来たる光と闇の運命(1)
夜の荒野の只中にそれはいた。
無数の鋼糸と水晶の甲殻が絡み合って構築された巨大な機械人形。
人型の上半身と三対の翼を持つ、古代エンシアを滅ぼした災厄。
光の“神”が“聖域”を造り出してまで封印する闇の“機神”──
荒れ地に立ち、その姿を遠くより眺める者がいた。
アレッソス=バッソスは双眼鏡から目を離し、彫像のような“機神”の姿を自分の目で捉える。
二年ほど前、“機神”は一度、目覚めかけた。
しかし、突如現れた“黄金の鎧の勇士”との激闘の末に“機神”は再び活動停止に追い込まれていた。
この荒野はその激闘の痕跡そのものであった。
(“聖域”の封印が解ければ、あの“機神”は自由に動けるようになる。これだけの力を秘めたあの“機神”を制することができれば、この“聖域”の覇者にもなれる)
アレッソスは苛立ちと悔しさに顔をしかめる。
フィルディング一族が長年に渡って秘匿してきた“機神”の制御装置、下位とはいえその一つを彼も継承する立場だった。
しかし、自身の体内に埋め込まずにいたため、司祭長ウルシュガルの反乱時に刺客によって破壊されていたのだ。
上位の継承者がことごとく“戦乙女の狼犬”に敗れたことで自身に“機神”の力を継承する出番が来たというのに、肝心の資格そのものがもうこの手にないのだ。
(俺があの力を手に入れるはずだったのに──)
現存する“機神”の制御装置は最長老の孫娘エレナ=フィルディングに埋め込まれた最後の一つだけ。
つまり彼女を手に入れる者が“機神”の力を手中にすることになる。
それなのに最長老ユーレルンはアレッソスを不適格と下し、よりにもよって天敵であるユールヴィング側に彼女を委ねようとしている。
一族を代表する立場が回ってきながら、待っていたのはその一族の失態と恥辱を背負う晒し者のような立場だった。
(エレナ=フィルディングを──いや、制御装置でもいい。それをこの手に掴み、あの“機神”を手に入れることができれば──)
全てのしがらみを断ち切り、自分が世界の王として君臨できるのだ。
しかし、エレナ姫はすでにクレドガルの大公バルネスとユールヴィング側によって保護されている状態だ。
手出ししようにも“狼犬”側も警戒は厳しい。こちらから放った刺客は撃退された。
“狼犬”に与する傭兵たちへの懐柔工作も試みているが、それも上手くいっていない。裏切りだけは許さぬという彼らの結束は予想外に固く、ようやく懐柔できる相手を見つけても他の傭兵たちに先手を打たれて粛清されてしまっていた。
現在の傭兵たちを生み出したルーヴェン=ユールヴィング。
そして一族の重鎮たちを打ち倒してきたマークルフ=ユールヴィング。
歴代の“狼犬”たちによって彼は窮地に立たされているのだ。
(あいつらのせいで──)
そして最長老も密かに手の者を動かし、アレッソスの動きを止めようとしていることも掴んでいた。
(最長老も邪魔だ)
アレッソスは手にした双眼鏡を地面に叩きつけた。
「──『誰も彼もが俺の邪魔をしやがって』」
背後からの声にアレッソスは腰の銃を抜いて振り返った。
「『機神”の正当な支配者は俺のはずなのに──』」
さらに背後から謎の声が彼の胸の内を代弁する。
銃口と共に振り向くアレッソス。
銃口とその視線の先に黒ずくめの何者かがいた。
夜の闇に隠れるような全身を覆う黒の外套。そのフードの下には黒の仮面が浮かび、口許だけが白い肌と紅い唇を浮かべている。
「クレドガルへの使者として赴いたヤルライノの伯爵様がお一人で、わざわざ“機神”を見物でございますか」
黒仮面が口を開いた。それは若い女の声であった。
「女、何者だ?」
アレッソスが引き金に指を伸ばしながら訊ねる。先ほどから女は彼の内心を読み取るかのような台詞を続けており警戒に目を細める。
