表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
135/135

消えゆく勇士に戦乙女の祝福を

“機神”の存在から始まった全ての戦いは終結した。

“機神”は滅び、世界は光を取り戻す。

しかし勇士を最後まで導いた戦乙女は祖国の亡霊と共に消えることを選び、勇士はただひとり新たな世界の下で残されるのであった。

「我々は傭兵たちを許してはならない!」

 街の広場に集まる大衆を前に一人の若者が叫ぶ。

「彼らは自らが必要とされるその為だけに旧フィルガスを分断し、のさばってきた!」

 若者は広場中央の壇上に立っていた。白を基調とした服を纏い、若者の胸には紋章が刻まれている。それは天に祈る乙女の姿を描いた紋章だった。

「彼らの存在を旧フィルガス地方の小競り合いをただ泥仕合に持ち込み、数十年に渡ってそれを繰り返して来ただけだ! さらにこれには古くの老人たちが裏で糸を引いている! 全ては傭兵という時代に徒なす暴力装置を彼らが是としてきたからだ!」

 聴衆を前に若者はさらに高揚する。

「永きに渡って世界を苦しめてきた“機神”は滅びた! 世界は“神”と伝説の戦乙女によって新しい世界に導かれたのだ! これからは我々が時代を作るのだ! 過去の英雄が作り上げた古き障害を新たな者たちで排除し、我々が“聖域”の主役となるのだ!」

 聴衆たちから歓声が上がる。

 その光景に若者も歓喜の表情で拳を突き上げた。

「皆、わたしの声を聞いて欲しい! わたしは皆の支配者ではない! 皆の代弁者だ! 皆が新たな時代の主役なのだ!」

 聴衆たちも拳を突き上げた。これから彼らは立ち上がるだろう。

 その標的は新たな世界を蝕む傭兵たちと彼らと結びついていた老害たちだ。

 だが、聴衆の中で戸惑う者が現れ、やがてその視線はある建物の上に集まる。

 指導者である若者も建物の屋根を見る。

 そこから女性の歌声が聞こえてきたのだ。

「いやいや、なかなかに雄弁な訴えだったな。感心したぜ」

 屋根の上に座り、大衆を見渡していた若者が大仰に拍手をする。

 貴族風の上着を着崩し、傭兵風の装備をした若者だ。

 となりには楽器に似た機械が置いてあり、そこから女性の歌声が流れていた。

「お前は──」

「あんたが撲滅したいと思っているしがない傭兵の一人さ」

「マークルフ=ユールヴィング!」

 マークルフは驚く若者に不敵な笑みを向けた。

「なかなかに大仕掛けだな。ここだけじゃない。他の街でもあんたの同志が同じように訴え、一気に焚き付けようとしている。さて、これはどういうことだ?」

 若者は大衆に守られ、そして見守られながらマークルフを見上げる。

「傭兵の時代は終わった! 貴様も必要ない! そう思う者たちがこの世界で増えて、手を取り合おうとしている。そういう事です!」

 聴衆たちも賞賛の声を上げ、マークルフとの声をかき消す。

 マークルフは黙って指を鳴らす仕草をする。

 周囲の建物からも部下たちが現れ、聴衆に向かって矢を向けた。聴衆たちから悲鳴が巻き起こる。

「何をする!? これが貴様のやり方か!?」

「あんたと話がしたいだけなんだが、取り巻きの声が大きいとそれもできなくてな。なあに、話を聞いてくれるだけでいい。話がすめば何もせずに引き上げるさ」

 若者は手を上げて大衆を静かにさせる。

「ほう、なかなかに支持されているもんだな。しかし、さっきから使う言葉がでかいな。世界がまるであんたを支持しているようだが、俺が調べた限りでは他の街数カ所ぐらいだぜ。それに世界を救った英雄に貴様呼ばわりはたいがいだな。普通はもう少し敬意を払うもんだぜ?」

 マークルフは機械の歌声に耳を傾けながら、ぼやく。

「確かに救われた。それは戦乙女の導きによるものだ。貴様は戦乙女に選ばれて世界を救ったが、それ以降は何もしない。いや、この旧フィルガスの傭兵たちを焚き付けて戦いを起こそうとしている!」

「俺が旧フィルガスを手に入れようってのは気に入らねえか」

「世界は新しい時代を迎えた! 貴様のような旧時代の遺物はもう必要ない! これ以上の悪名を残す前に退場するべきだ! これからは我々が戦乙女の遺志を受け継ぎ、世界に平和と秩序をもたらす!」

 マークルフは鼻で一蹴すると機械の方に目をやる。

「……だってよ。軍隊も殉死すると階級が上がるが、戦乙女も世界を救う女神ぐらいまでに格上げされるらしい。たいした出世だな」

 マークルフは立ち上がった。

「あんまり調子に乗るなよ。民衆の代弁者のつもりだろうが、こっちはてめえに興味はねえ。てめえを後ろで動かしている奴の情報が欲しいだけでな」

「調子に乗らない方がいいのはそっちだ。同志たちは動いている。もうじき救援に──」

「来ねえよ。てめえたちが使っている情報網はすでに潰したからな。まったく、人の情報網をパクったぐらいで俺の先手を取れると思ったら大間違いだ。詰めが甘いぜ」

 若者が動揺するなか、マークルフは屋根から飛び降り、広場に降り立った。

「そもそも、てめえにその資格あるのか?」

「な、何を──」

「あの機械は蓄音機ってやつでな。俺の部下の胡散臭い方が古代技術から復活させた物だ。音を記録して、いつでも再生できるってやつなのさ。何でも当時は女性の濡れ場の声を録音してそれを楽しむのが正しい使い方だったらしいぜ」

