“闇”を撃て(1)
機人の蹴りが炸裂した。
マークルフは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「クソッ……俺にまったく気づいてないのか」
舞い上がる土煙の向こうから機人が近づく。
その全身からツタが放たれ、マークルフの四肢と槍に絡まり、縛り上げる。
そしてそのまま近くの岩に叩きつけた。
『マークルフ様──』
「リーナ!?」
『エレナさんは意識を封じられています! 肉体を“機神”に操られているのです!』
リーナの声がシステムを通して届く。
「リーナ! お前は無事なのか!?」
『はい! ですが、《アルターロフ》の支配が強く、うまく──』
声が遠のくように小さくなる。同時にツタが明滅して鋼に変色していく。
マークルフはツタが絡まる槍から手を離すと、右腕を強引に動かして左手甲の魔剣を引き抜き、それで左腕と槍に絡まるツタを切断する。
そして槍を掴むと残りのツタを切り離した。魔剣を手甲に戻しながら機人に向かって一気に跳ぶ。
「エレナ=フィルディング! 目を覚ませ!」
マークルフはそのまま蹴りを放つ。少しでも何かを起こしてエレナの意識が覚醒することを期待した。
だが、機人は避けるどころか、装甲の一部を剥がし、囚われていたエレナの素肌の一部が露わになる。
マークルフは蹴りを止めるしかなかった。
その隙に機人の回し蹴りがマークルフの延髄に炸裂して地面に叩きつける。
「クソッ!」
マークルフは地面を転がると推進装置を噴かして遠くに逃れた。
ツタが再びエレナの身体を覆い隠す。
「……なかなか汚え手を使いやがるな」
『わたしなりに有効な使い方を考えたつもりだ』
“機神”本体からヴェルギリウスの声がした。
“機神”の武器化は、本来、制御する立場にあるエレナの“武器”という概念が基になっている。彼女が死ねば黄金の武器化は解け、“機神”の破壊も不可能になるのだ。
「てめえだってエレナ=フィルディングを失えば自分を制御する手段を失うんじゃないのか?」
『ならば試してみればどうだ』
機人が跳躍し、身を翻して頭上より迫る。
槍で弾き返そうとするも、またしてもツタが緩んでエレナの肌が露わになった。
狙いに戸惑う隙を突いて膝がマークルフの顔に刺さる。耐えたマークルフは膝を掴むが、その部分からツタが伸びて両腕に絡もうとする。
マークルフは咄嗟に離れて牽制に槍を構えた。
機人は次の命令を待つようにその場に立つ。
ツタが全身を覆ってはいるが所々肌が剥き出しになっていた。下手に攻撃しては素体にされているエレナの命にも関わるだろう。
「……悪趣味な衣装をさせやがって。そういうのは見ているだけにしたいもんだ」
『あいにくとこれが彼女に用意してやれる一張羅でね』
“機神”本体から翼が広がり、それに連なる甲殻が光った。
力の波動が放たれ、周囲の木や岩を吹き飛ばした。
マークルフも鎧に守られながら何とかその場に踏み止まるが、その隙に機人が迫り、マークルフを羽交い締めにした。
「クソッ──分からないのか、エレナ=フィルディング!」
『エレナさんも抗っているのですが、意識を奥深くに封じされていて──』
(リーナか!)
