる状態で左手も使えない。自分はまったく身動きできない状態でありながら、森人は光糸を別の木に結び付け、自由に動ける状態。
完全に形勢は不利だった。
「エンシアの災厄をその身に埋め込んだ時点で、その命はそこで終わっていたと諦めろ」
森人の天使が自由になった手を懐に入れ、そこから何かを取り出す。それは黄金の葉を持つ針のような細い枝だ。天使は枝を逆手に握ると身動きできないマークルフに近づく。
「……そいつで俺を刺すって事か」
「強化された肉体といえど、この枝は貴様の急所を確実に貫く」
確かに枝の先は長い針のように鋭く尖っていた。おそらくただの木の枝ではない。
「……生け花にされる前に一つ、訊くぜ。あんたの名前は何だ?」
「知りたいなら冥府への土産に教えてやる。ドラゴだ」
「そうか、ありがとよ」
マークルフは不敵な笑みを浮かべた。近くに立った天使が怪訝な表情を浮かべる。
「何が可笑しい?」
「いやあ、名前が分からないと罵倒もできないからな」
マークルフは左手を抜くとドラゴと名乗った森人の天使の胸ぐらを掴み、強引に自分へと引き寄せる。光糸が首を締め上げていくが、それでもマークルフは不敵に笑い続ける。
マークルフの全身に魔力の紋様が浮かんだ。強化装甲の装着信号だ。魔力の信号がマークルフを拘束する光糸と干渉し火花を散らす。その影響か喉を締め上げる力が緩む。
「……俺も対天使用の銃を作ってもらえば良かったぜ。まさか俺自身が弾丸の代わりになるとはな」
声を出せるようになったマークルフはそう愚痴ると制御信号の出力をさらに増した。光糸の火花が一層、激しくなり、天使の表情に焦りが浮かぶ。
「貴様ッ、何を!?」
「まったく糸を切るためだけに怪我したくねえんだがな! せめて、てめえも巻き添えだ! ドラゴさんよ!!」
マークルフが叫ぶと同時に衝撃波が周囲を薙ぎ払った。
リーナはマークルフを追い、息を切らせながら林の中を走っていた。
まだ向こうからの装着信号は発信されていない。安否も位置も分からないが、それを確かめたい焦りが彼女を急がせていた。
「戦乙女──ここから先は行かない方がいいよ。仲間が戦っているところなんだ」
その時、頭上から声がした。空には外套姿の小柄な何者かが光翼を広げて浮かんでいた。
「天使!?」
「クーラが来てたはずだけどどうしたの? できれば一緒に連れて行くって言ってたはずだけど」
新手の天使の出現に戸惑うが、すぐにリーナは林の中に隠れるように走り出す。天使の仲間が戦っているとすればそれはマークルフのはずだ。
「……どうやら失敗したみたいだね」
天使が右手をかざした。
「キャッ!?」
リーナの行く手の地面が爆ぜ、その煽りを受けてリーナは転倒する。
「悪いけど、ここから先は行かせないよ。ドラゴに怒られ──」
天使が言い終わる前にリーナは再び走り出した。
「……仕方ないなぁ」
天使が再び手をかざした。
リーナは天使が何かを撃つのに警戒して木を盾にしながら走る。
しかし、天使のいる方向と反対方向側から何かが光り、行く手の地面が大きく爆ぜた。
予想外の位置からの爆発に足がもつれてリーナは再び転倒する。
「戦乙女にあんまり怪我させたくないんだけどな」
申し訳なさそうに言う天使だが、それでもリーナに向けて手をかざすのを止めない。
(いま、手から何かを撃っているようには見えなかった……別の方向から何かを撃ってるの?)