 マークルフは説明しながら大衆に囲まれた若者へと進んでいく。

 部下が威嚇しているとはいえ、敵意を持つはずの大衆に単身で近づく胆力には彼らも息を呑んでいた。

「さて、俺が“機神”と必死こいて戦っていた時、“闇”に唆されて未来に逃げようとした奴も大勢いたらしいが、てめえもその一人だな」

「な、何をでたらめを──」

「そうか? 気づいている奴も何人かはいるようだぜ? あの時、俺は戦乙女に助けられた。その戦乙女も闇に覆われた世界に踏み止まり、立ち向かった人たちの願いに助けを求めた。世界はあいつの声を聞いているはずなのさ。とっとと世界を見捨てて自分の求める未来に逃げた奴以外はな」

 マークルフは蓄音機から流れる歌に耳を傾ける。

 それはかつて、リーナが故郷で流行っていた歌を収録したものだった。

 脳裏に恥ずかしがりながらも彼の前で歌った姿が思い起こされる。

 若者が気まずそうに目を逸らすが、やがて反論した。

「そ、それは過去の話だ。今、未来のために活動することが──」

「勘違いするな。資格なんて俺にはどうでもいい。てめえには興味はねえと言ったはずだ。俺が欲しいのはてめえらを裏で動かしている奴の情報だけだ」

 民衆を割ってマークルフは近づく。

 そして怯む若者の胸ぐらを掴んだ。

「それと、もう一つだ」

 マークルフは短剣を取り出す。

 若者と周囲が悲鳴をあげるが、マークルフはそれで若者の胸にあった紋章を強引に引きちぎった。

「勝手に戦乙女の名を使うな。あいつは……てめえらの為にやったんじゃねえ!」

 マークルフは若者を突き放す。

 銃撃の音がし、不意に蓄音機の歌が途切れた。

 振り返ったマークルフが見たのは煙を上げた破壊された蓄音機だった。

 見れば上空に機械が浮かんでいた。

 プロペラと銃器を携えた古代エンシアの警備兵器だ。

「裏で動いている奴が残した保険か!」

 それがさらに火を噴き、若者を吹き飛ばした。

 途端に周囲に悲鳴が巻き起こり、民衆たちは我先にと逃げ出す。

「口封じか! 探せ! 機械の魔力は長続きしねえ! 近くにこいつを起動させた奴がいるはずだ!」

 マークルフは若者の近くに立って部下たちに命令した。

 やがてウォーレンが駆けつける。

「隊長──上手くいきましたかい?」

「ああ、裏で動いている奴が煽動者を口封じに抹殺する──これで熱狂する民衆たちも幻滅するだろうよ。理想で動かされる連中を止めるには醜い現実を見せるのが一番よ」

 マークルフは気絶している若者を見下ろしながら答える。

 あの警備兵器はマークルフが用意したものだ。若者も気絶させられているだけで死んだ訳ではない。

「しかし、あの蓄音機を壊してしまって……姫様の声を遺した大事な物じゃ?」

「だから壊したのさ。目の前で大事な形見を壊されてこそ俺の行動にも説得力が出るってもんだ。これでここの煽動の動きは潰せたはずだ」

「とはいえ、姫様の声まで利用するなんて──」

「安心しろ。あれは複製だ。原盤は城と俺の頭の中にある。さてと、この動きを裏で仕切っている奴に会いに行くか」

 ウォーレンが驚く。

「もう分かってるんですかい、隊長?」

「ああ、とっくにな」

 マークルフは不敵に微笑んだ。



 世界の命運を賭けた最終決戦から三年──

 “機神”破壊という先代からの悲願を果たしたマークルフ=ユールヴィングは世界を救った英雄として“聖域”中から賞賛された。

 だが、その興奮も覚めやらぬまま、マークルフは分裂状態にあった旧フィルガス地方の統一に乗り出した。

 彼は同地を拠点にしていた傭兵たちを次々に掌握し、版図を拡大する。

 旧フィルガスの住人たちも彼を支持し、統一は急速に進む。

 だが、英雄の名の許に性急に動く彼を危惧し、反発する者たちも少なくなかった。

 それでも彼は生き急ぐように奔走する。

 実際、彼に残された時間は長くはなかった。

 それ故に多くの者は彼を支持し、その他の者は反発する動きを活発化させる。

 “機神”が滅びた後も“狼犬”は立ち止まることはなかった。

 ただ、一部の者たちは気づいていた。

 あの戦いの後、彼は“狼犬”と呼ばれることを否定しなかった。

 しかし、戦乙女を守ると誓った黄金の槍を失った時から、彼は二度と自らを“戦乙女の狼犬”と名乗ることはなかった。



 マークルフはウォーレンたち傭兵部隊を引き連れ、郊外にある聖堂に踏み込んでいた。

 とある街にあるその聖堂こそが、旧フィルガス内で煽動の動きを見せていた黒幕の本拠地と突き止めたからだ。

 聖堂の利用者を追い出し、マークルフは地下堂への隠し階段を見つけてそこに踏み込む。

 石造りの通路を歩き、やがて開けた場所に出る。

「貴様は──なぜ、ここが!?」

 そこには壮年の司祭がいた。

 そして、その背後に建物にはそぐわない巨大な兵器があった。

