物語の始まりの地で
ブランダルクのとある酒場。
開店休業状態の酒場の隅で帳簿をつける老年の男。
裏戸が開き、一人の娘が入ってくる。
傭兵ギルド記者のテトアだ。
「タヌキ親父さん、新しい仕事の口を持ってきたんですけどいいですか?」
「ああ、口入れならいつでも大歓迎ですよ。どんな話ですかな?」
タヌキ親父と呼ばれた主人は眼鏡をかけてテトアが持ってきた張り紙を見る。
「ブランダルク支部からの緊急の手配なんですけどね。仕事を放棄して立てこもり事件を起こした不届き者たちがいるんです。支部は傭兵の信用を損ねる重大な違反と判断し、懸賞金を懸けたんです」
「ほうほう、こいつぁ悪そうな顔をしておりますなぁ」
人相書きに描かれている首謀者は二人。一人は蛇柄が特徴の男、もう一人は禿頭で太った男であった。
「ブランダルク政府も指名手配をしているんですが、その捜索を我々傭兵ギルドが引き受けることになりました。ここも傭兵ギルドの酒場として、ぜひとも協力お願いします」
「承知致しました……しかし、この人たちなら見たことある気がするんですけどねえ。ちょっと人相が違う気がするんですがねえ」
わざとらしく首を傾げるタヌキ親父。
「やっぱり、そう思いますか。そうなんですよね、どうにもちょっと違う気がするんですよね」
テトアもうなずき、互いに苦笑する。
「どれ、少し手直ししましょう。ヒゲはもっとこう長くて──」
「そうそう、髪の毛も横っちょに生えてて──」
二人は筆で人相書きに好き勝手に書き加える。
そこそこ似ていた人相書きはまるで似ても似つかない物になっていた。
「ほう、よくなりましたな。どれ、ではその辺の壁にでも貼っておきましょうか」
タヌキ親父が張り紙を持って立ち上がると、その後ろから手が伸びて張り紙を奪い取る。
「ほう、なかなか面白い顔になったな。“龍聖”、変装のカツラを選ぶ時はこの髪型にならないようにしろよ」
「そんな脳天と横っちょだけ三つ編みの髪型なんてする訳ないじゃないですか」
張り紙を持つカートラッズと、その後ろから外套を頭から被った“龍聖”セイルナックが現れる。
「ダンナさん!? いつの間に!?」
「いつも言っているはずだぞ。“蛇”はどこに忍び寄っているか分からんとな」
カートラッズは不敵に笑うと近くの席に座った。
「大きな仕事をされたようですな。ともかく無事に戻って来られたようで何よりで、“蛇”のダンナ?」
「その“蛇”のダンナもおさらばだな。しばらく“蛇剣士”で通してきたが次の二つ名を考えないとな」
「僕もですね。悪党が“龍聖”なんて似合いませんからねえ」
「そのなりで“龍聖”で通していたのがそもそも可笑しいのさ」
カートラッズは鼻で笑うが、二人とも指名手配犯になりながら悲観した様子はなかった。
だが、テトアは少し寂しそうな顔をしていた。
「どうした、テトア?」
「いえ、“蛇剣士”専属の取材記者ずっとやってきたから、その二つ名が消えちゃおうのは寂しいかなって……それに今までの名声を捨てて悪党になっちゃうのも悲しくないのかなって」
「傭兵ギルドの記者がそんなことでどうする。傭兵は常に必要とされている者と報酬のことを考えてやっているのさ。それだけのことよ」
カートラッズは豪快にテトアの背中を叩いた。
「だが、我ながら大仕事だったからな。記念の写真ぐらい残してやってもいいか。テトア、今日だけは暇なんで撮影につきあってやるぞ?」
「ああ……それが……」
「何だ? 煮え切らんな。はっきりと言え」
「ずっと空が暗くて太陽が出ないから、写真が上手く撮れなくて……」
カートラッズは情けなさと笑いがこみ上げる顔を手で隠す。