『どうやら、こうして接触している時だけ声を届けられるようです』
リーナが答えた。
(そうか……ともかく、このままでは嬲り殺しだ。リーナ──)
『私は構いません。いつでも、貴方と一緒に──』
躊躇いのない声が聞こえる。
強さと誇りを秘めた声だった。だが、それを聞くマークルフは無性に悲しくなる。
“機神”本体から無数のツタが槍のように伸びてマークルフに突き刺さり、リーナの声が途絶えた。
無数の槍を受けて弾き飛ばされたマークルフは地面に叩きつけられた。
計器が鎧各部の損傷を表示する。
「……待っていろ、リーナ」
マークルフは手をついて上体を起こした。
目の前からツタに包まれたエレナが処刑執行人のように近づいてくる。
(勝負に出るしかない……エレナ=フィルディング、できれば助けたいがその余裕はなさそうだ、すまん)
マークルフは両腕を交差させた。
左手甲が分離した。魔剣を保持する部分を残し、刃が伸びる左手甲と右手甲が合体する。
「その命運、ここに断ち切る」
コマンドワードの解放と共に、合体手甲に鋏のように一対の刃が展開する。
強化装甲の出力が全開し、刃が真紅に輝いた。
『《アルゴ=アバス》の最大兵装〈アトロポス=チャージ〉──早々に切り札を切るか』
ヴェルギリウスの声に警戒感が交じる。
一対の刃に挟まれた《戦乙女の槍》に真紅の光が宿る。膨大な破壊力が付与され始めているのだ。
「てめえとの戦いなんてもう飽き飽きしているんでな」
マークルフは“機神”と融合したヒュールフォンと戦った時のことを思い出す。“機神”中枢に向かって〈アトロポス=チャージ〉を放った時、槍はヒュールフォンの胸に埋まった黒水晶のような制御装置の手前で止められた。
あの制御装置が“機神”の中枢である“闇”の特異点に繋がっているなら、今の“機神”の中枢もエレナの胸に埋め込まれた制御装置であるはずだ。
モニターが〈アトロポス=チャージ〉発動に必要な出力に到達したことを知らせる。
(戦乙女の武器の破壊条件は特異点領域に踏み込むこと──狙いは“機神”の中枢である“闇”の一点……そこしかない。リーナ、導いてくれ)
「……どう?」
遠くに見える“機神”の姿を睨みながらエルマは尋ねる。
「“機神”と同じ反応が増えてから、男爵が押されている。装甲にも軽微だけど損害が出ているわ」
強化装甲の状態を測定している機器を見ながらマリエルが答えた。
その隣ではアードとウンロクの二人も機器の操作と調整を手伝っている。
「やはりね。エレナ姫を利用されているんでしょうね。うちなら同じ手を使うわ」
「閣下に打つ手はあるのか」
同じく戦いを傍観するログが尋ねる。
「時々、お姉ちゃんの声が聞こえていたのに今はまったく聞こえない……」
隣で話を聞いていたリファが不安を押し殺すように手を握り合わせる。
「うちらにできる限りのことはしました。情報も全て男爵に渡してあります。後は男爵に頑張ってもらうしかないですわね」
「ログさん!」
タニアの声がした。振り向くと彼女とその後ろからマリーサが駆け寄ってくる。
「どうした、二人とも? 領民たちと一緒に避難を命じたはずだ」
「すみません、だけど、どうしても戦いの決着を見たくて──」
「ええ。今回ばかりは私も遠くからでも覗いてみたくなりまして──」
マリーサも頭を下げる。
「あたしたちだけじゃありません。ウォーレンさんたちも後で追ってくると思います」
「……ここも無事とは保証できない」
「それでも見たいです! ようやく戦いが終わるんですから! みんな、そうです!」
タニアの熱意にログも負けたのか、ゆっくりと背中を向ける。
「……分かった。ただし、危険と判断したらすぐに逃げろ」
「はい!」
舞台である森の中心で真紅の光が輝き始めていた。
「あれは──」