「随分と強気に煽動してくるかと思っていたが、これがその原因か」

 マークルフは見上げる。

 鉄機兵に似ているが、下半身は自走砲みたいになっていた。その全身にも大小の砲塔が幾つも備えられている。

 不格好な姿だが、目の前から山稜の向こうまでを射程範囲にしながら正確に砲撃できる恐るべき兵器だ。

「一介の聖堂が持つには過ぎた代物だな。てめえがこいつの持ち主か」

 司祭が取り繕うとするが、ここまで踏み込んできた彼らをはぐらかすのは諦めたのか、慌てて兵器の前に取りつく。

「こいつはわたしの命令だけを聞くようになっている。わたしが命令すれば英雄といえど木っ端微塵よ」

 兵器の各部が点灯した。

「英雄の時代は終わる。これから人々を導くのは真に世界を憂う者の声であるべきだ!」

 司祭は告げる。

「てめえの声を聞かなきゃその悪趣味な兵器で吹っ飛ばすか」

 マークルフはウンザリするように肩をすくめる。

「調べはついている。てめえともう一人が今回の煽動の親玉だろ? 傭兵上がりの一人が俺たちの情報網の一部を乗っ取り、てめえがその兵器を使って後ろ盾となる。情報網を使って一斉に煽動し、俺に対する反乱と旧フィルガスの切り取りを目論んだ」

 マークルフは部下たちをその場に待機させ、一人で司祭に近づく。

「しかし、どうやってそれを手に入れた?」

「答える理由はないですね」

「だったら代わりに答えてやる。“機神”との戦いの時、“闇”にそそのかされて未来に転移した奴らも大勢いた。てめえはその一人だ」

 マークルフは不敵な笑みを浮かべる。

「どんな未来に逃げようとした? 自分に力が手に入るように願った未来か? “闇”はちゃんと応えた。てめえの近い未来、近い場所にあの兵器が出現する時があった。てめえはそこに転移し、最初の命令者を音声認識して主君と認める兵器に命令し、見事、その兵器を手懐けた──良かったな、夢が叶ったじゃないか」

 マークルフが乾いた拍手をすると、司祭の顔が引きつる。

「わたしが卑小な人間のような言い方は止めてもらいましょうか」

「ちゃんと素性は洗ってあるぜ。戦乙女の名を使った独立運動に偽装して乗っ取った情報網を利用、自分の邪魔者を排除しながら、信者を使って煽動──いずれ自分たちが運動の中心に出て新たな指導者になろうとした。図星だろ。傭兵の情報網を甘く見るなよ。それはその一部を乗っ取ったてめえもよく分かっているはずだ」

 マークルフはため息をつく。

「やれやれ、こんな連中、てめえで五人目だぜ。“機神”ぶっ壊した時に未来への転移も止まったはずなんだがな。あの短い間に転移してろくでもない願いを叶えた奴がこうも居るなんてな」

 マークルフの顔つきが変わった。凄みを増した表情で司祭に近づく。

「調子に乗るなよ、一介の司祭がろくでもない夢を見やがって。確かに俺は傭兵稼業を畳むつもりだが、てめえらに勝手に暖簾分けする気なんざ、これっぽっちもねえ。あの情報網は“狼犬”の戦いの歴史そのもんだ。それを悪用されたら、俺は祖父様に申し訳が立たねえんだ」

「“狼犬”は退場するんです。ならば残された者が有効に使う。それの何が悪いんですか? 多くの者に広く自分の情報を伝えられる素晴らしい仕組みを貴方の一存だけで潰すなんて傲慢も甚だしいと思いませんか」

「だったら、自分で一から作りあげな。他人が用意した道具で自分を大きく見せようが、しょせんは見せかけだ」

 司祭が口を開くと兵器の小さな砲塔がマークルフに向けられた。

「貴方もしょせんは傭兵芝居をやっていた見せかけの人間でしかないじゃありませんか?」

「何のことかな? 俺は世界を救った英雄だぜ? その英雄とこうして話をするだけで自分が対等にいると思ってるんじゃないだろうな?」

 司祭の表情が険しくなり、マークルフに指を差す。

「命令一つで貴方を吹き飛ばせるんですよ」

「何だ、そうやって自分を批判する者を吹っ飛ばすのが理想か? まったく、てめえのような小物をつけ上がらせるなんぞ、本当に祖父様に申し訳が立たないぜ」

「ならばその先代様に直接、謝りに行けばいいでしょう。消える人間がこれ以上、世間に出しゃばるな! この男を撃て!」

 司祭が機械兵器に命令した。

 だが、砲塔は火を噴かない。兵器は黙ったままだ。

「ど、どうした!? 撃て! 命令だ!」

 マークルフはほくそ笑んだ。

「聞こえちゃいないぜ。てめえの声を認識する装置を抜いてあるからな」

 マークルフは懐から機械部品を取り出した。

「そんな!? いつの間に!?」

 背後から扉が開き、そこから兵士たちが入ってくる。

「てめえは確かに俺を始末しようとした。言い逃れはできねえぜ」

 司祭は兵士に取り囲まれ、捕まる。

「てめえの裁きはこの街のお偉いさんがやってくれるさ。こっそりな。てめえの足取りは何一つ残さねえ。てめえの支持者もそのうちコロッと忘れるさ。熱狂なんてのはくべるもんがなけりゃそのうち消えるもんだ」