「もう捨ててしまえ、そんな日光写真。前の持ち主の許に送ってやれ」
「ちょ、ちょっと撮影に光と時間がいるだけの旧式機なだけです! ちゃんと動くんですから!」
ムキになって反論するテトアの姿にカートラッズは豪快に笑う。
「まあ、いいさ。だったら祈っておけ。血統書付きが“機神”を倒してお天道様が姿を出してくれるのをな」
そう言って腕を組んだカートラッズが外の薄暗い景色を見る。
「……勝ってくれますよね、男爵とリーナさん」
「無論だ。ここで負けてしまうようじゃあ、こちらが困る。俺が一番、“狼犬”の勝利に賭け金預けているんだからな」
「もうじき、ここに“機神”がやって来る」
マークルフは眼下に広がる民衆たちを見渡しながら声を張り上げる。
ユールヴィング領に帰還した彼は触れを出して領民たちを集めていた。
そして異形襲撃の爪痕が残る城の前に民衆が集い、その屋上にマークルフは《戦乙女の槍》を手に立つ。
「かつてフィルガス王が“機神”を復活させようとした時のように、今度は“機神”自身が“聖地”から逃れるためにな。先代ルーヴェン=ユールヴィングは“機神”復活阻止の最後の砦としてこのユールヴィング領を築いた。その最後の役目を果たす時が来たんだ」
民衆たちは静まりかえっていた。領主である彼の言葉を一つも聞き漏らすまいと耳を傾けている。
「──もっとも、やる事は一つだけだ」
マークルフはいつも見せている不敵な笑みを浮かべた。
「俺が“機神”と戦う──それだけだ。激しい戦いになるだろうが自分の領地ならいくら破壊しようが気兼ねしなくて済むからな。戦いの舞台を用意してくれた祖父様に感謝しないとな」
冗談のようにマークルフは笑い、やがて民衆たちもにわかに騒ぎ出す。
「いやいや、若様! 領主なら普通、領民の暮らしを案じたり、すまないって言葉をかけるところじゃありませんかい!」
彼らを代表するように男の声が飛ぶ。だが、その声も非難ではなく、まるで親しい者と会話を交えるようであった。
マークルフは鼻で笑い飛ばす。
「領主が留守でもやっていけるような連中の心配なんかしてられるかよ。それにはっきりいって生きて帰ってくる保証はねえんだ」
マークルフはあらためて領民たちの顔を見渡す。
「そうだ、これが“戦乙女の狼犬”最後の戦いになる。だから言わせてくれ……今まで“狼犬”の名の下に付き従ってくれたこと、先代ルーヴェンの分まで皆に礼を言う」
マークルフは静かに頭を下げた。
領民たちはただその姿を見る。彼らの目の前に立つのは間違いなく死地に赴く覚悟でいる若き英雄の姿であった。
「坊ちゃん! 帰ってきてくれるんでしょうな!」
老人の声が飛んだ。
「坊ちゃんに先に死なれてはルーヴェン隊長に会わせる顔がないんですじゃ!」
マークルフは顔をあげてほくそ笑んだ。
「その歳まで生きて、まだくたばる気はないのかよ!」
「当たり前ですじゃ! 儂は“機神”野郎が消えるのをこの目で見るまで死ぬ気はないですぞ!」
「約束はしねえぞ! 俺は“機神”を倒したら悠々自適の生活がしてえんだよ! 領地の復興なんて面倒なんてやってられるか!」
おどけるように両手を広げてマークルフは宣言する。
「そりゃないですぜ! 若!」
「今まで生活を支えてきたのは誰か、忘れちゃいないかい!」
「傭兵から足を洗ったのに、また出稼ぎしろっていうんですかい!」
口々に非難の声が飛ぶ。
だが、誰もその表情は悲壮なれど笑顔であった。
ここにいる者全てが覚悟をし、無事と帰還を願っている。
ここに集うのは間違いなく“狼犬”と運命を共にすることを選んだ者たちだからだ。
マークルフは返事をする代わりに《戦乙女の槍》を掲げる。