「〈アトロポス=チャージ〉を使うようです」
マリエルが機器を見ながら答えた。
「男爵は勝負に出るつもりなの?」
「いえ、魔剣の動力機関にまで繋いでいないわ」
エルマは戦場を睨む。
「そう……とにかく、やってみなければ打開策は見つけられないわけね。はたして吉とでるか──」
「うおぉおおおッ!」
真紅に輝く鎧と槍が機人へと突撃した。
機人も身を守るようにツタが全身を覆い、完全にエレナの身体を隠す。
そして二つの姿が激突した。
周囲の木々が衝突の余波で大きく波打つ。
槍を握るマークルフと、それを向けられた機人。両者の間に凄まじい力の衝突が発生し、真紅と光の粒子が渦巻く。
黄金のツタに守られた機人は破壊力の渦の中でも耐えていたが、次第にツタが明滅を始め、その部分が粒子となって吹き飛んだ。すぐに他のツタが覆い隠すが、次第に機人の全身のツタが吹き飛んでいく。
(このまま、エレナ=フィルディングの胸に埋められた制御装置まで槍が届くか──)
だが、マークルフは焦燥にも似た違和感にかられる。
(……違う、これは──)
かつてヒュールフォンを取り込んだ“機神”とも戦い、〈アトロポス=チャージ〉を放ってその暴走を止めた。
あの時も狙いはヒュールフォンの持つ制御装置──“機神”の中枢を狙ったが、あの時と感覚が違っていた。
手応えが違う、どこかがずれている──
(まさか──)
『マークルフ様──』
リーナの幻影が現れ、マークルフを止めるように両手を広げた。
「クソッオオッ!」
マークルフは狙いをずらした。
槍の破壊力は機人を逸れ、その背後にそびえる“機神”本体に向かって解放された。“機神”の頭部と右の翼を吹き飛ばした。
衝撃で周囲の地面を穿ち、土煙を舞い上げる。
機人が動いた。
全身の破損を瞬時に再生しながら、技を発動した隙を突いてマークルフを狙う。
マークルフはスラスターを駆使して宙に逃れる。
土煙の中からツタが伸びて装甲の足に絡みついた。
動きを止められたマークルフの前に機人が跳躍すると、その両腕を後ろから持ち、後頭部に膝を押しつける。そのままツタに大きく振り回されたマークルフは両腕と首を極められたまま地面に叩きつけられた。
加速のついた砲弾のような衝撃に地面が大きく揺れ、マークルフの身体が大きくくの字に曲がった。
そのまま機人に踏みつけられたまま地面に倒れる。
土煙が晴れ、“機神”本体が姿を現した。
吹き飛ばしたはずの頭部と翼はすでに再生している。
『狙いが外れていると気づいていたようだな。そうでなければリーナの制止があっても間に合わず、エレナ=フィルディングの命を奪っていた』
「……お互い様だな。そうなればてめえもリーナから解放されたのによ」
マークルフは不敵に返すが、全身に受けた負傷は無視できずにいた。
(あの時とは違う……よく考えろ)
かつて同じように疑似“機神”化と黄金の武器化を果たしたオレフを倒した。
その最期の報告もエルマたちから受けている。
それによれば彼女らはオレフと最期の会話を果たしていた。肉体は満身創痍であったが、肉体に埋め込まれた制御装置は破壊されていなかった。それは後にエルマが自ら行った解剖所見でも確認されている。
(それに俺は何度もリーナの“鎧”を纏っているが、俺の“心臓”自体は何も変わっていないはず……制御装置そのものは狙うべき“闇”の特異点じゃない……のか)
『どうした? 仕掛けてこないのかね?』
機人が装甲の腹部を踏みしめる中、ヴェルギリウスの声がした。
「……なめるなよ」
マークルフは機人の足を掴み、それを押し上げようとする。鎧の腕力と機人の脚力が拮抗し装甲が軋みをあげた。
(リーナ──俺の声が届くか)
『はい、ここに──』
(教えてくれ……“機神”の中枢は──“闇”の特異点は“機神”のどこにあるんだ?)