 司祭が兵士たちに連行されていく。

 残されたマークルフの後ろにログが現れた。

 ログは科学者たちを連れており、彼らは兵器を調べて回る。

「どうだ? 安全に解体できるか?」

「はい。しかし、不思議なことにあちこちの部品が抜かれているようなんです。これはいったい……」

「さあな。細かいところは気にしても仕方ない。回収は頼むぜ」

 マークルフはログを連れて出て行く。

「閣下、あれも妖精たちが──」

「ああ、こいつだけでなくあちこちの部品を持って行ったようだな。ま、今までの礼だ。好きなだけくれてやるさ」

「彼らもいつの間にか、どこかに行ってしまいましたね」

「親切な妖精さんというのは密かに手伝い、密かに消えるもの──と自分たちで言っていたからな」

 マークルフはそう言うと先に進む。

「ログ、それとウォーレンもついてこい。この先に用がある」

 ログたちをを連れてマークルフたちは奥の部屋へと進んだ。



 “機神”との戦いは、各地で知られていなかった古代機械の覚醒という思わぬ事態を生んだ。

 それは古代文明研究に火をつけ、発掘や兵器の回収が盛んになったが、その裏では今回のような兵器を悪用する事件なども起こっていた。

 その影に奇妙な事件があった。

 各地で機械の部品が不自然に抜かれているという事件が多発したのだ。

 その犯人も、その意図も分からなかった。

 研究の妨害とも、金目当ての横流しとも噂されたが結局、何も分かることなく、やがてその事件もピタっと止まり、それについての噂も消えていくことになる。

 “神”に頼まれた妖精たちもその役目を終え、仲間たちがいる地下世界へと帰って行ったのだろう。



 入った奥の部屋は円卓が置かれた部屋であった。

 壁にはあの戦乙女を模した紋章のタペストリーが飾られており、地図や資材などが置いてある。

 そして背を向けながらタペストリーを眺めている人物がいた。

「よう、待たせたな、黒幕」

 マークルフは声をかけた。

 ウォーレンが剣を抜こうとするが、ログがそれを止めた。

「……終わったか」

 外套を纏うその人物が背を向けたまま口を開く。

「ああ、一網打尽にしてやった」

「ならば、もう、これはいらんな」

 黒幕と呼ばれた男が短剣を抜くと、タペストリーを外して円卓に投げた。

 そして振り向く。

「お前は──」

 ウォーレンが驚く。

「何て呼べばいい。昔に返ってゴルゴン卿にでもしておくか」

「“蛇”でいい」

 外套をずらして現れたのはカートラッズであった。

「隊長、こいつはいったいどういう事なんですかい!?」

 ウォーレンが首を捻る。

「この件は俺と血統書付きで仕組んだ芝居だったのさ」

 カートラッズが円卓の上に腰掛けながら答える。

「本当の黒幕はさる傭兵の大物だった。そいつが俺たちの情報網の一部を乗っ取り、民衆をそそのかして自分の勢力を作り上げるつもりだったのさ。俺は事前にそれを突き止め、そいつを始末したんだが、すでに組織の形ができあがっていて、このままでは残党が分散して同じような事を繰り返す。だから、俺が黒幕を演じていたわけよ。そいつは慎重で自分の素性を隠していたからな。俺が組織を乗っ取ってやったってわけだ」

「そういう事だ、ウォーレン。黙っていて悪かったな。敵を欺くにはまず味方からと言うだろう?」

「なるほど、敵の組織を徹底的に潰すために、あえて組織を維持するための芝居をしていたわけですかい、隊長?」

「ああ、おかげで全てが片づいた。礼を言うぜ、“蛇”さんよ」

「報酬は誰に請求すればいい?」

「悪いが契約書もなけりゃ、報酬の話もしてないぜ。そちらが一方的に話を持ちかけただけなんでな。まあ、ここにいる間は便宜ははかってやるよ、逃亡犯さんよ」

「まあ、いいさ。今回の件は傭兵の仁義に反した奴の粛清だ。傭兵として誰かがやらねばならんかった。それに黒幕を演じている間は多少はいい生活もできたしな」

「話はついたな。ログ、ウォーレン、後始末は頼む。俺はもう少しだけ話がしてえ」

「承知しました。行くぞ」



 マークルフとカートラッズは聖堂を抜け出し、近くの丘に立つ。

 一望できる旧フィルガスの光景は夕日に染まっていた。

「もったいない話だな、血統書付き。先代から作り上げた傭兵の情報網を全て畳むとはな」

「旧フィルガスの情勢は“機神”を中央に封じるために祖父様が作った仕掛けだからな。“機神”が消えたんだ。もう必要ない」

「世界を繋げる枠組みとしては極めて優れていた情報網だ。あれを一から築き上げられたのは初代“狼犬”と亡き大公の力があったこそだ。潰したらもう立て直せんぞ」

「構わねえ。世界が身近になれば小物が世の中振り回すようになる。そいつは世の中のためにならねえ。俺も祖父様の威を借りた小物だったけどな」

 マークルフは前に進み出て光景を眺める。

「なるほど、自分が動ける間に後片付けをして、後は“娘”に任せるか」

「まあな。俺の“娘”は出来がよくてな、そこらの連中よりは大物だからな」

「その仕掛けを演じていた傭兵たちも不要となるか」

「傭兵は必要なくなっても、今後も人材は必要になるさ。どうだ、俺の下に来ないか? 格安でこき使ってやるぜ」

「英雄の申し出は光栄だが、固辞させてもらう」

「そいつは残念だな」

 マークルフは振り返った。

「セイルナックから聞いているぜ。ブランダルクが落ち着いたら、北に行くんだってな。そこを拠点にしていずれ“聖域”外の紛争地域にも遠征に出るとも聞いた」

「あいつも口が軽いな……ブランダルクもあの若き王が上手くやっているからな。いずれ、俺たちも必要なくなるが、“傭兵”が必要な場所は跡を絶たないからな。貴様が不要というなら“傭兵”は俺が引き継がせてもらう」