そして無言のまま敬礼をした。
それは彼に槍を譲り渡した偉大なる祖父に──
その英雄に従ってきた者たちに──
そして自分の勝利を祈る者たちへの誓いと感謝を込めた姿だった。
「“狼犬”に勝利を!」
「戦乙女の加護がありますように!」
「“機神”との戦いに大団円を!」
人々が次々に喝采を口にする。
喝采の中でマークルフは見た。
かつて祖父が教えてくれた、自分が守ろうとした者たちの姿を──
今まで未熟な自分を“狼犬”として認め、支え、見守ってくれた者たちの姿を──
夜の城下町。
住人たちは全て街から避難した。
離れた場所に隔離している子供たちを守り、そして“狼犬”と“機神”の決戦を遠くから見守るためだ。
無人と化し、すっかり火の消えた街をマークルフは窓から眺める。
いつも見慣れた光景のはずが、まるで別世界のように思えた。
彼が座るのは《戦乙女の狼犬》亭の二階席。
階下の酒場を一望し、外の景色も眺めることができる祖父が一番気に入っていた席だ。
女将が階段を上がり、テーブルに果実酒を差し出す。
これも祖父が気に入っていたものだ。
「……すまないな、女将。最後まで付き合わせてしまった」
「いいえ。この店の最初のお客様がルーヴェンで、最後のお客様が若様──“狼犬”に始まり“狼犬”に終わる……洒落た話じゃございませんか」
マークルフは果実酒に口をつける。
「次にここに座るのは“機神”に勝ってからのつもりだった」
前に座ったのはユールヴィング領主の地位を継いだ時だ。
祖父の遺体を利用までした策略で、フィルディング一族から家宝の鎧を守り抜いて帰還した時であった。
祖父の使命と地位を継ぎ、それを世間に知らしめて帰還した彼はここで一晩中、泣き過ごしたのだ。
ああするしかなかった自分の無力さを祖父にひたすら謝り続け、フィルディング一族への怒りを募らせながら──
マークルフは拳を握りしめる。
思い出そうとしていた。
あの時の悲しみと怒りを──
何があろうと“狼犬”の使命を貫き通してみせると誓ったあの時を──
女将がその姿を静かに見守る。
祖父の最期を聞いて涙しながらも、それでもこの席で泣いていた彼をずっと見守ってくれていたあの時のように──
「……前にここの事を姫様にお話ししたことがあるのですよ」
女将が口を開いた。
「その席はルーヴェンの指定席。若様が座る時は“機神”との戦いが終わった時。ここで祝杯を挙げるつもりだって──」
マークルフは黙ってその話に耳を傾ける。
「姫様は言ってましたよ。もし、許されるならその時は自分が隣でお酌したいと──」
「……何が許されるなら、だ。俺は最初からそのつもりだったんだぜ」
マークルフは呟き、階下の席を見る。
彼と一緒に酒場に来た時のリーナの姿が次々と思い起こされた。
「その姫様から預かっていたものがございましてね。少しお待ちくださいな」
女将は奥に引っ込むと、しばらくして一冊の本を持って戻って来た。
マークルフは女将からそれを受け取ると広げる。
「何だ? 日記みたいだが見たことのない字だな。読めねえ」
「エンシア王族の方々が秘密のやり取りをする時だけに使われていた秘文字らしいですわ。若様に保護されてからのことをずっと日記に残していたそうです」
「そうなのか。俺も初めて知ったぜ」
「姫様に頼まれて戻ってくるまで預かる約束していたのです……もし、戻ってこれなかったら、代わりに若様の戦いがどうなったか書き記して残して欲しいと頼まれていましてね」
マークルフはページをめくる。こまめに綴ってあり、日付は“要”を探すために出発した日のまで終わっていた。
