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“狼犬”の侍女

 夕暮れになり、大公たちが城に帰ってきた。

 タニアは他の侍女たちと共に出迎えるが、一行の様子が少し違っていた。

 大公と一緒に街を遊覧していたはずだが大公とリーナの表情が少し暗いように見えた。

 その二人を護衛するログもいつもの寡黙な表情は変わらないが、その瞳からは気の重さが感じられた。

「姫様」

「タニアさん、ありがとう」

 タニアがリーナの外套を脱がすと、すぐに姫は自分の部屋へ戻っていった。

(やっぱり、おかしい)

 いつもなら男爵が何をしているか尋ねるはずなのだ。

 リーナたちが館の奥へと消えると、タニアは二人を見守るログの横に立つ。

「……ログさん」

「大公様が姫にお話をされた」

「やっぱり!? そ、それでどうなったのですか!?」

「姫は閣下の縁談話をそのまま進めるように進言された」

 タニアは驚いて思わず外套を落とす。

「そんな……姫様が身を引くって言われるんですか!?」

「他言は無用だ、タニア。姫様のご意思を確認しただけで、正式に何も決まったわけではない」

 ログの答えを聞いたタニアはすぐに駆け出していた。



(こんな姫様だけが辛い思いをするようなバカな話、あってたまるもんか!)

 タニアは通路を駆ける。

 目指すは男爵がいるという敷地内の研究施設だ。

 通路を曲がったタニアは足を止める。

 そこにはマリーサが待ち構えていた。

「タニア、どこに行くつもりです? 通路を走るものではありません」

「男爵の所です!」

 タニアは声を荒げて答える。

「もう我慢できません! 男爵に直談判します! 姫様があまりに可哀想過ぎます!」

 タニアはマリーサの横を通り過ぎようとしたが、その腕をマリーサが掴んでいた。

「タニア、いまの言葉は取り消しなさい」

 マリーサの声は険しかった。

 しかし、タニアはその手を振り払う。

「いいえ! 黙ってられません! 今回ばかりは止めてもムダです!」

 マリーサとタニアは睨み合うが、やがてマリーサは諦めたように目を瞑る。

「ならば引き止めはしません。あなたには暇を出します。実家へお帰りなさい」

 タニアは突然の通達に言葉を失う。

「いままでの手当ては用意しておきます。引き継ぐことがあるなら伝言をお願いしますね」

 マリーサは淡々と告げるとタニアの横を通り過ぎようとする。

「……どうしてですか?」

 タニアが声を振り絞るように言った。

「マリーサさんはこれで良いと思ってるんですか!?」

 タニアの訴えにマリーサは立ち止まると振り向く。

「主である男爵様に従うのがこの城で働く者の条件です。それができないのであれば出て行って貰うしかありません」

「納得いきません!」

 タニアも反論するが、それでもマリーサは厳しい顔を崩さない。

「あなたも知っての通り、“戦乙女の狼犬”は型破りな行動をされる方です。故に“狼犬”を主人に持つ者はどのような行動をしても、主を信じることが求められるのです」

 マリーサはタニアに向き直る。

「あなたは男爵様たちの戦いを間近で見てきたはずです。それでも男爵様を信じられないと言うのなら、あなたもそれを行動で示しなさい──『来る者拒まず、去る者は追わず』の不文律は傭兵だけの掟ではないのです。そこで不満だけ言っていても何もなりませんよ」

 突き放された形のタニアは唇を噛み締めるが、やがてマリーサを睨みつける。

「分かりました!! この城にもう未練はありません! 姫様を見捨てるような主人はこっちから──」

「言ったはずです! その言葉は取り消しなさい!!」

 マリーサがいつになく激昂して叫ぶ。タニアもその迫力に思わず呑み込まれる。

「あなたは姫様がどのようなお気持ちで決断を下したのか分かっていて言っているのですか? 男爵様がいまどのような立場にいるのかも知っているのですか? 私も分かりません。ですが自分の勝手な思いだけで『可哀想』とか『見捨てる』とか口にするのは、あなたが非難した騎士たちと何一つ変わりません!」

