来たる光と闇の運命(2)
(何だ? この“心臓”のざわつきは──)
自分の部屋に居たマークルフは異変を感じて立ち上がった。
胸に埋められた《アルゴ=アバス》の制御装置。装着者の生体維持と強化装甲との同調を司る文字通りの“心臓”が騒ぎ出すような感覚を覚えたのだ。
マークルフはこれと似た感覚を覚えてる。人として育てられた人造生命体の少女リファに触れられた時と同じような感覚だ。
(あれはリファに秘められた膨大な魔力に反応していたからだ……魔力が流れ込んでいるというのか)
全身が活性化して軽くなるような感覚もする。
(ここの魔力が上がっているのか……まさか、“聖域”が!?)
マークルフは壁に掛けた《戦乙女の槍》を手にすると自分の部屋から出る。
万が一の非常事態に備え、自分が陣頭指揮に立つ必要があるかもしれなかったからだ。
しかし、通路に出た彼の前に外套を纏った何者かが立ち塞がる。
「……何者だ、てめえは?」
マークルフは足を止めると警戒を露わにした。警備を固めている城にすんなりと入り込み、しかもまだ誰も気づいていないようだ。それだけで只者ではない。
侵入者が頭巾を後ろにずらした。
表れたのは若めの男の顔だ。細身の顔付きで金糸のような髪を後ろに束ねている。何より特徴的なのが宝玉のような紅い瞳が浮かぶ切れ長の目。耳の変わりに植物の葉のような器官が生えていることだ。
明らかに普通の人間ではないことを示していた。
「まさか魔導王国の尖兵もいるとはな」
侵入者が口を開いた。その鋭い視線と口調だけで穏便に話をしに来たのではないと分かる。
「こちらも同じ台詞を返すぜ。まさか、こんな場所で伝説の“森人”にばったり遭うとはな」
マークルフも不敵な笑みを返す。
“森人”とは森を住み処とする古の妖精種族だ。文献によれば古代から森に棲息する民族だったらしいが、過去のエンシア文明の隆盛によって森を失い、彼らも科学者たちの実験材料として狩り出されたと伝えられている。少なくとも現在ではその姿が確認されず、全滅したとも言われる幻の民族だ。
「てめえの言う魔導王国とはエンシアの事か? それならとっくの昔に滅びているぜ」
「知っている。当然の報いだ。しかし、いまでもその残滓は残っている。例えば貴様の心臓にもな」
「なるほど。俺が強化装甲の装着者だと知って来ているのか」
「違うな。わたしはその槍の存在を感じただけだ。それは神槍。貴様のような魔導王国の尖兵が手にして許される代物ではない。渡してもらおう」
森人の男の言動からエンシア文明に対する強い憎しみが感じ取れた。
森人の瞳と爪は宝玉そのものであり、魔力の媒体としてや装飾品としても重宝されていたという。そのためエンシアは彼らを乱獲の対象としていたらしい。
それが確かなら憎悪の理由も納得がいくが、時を越えてそれが自分にまで回ってくるなど割に合わない遭遇だった。
「俺が魔導王国の尖兵なら、てめえは何者だ?」
マークルフは槍を構えた。
「人の居城に無断で押し入り、しかも領主に家宝を寄こせと来ている。これほどの強突く張りだと逆に感心するぜ。細い身体付きの割に骨太な強盗さんだ」
森人の目つきがさらに鋭く変わる。
「その下らぬ減らず口が貴様の遺言となるぞ」
「てめえに聞かせる遺言なんぞ持ち合わせちゃいねえよ」
森人に後光が差す。
「ならば黙って消えてもらうぞ。忌まわしき過去の亡霊よ」
ユールヴィング領は城下の巡回警備を強化していた。
副長であるログはその指揮を執り、自らも部下の傭兵たちと共に巡回していたが、やがて通りが連なる広場へと差し掛かる。
ログは足を止めた。従っていた傭兵たちも足を止める。
彼らの行く先に女が立っていた。
肩まで伸びた巻き毛の黒髪。そして褐色の肌と身体の線を強調する扇情的な衣装。妖艶な笑みと腰に帯びた剣──見た目は二十そこそこだろうが、その只ならぬ佇まいにログは警戒を強め、纏う外套の下で剣の鞘に手を伸ばす。
「貴方がユールヴィング男爵の傭兵部隊〈オニキス=ブラッド〉の副長さん?」
女が口を開く。妖艶な笑みを引き立てる色香のある声だった。
「そうだ。わたしに何か用か?」
「ええ。ただし、その前に──」
金属音が鳴り響き、周囲の傭兵たちが浮き足立つ。
女が瞬時に抜いた剣をログも鞘から半分抜いた刀身で受け止めていた。
「へえ、聞いている以上にはやりそうね」
「……お前たちは手を出すな」
ログは部下たちに命じる。今の女の動きで相手がかなりの剣の使い手であると見抜いていた。
「話が早いわね。こちらも一対一で手合わせをお願いしたかったの」
ログは力押しで女の剣をはね返すと剣を抜き放った。