「姫様はできる限りのことを残されてました。誰よりも“機神”と戦ってきた若き“狼犬”の本当の姿を、いつか世間の人々に知ってもらいたかったそうです」
「余計なことを……傭兵稼業の暴露本なんて出されてたまるか」
何があろうと“機神”を滅ぼす──その決意にリーナの笑顔が重なる。
「戦いを前に余計なことをすべきでなかったかも知れません。ですが、黙っているわけにもいかず……申し訳ありません、若様」
「謝ることはないさ。その日記を最後まで完成させるのが俺とあいつの約束だ」
「秘文字の符号表ももらっています。読んでいかれますか?」
女将は紙を取り出して本と一緒に置くが、マークルフはそれを本に挟むと女将に渡した。
「いや、そろそろ出る。日記はこのまま女将が持っていてくれ。俺もリーナも戻る約束はできねえからな。その時は女将が代筆してやってくれ」
「大役ですわね。私も約束はできませんわよ」
「その時はフィーにでもさせとけばいい。字の勉強にはなるだろ」
マークルフは笑うが、やがて立ち上がる。
「女将、今までのツケは大公の爺さんに請求してくれ。それが後見人最後の仕事だってな」
「それも申し訳ないのですが、“狼犬”のツケだけは払わんと大公様から事前にお断りされてましてね」
女将が答える。
「……大公のくせにケチな話だな。親友とその可愛い忘れ形見に踏み倒しの汚名を着せようってのかよ」
マークルフは肩をすくめた。
「ああ、そうだ。女将、最後に教えてくれよ。“戦乙女の狼犬”の看板を先に使い出したのは祖父様か、それとも女将なのか、本当はどっちなんだよ」
「それは……そうですわね、ツケを払っていただけたらお教えしてもいいかも知れませんわね」
「戻って来てツケを払わなきゃいけないわけか。仕方ねえ、やるしかねえか」
女将が微笑む。だが、その瞳には涙が浮かんでいた。
「お帰りをお待ちしてますわ」
「ああ……後で迎えは出すから女将も早く避難しろよ」
マークルフは《戦乙女の槍》を手にして酒場を出た。
女将も外に出てその姿を見送る。
マークルフは振り返った。
「これが最後だ。フィーが外に出られたら思いっきり抱き締めてやってくれ。もう少しの辛抱だ」
マークルフは少年のように穏やかな笑みで告げる。
「今までありがとう」
その姿に感極まったように女将が目頭を押せる。
若き“狼犬”は歩き出した。
“狼犬”の出発を見送り、そして帰って来るのを迎える。
先代の頃から繰り返して見てきた“狼犬”の背中──
最後になるかもしれないその後ろ姿を女将はずっと見送るのだった。
“機神”の内的空間──
無限に広がるかのような闇に光が散らばる。
それは空の彼方に浮かぶ星雲のようだ。
“機神”内部でも“闇”と“光”の力が激しく蠢き続けていた。
“聖域”が力を取り戻したことでリーナと融合した黄金の“機神”は存在が安定化を始めている。
だが、それは取り込んだリーナの影響力が増し、破壊される可能性が残っているということだ。
だからこそ“機神”は“聖域”を脱出しようと南端を目指している。
障害となる地形のない“聖域”の出口であり、それゆえに最大の障害として“狼犬”が待ち受けるユールヴィング領へと──
『もう少しです……エレナさん』
闇の鎖に四肢を拘束され、無限の闇の中に閉ざされてるエレナ=フィルディング。力なくうなだれているがその意志は消えていない。
制御装置ごと“機神”に取り込まれたが、彼女もまたリーナと同じく“機神”に抗い続けている。
『もうじき、ユールヴィング領に到達します。マークルフ様がきっとエンシアの亡霊を止めてくれます』
エレナの前にリーナの幻影が立つ。
彼女はエンシア時代のドレスを纏っていた。それが自分の還るべき本来の姿なのだ。