それでもリーナは立ち上がる。自分一人では対抗する手立てはないが、相手が自分を殺そうとしないなら意地でも先に進むつもりだった。
「あの天使の真下に走りなさい。そうすれば威力はしょぼいものよ」
どこからか若い女性の声がした。
「誰!?」
「仕方ないわね」
木々を薙ぎ倒しながら何かが現れた。
それは細身の鉄巨人だった。《グノムス》とは違うがエンシアの鉄機兵に似ている。
鉄巨人はリーナを抱え上げると見た目以上の俊敏さで天使の浮かぶ真下に走る。
天使は手をかざしながらそれを見ていたが、やがて自ら離れて距離をとる。
「……魔族」
天使がリーナの後ろを見ながら呟く。
「魔女って言って欲しいわね」
先ほどの声の主がリーナの背後から現れる。
長いまっすぐの黒髪と黒い瞳。そして、この時代とは少し意匠の違う軽装な紺色のドレス姿。リーナと同年代ぐらいの若い女性だ。
「なぜ、魔族が戦乙女を助ける?」
「戦乙女を攻撃する天使がそんなこと訊くわけ?」
魔女と呼ばれた少女が皮肉めいた笑みを浮かべる。
「こっちで好きで助けているわけじゃないわ。そっちの邪魔をしているだけ」
魔女が指を鳴らした。
「イタッ!?」
鉄巨人が手を離し、リーナは地面に思いっきり尻餅をつく。
天使が手をかざす。同時に鉄巨人がその姿からは想像しがたい跳躍をし、魔女の前に降り立つ。
「そっちの能力はだいたい分かってるわ。空に浮かんでいるからってこっちが手を出せないと思わないことね」
魔女と名乗る女が天使と睨み合う。
その時、地面が揺れた。
それに気づいたリーナはすぐに立ち上がると、天使たちから離れる。
やがて近くの木をなぎ倒しながら地面から《グノムス》が出現する。
「来てくれたのね、グーちゃん!」
リーナを庇うように現れた《グノムス》の姿を見た魔女が舌打ちする。
「チッ、自律行動型か。何か複雑な構造してるし、こっちの手駒にはできないか」
そう言うと魔女は口に手を当てて含み笑いをする。
「それにしても、そんなズングリムックリな人形を『ちゃん』付けなんて、あんた趣味悪いわね」
「グ、グノムスの悪口はやめて下さい! 繊細な子なんです!」
「何が繊細よ。どう見ても何か隠してそうな、あくどいツラしてるじゃないのよ」
「グーちゃんは素直な子です! 貴女みたいなひねた方とは違います!」
「失礼ね、あんた! そっちこそ、いい歳して人形離れしたらどうよ!」
空に浮かぶ天使と地上のリーナと魔女、三つ巴の睨み合いとなる。
だが、やがてその緊張を破るように天使が光翼を広げた。
「ドラゴ!?」
天使が何かに気づいたのか慌てたように飛び去る。
同時にリーナも一瞬だがマークルフからの装着信号を感知する。
「マークルフ様!?」
マークルフの無事と危険を同時に察知したリーナは残った魔女と対峙する。
「おお、怖い怖い。そのズングリムックリちゃん差し向けてでも、押し通るって感じね」
魔女は肩をすくめておどけて見せる。
「邪魔はしないわ。行きなさいな。これでこっちの仕事はおしまい」
細身の鉄巨人が魔女を抱え、跳躍する。そして林の向こうに消えたが、着地の振動などは何も感じず気配だけが消えた。
「……グーちゃん、連れてって!」
《グノムス》が地面に潜りながら胸の装甲を開くと、リーナはその中に乗り込む。
魔女と自称した女の正体が気になるが、いまは一刻も早くマークルフと合流することが先だった。
工房の地下室に白衣姿のエルマがいた。
備え付けた“力”の測定器は先ほどから強力な“光”の反応を観測し続けている。
(“聖域”の異変に乗じて、複数の神族たちが来ている──ここも目を付けられたかもしれない)
エンシアの遺産を忌み嫌う神族たちがここの存在に気づけば放置するはずがない。
エルマは奥に安置された《アルゴ=アバス》を睨む。
(これを起動させれば間違いなく気づかれる。しかし、もう気づかれているなら、ここに来る前に稼働状態にしてせめて男爵に──)
“聖域”の影響から外れた強化装甲は強力な魔力ジェネレータが稼働を始めていた。
「あねさん! じいじ!」
足許から妖精娘プリムが姿を現した。
「じいじがおしえてくれた天使さんたちが来てるよ! じいじ──あれ、じいじは?」
「おじいちゃんはさっきプリムちゃんを捜して出かけたままよ」
「え~、じいじ、だいじな時にいっつもいないんだから!」
「それよりもプリムちゃん、ここから避難しなさい。ここもその天使に襲撃されるかも知れない」
プリムがエルマと古代鎧を交互に見る。
「あねさんはにげないの?」
「逃げれたら逃げるわ」
その時、天井の向こうから衝撃が響き渡る。
「来た!?」
エルマは懐から対天使用の銃を抜く。
天井が割れ、生じた穴から鉄の手甲に包まれた獣の両手が現れた。
獣の手はそれぞれ穴の縁を掴むと強引に天井を砕きながら穴を押し広げていく。凄まじい握力だ。
やがて轟音と同時に天井が崩れた。破片と粉塵を纏いながら何者かが落下して来る。
「プリムちゃん! 逃げなさい!」
エルマは粉塵に隠れた侵入者に躊躇なく発砲する。
しかし、弾丸は侵入者の身体に火花を作るだけで終わった。
「……見つけたぞ。魔導王国の忌まわしき遺産よ」
粉塵の中から侵入者が姿を見せる。
それは狼に似た頭部と鋼の装甲を持つ機械の獣人だった。