「少なくとも貴方様の邪魔者ではありませんわ」
女の唇が微笑を形をとる。
するとアレッソスの銃が火花を散らして暴発し、彼は思わず銃を地面に落とした。
「クソッ、何をした!?」
「原始的ですが面白い銃をお使いですわね。しかし魔力を利用した点火式では魔力を操る相手にはかえって不利ですわよ」
黒仮面の女が艶やかな声で答えた。
「おまえはいったい……」
「闇の御使いとでも名乗っておきましょうか」
「……何をしに来た?」
「貴方様があの“機神”の力を求める声を聞き、それの手助けをしようと思ったからですわ」
黒仮面の女は“機神”の方を見ながら答える。
「目的は何だ?」
アレッソスが詰め寄ろうとするが、黒仮面の女が振り向くと思わず足を止めた。
“機神”を背景に立つ黒仮面の女の姿に言い知れぬ畏怖を感じたのだ。
「私は闇の御使い」
畏怖で動けぬアレッソスに黒仮面の女は告げる。
「求める者に力を与える──その“闇”の導きを助けるために動く事が私の目的ですわ」
マークルフは自分の部屋にいた。
椅子に座り、窓の向こうの夜空を見つめている。
やがて扉を控えめに叩く音がした。
「開いてるぜ」
扉が開き、リーナが入って来た。
マークルフは窓を見つめたまま背中を向けていた。
「すまねえな。遅い時間なのに呼び出してよ」
「いいえ。それよりもご用とは何ですか?」
背中ごしに聴く彼女の声はやはり、どこかいつもと違っていた。
「リーナ。俺の縁談の件、爺さんから話を聞いたらしいな」
「……はい」
「それでどう思った?」
マークルフは背中を向けたまま立ち上がる。
「私は……良いお話だと思っています」
リーナが遠慮がちに答えた。
「エレナさんはマークルフ様に相応しい素晴らしい方だと思います。それに戦いも止めることができるのなら、私が反対する理由はございません」
マークルフは黙っていた。
リーナも返答を待つように黙っている。
不自然な沈黙が続いた。
不意にリーナの右手が持ち上がり、彼女の鼻先を打つ。
「ンッ!?」
右手が勝手に動いた彼女が驚きながら鼻を押さえた。
「どうした? アゴを叩くつもりだったが鼻に当たったか」
マークルフは自分の右手をアゴに当てたまま振り返る。その右腕は強化装甲の制御信号である魔力の紋章が浮かんでいたが、すぐに消えた。
「い、いきなり何を?」
マークルフの“鎧”でもあるリーナは制御信号を介して彼の動きと連動してしまう特性があった。ただし彼女の注意が向いていない時に限るのだが、さすがに彼女もこれは予想していなかったようだ。
「鼻に当たったってことは下を向いてたって事だな。油断するなよ。どこでどんな悪戯されるか分かったもんじゃないぞ」
「じょ、冗談はお止めください!」
リーナは抗議するが、マークルフは彼女の肩を掴むと強引に部屋の隅へと追い詰める。そして彼女を挟むように壁に両手をついた。
「どうして下を向いていた? 俺と話をするのが嫌か?」
逃げ道を塞がれたリーナは目を逸らす。
マークルフは上に手を伸ばして壁に掛けられていた《戦乙女の槍》を手にする。そして彼女の前に槍を掲げた。
「握れ。そしてもう一度だけ訊ねる。正直に言え。この槍に誓ってな」
リーナは槍に手を伸ばす。
「私は……」
答えようとする彼女の声が震えていた。
「どうした? 答えろ」
彼女の肩も震え、やがて堪え切れないように目をきつく閉じた。
ユールヴィングの家宝である《戦乙女の槍》は古の戦乙女が姿を変えたと云われる神槍だ。
その槍は長き年月を経ても、激しい戦いを経ても、現在に至るまで全く損なわれていない不朽の槍だ。
そして“狼犬”には一つのしきたりがある。
この折れることなき槍に誓った約束は決して違えないという事だ。
マークルフはこの槍を手にリーナを守ると誓い、リーナもまたマークルフを護ると誓っていた。