 マリーサも感情の昂ぶりを抑えるように深く息を吐く。

「……口が過ぎました。ともかく男爵様はまだ大事な仕事の最中です。あなたは戻って自分の身の振り方を考えなさい」

 マリーサはそう言い残すと去っていく。

 タニアは何も言えず、侍女服の前掛けをただ握り締めていた。



 マークルフはようやく実験から解放され、自分の館に戻るところだった。

 空はすでに暗くなり始め、館の窓には明かりが灯っていた。

(リーナたちも戻っているか)

 マークルフは難しい顔をするが、気を取り直して館に戻ろうとする。

「──男しゃくさん」

 足許から小声で呼びかける女の子の声がした。

 マークルフが足を止めると、道端の草かげから妖精娘プリムが顔を出していた。

「よう、プリム。いつになく妖精らしい現れ方だな。どうかしたのか?」

「男しゃくさん、リーナ姫さまに何かあったの?」

 プリムが心配そうに尋ねてくるのを見て、マークルフは眉を潜める。

「何かあったのか?」

「さっき、姫さまが泣いてたの」

 マークルフはすぐに事情を察した。

「どこでだ?」

「鎧さんを直している部屋。そこで一人で泣いてたの」

 プリムも悲しげな表情を浮かべていた。

「大公の爺さんも来てたのか?」

「よくしらないけど、えらいおじいさんが来てたよ。じいじに外にいろっていわれたけど、気になってだまって見にいったの。そしたら姫さまが一人で泣いてたの……じいじはよけいなことをするなっていってたけど、でも──」

 マークルフは目を閉じる。

「ねえ、男しゃくさん。姫さま、だいじょうぶなの?」

「ああ、安心しろ」

 マークルフは目を開けるといつも通りの不敵な笑みで答える。

「じいじの言いつけに逆らってまで知らせてくれて、ありがとよ。後は任せておけ」

 マークルフは歩き出そうとしたが、また足を止める。

「グーの字もいるのか?」

「うん。グーちゃんならこの下にいるよ」

 マークルフは鉄機兵が潜んでいるであろう足許の地面に目を落とす。

「おまえも主人に似て心配症だな。いいか、てめえはまた刺客が来ないかだけ見張ってろ。リーナとの話を邪魔されたくねえからな」



「本当にすみません、女将さん。大変な時にお邪魔して」

 私服のマリーサが酒場のカウンターを挟んで女将の前に座っていた。

 カウンターの前にはすでに空の杯が並び、マリーサも酔っ払ったのか顔を赤くしている。

「いいのよ。それよりも久しぶりね。マリーサちゃんのその呑みっぷりを見るのも──」

 誰もいない店内でマリーサが手にした杯をあおる。

 《戦乙女の狼犬》亭は昨日の騒動で片付けがまだ終わらず、休業状態であった。いまは珍しくやって来たマリーサによる貸し切りだった。

「はぁ……先代様がいらした頃はお供でここにもよく来ていたんですけどねえ」

「ルーヴェンは貴女の呑みっぷりが気に入っていたものね」

「……まったく、先代様の頼みを引き受けるのも楽ではありませんわ」

 マリーサが頬杖をついてため息をつく。

「女将さん、聞いてください……最近、自信がなくなってしまいました」

「そうなの? 城内のまかない事を取り仕切るのは貴女しかいないって皆、頼りにしているわよ」

「そうですかねえ。しっかりしなきゃと思って頑張って来ましたけど、いまさらながら周囲に嫌われているように思えて──」

「考えすぎじゃない? 貴女はルーヴェンから信頼されて、若様たちのお世話を頼まれているのでしょう? 自信を持ちなさいな」

 マリーサは右手を握って拳を作る。

「……若様は調子に乗りやすい。ログ副長はああ見えて意外とだらしない所がある。だから、弛んだところがあったら代わりに一発かましてやってくれ──先代様からそう託されてその通りにしてきましたが、何か疲れちゃいました」

