最後の“狼犬”
「どうなってるんですかね、こいつは?」
アードが首を傾げる。
エルマたちを狙っていた機獣が一斉に大人しくなっていた。
機能を停止している訳ではないが、空を見上げて威嚇しているように見える。
「……どうやら、空に一番の“敵”がいると反応しているみたいね」
マリエルが測定器を操作しながら告げる。
「見て。空に膨大な“力”の反応があるわ。おそらくエンシアの兵器は闇の魔力以外で起動するものに一番、反応して攻撃するようになっているみたい。周辺の飛行兵器も皆、この反応を追って集まってきているわ」
「男爵──それにリーナ姫が行ったのね」
エルマは答えた。
その“力”の反応はリーナが変身していた“鎧”の反応と酷似していた。
「《アルゴ=アバス》も再起動中。よく分かりませんが、計測数値は全出力を超えていますぜ」
強化装甲のモニターを操作していたウンロクも答える。
リーナの呼びかけを聞いていた一同も、エルマたちの説明を疑うことはなかった。
「隊長がやってくれたのか?」
負傷したサルディンがやってきて尋ねる。
「反応は上空に浮かぶ“機神”本体にまっすぐ向かってる。“機神”を破壊して、“闇”と現世の繋がりを完全に絶つつもりだわ」
マリエルが答える。
「……姫様はどうなるのですか?」
タニアが恐る恐る尋ねる。
マリエルも言葉を濁す。
「全てを終わらせに行くのよ」
エルマが答えた。
「“機神”を破壊すれば一体化しているリーナ姫も、姫様の力を借りている男爵も戻れないかもしれない。それでも二人は行ったのよ」
「そんな……」
タニアが地面にへたり込み、マリーサがそれを支える。
「若……姫様一人だけで行かせないなんて、ずいぶんと男前過ぎるじゃないですかい」
サルディンも地面に剣を刺して地面に腰をついた。
エルマは空を見上げる。
闇の頂点から光のツタが伸びている。その先に光点が瞬き、それはまっすぐに闇の頂点を目指していた。
「うぉおおおッ!」
黄金の槍が一閃し、エンシアの自動掃討艇が爆発した。
さらに光の帯を翻しながら次々と古代兵器を撃破していく。
鋼と光の帯を纏った勇士が闇の空を空高く突き進む。
目指すは天頂に浮かぶ《アルターロフ》だ。《アルターロフ》光の糸が伸び、それと繋がった勇士は導かれるように天頂を目指す。
「うじゃうじゃ追って来やがるな」
『私たちの力を排除対象と見なして攻撃してくるようです』
空は機械群で埋め尽くされていた。
機械の獣、飛行兵器など、およそ空を浮かぶ兵器がマークルフたちの行く手を阻むように攻撃を仕掛ける。
マークルフたちはそれに耐えながら、ひたすら天頂へと飛翔する。
強力な魔力源を感知し回避すると同時に、魔力の光線が目の前を横切った。
機械の翼竜が飛来し、口からさらに光線を発射する。
それを回避して接近するとマークルフは槍を振るうが、翼竜の前方に転移陣が現れ、翼竜はその中に消える。
「どこだ!?」
真下から転移陣が現れ、そこから翼竜が飛び出し体当たりする。
「ぐあぁあ!?」
『きゃあ!?』
衝突を受けたマークルフは弾き飛ばされ、さらにそこに古代兵器たちの一斉砲撃を浴びる。
閃光に闇の空は染まり、煙を上げながらマークルフはそこから落下した。
「男爵さん……お姉ちゃん……頑張って」
ログの目の前でリファが手を合わせて祈りを捧げる。
その姿を見守るログも左手を見た。
「何を見ているのです?」
エレナが尋ねる。
「魔剣もこれが最後の役目だと思っているようです」
神女の紋章を通してシグの魔剣もその力を全て勇士たちに貸していることが伝わってくる。
その脳裏に幼き少女の姿が蘇る。父親のために魔剣となった娘の姿を──
「あの魔剣も、“狼犬”の持つ黄金の槍も元は一人の戦乙女に選ばれた女性だったのでしょう──彼女らも勇士たちと共に行くというのですか」
ログは空を見上げる。
「閣下が戦う前から世界は“機神”と戦っていたのです。これで、全てが終わることを信じて、彼女たちも行くのでしょう」
空で閃光が瞬く。勇士が向かった戦火の瞬きだ。
「戦乙女たちよ、お願いする。どうか“戦乙女の狼犬”に武運を──」
「……クッ!?」
被弾して各箇所を損傷した強化装甲の出力が落ちていた。
落下するマークルフを追って古代兵器たちが迫る。
『マークルフ様!』