「好きにしな。全ての傭兵が俺の下につくわけじゃない。そいつらの面倒は頼む」

「言われるまでもない」

「ただし、あんまり派手に活躍するなよ。“狼犬”の名が廃るからな」

「廃業を決めた奴が要らぬ心配だな。そのための後片付けだろう? さて、長居は無用だ。行かせてもらう」

 カートラッズも背を向けた。

 二人は背中を向け合いつつ、やがて互いに苦笑する。

「傭兵稼業は一期一会だ。明日、面を合わせているかも知れねえし、これが最後かも知れねえ。だから言っておくぜ。世話になったな、“蛇”──」

「ああ……達者でな、“狼犬”よ」



 “機神”との最終決戦から一年後、大公バルネスはこの世を去っていた。

 自分の館の寝室で息を引き取っているのを侍従に発見されたのだ。

 死因は老衰と思われたが、その死に顔は眠るように穏やかだったという。

 二代に渡り“狼犬”の力となり、最後まで戦いを見届けた老雄もまた役目を終え、戦友にそれを伝えるために旅立ったのだ。

 そして、大公死去から喪が明けた頃、ユールヴィング領は世間を驚愕させる発表をした。

 エレナ=フィルディングとの養子縁組の成立だ。

 相手が因縁の一族であったフィルディング一族、しかも自身が独身でありながら同年代の娘を妻ではなく“娘”として迎え入れたのだ。

 それは多くの賛否を呼んだが、マークルフはそれに構うことなく旧フィルガス統一に向かって動く。

 旧フィルガスを中心とした傭兵たちの活動は、皮肉なことにその棟梁であった“狼犬”によって旧フィルガスが平定される形で居場所を失う。

 ある者は傭兵を辞めて新たにユールヴィング領の兵士となり、ある者は傭兵を続け、その活動拠点を北に求めていくことになる。

 北方では小競り合いをする豪族たちが多く、彼らの新たな生業の場として目を付けられたのだ。

 さらに“聖域”外で続いている紛争地域へ傭兵を輸出するという、新たな産業の拠点ともなっていく。

 そこで名を轟かせたのは“竜”の仮面を被った一人の傭兵隊長であった。

 彼は“聖域”外へと積極的に傭兵たちを派遣し、その紛争を左右する存在へと成り上がっていく。

 彼は元々“聖域”外の紛争地域の生まれらしく、その有力者たちに“傭兵”たちを輸出し、やがて彼らの戦いを左右するようになると、傭兵や兵士たちの死闘も減っていき、紛争が徐々にだが冷戦へと変わり、さらにはやる気のない八百長の戦いすらも噂されるようになっていく。

 それには十年の年月がかかることになるが、終わらない故郷の争いを止めるために“傭兵”を持ち込んだ“竜”は、やがて“狼犬”と比べられるほどの傭兵隊長として称えられるようになる。

 その彼の正体についてはこんな噂があった。

 ブランダルク国内において子供たちを人質にし、籠城した“蛇”と呼ばれた傭兵がその人本人ではないかという噂だ。

 その“蛇”と結託した仲間たちは結局、捕らえることができず消息は不明だった。

 だが、その“蛇”も“聖域”内で再評価の声が高まることになる。

 再評価を後押ししたのはブランダルクの傭兵ギルド記者テトアの発行した手記だ。

 “蛇”との同行経験がある彼女によって発行された手記には、傭兵としての彼のこだわりと“狼犬”との関わりが描かれていた。

 “狼犬”との対立関係で知られた“蛇”も、裏では“狼犬”の理念を最も理解していた傭兵であり、“狼犬”もまたそれを認めていたということだ。

 そして、その手記にあるブランダルクで彼に拾われたという一人の傭兵の話も世間に大きな関心を寄せた。

 彼は異形の力に取りつかれて自分を見失っていたが、“蛇”に捕まった彼は傭兵として再出発できたのだと──

 “蛇”の所業が結果的に異形たちの対策手段として世間に広がったこともあり、全ては“狼犬”の戦いを助けるための狂言なのではないかと人々は考えた。

 だが、その“蛇”は世間から消えたまま二度と現れず、“竜”もまたその正体を生涯、明かすことはなかった。



 ユールヴィング領の田舎町の外れに一件の店があった。


『よろず、請け負います エルマの店』


 軒先に飾られたその看板をくぐり、一人の客が入ってくる。

「いらっしゃいませ~」

 店内の掃除をしていた侍女姿の女性が挨拶をするが、入ってきたのが科学者風の女性と気づくと途端に営業の顔を崩した。そして近くの椅子にぞんざいに座る。

「急にやる気なくなったわね、何でも屋さん?」

 エルマに向かってマリエルが腕を組む。

「あんたが来るとろくな事がないのよね。で、何の用?」

「大がかりな仕事が入ってね。助手が必要なの。あの二人を借りるわよ」

「え~ッ!? これから力仕事が入っているのにあの二人、連れて行かれたら困るわ!」

「この店の資金を出す代わりに、必要な時はあの二人を借りるって約束はしているはずよ」

「そうだけどさ~」

 渋る姉に向かってマリエルがテーブルをバンと叩いた。

 エルマは怯んで肩をすくめる。

「こっちも忙しいの! 今は一人でも人手が多く欲しいところなのよ!」

 “機神”との最終決戦の後、古代兵器は“聖域”の力によって暴走を止めた。その後、多くの古代兵器が放置されており、多くの科学者たちによって競争のように回収、研究がされていた。

