二度と“剣”が必要とされない道のために(3)
マークルフは地面に刺さった剣を見つめていた。
それはログが残した剣だった。
「隊長、近くの木は伐採してます。これで延焼は防げると思いますぜ」
林の方で迫り来る炎を前に木が倒れていく。ここで火の手を止めれば、近隣の草原への拡大は阻止できるだろう。
「ただ、これでは副長が──」
ウォーレンが煙の立ちこめる丘陵の空を睨みながら呟く。
マークルフは答えることなく、ただ剣を見つめ続ける。
やがて馬車と傭兵の一隊がやって来た。
それはマリエルたちを連れて遅れてやって来た後続隊だった。
馬車からタニアが駆け下りて近づく。
「ログさんは──」
マークルフたちは目で炎と黒煙が渦巻く林の方を示した。
その光景を見たタニアは愕然とするが、すぐに駆け出そうとする。
「てめえが行って何になる?」
マークルフはその腕を掴んで引き留めた。
「だったら男爵が助けてください!」
タニアが訴える。
「男爵なら鎧で助けに行けるじゃないですか!? 何でしてくれないんですかッ!!」
タニアが必死に訴える。
「ログさんは今まで男爵たちのために──」
「そんなことは分かってらぁ!!」
マークルフは堪えに堪えていたものを吐き出すように怒鳴り返した。その迫力にタニアも息を呑む。
「……ログは天使との一騎打ちに全てを懸けて行ったんだ。ここで俺たちが乱入して全てを台無しにするわけにいかねえんだ」
「でも! このままログさんを見殺しにするって──」
詰め寄ろうとするタニアの両肩を後ろから誰かが掴んだ。
サルディンだ。
「若を責めないでやってくれ。若が副長を見殺しにして平気だなんて、お前も思っていないだろ」
マークルフは地面に刺さった剣を見続ける。
成り行きを見ていたウォーレンがマークルフの横に立つ。
「さっきサルディンもそれを見て“警告の墓標”って行ってましたが、この剣はいったい、どういうことなんで?」
「……俺もサルディンも昔、祖父様から聞いて、頼まれていたことがある。ログはこの道を選ぶかもしれない。ただ、できればそれは止めて欲しかったってな」
マークルフは歯噛みする。
「俺だってここまで来てあいつを脱落させたくねんだ……でも、あいつが最後までこの道を選んだのなら……俺も、もう止めることはできない」
「──貴様はそれでも自分のしたことに満足できるのか」
伯爵が黄金の鞘を手に答えを迫るように近づく。
ログは真紅の魔力を宿す魔法剣を右手に、そして小剣を左手に構えた。
伯爵はそれでも構わず間合いを詰めていく。
ログは魔法剣を振るった。
伯爵が鞘でそれを受け取る。鉄をも切り裂く魔法剣の刃を黄金の鞘は受け止めていた。
「この鞘は俺の力を込めた物だ。その剣でも簡単には斬れんぞ」
刀身を通して見えない反発がログの手に伝わる。魔法剣の魔力と鞘に秘めた輝力が衝突することでの反発だ。
「純粋な力の衝突ほどではないが、物体に込められた力同士も反発を生むか……こいつは厄介だな」
伯爵が呟くと鞘から手を離した。そして宙に浮いたままの鞘から剣を抜いた。
鞘に剣を止められたままのログは一瞬、反応が遅れる。
両者は咄嗟に身を翻して間合いを離した。
宙に浮かぶ鞘が伯爵の手に収まる。
ログは胸元近くを切られていた。少しでも反応が遅れていたら深く肉を抉られていただろう。
「いかんな。人の呟きに気をとられては──」
伯爵は剣を鞘に収めると一歩近づく。
ログは一歩、退きながら己の迂闊さに憤る。
伯爵の呟きから反発からの攻防を一瞬、予想したが、相手はそれとは関係ない不意打ちを使った。
ここに至るまでの戦いによる体力の消費、そして右足、左肩、脇腹、胸と致命傷には至らないが負傷が重なり、ログの身体がふらつく。
「すまんな。どうやらまともに戦っては分が悪いのでな。こちらも手段は選んでいられんのだ」
伯爵が鞘で殴りかかった。
ログはそれを両手の剣でそれを受け流しいく。
分が悪いと言うが、伯爵の動きは凄腕の戦士そのものだった。
負傷したログは攻撃をしのいでいくが劣勢を強いられる。
伯爵が鞘から剣を抜いた。
