それでも、独りで消えていくことはない
ログの瞼の裏にタニアの姿が浮かんだ。
(──その小娘だけがボロボロに朽ちた剣にすがりついてその歩みを止めてしまったら、貴様はそれでも自分のしたことに満足できるのか)
伯爵の言葉が蘇る。
(俺は……あの子が自分のために泣いてくれると思っているのか──)
何故、ここまで自分に気にかけてくれたのか、ログにもそれは分からない。きっと、自分も覚えていないような些細なきっかけなのだろう。
それなのに今まで自分に尽力してくれたのは感謝しかない。
(だが、あの娘は若い……いずれ忘れる。それでいい)
目を開けると、リーナ姫の幻影は姿を消していた。
きっと自分の願いを聞き届け、一人にしてくれたのだろう。
傍らで地面に刺さるシグの魔剣に目を向ける。
「かつて、世界のために身を捧げた幼き戦乙女よ。もう一度、世界のために力を貸してほしい……貴女を引き取りに来る若き勇士のために……お願いする」
そう伝えるとログは空を見た。
炎の向こうに広がる闇に覆われた空。だが、きっと希望を担う勇士たちの光がそれを打ち払ってくれるだろう。
その役に立てた──これが自分にとって最善を尽くした道だったのだ。
全てをやり終えたログは目を閉じ、最期の時を待つ。
ブニュ
誰かがログの鼻を摘まんだ。
慌てたログが目を開けると、そこに彼を見下ろす一人の人物が立っていた。
思いかげない人物の姿にログも驚きのあまり声もでない。
「いやあ、副長さんがたまげる姿ってのも新鮮で面白いものですわね」
「……お前は!?」
「ここで丸焼きになるぐらいなら、自分で魔剣を渡しましょうよ。この先に身を隠せる洞窟もありますし、動けないなら肩ぐらいは貸しますわよ」
「──若ッ」
サルディンの声にマークルフは我に返る。
「どうしたんです、若? 急にぼうっとして──」
マークルフはずっと立ち尽くしていたのに気づく。
「ログたちの様子が見えていた……きっとリーナが見せてくれたんだ」
マークルフは燃えさかる森林を見つめながら答える。
「副長の!? それで副長は──」
「ログが勝った」
その言葉に近くにいたタニアが跳ね飛ぶように駆けつける。
「ログさんは無事なんですか!? 早く助けに──」
「……いや、このまま待つ」
「何故ですか!? このまま見殺しに──」
マークルフは詰め寄るタニアの頭を鷲づかみにした。
そして笑う。
「するわけねえだろ。まあ、待ってやれ。せめて言い訳を考える時間ぐらい与えてやろうぜ」
「……言い訳?」
「ああ、俺は優しいんだ。まあ、迎えだけはよこしてやるか。サルディン、頼まれてくれるか」
クレドガル王城──
王妃の消えた離宮の寝室で国王ナルダークは失意に打ちひしがれていた。
突如として姿を消し、付近を捜索したがいまだ見つからないでいる。
近くでは侍医や近衛兵たちも言葉を失って立ち尽くすままだ。
その国王の目の前が急に輝いた。
その光の中から現れたのは王妃システィアだった。
「……リーナ様、ここまでありがとうございました」
王妃はそう呟くと王に寄りかかるように倒れた。
「システィア!? しっかりしろ!」
王は王妃を抱き留めると、すぐに寝台に横にさせた。
王妃が王の手を握った。
「システィア?」
「……ごめんなさい……王妃様はお返しするわ……そしてこのお腹の子も貴方と……この王妃の子として……」
「どうした? 何を言って──」
「今からこの子が誕生するわ……そうしたら抱きしめてあげて……そして離さないであげて……」
王妃が苦しげな中、微笑む。
「思い出すわ……あの人が付き添ってくれた時を……必ず、この子と母親は助けてみせる……せめて……消える前にそれだけはさせて……」
王妃が目を閉じた。
そして再び目を開けた時、王の顔を見て驚く。
「陛下、ここは……?」
「分かるかい、城の自分の部屋だ」
我を取り戻したように王妃は周りを見渡すが、やがて苦痛を浮かべて王の手を握りしめる。
「システィア!?」
「──すぐに準備を! 陛下! ここから先は我々が代わります!」
出産の兆候を悟った侍医たちが慌ただしく動き出した。
火事は鎮火した。
煙が燻る焼き野原となった丘をマークルフはただ待ち続ける。
傍にはタニアたちもいた。
「……ほう、少しは朝日も差すようになったか」
空を覆う闇。それでも“聖域”復活により綻びが広がっており、闇の向こうに覗く空から朝日が漏れている。
マークルフは眩しそうに目を細める。
「男爵、うちらにも待機していろってどういう事です?」
彼の後ろには呼び出されたマリエルたちがいた。
「迎えは多い方が良いだろ」
マークルフは笑う。
やがて焼け焦げた木々の向こうから人影が現れた。
それを見たタニアたちは声を失う。
そこには三人の姿があった。
一人はまん中で二人の肩を借りながらおぼつかない足取りのログ。
もう一人はログに肩を貸すサルディン。
そしてもう一人は上半身下着姿のエルマだった。
やがて三人がマークルフの前にたどり着き、ログを地面に下ろした。
ログは全身を布で巻かれて止血された状態だったが意識ははっきりしている。
ただ、気まずそうに黙っていた。
「……まったく、てめえもだらしねえな」
マークルフは腰に手を当ててわざとらしく苦笑する。