「いるんでしょう、二人とも?」

 マリエルが店の奥を睨む。

 奥の扉からアードとウンロクの二人が覗いていたが、マリエルに指で招かれると怯えた表情で出てくる。

「さあ、行くわよ。これが資料。施設に着くまでに頭に叩きこんでおいてちょうだい」

「あ、はい」

「いや~……また分厚い資料で」

 マリエルに渡された資料を仕方なく読む二人。

 その間からエルマは顔を出す。

「ふんふん、なるほど、こういう実験か。これなら分かるわ。仕方ないわね、今回は特別に分からないところは教えて──」

「必要ない!」

 マリエルが握り拳でテーブルを叩いた。

 三人は互いに身を寄せて震え上がる。

「研究は自分たちの手で発見しなきゃ意味がない。場違いな知識を持った自分は必要ないって、そう言って勝手に引退したのはどこのどなたさんかしら?」

「い、いや、でもさ。二人とも連れて行かれるとほんと困るし、時と場合によっては──」

 マリエルが懐から硬貨入りの袋を取り出し、テーブルにドンと置く。

「これで代わりの人でも探してちょうだい」

「ええ、今から探せって言われてもぉ……」

 マリエルが無言で三人を睨む。

 その有無を言わせぬ迫力を前に三人は凍り付く。

「じゃあ、二人を借りていくわよ。二人への報酬はそのお金ね」

「ええっ? それじゃ、うちが損──」

 マリエルの無言の背中からにじみ出る気迫がエルマの反論を完全に封じた。

 結局、アードたちはマリエルに連れられていく。

 二人が振り返った。

 エルマは困った顔をしながらも、マリエルに分からないように目配せして手を振る。

 二人も承知したようにうなずき、店から出て行った。

 エルマはテーブルに頬杖をつくと一人、ぼやく。

「やれやれ、あの子もずいぶんとたくましくなったものね」

 研究は盛んだが、同時にその風当たりも強い時代だった。“機神”との戦いで暴走した古代兵器たちの記憶は新しく、その恐怖が払拭されるまでに長い時間と労力が必要だ。

 だが、そんな時代でも科学の探求者たちは新たな道を進んでいくだろう。

「これなら、もう心配ないか……あんたも納得した?」

 エルマは隅に置いていた青金の文鎮を指で弾くのだった。



「“機神”の消滅は古き時代の終止符となりました。我々もまた、魔導科学が生み出した“罪”の呪縛からようやく解放されたとも言えます」

 マリエルが多くの聴衆たちを前に講演をしていた。

 “戦乙女の狼犬”に従い“機神”と戦った一人であり、自身も美貌の才媛である彼女は現在、学会で最も注目を集める科学者であった。

「ですが、終わったわけではありません。むしろ、これから我々は世界と向き合い、償いをして行かなければなりません。世の発展に寄与するという科学者の原点に立ち返り、その理念の信望者として次なる道を模索していく必要があります」

 聴衆は科学者を目指す学生たちと彼らを指導する同業者、そして記者たちだ。

「ここに立つ貴方がたは素晴らしい資質を秘めた人たちと認めます。ですが、心してください。才能は時として呪縛となります」

 彼らに囲まれ、壇上のマリエルは熱弁する。

「我々には古代エンシアの遺産という、知識と技術の宝庫が与えられています。それを研究すればその才能を遺憾なく発揮できるかもしれません。ですが、それは古代エンシアと同じ運命に縛られる道かもしれません。無論、エンシアの技術は素晴らしいものです。ですが、違う可能性を考える必要もあります。多くの科学者が道を模索して来ました。これからの皆さんはそれを受け止め、新たな道を作ることを求められるのです」

 マリエルは若き後輩たちを静かに見渡した。

 その後、彼女は無名の科学者たちの存在を取り上げる。

 まずは古代エンシアにおいて強化鎧《アルゴ=アバス》を製作した科学者たちだ。

 “機神”の危険を想定し、それに対する兵器として強化鎧を遺した名も分からぬ彼らこそ、世界を救った真の功労者たちであると──

 そして次に名を上げたのは名声よりも科学者としての信念に従った科学者であった。

 マリエルはその科学者の研究と尽力が“機神”を破壊する方法を見いだし、今の勝利に導いたと説明する。

 学生たちがその名を尋ねたが、マリエルは本人の望みだとしてその名を答えなかった。

 人の道を踏み外してでも科学に忠を尽くした彼を自分は評価できない。ただ、過ちから正しい道を見つけることも大事であることを伝えた。

 そして最後に、科学の理念と可能性を守るために自分の道を捨てた科学者の存在を挙げた。

 その者は天賦の才能と失われた知識を独占し、誰よりも古代文明に近い科学者となった。だが、それが未来の可能性を否定することを危惧し、無名の科学の信望者として消えていく道を選んだのだと──