ログの魔法剣と伯爵が剣を打ち合わせる。真紅の刃が伯爵の剣の刃にめり込んでいく。
「……まずいな、このままでは剣が折れる」
しかし宙に浮いた黄金の鞘がログの魔法剣に収まった。
ログは咄嗟に剣から手を離してその場から飛び退く。
衝撃音と共に魔法剣の柄が破壊された。
「──そっちのな」
伯爵が手にした黄金の鞘からバラバラになった魔法剣の刀身がこぼれ落ちる。
魔法剣の魔力と鞘内部の輝力が衝突し、一番脆い部分である柄が破壊され、刀身も力を失って砕かれたのだ。
「ようやくこちらに分がありそうだな」
伯爵が攻撃を加える。ログは小剣でそれを迎え撃つが、傷を引きずる身体で小剣一振りではログでもしのぎ切れるものではなかった。
小剣が宙を浮き、ログは右腕を押さえる。左手から血が流れ落ちていた。
「人ひとり倒すまでにここまで手こずったのはあの黒剣の魔女以来か……ああ、いや、最近か」
伯爵は鞘を腰に収めると、剣を握りながら近づく。
その背では木々が炎に呑まれようとしていた。
ログは肩で息をしながら後ずさるが、足の激痛と疲労でその場に膝をつく。
炎に照らされ近づく伯爵は鬼気迫るものがあった。ただ剣に長けているだけはない。あらゆる手段を使って追い詰めようとする狡猾さと冷徹さがあった。
あの黒剣の魔女もそれに追いやられて負けたのだろう。
ログの視界の端に岩に立て掛けられたシグの魔剣が映った。
だが、負傷した足では魔剣に届くまでに間違いなく伯爵に斬られる。
(万事休すか──)
ログの脳裏によぎったのは在りし日の“狼犬”ルーヴェン=ユールヴィングの姿だった。
『老体に鞭打ってきたつもりだが、どうやら儂もここまでらしい』
夕焼けに染まる空、館の中庭で木に登って遊ぶ少年の姿を眺めながら、ルーヴェンがそう呟いた。
「……どうかされたのですか?」
従者として隣に立っていたログは尋ねる。
ルーヴェンが寂しそうに微笑み、おもむろにログの手を掴んだ。
その手から震えが伝わってくる。
「どうやら限界が近いらしい。儂の中の“心臓”もそう教えてくれている」
孫であるマークルフが木の上から手を振った。
ルーヴェンはすぐに手を離して手を振り返す。
「ログ、一つ聞いて欲しいことがある」
ルーヴェンがあらたまって言う。黄昏に染まるその表情に英雄と呼ばれた姿はなく、ただ愁いが刻まれていた。
「ユールヴィング家当主の座は当然、坊主に譲ることは本国に伝えてある。だが、もし、あの子が本当に儂と同じ“狼犬”の道を歩き出した時は、その時はどうか力になって欲しい」
「引き続き若様の副官を続けてくれという事ですか?」
「これは命令ではない。自分の決めた道があるならそっちを選んでくれて構わない。お前には本来、自身が選ぶべき道がある」
ルーヴェンは孫の方を目を細めて見つめる。その瞳がとても寂しそうに思えた。
「坊主もそうだ。これから先は坊主が決める道だ。儂は見ることができない世界だ。それでも、自分にはもう届かない世界に何かしてやりたいと思う……孫バカかのう?」
ログはそれに答えようとしたが、言いよどむ。そして腰に差した剣を見つめた。
「ログ、言いたい事があるのではないか? 言ってみるがいい。相談するなら、儂がまだ元気でいられるうちだぞ?」
ログの苦悩を見透かしていたかのようにルーヴェンが呟いた。
「わたしは──」
ログはゆっくりと話し出す。
「かつて騎士の一人として、“剣”として生きることを教えられてきました。ですが、今のわたしは自分が生き延びるために多くの人間を斬り過ぎました。そんなわたしが“剣”として生きる資格があるのか……今でも迷うのです」
ログは頭を下げる。
「申し訳ありません。このような時に泣き言を──」
「そんな事だとは思っておったよ」
ルーヴェンがログの肩に手を置いた。
「儂も傭兵として血に染まった道はいろいろと見てきた。だから儂も時々思うのだ。結局、正しい道とは細く見えない道なのだと。多くの者が踏み外し、血に染め、そして屍として倒れたその山が積み重なった時、その隙間にようやく見える道なのではないかと──」
