二度と“剣”が必要とされない道のために(4)
「娘……」
「この魔剣に身を変えた戦乙女は……そう、俺の娘だった」
伯爵は荒い息の中、答える。
木々を燃やす炎が闇を照らし、その腹に刺さった黄金の刀身が輝く。
「貴様は勇士シグの……伝説をどこまで知っている?」
「古代王国崩壊後の混乱期。魔物たちが跋扈し、地上の人々を苦しめたが、戦乙女の化身である黄金の剣を持つ勇士シグが現れて魔物たちを討伐した。地上を平定した勇士は魔剣を遺して姿を消した」
「……嘘ではないがな。俺がまだ人間だった頃、地上には魔物たちが暴れ回っていた。だが人間たちだって黙ってやられる訳じゃない……戦っていた……俺もその一人だった」
ログが答えると伯爵──勇士シグだった男は苦笑した。
「だが、魔物たちの中でとても厄介な奴らがいた。そいつは古代エンシアの被検体だった改造種でな……強い繁殖力と再生力を持ち……武器が通じなかった」
伯爵は魔剣を見つめながら答える。
「俺の一族は……魔物と戦う使命を自らに課した……戦士の一族だった……だが一族は次々にやられていった……エンシアが生み出したあの魔物たちは……古代遺跡から手にいれた魔法の武器でも……通じなかった……その間にも奴らは数を増やした……貴様にも分かるだろう……戦う力を持っていても……武器が通じなければ無力だ……その悔しさを……」
ログは答えなかったが、その無念さは理解できた。
「魔物たちは数を増やし……犠牲が増えた……そして、俺の妻もやられた……俺は嘆いた。あの魔物に通じる武器さえあればと……それがあの子に聞こえ……“神”が選ぶほどの決意をさせたのだろう。娘は自分を……犠牲にして……魔物を倒すための武器になったのだ」
伯爵は自分に刺さった魔剣を見る。
「娘の最後の言葉は……『“神”様が助けてくれる。あたしはみんなを助けたい』……だった。それから姿を消し……次に俺の目の前に現れた時……魔剣に変わっていた」
伯爵は無念を噛みしめるように唇を噛みしめる。
「貴様に分かるか!」
伯爵が叫ぶ。大きく咳き込みが咄嗟に腕で防ぐ。魔剣を血から庇うような姿だった。
「……下の息子たちが魔剣を引きずりながらやって来て……『お姉ちゃんが剣に変わったまま戻ってくれない』って泣きながら俺に言った時のことを──」
伯爵は拳を地面に叩きつけた。
「あの子はまだ七歳だったんだぞ! 身体が弱くて、病気がちでな……それでも……あんな時代でも一生懸命生きてきたんだ……そんな幼い娘が自分を捨てて、未来を捨てて……ただ俺に戦ってもらうためだけに“剣”になることを選んだ」
伯爵の身体から光の粒子が滲み出した。
「俺は恨んだ……娘を選んだ“神”を……幼子を犠牲にしなければいけなかった世界を……娘にそんなことをさせてしまった己の無力さを…………それでも娘の願いのために戦ったさ……確かにあの子が姿を変えた魔剣は魔物たちにも通用した……戦って、戦って……魔物たちを倒していった」
伯爵は悲嘆にくれた表情で目を閉じる。
「辛かった……傍にありながら遠くに行ってしまった娘を魔物たちに振るうなんてやりたくなかった……それでも娘の願いが叶うならと……そして魔物たちは駆逐した……だが、その後は人間たちが争いだした……エンシアの幻影を追う連中や、“神”を信じる連中が互いに争った……せっかく魔物の脅威は消えたのに……勝手に争い、傷つけ合いだした」
伯爵が目を見開き、ログを睨む。そして嘲けるように口角を吊り上げた。
「……英雄となった俺を連中は味方に引き入れようとした……俺まで争いの道具にしようとした……あの娘が切り拓いた“道”を進んでくれる者は……誰もいなかった」
伯爵の嘲りがログに向けたものか、それとも伯爵自身か、あるいは両方だったのかも知れない。
「俺に残ったのは……元に戻ることもできず、朽ちることも許されない……魔剣一振りだった……せめて、この子だけはどうにかしたかった……魔剣を一族に託し、元に戻る手段を探して旅に出た……その時さ、気づいたら俺は“天使”になっていた」
伯爵の姿がさらに光に分解していく。
「“神”は見透かしていたようだ……娘を一人にしたくなかったという俺の思いに応え……人の寿命を越えて“天使”として生きる選択肢を与えたんだ……腹立たしい話だったが……それでも俺は魔剣を見守ることを選んだ……せめて俺だけでも娘を一人きりにさせまいと思った」
伯爵は震える手を魔剣に添えた。