二人にとって、この槍の前で偽りを騙ることは許されなかった。
「やっぱりな」
この槍を前にしてようやく本音の態度を見せたリーナに、マークルフは肩をすくめると彼女の鼻を手でつまんだ。
「……マークルフ様には言われたくないです」
リーナが答えた。それが現在の彼女の精一杯の強がりなのだろう。
「確かに俺は人よりは嘘つきだ。だからこそ、嘘が下手な奴が嘘が上手い風に装っているのを見るとイライラするんだ」
「だって、それが……マークルフ様の為だと思って……」
「何が俺の為だ。よく考えてみろ。縁談なんぞ首輪をされるようなもんだ。首輪に繋がれて庭で大人しくしているような“狼犬”を誰が“狼犬”と認める?」
マークルフは手を離してリーナと額を重ね合わせる。
「ブランダルクの最後の戦いでも言ったはずだぜ。俺は“戦乙女の狼犬”だ。おまえがいなけりゃサマにならねえだろ」
リーナが額を押し返してうつむく。
「これ以上、“狼犬”として戦い続けて……あなたが傷ついていく姿は見たくないです」
黄金の槍が床に倒れた。
マークルフはリーナの肩を掴んで抱き寄せ、鼻が触れるほどに顔を近づける。
「それでおまえが傷ついてどうする? 俺がそんな姿を見たいと思っているのか」
マークルフの眼差しにリーナの瞳が揺らぐ。
「俺が傷つこうがなんだ。俺が嘘つきなら、自分の身体にだって嘘をつき続けて戦ってやる。でも、おまえは嘘をつくな。戦乙女が嘘をついたら勇士は誰に運命を託せばいいんだ?」
マークルフの前にリーナの碧い瞳が広がる。
「俺は縁談話に従う気はねえ。運命を共にするなら、それはおまえと──“機神”だ」
「“機神”……」
「そうだ。おまえの故郷を滅ぼし、この“聖地”を蝕むあの機械仕掛けの災厄を刺し違えてでも破壊して全てを終わらせる。それまでは俺に力を貸してくれ」
リーナもずっとマークルフの瞳を見続けていた。だが、やがてその細い手で彼の顔をそっと挟むと静かに唇を重ねた。
労るような、優しく癒そうとするような温もりを伝え、リーナがそっと離れた。
「……リーナ」
「ごめんなさい。あなたの瞳を覗いていたら、つい、こうしたくなって──」
顔を離したリーナの表情はとても穏やかだった。
「いいや。そういうのはいつでも大歓迎だぜ」
リーナは目に浮かんでいた涙を拭うと部屋の扉の前まで下がる。
窓から射す月明かりの中、二人は互いに見つめ合った。
「私はあなたがどのような道を選ぼうとも、必要としなくなるまではお側にいます」
「死ぬまで付き合うことになるぜ」
リーナが静かな微笑みで応えた。
「私よりも長生きしてください。私はあなたを死ぬまで戦わせる死神にはなりたくありません」
「そうだな。死ぬまで戦うなんて俺もまっぴらだしな。俺も本当は祖父様の名で気楽な二代目暮らしがしてえんだよ」
「それは諦めた方がよろしいですわ。領主様がそれでは民が困りますもの」
「安心しろ。ここの領民は俺がいなくなるぐらいで困るような連中じゃねえよ」
マークルフとリーナはどちらからともなく笑い声をあげる。
「ま、そういうことだ。呼び出してすまなかったな。俺も今日は早く寝るぜ。リーナももう寝な」
「そうですね。お休みなさいませ、マークルフ様」
リーナも本音を吐き出して落ち着いたのか、穏やかな顔で部屋を出ると静かに扉を閉めた。
マークルフは彼女の気配が消えたのを確認すると床に落ちた槍を壁に戻し、椅子に腰を下ろした。
そして自分の左手を睨んだマークルフは悔やむように目と閉じる。
「……すまん、リーナ。おまえの言う通り、俺は本当に嘘つきだ」
左手が彼の意志に逆らうように微かに震えていた。
自分の部屋に戻ったリーナは窓から外を眺めていた。
空に浮かぶ月はエンシアが在った頃から変わらず、この地上を見つめ続けて来たのだろう。