鎧を覆っていた光のツタが伸び、破損した装甲に新たに巻き付く。すると、その部分が機能を取り戻し、装甲全体の出力も回復する。
「リーナ!?」
『私が最後まで貴方様を戦わせます!』
推進装置を噴かして姿勢を制御したマークルフに攻撃が迫るが、それを間一髪で躱して飛翔する。
目の前に再び翼竜が迫り、光線を吐き出す。
「同じ手は食らわねえ!」
マークルフは左腕に“盾”を展開して光線を受け止めた。そのまま距離を狭め、翼竜に体当たりする。
転移する判断もできなかった翼竜に槍が刺さり、巨体は落下していった。
「邪魔だ!」
マークルフたちは群れをなす飛行兵器・機獣たちの間を縫うように飛び、あるいは破壊しながら《アルターロフ》を目指した。
そして、ついに、闇に鋼の根を張る三対翼の機械神を射程内に収める距離までたどり着いた。
『──来ました』
リーナの幻影がマークルフの眼前に現れる。
『これで最後です』
戦乙女が微笑んだ。
「リーナ──」
『クレドガルで“機神”と戦った時にお預かりしていた命をお返しする時が来たのです』
「……リーナ、俺は──」
『あの時、“機神”を止めるために私を討とうとした貴方を、私は助けたいと思ったのです。だから──撃ってください。そのために一緒にここまで来たんじゃないですか』
リーナの幻影が離れ、本体である機械神へと静かに消えていく。
やがて機械神が内側からの光に照らされるようにその全身を黄金へと変えた。
機械神から伸びる光の帯と繋がっている強化装甲から、彼女の気配が肌に伝わってくる。
その間にも振り切った古代兵器たちが彼を追って、砲撃を開始する。周囲に流れ弾が飛来する。
マークルフは歯を噛みしめて《戦乙女の槍》を握った。
「その命運──この命運に懸けて、ここに断ち切る」
マークルフは《アルゴ=アバス・アダマス》最後の切り札を発動させた。
右腕の合体手甲が唸りをあげ、双刃が赤熱するように白く輝く。左腕の補助動力機関も共鳴し、魔剣が眩い光に包まれる。
全身の装甲も赤熱し、彼を狙っていた魔力弾がその波動で消滅した。
魔剣の補助動力機関と連動し、強化装甲の限界を超えて発動する対“機神”破壊を想定した最後の〈アトロポス・チャージ〉だ。
「いくぞッ!!」
背中の推進装置が全て展開した。
全身はさらに輝き、双刃から力を付与される《戦乙女の槍》がその力に身震いするように震えながら、膨大な破壊力を宿していく。
これが天頂に座す《アルターロフ》に向かって放たれる最後の一矢だ。
『──これが君の望んだ結末なのか!』
《アルターロフ》の前にヴェルギリウスの幻影が現れる。
『まだ、やり直せる! マークルフ=ユールヴィング! そして、リーナ! ただ、わたしに頷くだけでいい! それで、君たちが報われる世界へとわたしが導こう! 嘘ではない!』
「黙れッ!!」
光の矢がその輝きを強めながら機械神に迫る。
『これが君の望みか!』
ヴェルギリウスの姿がリーナに変わった。
『君は彼女をその手で葬れるのか!』
それは最初に出会った頃の簡素なドレスを着たリーナだ。
彼女の幻影は屈託のない笑みをマークルフに向ける。それを引き金に脳裏に彼女の笑顔と温もりが蘇る。
『君の望みは彼女だ! こうしてわたしが君の前に現れるのがその証だ! それでいいのか? 君が世界に尽くそうが、世界は彼女を返しはしない! 彼女のいない世界が君にとってどれほどの意味がある!』
槍を握る手が震えた。
仮面の下に隠れた瞳が懊悩に揺れる。
『撃って! マークルフ様ッ!!』
リーナの背後にリーナが現れて羽交い締めにする。
羽交い締めにされたリーナの幻影が弾け、ヴェルギリウスの姿に戻る。
『迷ったらダメ! 貴方の望みは最初から最後まで変わらない! 先代様に代わって、この世界を歪んだ運命から解放することだったはず!』
『戯れ言を! 愛する者を手にかけるその姿が歪んでいなくて何という! それが世界を救うのなら最初から世界が歪んでいるのだ!』
『違う! あなたが歪めたのよ! それを正すために私たちはここにいる!』
リーナの姿が輝き、ヴェルギリウスの姿が輪郭から崩れていく。
『撃って!』
リーナが悲痛の叫びをあげる。
マークルフは唇を震わせながら槍を握りしめた。
『お願いだから──』
『それが今まで君に尽くした彼女に対する報いか!』