「あれだけ格好つけて一人で行ってよ。タニアなんかずっと泣き続けて普段でもがさつな顔が見るに堪えないぐらいだったってのによ。のこのこと戻って来やがって。それでも“戦乙女の狼犬”の腹心か? 言い訳はちゃんと考えてあるんだろうな?」
「……面目次第もございません」
そう答えたログの胸にタニアが飛び込んで抱き締める。
「よかった……ログさん……よかったぁ!」
自分の胸で泣きじゃくるタニアの姿にログは狼狽する。
「タニア……泣くなくていい。離れろ。血で汚れる」
返り血が残る自分の身体に触るのを気にするログだったが、タニアは構うことなく泣き続ける。
マークルフは自分のために泣く姿に戸惑う副官の頭を鷲づかみにする。
「自分で泣けないなら、せめて自分のために泣いてくれる奴ぐらいは好きにさせてやれ」
そしてフッと笑う。
「死に損なったものはしょうがねえ。ログ、もう少し付き合え。できるだけ見届けてから死んでも遅くはねえだろ」
「……御意」
ログは静かに答えた。
「ほんとね、副長さんは基本的に不器用な性格なんですから」
やり取りを眺めていたエルマ(半裸)が答えた。
「死のうと思ったってそう簡単に死ねる人でもないんですよ」
「……お前にだけは言われたくない」
ログがそう答えるとエルマは面食らったような顔をして気まずそうに笑う。
「あらら、副長さんに言い返されるなんて、うちも焼きがまわ──」
「いいから、その格好をどうにかしろぉッ!」
マリエルの跳び蹴りが豪快にエルマを捉えた。
余りに気合いの入ったマリエルのツッコミに周囲も唖然とする。
「……あ、あいたた、ちょっと何するのよ! ここは感動の再会であんたも涙するところじゃ──」
「だったら感動できる格好で戻ってきなさいよ! なんでそんな格好なのよ!」
「だってぇ、仕方ないじゃない。動けない副長さんをうちが捕まってた洞窟まで引っ張ってさ、取りあえず服を使って止血ぐらいはしてあげたってのに……いろいろとやったのに酷いわあ、この仕打ち」
泣きマネをする姉の姿にマリエルは顔をしかめつつも、自分の上着を脱いで姉にかけた。
「本当にもう……だけど、本当にどうやって助かったのよ」
「ああ、ディエ──いえ“監視者”が助けてくれたのよ」
「天使が? でも、なぜ姉さんを?」
エルマがログの腰に下げているシグの魔剣を見る。
「詳しくは後で話してあげるけどさ……助けられた代わりにその人に頼まれたわけよ。いつか武器となった戦乙女を元に戻す方法を見つけてくれってさ。ただ、全ての決着をつけるまでは手出しするなって拘束されていたんだけどさ」
「……希望が欲しかったんだ」
横で話を聞いていたログが答えた。
「魔剣となった娘といつか再会するための希望をな。“機神”を倒す方法まで見つけたエルマの頭脳にそれを託したんだろう」
ログが答えるとタニアをゆっくり引き離し、腰に吊した鞘を外した。そしてマークルフの前に魔剣を差し出す。
「使っていいのか、ログ?」
「はい。シグの魔剣は閣下たちと共に“機神”と戦うことを選んでくれました」
マークルフは魔剣を掴んで受け取った。
「……礼を言う。勇士シグの戦乙女よ」
「お生まれにございます! 王子でございます!」
侍女が伝えた王妃出産の一報に、国王をはじめその場にいた家臣たちが一斉に歓声をあげた。
国王ナルダークは急いで部屋へと駆けつけた。
寝台の上には分娩を終えた王妃とその傍らに生まれたばかりの我が子が寝かされている。
「出産時期が遅れて難産にはございましたが、無事にお生まれになりました」
侍医からの報告を受けた国王は静かに近づき、妻と初めて見る我が子の前で跪く。
「……陛下」
「いろいろとあったが、よく頑張ってくれた」
国王が労うように王妃の手を握る。
王妃は我が子の顔を見て、やがて震えるように泣き出した。
「陛下……私は母親になってはいけないのだと思っていました」
「どうしたんだい? 急に──」
「私は悪い人間なのかもしれません……私はかつて父を捨てました……だから、この子の親になる資格もないのではないかと……」
国王は身を伸ばし、赤子を見守るように王妃の肩を抱き寄せる。
「今は何も言わなくていい。君と余がこの子の親だ。それが全てだ」
今までに控えめで寡黙だった王妃が涙に顔を緩ませる。
「祈ろう。この子の未来と“狼犬”の勝利を──今できるのはそれだけだ」
(──これでいい)
“機神”の化身となる運命だった子供は国王とその王妃の子として世に生まれた。
これによって“闇”は受肉先を失った。
だが、この子を通して力を得ていた魔女エレも依り代を失い、消滅を余儀なくされる。
(これでよかったのよ)
王妃の出産に力を貸し、エレとヴェルギリウスの愛が受け継がれたのを見たエレは自分が不要の存在だと悟った。
エレの意識は暗闇に沈む。
(ごめんなさい、あなた……“心”のないわたしでは……“人形”でしかなかったわたしでは……あなたの願いに応えられなかった)
沈みゆく無の中にエレは意識を投げ出す。
(このまま、消えて……いいえ、元からなかったのよ……わたしの中から消えていくものなんて……)
元々、人の欲望を満たすための人形でしかなかった。そう、最初からこの世界に不要の存在だったのだ。
(許して……トウ……ミュー……ヴェルギリウス様……)
だが、沈みゆくエレの意識が何かに受け止められる。
同時に無の中に淡い光が灯った。
(なに……?)
