“闇”を撃て(2)
「──その命運、ここに断ち切る」
マークルフは〈アトロポス・システム〉を再度、起動した。
手にする《戦乙女の槍》に真紅の破壊力が付与されていく。
その姿をヴェルギリウスの幻影は静かに眺めていた。
『この短期間で再び、切り札の発動に持ち込むか──その鎧も改造されているようだな』
機人がマークルフの前に着地した。
『だが、彼女に再び、それを打ち込むというのかね?』
マークルフは輝きを増す槍を手にゆっくりと近づく。
「そうやって惑わそうとするならムダだ」
マークルフは歩みを止めない。
「“機神”の中枢は間違いなくエレナ=フィルディングの持つ制御装置と繋がっている。しかし、あくまで繋がっているだけだ。その中枢たる“闇”の特異点自体はおそらく、“機神”の位置とずれている。だから、エレナ=フィルディングに向かって撃っても“闇”に踏み込めないでいた」
『……エレナ=フィルディングを狙わないなら、どこを狙うというのかね?』
「そうやってはぐらかそうとするほど、俺の考えは確信に変わっているぜ。“機神”を破壊するには“闇”の特異点領域に俺と“機神”の存在が重なるのが条件。だから、エレナ=フィルディングは狙う必要がある」
マークルフは槍先を機人に向けた。
「同時に“闇”を狙わなければならねえ。“闇”に向かう方向に機人を狙った時こそ、この条件を満たす。その方向は──」
機人から無数のツタが伸びた。
だが、鎧から解放された魔力がツタを弾き返し、マークルフは推進装置を全開にしてその間を飛び、機人に槍を突きつけた。
そして頭上を見上げる。
「──あの空だ!」
マークルフは槍で機人を捕まえたまま、空を飛んだ。
『何をするつもりだ──』
目の前にそびえる“機神”本体の声を振り切り、ひたすらに空を目指す。
「“闇”は常にそこにあったんだ!」
エルマたちも真紅の尾を引き、空へと浮上するマークルフの姿を捉えていた。
「出力をさらに上げながら上昇中──あのまま〈アトロポス=チャージ〉発動を撃つつもりのようです。いったい、何をするつもりっすか、男爵は?」
アードが報告する。
「……なるほどね。ようやく狙いが定まったってわけね」
エルマもようやく男爵の狙いに気く。
「“闇”の特異点領域に向かって〈アトロポス=チャージ〉を撃たなければならない──あの空がそうってことなの、姉さん?」
「あんたも気づいたみたいね……そう、目の前にあって見過ごしそうになるけど常にそこにあったのよ」
マリエルの問いに答えたエルマが天に放たれた真紅の矢を見つめながら答える。
「“闇”は天の向こう、星々の深淵へと至る力──古代文明は“闇”のもたらす魔力を用いた機械を使い、あの空に近づく文明を手にした。そう、常に“闇”はあの空に広がる深淵から覗いていたのよ。あの空こそが狙うべき方向だったのよ」
機人を道連れにマークルフはさらに上昇する。
すでに機神本体すら小さく見える高度に達していた。
『──マークルフ様』
目の前にリーナの幻影が現れる。
「いつか教えてくれたな。あの星々が再び“闇”へと人を誘惑するようで怖いと──」
向かう先は闇の帳。その切れ間から星が覗く夜空だ。
「お前の兄貴も同じことを考えていたのを夢で見た。あの深淵が欲望を通して人々を操っているようだと──そうだ、“闇”は深淵から欲望を通して常に人の営みを眺めていた」
『我々は薄々とそれに気づいていながら破滅を回避できなかった』
「いいや、感謝している。おかげでこうして気づけたんだ」
機人は《戦乙女の槍》に突き立てられたまま動けないでいた。槍の破壊力と高速で上昇する慣性に捕まり脱出もできない。
槍がさらに赤熱し、機人の装甲も破壊力に耐えながら火花を散らす。
「エレナ=フィルディング! すまないがその命は俺がもらい受ける! これが最後の勝負だ!」
『エレナさんにも声は届いているはずです。私たちと一緒に最後まで戦ってくれます』
機人の中枢も狙い、“闇”も狙う。
“闇”の領域が存在する方向に向かって機人を運ぶ、この形ならその両方を満たせるはずなのだ。
「無限大の空こそが無限小たる“闇”の特異点領域へ繋がる道──ややこしい話だがこれだけ的がでかければ狙いを外すことはねえな!」
暗雲を抜けた。
空は闇の帳に覆われたままだが、その綻びから見える星々や月明かりが妖艶に輝き、異様な闇の空が広がっているのをはっきりと確認できる。
機人を捉えている感覚は間違いなく、“闇”の特異点領域へ迫っている。
そして、ついに機人を覆う黄金の装甲に亀裂が入り出した。
マークルフは自分の推測が正しかったと確信した。
そして、これが最後だと自らに言い聞かせる。
「リーナ──」
このまま上昇を続ければ“闇”の特異点領域内で黄金の武器化した“機神”との最後の勝負になる。