「娘は……まだ世界を救いたいと願っていて……俺を止めたのだろう」
ログは紋章を通して触れた魔剣の意思を思い出す。
「何故、魔剣を一族に託し、自分は背中を向けていた? 何故、魔剣の傍にいてやらなかった?」
ログは尋ねた。
「貴方が魔剣を一人にさせまいとしたように、魔剣も貴方をずっと心配していた。魔剣は世界を救いたいと願い、なにより苦しみ続ける貴方を救いたいと願っていた──世界が救われれば貴方も救われる。だから、貴方を止めてほしかった……それがわたしが聞いた魔剣の願いだった」
伯爵は遠い目をしてうなずく。
「……俺は世界を監視し続けた……しかし世界は懲りもせずに争う……あげくの果てには“機神”を復活させようとして戦争だ……結局、古代王国崩壊から続く争いの元凶はあの“機神”だ……世界はずっとあの存在に翻弄され……“狼犬”をはじめ、それに抗う人間も見てきたが……俺自身は人間に見切りをつけていたんだろうな……そんな世界を……そんな俺自身の姿を娘に見せたくなかった……でも、娘は違ったようだ」
伯爵は自分の腹に刺さった魔剣を愛おしむようにさする。
「……そうか……ルダ……お前は……“狼犬”と一緒に……戦いたいのか……はは……そうか……あの村の人たちが……大好きだから……助けたいか……そうだったんだな」
魔剣に語りかける姿はとても穏やかだった。
伯爵の瞳に涙が浮かぶ。
ログの瞳に光に包まれた幼い娘の姿が見えた気がした。きっと伯爵にも見えているのだろう。
それは時を越えてようやく再会できた仲睦まじい父娘の姿だった。
「……我が輩は……お前の邪魔をして……しまったんだな……すまん……すまんな」
もしかしたら、今まで演じていたと思っていた豪放で我が輩口調の“伯爵”こそが、勇士シグが捨ててしまった本来の姿だったのかもしれない。
「……ああ、行っておいで……謝ることはない……待っている」
伯爵はログに顔を向けた。
「……娘を連れていって……やってくれ……それと……貴様に……返して……おくものが……」
そこまで告げた伯爵は急に何かに気づいて顔色を変えた。慌てて魔剣を腹から抜くと最後の力を振り絞ってログに放り投げる。
ログが魔剣を受け取った瞬間、伯爵の胸を黒の刃が貫いていた。
「ディエモス伯爵!?」
「……なあ……」
伯爵が最後の力を振り絞ってログに笑いかける。
「……あの子に成長した未来があったのなら……あの村の……壁画みたいな……美人になっていたと……思うか」
ログは目を細め、無言のままうなずく。
伯爵はフッと笑い、そして光の粒子となって散った。そして黒剣が地面に落ちる。
「──トウ、仇は討ったわ」
黒剣が宙を浮き、燃え上がる木々を背景に立つ一人の女性の手に収まった。
そこにいるのは身重の身体を苦しげに支える外套姿のクレドガル王妃システィアだった。
クレドガル王城で眠っていたはずの王妃を前にログは魔剣を握りしめる。
「魔女……この剣を奪いに来たか」
システィア──いや、彼女に憑依する魔女エレが“機神”との戦いを決める魔剣奪取のために動いたのだ。
王妃の表情を通して魔女の苦痛が見え隠れする。
本来なら王妃はもう出産をしなければ危険な状態になっている。だが、魔女がそれを止めていた。この赤子が“機神”の化身ヴェルギリウスの受肉先として必要だからだ。
“狼犬”と“機神”の決着がつくまで王妃を動かすわけにはいかないはずだが、それでも無理に動かしてまで魔女が妨害に出た。
そこまで“機神”側も追い詰められているのだ。
「その魔剣を“狼犬”には渡せないわ。でも、貴方は妹の仇を追い詰めてくれた。だから魔剣から手を離しなさい。そうすれば命は助けてあげる。この下にいる仲間たちの許に転送してあげるわ」
(閣下たちが来ている……)
ログは満身創痍の身体に鞭打ち、魔剣を構える。
その双眸に消えない闘志を見た魔女が表情を険しくした。
「無駄死によ。抗ったところで私に殺されるか、そこまで来ている炎に逃げ場をなくして死ぬだけよ」
それでもログは無言のまま、震える手で魔女と対峙する。
「……いいわ。これ以上、邪魔が入らないうちに貴方にも消えてもらう」
そう告げると怒りを露わにしたシスティア──いや、彼女に憑依している魔女エレが妹の形見である黒剣に真紅の光を灯す。
「誰にも! 貴方にも! あの人の邪魔はさせない! 一人になったとしても、私があの人を守ってみせる!」
炎を背に叫ぶ王妃の姿。
それは愛する者のために自ら地獄の道を選んだ魔女の姿でもあった。