『運命に殉じるというのか』
背後にヴェルギリウスの幻影が立つ。
『……人の願いを弄ぶ“闇”に運命という言葉を使う資格はありません』
リーナは“闇”に背を向けたまま答える。
『わたしには“戦乙女”も“狼犬”も“神”に弄ばれた駒のように見えるがな。自ら駒になることを運命とすり込まれた哀れな者たちだ』
『そうやって人を惑わし、多くの運命を歪めてきた』
『望むものを与え、非情な運命とは違う道を見せることが災厄というのかね? エンシアの人間たちもそうだった。魔物たちがうごめく過酷な世界で彼らは救いを欲した。だから、わたしは与えた。彼らは文明という武器を手にし、望むものを手に入れる繁栄を享受した』
リーナは振り返り、兄の姿をした“闇”と対峙する。
『欲望に応えるのが“闇”の本質──確かに多くの人々の望みに応えてきたのかもしれません。ですがそれによって本当の望みが埋もれ、必要だったものを覆い隠してしまった』
『ならばエンシアが本当に必要としたものとは何なのだ?』
『あなたにすがりつかない別の道を見つけるべきだったこと……文明が行き詰まったあの時に“闇”の誘惑をはね除け、別の道を模索することができなかった。それができなかったから、この世界に“機神”という災厄を招き、後世の人たちの運命を狂わせてしまった。“戦乙女の狼犬”という英雄も必要なかった。その運命をあの人に背負わせることもなかった』
『人が手に入れた文明を捨てて生きることなどできない。それは分かっているはずだ』
『分かっていたからこそ、あなたは文明を人に与えた。自分が世界に顕現する運命をそれに仕込んで──』
周囲に散らばる光がさらに輝きを増した。
“機神”が南を目指すのはそれがリーナの意思でもあるからだ。それ以外の行動は彼女によって拒絶され、行動が妨害されていた。
リーナを排除し、自由に行動するためには“機神”も待ち受ける“狼犬”と戦うしかなかったのだ。
『だからこそ、もう逃がしません。惑わされません。今度は“闇”が人の選ぶ運命に従う番なのです。エンシアが招いてしまった“闇”は、エンシアの手で還します』
ユールヴィング領の郊外に広がる森──
それを見下ろせる崖の頂にマークルフたちはいた。
「全ての機能が正常値範囲。問題なし」
マークルフの五体に装着された《アルゴ=アバス》を確認し、手に持つモニターを見ながらマリエルが答える。
背後ではエルマが様子を見守り、アードとウンロクの二人も持ち出した機械を操作して鎧の管理画面と睨み合う。
さらにその後ろにはリファが黄金の槍を持って立っていた。
「副長、魔剣を──」
彼女に促され、ログが腰からシグの魔剣を抜く。そして黄金の刀身を左腕の手甲部に差し込む。
「──対生成動力機関との同調も問題なし。男爵、何か違和感は──」
「ねえよ。だいたい、すでに整備は完了していたんだろ。念を入れすぎじゃねえか」
「念には念をです。そもそも男爵の身体自体が装着者としてはすでにボロボロなんです。最後の決戦前にボロが出てたら笑い話にもなりません」
マリエルは厳しい表情で反論する。
「分かった、分かった……それで最後まで戦えるんだな」
「ええ、後は男爵次第です」
マリエルが厳しい表情のまま、だが声を落としながら答える。
「分かってる。この戦いが終わるまで持ち堪えてくれたらいい。この鎧も、俺の命もな」
強化鎧の使用は装着者の命を著しく削る。すでに残り寿命が八年を切っており、この決戦の後に彼の命がどうなるかは誰にも分からない。
「この鎧には随分と勉強させてもらいましたわ」
エルマが言った。
マークルフは強化鎧の管理と整備に携わってきた科学者たちの顔を一人ずつ見渡す。