ヴェルギリウスの姿が闇へと変わっていく。
『私を愛してくれるのなら──』
リーナが道連れにするように闇の姿を捕らえる。
『私たちを──』
そして、リーナの声が全ての空に響いた。
『エンシアの亡霊を破壊してェ──ッ!!』
「うあああああああああぁああ──!!」
マークルフの姿が光の矢となり、《アルターロフ》へと放たれた。
光の矢は機械神とその背にある闇の天頂へ炸裂する。
「ああああああああぁあッ!!」
全てが白く染まるなか、黄金の機械神がひび割れていく。黄金のツタが次々と千切れ飛び、その甲殻も一つ、また一つと砕けていく。
マークルフの持つ《戦乙女の槍》にも亀裂が走る。そしてシグの魔剣も同様にひび割れていく。
三対の翼も次々と崩れ去っていく。その頭部も崩壊し、まるで苦悶の表情のように首をもたげる。
強化装甲を覆っていた光の帯も弾け、装甲も限界を超えてひび割れていく。
「リーナ──一人で行かせはしない」
全てが破壊されていく光の中でマークルフは呟く。
「一緒に幕を下ろそう──」
光が全てを呑み込む。
その中にリーナの幻影が現れた。
彼女は笑っていた。そして両手を伸ばしてマークルフの顔を挟み込む。
『マークルフ様──これで“戦乙女の狼犬”の戦いは終わります。戦乙女ももう必要ありません』
「……リーナ?」
『でも、一人は少しだけ寂しいから、貴方の中の“狼犬”だけ連れて行きます。貴方は新しい世界で貴方として生きてください』
彼女の幻影がマークルフの瞳に口づけをした。
そして光がその幻影も呑み込んでいった。
闇の空の遙か彼方で閃光が広がった。
それは地上にいる者たちにもはっきりと分かるほどの光だった。
その光の爆発を起点に、空を覆っていたツタへも光が迸る。
それはあたかも闇の空に入る光の亀裂のようであった。
光が弾け、闇を払った。
“聖地”を長らく覆っていた闇の帳が消失していき、それに隠されていた本当の夜景が地上の人々の前に姿を現した。
その空も白み始めていた。
朝が近いのだろう。
「……どうなったの?」
太陽の光に目を細めたエルマは最後まで観測装置を操作していたマリエルに尋ねる。
「“闇”の特異点を起点にしたと思われる次元振動消失──《アルターロフ》も……男爵たちの反応も全て消失。他の反応はなし」
マリエルが顔を隠すようにうなだれる。
「……そう」
エルマは顔色を変えることなく、淡々と告げる。
「特異点内で発生した戦乙女の武具同士の衝突による反応、それに伴う“闇”の特異点消失を確認──現時刻を以て、我々は“機神”の破壊に成功したことを認める」
エルマは振り返ってウォーレンとサルディンの二人を見る。
「これをすぐに各地に伝達してあげて……その必要もないかもしれないけどね」
エルマは地平線を見た。
山稜から日の光が差している。
懐かしい朝の光が地上を照らそうとしていた。
空が光を取り戻し始めた。
本当に眩い朝日が差す青空だった。
古代文明崩壊から続いた運命に終止符が打たれ、新たな世界が始まったことを示す眩さだった。
「……男爵さんとお姉ちゃん、どうなったの?」
リファが呟く。戦いが終わった空を見る瞳は暗い。
「エレナさん、分からないの?」
「すまない、私も何も分からない」
エレナも空を見つめながら答える。
ログは二人に背を向けた。
「副長さん?」
「……戻りましょう。わたしも魔剣の主としての役割は終わったようです。ここで待っていてもいつご帰還されるか分かりません」
ログは答えた。二人が息を呑むのを気配で感じる。
左手の紋章を通して感じていたシグの魔剣の力は消失していた。そして紋章自体に宿っていた神女の力もすでに感じられなくなっている。
ログは歩き出した。
全てが終わった。そう受け止めるしかない。そして自分には副官としての後仕事が残っている。
だが、不意に目に光が差し、足を止める。
上を向いたログは驚きに目を見開いた。
闇の切れ目から朝日が差す空に光が降臨する。
それは光の翼を広げた“天使”であった。
“天使”の少女が破壊された強化装甲を纏うマークルフを両腕で支えながら、ゆっくりと地面へと降り立った。
「閣下!?」
「男爵さん!?」
ログたちが慌てて駆けつける。
少女天使がゆっくりとマークルフを地面に下ろした。
「大丈夫です。彼は生きています」