エレを受け止めていたのは光の腕だった。
巨大で鋼の装甲に包まれた──それなのに優しい温もりを感じる腕だった。
それは鉄機兵の腕だった。
(これは──)
エレを抱えるように光の巨人が姿を現す。
それは淡い光に包まれた《グノムス》だった。
(グノムス……どうして……)
闇の先に眩しい光が浮かぶ。遙か先にあるような小さな光点であるが、そこから目映い光が溢れてエレを呑み込もうとした闇を照らす。
(あの人が待ってる? トウも、ミューも一緒に……いえ、ダメよ……わたしには……)
エレは顔を背けようとしたが、鉄機兵は腕を持ち上げて彼女を胸元に引き寄せる。
(……連れて行ってくれるの? わたしも……あの人の居る場所に一緒に行ってもいいの?)
巨人はエレを担いだまま光に向かって歩き出した。
(待っててくれたんだね──ありがとう、グノムスちゃん)
エレは鉄巨人の胸に顔を埋めた。
その姿が光の彼方に消えるまで、ずっと──
マークルフの横ではアードとウンロクの二人が目に涙を浮かべながらマリエルの後ろに立っていた。
「所長……」
「姐さん……」
「ごめんね、二人とも。心配させちゃってさ。マリエルのお守り、ご苦労さん」
エルマが笑うと二人は駆け寄ってその傍でわんわんと泣き出す。彼女は二人の頭に手を置いて慰めるようにポンポンと叩いた。
「何がお守りよ……さんざん心配かけさせといて」
マリエルも涙目で言う。
「ごめんごめん。でも、うちがいない間もちゃんとやっていたみたいだし、これでうちも心配することはなくなったわ。後は──」
エルマがマークルフの方を見た。
「真打ちの出番だけですわね」
ログを始め、部下たちの視線が一斉にマークルフに向けられる。
「頼まれるまでもねえさ。ログやエルマや他の連中まで命を懸けて用意した舞台だ。きっちり“機神”の野郎とケリを着けてやるさ」
マークルフはマリエルに魔剣を渡すと手を叩いた。
「よーし! 湿っぽいのもここまでだ! てめえら、出発の準備をしろ。領地に戻って最後の戦いの準備だ!」
「オーーッ!!」
傭兵たちは鬨の声をあげた。
ログはタニアに付き添われながらサルディンたちに運ばれ、エルマもマリエルたちと一緒に強化鎧の最終点検に向かった。
「隊長?」
ウォーレンが一人、その場に残ったマークルフに声をかける。
「準備ができたら呼んでくれ。それまで少し一人にさせてくれ」
「……了解です」
ウォーレンも下がり、一人になったマークルフは振り返る。
『──やはり、この手で君を葬らねばならないようだな』
マークルフの目には揺らいだ姿のヴェルギリウスが映っていた。
「魔女たちは消えた。異形も封じられる。後はてめえだけだ、ヴェルギリウス──いいや、エンシアの終焉に殉じた一人の男の願いをねじ曲げ続ける亡霊よ」
マークルフが牙を剥くように幻影を睨む。
『君に──エンシアの亡霊が討てるのかね』
「討つ。それが俺たちの──“戦乙女の狼犬”の名の下に集った者たちの道だ」
何かを言おうとしたヴェルギリウスの姿がかき消え、そこにリーナの姿が現れる。
『その通りです。“闇”の依り代となるはずだった子もその運命から離れた。もう終わりにしましょう、“闇”よ』
リーナの姿が消えていく。
『マークルフ様、待っています』
「ああ、待っていてくれ」
幻影が消える直前、マークルフは伝えた。
「俺たちは最後まで一緒だ」