「科学者にすれば貴重な科学の遺産かもしれないが、この鎧も俺と一緒でこの戦いでお役御免にする。今まで世話になったな」
「ワシらのことを忘れておらんじゃろうな」
足許の地面から老妖精ダロムと妖精の少女プリムの二人が顔を出していた。
「おお、悪い悪い。忘れるところだった」
マークルフは笑うが、こちらを見るプリムを前に口を閉じる。
「……男しゃくさん、グーちゃんの分までがんばってね」
プリムが言った。
マークルフは静かにうなずく。
「ああ。グーの字にはいつも助けられたからな」
マリエルが兜をマークルフに渡した。
「うちらができるのはここまでです。うちらは“聖域”の外から戦いの様子を見守らせていただきます。勝利を願います」
「任せろ。そろそろ“機神”が来そうだ。お前たちも早く避難しな」
兜を腋に挟み、マークルフは答える。
「男爵、気をつけて」
「朗報を待ってますぜ」
アードたちは管理装置を担いで撤退をし、エルマも無言で目配せするとその後を追う。
マリエルも静かに頭を下げるとその場を立ち去り、妖精たちも消えていた。
「男爵さん」
リファが黄金の槍を持ってマークルフに差し出す。
「リファ、お前にもいろいろ世話になったな」
「ううん、まだまだ、ぜんぜんお礼をし足りないよ……だから戻ってきてね」
マークルフは槍を受け取る。
「もう十分、お礼はしてもらったさ。だから次は名物食い放題の旅の約束を果たす番だったな」
「そうだよ。リーナお姉ちゃんと一緒に奢ってもらう約束、忘れちゃいないんだからね」
「ああ……今さら言うようだが、やっぱり旨い名物なんてなかった気がするな」
「それでもいいよ。奢ってもらうのが一番旨いんだから」
「ちゃっかりしてやがるな」
マークルフはリファの頭に鋼の手を載せる。
「行きな。お前の兄ちゃんへの最高の土産話にするんだろ。巻き込まれないようにしっかり俺の戦いを見てろよ」
「当然! 負けちゃダメだからね!」
リファは明るく答えるが、その表情が悲痛に変わる。だが、すぐに振り向くとマリエルたちの後を追って行った。
その場にはマークルフとログが残された。
マークルフは眼下に広がる森を眺める。
「閣下、どうかされましたか」
マークルフはログの呼びかけに振り返った。
「いや、リーナと初めて出会った時を思い出してな」
マークルフは眼下に広がる森の姿をあらためて一望した。
かつては行われた初代“狼犬”と“機神”の決戦を示す傷跡のように、美しかった森を引き裂くような断層が口を開けていた。
領地への侵入者を嗅ぎつけたマークルフは部下たちを引き連れて彼らを迎撃した。
その時、地中から現れた鉄機兵とその中から現れた一人の少女と出会う。
それが全ての運命の始まりであった。
「全ての始まりの地を前に、勇士は戦乙女と共に歩んだ使命と運命の大きさに感銘を受ける──絵になる場所だと思わないか、ログ?」
おどけるように言うマークルフ。だが、その眼差しは迫り来る仇敵の気配に向けられていた。
「……ならば、我らが戦乙女に礼をせねばなりませんね」
ログもただ静かに答える。
マークルフはもう何も答えず、ただ時を待つ。
「……」
ログは無言で敬礼すると、静かにその場を立ち去った。
ひとり、マークルフは待ち続けた。
空に広がる闇の帳の綻びから覗く月が暗雲に閉ざされた。
地上が闇に呑まれる。
それでもマークルフは感じていた。
あの闇の向こうから迫り来る真の敵と──
最愛の人の祈りを──
「祖父様、見ていてくれ。もうすぐ、俺たちの悲願の時が来る」
右手に握る《戦乙女の槍》だけが、その暗闇の中で勇士を導くように輝いていた。