女も剣を両手で構える。その刀身は黒光りしており、その刃が月明かりに無気味に輝いていた。
傭兵たちが見守るなか、ログはゆっくりと外套を脱ぎ捨てる。女も静かに間合いを詰める。
やがて両者は同時に動いた。
ログの剣と女の黒剣が何度も切り結び、火花を散らす。その動きは互角だった。
「やるわね。でも、まだ余裕がある」
女が攻勢に出た。手数が増えてログが後手に回る。
女が剣を振り下ろし、ログが身を逸らして躱すが、それを追うように女は返す刃で剣をすくい上げる。
ログは踏み留まると剣を打ち下ろして女の剣を止め、同時に左手で小剣を抜く。女が剣を引き戻そうとするがログの左の小剣がそれを抑え込み、同時に右手の剣が隙の生じた女の首筋に刃を押し当てていた。
勝負がついた状態となり、二人は動きを止める。
「貴様は何者だ。答えろ」
「やっと本気を出したわね。これが噂の二刀流か」
刃を引かれたら終わりの状況だが女は動じた様子は見せない。
「もう一度、訊く。何者か答えろ」
女は妖艶に微笑む。
「そうね。答えるとするなら──」
女の黒剣が真紅に輝く。
「魔女かしら」
女が剣を振り上げた。抑え込んでいたログの小剣をも斬り裂き、そのままログに斬りかかる。
ログは間一髪で避けるが、女は追撃を繰り出す。
真紅の軌跡が夜の闇に閃き、その間をログは掻い潜る。
女の黒剣は真紅の魔力を宿し、破壊力を増していた。普通の剣で受け止めようとすれば刀身ごと斬られる。
(魔法剣か! ならば──)
真紅の火花が散った。
ログの剣も真紅の光を宿し、真紅に輝く女の黒剣を受け止めていた。
「へえ、魔法剣も使うのね。エンシア産じゃなくて手作りみたいだけど、わたしの剣と張り合うなんてなかなか良い腕の技師さんがいるのね」
ログと女が再び切り結ぶ。互いの剣技が真紅の残像となって見守る傭兵たちの目に焼き付く。
両者の一進一退の攻防が続く中、女は剣を振り下ろし、ログは薙ぎ払うようにそれを受け流そうとする。
女が口許に笑みを浮かべた。
(──ッ!?)
ログの魔法剣から魔力の光が消えた。しかし、すでに剣を止めることはできない。
女の黒剣が力を失った魔法剣を切断、そのままログに刃を振り下ろす。
傭兵たちが声にならない声をあげた。
しかし、ログと女はまたしても動きを止める。
「……片腕ぐらいは貰っていくつもりだったけど──」
女がログの左肩に剣を突きつけながら言う。
「──これじゃ割に合わないわね」
ログも折れた魔法剣を女の喉元に押し当てていた。
刀身を折られながらもそのまま女との相討ちを狙ったのだ。
「いいわ。貴方の勝ちね」
女はゆっくりと剣を持ち上げると、それを合図に二人とも後ろに飛び退く。
「無駄に手の内を見せちゃったけど、おかげでいいものを見せてもらったわ。普通の人間なら不意を食らっても片腕と引き換えに相手を倒そうなんてできない。貴方の剣技はいけ好かない洗練さがあるけど、その太刀筋は人の血と肉で相当に磨き上げてるわね。そういう歪な剣、ちょっと惹かれるわね」
女はゆっくりと後退する。
「そうそう、用件を忘れたら怒られるわね。一つだけ情報を教えてあげる。貴方のご主人、ユールヴィング男爵だっけ。その人は神族たちと交戦中よ。現在進行形でね」
女は思わせぶりな笑みを見せる。
「ま、信じるかどうかは貴方次第だけどね」
女はそう告げると夜の影の中へと消える。そして気配も消えた。
傭兵たちは追いかけようとするが、ログはすぐに手で制した。
「追うのは危険だ。それよりも城に戻るぞ。閣下たちが気になる」
城の自室で窓の外を見ていたリーナは、やがてそこから離れた。
「リーナ姫、ちょっとすまんぞい」
突然、声をかけられリーナは振り向く。
部屋の隅の壁から老妖精ダロムが顔だけ出していた。妖精族は石や植物など自然に属する物質を透過する能力を持っていた。
「うちのプリムを見とらんかのう? 勝手に出て行って、ここに来ているような気配は感じたんじゃが?」
「いいえ。私は見ていませんわ」
「もう戻ったのかのう……休み中、邪魔してすまんぞい」
「いえ。もし見かけたら戻るように言っておきますわ」
ダロムが壁の中に引っ込む。
リーナも休もうと寝台に腰を下ろすが、やがてリーナはそこから飛び起きた。
「──これは!?」
何かを感じたリーナは自分の部屋を飛び出す。ベランダへと出ると外の景色を見回す。
外は風が冷たい以外は静かな夜の光景だ。
しかし、リーナは感じていた。巨大なうねりのような胸騒ぎと、その中に感じる何かの存在を──
「姫も気づいておったのか」
いつの間にかダロムが近くに立っていた。
「いったい何が──」
「大地の流れが大きく乱れておる。おそらく“聖域”決壊の影響がここに現れたようじゃな」