 若者たちの中にはその選択に疑問を持つ者が少なくなく、その真意をマリエルに問う。

 彼女はこう答えた。

 その科学者はバカな生き方しかできない変人なんだと──

 だが、彼女はそんなバカな生き方が許される世界を愛しており、自分も誰よりもその人を尊敬していると──



 度重なる遠征が続いたマークルフ率いる〈オニキス=ブラッド〉は久しぶりにユールヴィング領に帰還していた。

 ログたちを先に城に帰還させたマークルフはいつもの《戦乙女の狼犬》亭へと入る。

「お帰りなさいませ、男爵様」

 カウンターで出迎えたのは女将でなくマリーサだった。

「よう、その若女将姿も板についてきたな」

「冗談はおやめください。女将さんに頼まれて代理で居るだけです」

 エプロンを纏ったマリーサが棚を開ける。

「女将は湯治に行ったんだってな?」

「ええ、フィーちゃんと一緒に。今まであまり店を離れませんでしたから」

 マリーサが酒の入った杯を渡す。

「爺さんも逝ってしまったしな。面倒ごとばかり運んできた常連客なんぞ忘れて孫と余生を楽しむのもいいもんだ」

「一番の常連客が居座るうちは引退できないとも言ってましたけどね」

「マリーサ、女将は働きぶりを褒めてたぜ。どうだ? このまま侍女頭から女将に転職ってのは?」

「先代様なじみのお店を守るのも悪くありませんが、ツケを払わない常連客のお店は勘弁してもらいたいですわ」

「そう言うな。ツケの切れ目が縁の切れ目というぜ?」

 最近、女将は店を離れることが多くなり、その代理としてマリーサが働く機会が増えていた。

 それは主人であるマークルフの命令であったが、引退を見据えた女将の頼みでもあった。



 二階の特別席に座ったマークルフは窓の外を見る。

 祖父の愛用していた席を彼も使うようになっていた。

 夜の街に灯りが消えることなく、階下では酒場を訪れた客たちで賑わっている。

「閣下」

 賑わいの中、城に戻っていたはずのログが階段を上がってやって来る。

「どうした、何かあったのか?」

「いえ、急ぎではないのですが城に手紙が届いて来たのでお渡しします」

「わざわざ持って来てくれたのか──リファからの手紙か」

「はい。サルディンさん経由で届いたものをエレナ様が預かっておられました。酒が入る前に読ませてやってくれと──」

 ログが向かいの席に座った。

 マークルフは階下で忙しくしているマリーサの働きぶりを眺める。

「ログ、マリーサならここの女将が勤まると思うか?」

「評判は良いようです。常連客の間では若女将の親身の説教と拳骨が目当てで来る者のいるとか──」

「何がウケるか分からんな……だが、酒さえ飲まなきゃ大丈夫か」

 マークルフは封を切って手紙を読む。

「なるほど、ブランダルクの王妃探しが始まっているようだな」

「フィルアネス王の──ブランダルクの復興も一段落ついたようですしね」

 手紙にはリファの近況が書いてあった。

 彼女は相変わらずブランダルクの傭兵組織に属していた。

 そこは顔役だったセイルナックが完全に表舞台に立たなくなり、代わりにサルディンが代役をしているという。

 リファはその一員として、自分なりに兄王と祖国の役に立とうと頑張っているらしい。

「最近は探偵の真似事をして、王妃候補たちの身辺調査をしているそうだ。まったく若くしてうるさい小姑になりそうだぜ」

 マークルフの手紙を持つ左手が震える。

「……チッ、空気を読まない手だ。ログ、お前も呼んでみな」

 手紙を渡し、ログもそれに目を通す。

「フィーリア殿はフィルアネス王にも苦言を残してるようですね。理想が高すぎて迷うのは先方に失礼だから早く決めろと──」

「ハハハ、あいつも兄離れができないと思いきや、しっかり者のところもあるからな」

「どうやら、フィルアネス王の理想はリーナ姫のような方らしいですね」

「あいつが? あんなじゃじゃ馬のどこが良いんだろうな。もらったって苦労するだけなのによ」

 マークルフは窓の外を眺める。

「もっといい王妃様を見つけろよ。そして俺のようになるな……守ると誓った約束も果たせず、置いていかれてしまった馬鹿な男にはな」

 そう言って彼は静かに微笑んだ。

「おくつろぎの邪魔をしました。これで──」

 立ち上がろうとしたログをマークルフは空いた杯を出して引き止める。

「どうせ、急ぎの用はないだろ。付き合え」

「……頂きます」

 ログは杯を手にし、マークルフは右手でそれに酒を注ぐ。その右手も震えていたが、ログは何も言わずに杯に受ける。

「ログ、お前にも長く付き合わせてしまったな」

「わたしは姫様に頼まれた二人三脚を最後までやり遂げられたでしょうか?」

「ああ、祖父様が亡くなって俺とお前で二代目の“狼犬”芝居を続けると誓って十年……随分と長い二人三脚だったな。ログ、感謝する」

「いいえ、その二人三脚があったからこそわたしもここまで脱落せずに来れたのです。ありがとうございました」

 マークルフは両手を握り、ましに動く右手で杯を掴む。

「さて、何に乾杯するかな」

「我らを導いてくれた姫様と、我らを引き合わせてくれた先代様に──」

「そうだな。では“戦乙女”と“狼犬”に──」

 二人は杯を合わせた。

 偉大な英雄が求めた世界──権力や欲望、理不尽な暴力に振り回されず、ただ気の置けない仲間たちと好きなように酌み交わすことが当たり前の世界。

 ようやく彼らの二人三脚も終着したのだ。



 その後、マークルフは様々な困難があったものの、数年後に旧フィルガス地方は彼によって統一され、ユールヴィング領は中央王国クレドガルの属国という形で一つの国家を成立させる。