『ごめんなさい、私にもよく分からないのです。ただ、エレナさんの胸にある制御装置は“闇”と繋がっているだけで、“闇”そのものではないのです。狙うべき“闇”の特異点がどこかは──』
機人が跳躍し、その両腕からツタが伸びて刃を形成した。
そのまま両腕の刃を振り下ろすのをマークルフは右腕の一対の刃で受け止める。
だが刃がツタに変わり、右腕に絡みつく。
“機神”本体の右腕があがった。その手が巨大な刃になり、動けないマークルフに振り下ろす。
凄まじい衝撃が左肩から加わり、マークルフは巨大な鋼の手に押し潰された。
左肩部の装甲に亀裂が入り、強化されたマークルフの肉体も骨が軋むほどの衝撃が伝わる。
(このままでは──)
ツタの絡まる刃が真紅に輝く。魔力の反発でツタの拘束が緩むと、マークルフは推進装置を全開にして“機神”の手から強引に抜け出した。
だが、今の損傷は大きかった。視界モニターが装甲の損壊度を報告する。機能自体に問題はないが装甲への損傷が拡大している。
『どうした、仕掛けてこないのかね?』
ヴェルギリウスの声が響く。
(挑発に乗るな、落ち着け……エレナ=フィルディングを標的に〈アトロポス=チャージ〉を撃ってもムダだ。本当に危険ならこんな人質に使いはしねえ。このまま機人と戦ってもリーナと一緒にエレナ=フィルディングを排除したい“機神”の思惑にはまるだけだ)
マークルフは槍を構える。
(冷静になれ、考えろ──戦乙女の武器を破壊するには特異点領域に同じ武器を重ねた状態で攻撃すること。“機神”は古代エンシアが作り出した《アルターロフ》に“闇”が直結し、変質した存在。必ず、どこかに“闇”の特異点が隠れている。それを突き止めるんだ)
機人と“機神”本体にそれぞれ目を配る。
(どこだ……どこが“闇”の特異点だ)
“機神”が翼を開いた。そして周囲にツタを張り巡らせる。そしてツタの先から光線が放たれてマークルフを狙う。
マークルフは宙に浮いたまま光線の網を回避していくが、その網をかいくぐるように機人が跳躍して迫る。
マークルフは振り払おうとするが、縦横無尽に放たれる光線の中でそれをやれば光線が機人に命中し、中のエレナが危険な目に遭う。
躊躇したマークルフに機人が両足で蹴りつけた。
吹き飛ばされたマークルフは光線の網に飛ばされ、次々と光線が命中した
地面に墜落したマークルフは呻きながら仰向けになる。
機人が“機神”本体の肩に着地した。
全身が痛み、モニターも悲鳴のように警告を続ける。
『どうする? このまま続けても君に勝ち目はない。その槍を渡し、このまま、わたしを通すのなら命は助けてもいい。リーナも返そう。わたしは真のヴェルギリウスではないが、その人格は引き継いでいる。君はよくやった』
“機神”の“目”にヴェルギリウスの幻影が浮かぶ。
(クソッ……このままでは……)
マークルフは空を見上げる。
“機神”の破壊を諦め、この“聖域”から出さない方を選ぶべきか。だが、“聖域”が力を完全には取り戻していない現状、“機神”の封印も難しい。
(どうすれば……)
闇の帳に覆われた空。これが晴れる時、それが“狼犬”の悲願が叶った空となる。
だが、闇の空は絶望のように地上を暗く閉ざしている。
時折、眩くのは闇の帳の切れ目から見える星だ。闇の帳のさらに上空の夜空では星々の姿が覗いていた。
(……星……)
マークルフは地面に大の字になったまま、空を見つめる。
(……まさか……いや……そうだ、俺としたことが肝心なことを忘れていた……)
マークルフはゆっくりと身体を起こした。
「てめえは人の望みを叶えるのが趣味だったな……だったら、一つ、頼みがある。リーナと話をさせてくれ」
『……いいだろう。諦めたのか、それとも最後の抵抗を前に心残りを捨てたいか──いずれにしろ今際の際での頼み、無下に断るわけにはいくまい』
ヴェルギリウスの姿が消え、代わりにエンシア時代のドレスを纏ったリーナの幻影が現れる。
『マークルフ様……』
損傷した装甲姿を見て、リーナが案じるように彼の名を呼ぶ。
「フッ、まるで水晶の檻に閉じ込められた姫君のようだな……姫君をこんな目に遭わせるとはまったく、俺も頼りにならない騎士だ」
『弱気になってはダメです! 戦いはまだこれから──』
マークルフは立ち上がる。
「リーナ、一つだけ聞きたいことがある。答えてくれないか?」
彼女の幻影が戸惑いつつもマークルフの言葉を待つ。
「……“機神”は嫌いか?」
唐突な質問にリーナは戸惑いをさらに強くする。
「嫌いか?」
マークルフは再度、問う。そして闇に閉ざされた空を見上げる。
リーナはその姿を見つめていた。
だが、やがてポツリと答えた。
『……はい。嫌いです。今も変わらず──』
「そうか、ありがとうよ」
マークルフは槍を握りしめた。
それは彼が望んでいた答えだった。
自分の意図が彼女にも通じた合図だったのだ。