リーナは月にあの時のマークルフの眼差しを重ねる。
中央王国クレドガルで“機神”が彼女を取り込み暴走した時、それを止めるために祖父の遺産である古代鎧を纏って彼は戦った。
しかし鎧も大破し、もはや暴走を止めるにはリーナを殺すしかない状況となった時、彼は決断を下し、リーナにとどめを刺そうとした。
その時にリーナは見たのだ。
破損した兜の奥から露わになっていたマークルフの瞳のその奥に、慟哭と非情の狭間の中で彼を突き動かす意志を──
矜持、使命、宿命。
いろいろな言葉が浮かぶが、それだけでは言い表せない何か。マークルフに強さを与えている、呪縛と紙一重のような強靭な意志を──
(あれがきっと、あの人の背負い続ける“狼犬”──)
愛する勇士の瞳はどのような困難であろうと、あの月のように変わることはないだろう。
そして彼の中の“狼犬”はきっと最期までその宿命に戦わせようとするだろう。
リーナは彼の中の“狼犬”に気づいた時から願っていたのだ。
いつか、あの人を“狼犬”から解放したいと──
「やっと終わったっすねぇ」
「いやあ、姐さん代理の根気には負けるな」
アードとウンロクが整備室の機械の調整をしていた。
二人の足許には紅い水晶の入った箱が並んでいる。水晶は《アルゴ=アバス》の動力炉から供給した魔力の封印具だ。今日の実験で使用した魔力の再充填も彼らの仕事だった。
二人はぼやきながらも作業をしていたが、不意に整備モニターが起動する。
「おい、アード。モニター動かしたか」
「動かしてないっすよ。おかしいなぁ」
「早く止めとけよ。魔力ムダ遣いするとまた姐さん代理がうるさいぜ」
アードが訝しがりながらもモニターを操作しようとする。
しかし突然、周囲の計器が一斉に動き出した。
再充填中だった装置も急に再起動を始める。
「な、なんだ!?」
「いったい、何がどうなってるんで!?」
慌てる二人の前に整備室の扉を乱暴に開けてマリエルが飛び込んでくる。
「二人とも! 急いで全ての装置を止めて!」
「所長代理、これは──」
「説明は後! 手伝って!」
マリエルの指示に従い、二人も一斉に全ての装置を完全に停止させた。
全ての機械を止めた三人は安堵の息を吐いて手を止める。
「姐さん代理、今のはいったい?」
ウンロクが頭をかきながら尋ねる。
「おそらく、この近辺の“聖域”の働きが乱れているんだわ。しかも、かなり大きな変動ね」
彼らもようやく理解した。
魔力を抑える“聖域”の作用が乱れた為、この地の魔力レベルが急激に上昇。それによって“聖域”用に調整していた機械が過剰反応したのだ。放っておいたら装置に負荷が出て故障の可能性もあっただろう。
「所長の方は大丈夫っすかね?」
「心配ないでしょう。姉さんもこの事態を警戒していたから」
マリエルは一つだけ装置を動かした。
この地の魔力レベルに反応する測定器だ。その針は大きく左右に振れ続けている。
「大きいわね。しばらく続くかもしれない」
「姐さんの話じゃ、ここまでの大規模変動は当分は先のように言ってませんでしたかい?」
「あくまで姉さんの推測ではね……でも姉さんもこの時期にここまでの変動は予想していなかった」
マリエルは真顔で二人に告げる。
「気をつけて。“聖域”の構造を最も把握していた姉さんでも予想してなかった──“聖域”の決壊は誰にも予想できない段階に入っているのかも知れないわ」
姉エルマと並ぶ天才科学者だったオレフはブランダルク決戦で自ら“聖域”決壊の引き金をひいた。
彼は“機神”を完全に破壊する手段を突き止めるため、そしていつか誰かが果たさねばならない“機神”との最終決戦へ導くため、自ら罪を背負って逝ったのだ。
この変動は近い将来に来たる最終決戦の先触れなのかも知れなかった。