 初代“狼犬”の始めた戦いによって瓦解していたフィルガス地方はその跡を継いだ者によって再び統一されたのだ。

 その国家はリーナスと名付けられた。新たな世界の礎になるように願いが込められた名であった。

 その国の初代王となったマークルフは“傭兵王”の異名を与えられる。

 しかし、彼はすぐにその座を“娘”に譲ることを宣言した。

 そして彼は歴史の表舞台から消える。

 強化装甲を駆って戦ってきた彼の身体はすでに限界を迎えていたのだ。

 “機神”消滅から五年後、彼はこの世を去る。

 “聖域”を救った若き英雄の最期は、その功績とは裏腹に密やかなものだった。

 一部の者しか知らない療養先で腹心や旧知の者だけが集まり、その最期を看取ったのだという。

 クレドガル本国が国葬を願い出たが、喪主であったエレナ=ユールヴィングはそれを丁重に断り、義父の死後について公表することはなかった。

 一介の傭兵から始まった戦いは一介の傭兵に戻って終わらせたいという義父の遺志に従ってのことだった。

 世界を歪めた“機神”の破壊、その戦いにより瓦解してしまったフィルガスの再統一──

 先代が果たせなかった悲願を果たし、全てを片づけたうえで彼は消えていったのだ。



 義父の跡を継ぎ、実質的なリーナス初代女王となったエレナ=ユールヴィングはその生涯をフィルディング一族に捧げた。一族の復興、および一族の瓦解によって混乱していた社会の立て直しに奔走した。

 やがて彼女はフィルディング一族中興の祖として歴史に名を残すことになる。

 その誇り高き姿に、彼女の支持者たちからは“狼犬の戦乙女”と呼ばれるようになっていた。

 英雄たる義父の二つ名にちなんだ敬称であったが、彼女本人はその呼び名を最後まで固辞した。

『“狼犬”にとっての戦乙女は最後までただ一人だった』と言って──



 先代より“狼犬”に仕えた“狼犬の懐刀”ログは主君の最期に立ち会い、そしてエレナ女王の即位を見届けた後に姿を消した。

 この頃には彼がブランダルクの伝説“最後の騎士”その人ではないかと噂も広がっており、それから逃れるように身を隠したのではないかと言われた。

 その後の消息は不明であったが、最後の足取りと思われる噂話はあった。

 それによれば彼はブランダルクでの逃亡劇において殺した兵士の遺族に仇と狙われた。彼は抵抗することなく、それに討たれようとしたらしいが、その彼の前に立って彼を庇った若い娘がいたのだという。

 その後、彼と彼女がどうなったかは分からない。

 ただ二度と彼が表舞台に上がることはなかった。

 彼もまた、全てをやり終えて最後に消えていく使命を全うしたのだ。





 ──以上が鮮烈に生きながら若くして消えた傭兵王の物語《聖域幻想曲》の全てである。

 この物語を傭兵王と縁のあった一人の少女により編纂され、同じく縁のあった傭兵ギルドの記者たちによって発行された。

 彼女は丹念に傭兵王の足跡を追い続け、共に戦った部下や戦友たちの許に自ら出向いて話を集め、様々な脚色をして一つの読み物として完成させた。

 彼女は傭兵王の二つ名と同じ屋号の生家で育ち、傭兵王個人とも知己の間柄だったという。

 そして、傭兵王の最期を看取った数少ない人物の一人でもあった。

 その題名の由来は“聖域”において英雄の芝居を貫いた、傭兵王とその仲間たちの姿を喩えたものだ。

 即興の芝居を繰り返しながらも、その根底では悲願を果たすために厳格なまでの信念を貫いた姿を曲に喩えたのだ。

 広くその名を知られながら謎も多かった傭兵王。その真の姿に迫ったこの本は“聖域”中で多くの者に読まれ、大きな反響を生んだ。

 そして傭兵王の死去から五年後、その功績を称える記念式典が行われ、作者の少女が主賓として招かれた。

 それは極めて異彩であった。

 各地の貴族・有力者が列席する中、姿を現した少女が着ていたのは少し古くなった簡素なドレスという、この大舞台の主賓には似つかわしくない姿であった。

 さらに民間人に過ぎない少女を先導する役を担ったのはクレドガル王国とブランダルク王国、それぞれの国王であった。

 傭兵王と縁の深かった二人の国王に導かれ、少女は本を大事に抱えて歩く。

 そして二人の王に見守られながら、少女は先を歩き、祭壇の前に立った。

 その祭壇には破壊された《アルゴ=アバス》が安置されていた。

 “狼犬”の家宝であった古代鎧は主の死後、クレドガル王国に献上され、その象徴として保管されていたのだ。

 修復されることなく大破した姿を晒す強化装甲は、主が繰り広げてきた激しい戦いとその終焉を示していた。

 少女は本を祭壇に献上する。

 周囲が拍手に包まれた。

 少女はその喝采を背に鎧に向かって微笑む。

 そして語りかけた。

「やっと、お姉ちゃんのドレスが入るようになったよ、男爵──」



 その《聖域幻想曲》では傭兵王の最期がこう描かれている。

 仲間たちに見守られて息を引き取る間際、地中から鋼の巨人が現れ、中から黄金の髪の乙女が降り立った。

 勇士を迎えに来た戦乙女は傭兵王の傍らに立ち、静かにこう告げたという。

『──お疲れ様でした』

 傭兵王はその姿に涙した。

 そして、戦乙女と巨人は傭兵王を遙か地下にあるという楽園へと導いていったと──

 それが真実かどうかは分からない。

 それを知るのは少女をはじめとする一部の者たちだけである。

 ただ、少女は最後にこう締めくくっていた。


『神様は自分が雇った傭兵に贈る最高の報酬を、ちゃんと忘れずにいてくれたのだ』



         (サンクチュアリ・ファンタジアシリーズ 完)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