天使は答えた。
「なぜ、天使が閣下を助けた?」
ログは尋ねる。
「彼女の最後の頼みでした。この勇士だけでも帰還させて欲しいと──あの戦乙女は最初から独りで消えるつもりだったようです」
「お姉ちゃん……」
リファがその場に崩れ落ち、ログが支える。
覚悟はしていたのだろう。だが、我慢できずにやがて号泣する。
ログが黙ってリファの肩に手を置く。
天使も傷ついた勇士の姿を静かに見下ろす。
「これからどうするつもりなのか、残された天使よ?」
エレナが尋ねる。
「エンシアの罪は贖われました。わたしもまた赦す時が来たのでしょう……エンシアの亡霊が消えるならば、わたしもその一人として運命に従います」
そう告げて天使が振り返り、マークルフを見る。
「槍の主よ──先生の悲願が果たせたのは貴方のおかげです……ありがとう」
天使は感謝の言葉を告げ、姿を消した。
その姿に相応の素直で優しい口調だった。
きっと彼女も呪縛から解放され、そして二度と現れることはないのだろう。
地上で花火が鳴った。
それは“狼犬”が“機神”に勝利したことを知らせる号砲であった。
人々は“狼犬”の勝利に歓喜し、他の地へも伝えるために新たな号砲を空へと打ち上げる。 いち早く知らされたユールヴィング領ではすぐに隔離されていた子供たちが解放された。
施設から解放された子供たちは出迎えに来た大人たちにすぐに駆け寄り、無事に再会できたことを互いに喜ぶ。
女将もその中にいた。
「フィリー」
子供たちの中に孫娘の姿を見つけた女将がその名を呼ぶ。
「……婆ちゃん!」
フィーが笑顔で駆け寄る。
「終わったわよ。男爵がちゃんと世界を救ってくれたわ」
女将が両手を差し出す。
フィーは涙ぐみながら、その胸に飛びついた。
女将はその頭を優しくなでる。
(ルーヴェン──子供たちには辛い思いをさせてしまったけど、ちゃんと光差す未来を残すことができたわ。貴方と、若様と、貴方が始めた戦いに賛同してくれた全ての皆のおかげよ……ありがとう)
「──さん──男爵さん──」
揺さぶられたマークルフは目を開ける。
「男爵さん!」
「……リファ……か」
「男爵さん!? よかった……お帰り……なさい」
リファが泣きながら笑顔を向ける。
周りを見回すとそこにはログとエレナも立っていた。
そして空には澄み渡った空が広がっている。
「……リーナは?」
マークルフは尋ねた。
誰も答えない。
だが、リファが泣きながら彼の胸に顔を埋める。
それが答えだった。
「……リーナのバカ野郎……」
マークルフは鋼の手をリファの背に置きながら呟く。装甲も抜け殻のように重くなっていた。
「……何が最後までお供しますだ……いい加減なことを言いやがって……勇士を導く戦乙女が最後の最後で勇士を忘れていきやがって……この……お調子者のすっとこどっこいが!」
マークルフは叫んだ。
そして顔を歪める。
「一人にさせてあげてください」
ログがリファを起こし、静かに立ち去る。
エレナが傍らに立つ。
「自由に泣くがいい──それがあの娘がそなたに残したかった世界だ」
それだけ告げるとエレナも背を向けて静かに去った。
離れて様子を見守っていたログたちだが、やがてエレナとすれ違った。
「その子は預かりましょう。近くにいてやってください」
「感謝する」
エレナがリファを預かり、ログを残して去った。
「閣下!」
「若!」
やがて仲間と部下の傭兵たちの声がした。
彼らは地面に寝そべるマークルフを見つけると駆け寄ろうとする。
ログは小剣を抜くとその行く手に突き出し、制止させた。
「副長……?」
「命令だ。そこから先、誰であろうと進むことは許さん」
淡々としたログの口調に、彼らも全てを悟った。
やがて嗚咽が聞こえた。
先代を失ったあの時以来、聞くことがなかった若き“狼犬”の泣く声だった。
ログは静かに敬礼をする。
戦いを始めた偉大なる英雄──
その戦いを継いだ若き勇士──
そして勇士を最後まで導いた戦乙女──
自ら選んだ宿命に殉じ、世界を救った者たちに対しての最大限の敬意であった。
世界の歴史を狂わせてきた災厄を破壊し、その運命から人々を解放する──“狼犬”の悲願はこの日、この時、果たされた。
勇士は新たな世界への道を拓き──
彼の者を導いた戦乙女はその役目を終え、消えていったのだった。