ルーヴェンが微笑む。その笑みは鮮烈な生き様が刻まれた寂しい微笑であった。
「だから儂はこう思うのだ。血に染まった剣は道標になればいいと──」
「道標……」
「血に染まった道の前に突き立て、ここから先に行ってはいけないと後進のための道標になればいい。その身が、後から続く者が正しい道に行くための役に立てればそれでいい。そう考えることはできないか?」
ルーヴェンがそう言うとログの背中を叩いた。
「もちろん、もっと良い道があってもいい。サルディンだってそう思ってお前を副官に推したのだ。いろいろあって辛いだろうが、いつかお前自身で選んだ道を進んでくれればいい」
そして、こう付け加えた。
『確かにお前の“剣”は多くの命を奪った。それでも多くの人を救える剣だ。それだけは忘れるな』
(……まだだ。まだ、終われない)
ログは片膝で身体を支えながら、迫る伯爵を見据えた。
「ほう、まだ闘志は捨てていないか。だが、この劣勢は覆せるかな」
伯爵は剣を構えた。
確かに剣も奪われ満身創痍のこの状態から勝つ手段は思いつかない。
それでも、やらねばならない。
ここで勝って魔剣を取り戻さなくては世界を救えない。“狼犬の懐刀”として“戦乙女の狼犬”の往くべき道を切り拓かなくてはならないのだ。
その時、ログの脳裏に誰かの声がよぎった。
ログは戸惑うが、やがて地面についた自分の左手を見つめる。
掌に刻まれた〈白き楯の紋章〉が、この紋章を通して誰かがログに何かを伝えていた。
目の前に伯爵が立ち、剣を振り上げた。
ログは腰に差された黄金の鞘を睨む。
「さらばだ。自分も含めて誰も救えなかった騎士よ」
伯爵の剣が振り下ろされた。
同時にログは動いた。左手で目の前の黄金の鞘に触れると、右手でそこになかったはずの柄を掴む。
ログはシグの魔剣を引き出すと、振り下ろされた剣をそれで受け止めた。
「──なにッ!?」
予想もしていなかった魔剣の出現に伯爵も動揺を隠せない。
ログは伯爵の剣を絡めて弾き飛ばすと、体勢を崩した伯爵の懐に飛び込む。
だが伯爵もログの剣を身体を捻って鞘で受け止めた。そのまま鞘の先を掴んで引き抜く。刀身が見えた。
ログは左手で伯爵の手を押さえて鞘から剣を抜くのを阻止する。
しかし、鞘の腹を刀身がすり抜け、ログの手を振り払って伯爵は斬撃を放つ。
だが、ログはその不意打ちを魔剣を胸元に引き寄せて受け止めた。
二人の動きが止まる。
火の手はすでに近くに迫っており、その熱気が二人の姿を照らし出す。
「……この鞘の仕掛け……見抜いていたか」
「どこからでも剣を抜けるのがその鞘なら、鞘の腹からでも抜けると考えた──あの黒剣の魔女もおそらく、今のにやられた」
「……ご名答……考える時間を与えすぎたな……やはり、貴様はあの魔女のように素直には……」
伯爵の背中を黄金の刀身が貫いていた。
伯爵は刺さった魔剣ごとログから離れた。
そして、よろよろと遠ざかり、近くの岩にもたれるように倒れる。
「……俺の負けか」
「いえ……魔剣の助力がなければわたしが負けていた」
ログは答えた。
「その左手から力を感じる……神女の紋章か。その力で俺の鞘に触れ、一時的に鞘の力を支配した……神女の力が教えたのか?」
ログは答えるのをためらう。
「……いや、違うな……この魔剣が教えたのだろう……元々、この鞘は魔剣と対になっていたもの……俺が天使になった時、この鞘を力の源に選んだ……だから、魔剣はこの鞘を利用することを……教えた」
その通りだった。紋章を通して伝わって来た魔剣の意思は、紋章を通して鞘の力を操るから自分を召喚して伯爵を止めてくれという願いであった。
それに従って鞘に触れ、魔剣は自らその鞘に収まったのだ。
「……貴様は見たのか……その魔剣の……意思を……」
「微かに──幼い女の子の姿だった」
伯爵は目を細めた。それは今までに見せたことのない哀愁を漂わせていた。
「そうか……貴様には見えるか……羨ましいな」
伯爵は自分の腹に刺さった魔剣に目を落とす。
「……そうだ……それが俺の戦乙女……俺の娘だ」