「エルマさんの話ではまだ先だったはず……いえ、それよりも悪い予感がします。感じるのです。何か敵意のような不吉な気配が──」
ダロムはハッとすると床に降り立つ。
「すまん、リーナ姫。ワシはプリムを探してあの鎧の所に戻るぞい」
「私もマークルフ様の所に向かいます。気をつけてください」
ダロムが床の下に消えるのを見届けたリーナだが、やがて鮮明になった気配を感じて頭上を見上げる。
月を背景に人影が浮かんでいた。
いや、その影からは人ならぬ一対の光翼が広がっている。
影の正体は銀の月と荘厳な翼の光に照らされる幼さの残る少女だった。
「……“天使”」
リーナは思わず呟いていた。
それはかつて“闇”の力を利用する機械文明を否定し、エンシア王国に敵対した“神”の眷属。“光”に選ばれ覚醒した者たちの総称だ。
リーナも実際に“天使”を見たことはなかったが、様々な種族からなる彼らの特徴が背中から広がる光の翼であることは教えられていた。
天使の少女がゆっくりと降下し、リーナを見下ろすように空中に浮かぶ。
天使の少女も驚いているのか、興味深そうにリーナを見つめている。
「貴女は……まさか──」
天使の少女が呟く。
「このような場所に“神”の娘がいるなんて──しかし、他の戦乙女とは少し違う。より人間に近い」
天使がゆっくりとベランダに降り立った。
リーナは後ずさりする。戦乙女として覚醒した自分はおそらく“光”側の存在だ。しかし彼女自身には“光”に属する存在についての知識がなく、この天使の思惑が読めない。むしろ、古代エンシア王女としての記憶がこの天使の存在を強く警戒させている。
「貴女は何者ですか? 戦乙女ならばその使命を教えて下さいませんか」
天使が言った。外見とは裏腹に落ち着いた物腰と口調だ。
地上の中庭に淡い光が広がる。
そこから鉄機兵の《グノムス》が姿を現した。
「グーちゃん!」
「……エンシアの機械人形」
天使が動じることなく見据える中、《グノムス》が上階のベランダに立つリーナに向かって腕を伸ばす。 リーナは手すりを越えると鉄機兵の手に乗った。《グノムス》はリーナを地面に降ろすと、彼女を庇うように前に進み出る。
エンシアの鉄機兵である《グノムス》もこの天使を危険な存在と認識したようだ。
「魔導王国の機械人形がこの“聖域”に──どうやら特殊な機体のようですね」
天使は冷静に言うと光の翼を広げ、自らもゆっくりと地面に降り立った。
「あらためてお尋ねします。貴女は何者ですか? 戦乙女が何故、エンシアの機械人形を使役しているのですか?」
天使も警戒するような声に変わっていた。
「……先に答えてください。それが礼儀です」
リーナは答える。天使に人間の礼儀が通用するか不明だが、いまは少しでも相手に対する情報が欲しかった。
「わたしは人の子たちが“天使”と呼ぶ者の一人。この地の“聖域”の影響が一時的に消えたため、偵察に赴いた時に貴女の存在を確認しました」
天使の娘が答える。
「この地には大きな運命を感じます。貴女といい、その機械人形といい、そして魔導王国の尖兵とその装甲といい──現在の“聖域”異変と深く関わりがあるとお見受けしました。ぜひ教えてほしいのです」
だが、リーナは天使の告げた台詞に不吉な予感をさらに強くする。
「魔導王国の尖兵とは、まさかマークルフ様──」
爆発音がした。
城の一角で粉塵が舞い、瓦礫が崩れる音がする。
そこはマークルフの居室に近い場所だ。
「マークルフ様!?」
助けに行こうとするリーナを止めるように天使の娘が光の翼を大きく広げた。
「これより魔導王国の亡霊を排除します。貴女もこれ以上、ここに居るべきではありません」
天使の少女が静かに告げる。
「わたしと共に来て下さい。“聖域”は現在、決壊が始まろうとしています。この地はいずれ“光”と“闇”の戦いの舞台となるでしょう。“神”に選ばれし貴女も我らと道を共にされることを願います。来たるべき運命の戦いは近いのです」
城内にけたたましく警鐘が鳴り響き、城内の人間たちの混乱の声が怒号のように響き渡る。
「……お断りします」
その様を見たリーナは静かに答える。
その声に込められた強い怒りと意志を感じたのか、天使の娘もその表情に微かに戸惑いが浮かぶ。
「私の名はリーナ=エンシヤリス。貴女が魔導王国と言ったエンシア最後の王族です。そして──」
リーナは拒絶の意志を湛えた瞳で天使の娘を睨んだ。
「私の使命はリーナという一人の娘が自ら選んだ勇士を護ること! その使命こそが私が従う運命です!」
騒乱に包まれる城を背に、鋼の巨人を従えた乙女は毅然とした声で告げるのだった。