どちらが破壊されずに残るのか──
そして、もし“機神”が破壊できたとしても、それは同時に彼女を破壊することでもある。
『お供させてください、最後まで。約束を果たしてくれる時まで──』
マークルフの迷いを払おうとするかのようにリーナの優しい声が響く。
地上から複数の強力な“力”の反応を探知した。
回避行動をしたマークルフの横を光線が掠める。さらに幾筋もの光線が上昇するマークルフを狙って交錯する。
みれば地上から“機神”が光線を発射していた。望遠で捉えた地上の“機神”もその全身に亀裂が走り始めていた。
「俺を落とそうっていうのか──そうはいくか!」
マークルフは光線を回避し続ける。
その間にも機人の全身を覆うツタが明滅し、黄金の部分に亀裂が増えた。そこだけは再生できず、動かすこともできないのか、機人の姿が固まっていく。
「このまま最後の勝負に出る。いいな? リーナ! エレナ=フィルディング!」
『はい、私もエレナさんもこの時のために戦ってきました……マークルフ様?』
リーナが何かを告げたそうに名前を呼ぶ。
「何だ?」
『マークルフ様はとても強い方です。“闇”の誘惑にも呑まれず、油断もせず、どのような窮地にも諦めませんでした』
「……俺の力じゃない。皆が──なにより、リーナ、お前がいてくれたからだ」
『そうですか。私のことをそこまで信じてくれていたのですね』
リーナはそう言って微笑んだ。
『だから、気づかなかったのですね』
「……何だよ、もったいぶった言い方しやがって」
最後の会話のつもりなのか。
彼女の言葉を待つマークルフだが、次にリーナが見せたのは──冷笑だった。
『この姿に気を取られ、貴方は最後の最後で詰めを誤った』
遙か上空に向かったマークルフの位置を地上組も計器を見ながら追いかけていた。
「男爵の反応は──」
「上昇を続けたままっす」
アードが動力反応を拾い続ける計器から目を離さずに答える。
「……おかしいわね」
エルマは訝しげな表情を浮かべる。
「何がおかしい?」
ログが尋ねる。
「いえ、このままあの速度で上昇を続けてしまうと──」
マリエルがアードを押しのけ、計器を見る。
「高さが──でも、男爵も気づかないはずがないわ! “機竜”と戦った時のデータはちゃんと記録してある! 警告が出ているはずよ!」
エルマは闇の空を睨んだ。
同時に“機神”本体から空に向かって光線が放たれた。
その余波が風となって彼女らを翻弄する。
「何を……ッ!?」
戸惑うマークルフの前でリーナの姿が消え、ヴェルギリウスの姿が出現する。
「てめえ!?」
『君は強化鎧を通してリーナと強い結びつきを維持している。だが、それがわたしにこの鎧に干渉する抜け道として働いてしまった。わたしとリーナの存在が重なっていることにもっと警戒するべきだった』
マークルフは驚愕する。
同時に真下からの巨大な反応が警告されるが、それに気づいた時には無数の光線が直撃していた。
マークルフは吹き飛ばされ、機人からも引き離された。
「ち……ちくしょうがッ!!」
マークルフは地上に向かって発動を止められない〈アトロポス=チャージ〉を解放した。
さらに地上から放たれていた“機神”の光線と衝突し、周囲を閃光と爆風が包みこむ。
(しまった、ここまできて──)
マークルフは機人の姿を探す。
そうして地上を見たマークルフはようやく重大なことに気づいた。いつの間にか消えていた高度表示を呼び出し、モニターに表示する。
高度は“聖域”の力が及ぶ限界高度をすでに越えていた。
「そんな……警告表示は出ていなかったぞ!」
『警告表示はわたしが止めた。君も無我夢中だったみたいなのでね』
ヴェルギリウスの声がした。
『何を驚く? こうして鎧を通して干渉できる時点で、それぐらいのことはできて不思議ではあるまい』
マークルフは見上げる。
“聖域”を越えた空に機人が浮かんでいた。
亀裂が修復し、黄金と鋼の姿を繰り返しながらも、闇の空を背にしつつマークルフを見下ろす。
『かつて高高度を飛ぶ“機竜”を追うため、“聖域”の有効範囲を自ら確かめ、それを越えた経験があるはずだ。わたしが高度の警告を止めていたとはいえ、今までの君なら疑問を見逃さず、それに気づけたはずだ』
機人の姿にヴェルギリウスの幻影が重なる。
『だが、君はリーナとの最後の会話に気を取られ、それに気づかなかった。君は最大の失態を犯してしまった』
マークルフは己への憤りに返す言葉も出なかった。
そう、“聖域”を越えようとする“機神”を阻止するべき自分が、あろうことか“聖域”の外まで運んでしまったのだ。
『だが、わたしは責めはしない。最愛の女性を失うその直前まで冷徹でいられる人間などいない。リーナを失いたくない──その欲望だけは君も否定できない。それが君の敗因となるのだ』