 マリーサがカウンターに突っ伏す。

「頑張っている証拠よ。そういえばこの前も副長さんを叱ったそうね」

「……タニアから聞いたんですね」

「いくらお墨付きでも副長さんを殴るなんて酷いって、話に付き合わされたわ。あの子、副長さんの事が気になるらしいわね」

 マリーサが困ったように首を捻る。

「あの子の気持ちはわたしも分かってますけどね。ですが、いくらあの子がログ副長のことを想ってても、副長があの子に振り向くことはないと思いますよ」

「そうね……副長さんもタニアちゃんのことは気に入っているみたいだけど、副長さんが誰かと添い遂げることはないかもしれないわね」

 女将が壁に掛けられた先代“狼犬”の肖像画を見る。

「あいつは血塗られた剣を持って生きるにはちと優しすぎる。一生、返り血に染まった自分を恥じて一人で生きていくつもりだろう──あの人の言った通りなのかもしれないわね」

 マリーサも懐かしそうに肖像画を見つめる。

「先代様のお言葉ですね。タニアもいつかそれに気づくのでしょうか」

「タニアちゃんなら大丈夫よ。昔の貴女に何となく似ているわ」

「タニアがですか……だったら、もう少しこちらの言うことをちゃんと聞いてくれると思うんですけどねぇ」

「そうかしら? 今度、タニアちゃんがここに来たら教えてあげようかしらね。昔、ここで悪酔いして大暴れしたあげく、ルーヴェンに背負われて帰っていった勇ましい侍女さんの話を──」

「そ、それだけはやめてください! お願いします!」

 マリーサは酔っ払った顔をさらに真っ赤にして叫ぶ。

「冗談よ」

 女将は笑うと空になった皿を洗い始める。

「……ねえ、女将さん。ひょっとして、若様はかなり無理をされているのではありませんか?」

 女将の手が一瞬、止まる。

「どうして、そう思うの?」

「最近の若様の何気ない仕草に晩年の先代様の姿が被るように見えましてね。気のせいだと思いたかったのですが、大公様のご様子を見ているとますます先代様の事を思いだしてしまって──」

 女将が静かに息を吐いた。

「そっか。貴女も晩年のあの人に付き添ってくれた一人だったものね。気づいても不思議じゃないか」

「それでは、やはり──」

 女将はうなずく。

「すでに後遺症の兆候が現れているそうよ」

 マリーサは両手を握り、額を押しつける。

「やはり、そこまで──」

 その時、外で空瓶を蹴り倒す音がした。そして驚く少女の声も──

「タニア!?」

 声の主に気づいたマリーサは咄嗟に立ち上がる。

「そこにいるの!? 出てきなさい!」

 扉が開き、タニアが落ち込みながら入って来た。

「なぜ、あなたがここにいるのです!?」

「……この前、貰うのを忘れたお酒を貰いにいこうと思って──」

 怒鳴るマリーサを前にタニアが下を向いたまま答える。

「ああ、ごめんなさい。それはわたしが悪いのよ。バルネス様が来てたから渡しそびれちゃって──」

 女将が助け船を出すが、マリーサは追及を止めない。

「答えなさい! さっきからそこで立ち聞きしていましたね!」

 タニアは黙ってうなずく。

「いまの男爵様の話も聞いてしまったのね!」

 タニアはもう一度、小さくうなずいた。

「タニア! 今度ばかりは盗み聞きという軽い言い訳では済みませんよ! これは男爵様の将来に関わる重大な──」

「……ごめんなさい、マリーサさん!」

 タニアがその場に崩れると大声で泣き出した。

「泣いて済む問題では──」

「そこまでにしてあげて、マリーサちゃん」

 女将が二人の前に出てくるとタニアの後ろから両肩に手を置いた。

「タニアちゃんもきっと不安だったのよ。さあ、泣くことはないわ」

 女将に励まされ、タニアも黙って立ち上がる。

「ごめんなさい、マリーサさん……マリーサさんは男爵のことに気づいていたのに……あたしは何も知らずに勝手に怒って……あんな態度を──」

 女将がタニアを抱き寄せて、その背中をさする。

「そこまで泣くことはないわよ。いちいち泣いていたら“狼犬”の下で働くなんてできないわよ」

 マリーサも怒りを抑えるように深呼吸する。

「タニア、この事は絶対に他の者には話さないように。そして暇を出すという話はなかった事にします」

 タニアが女将の腕の間から顔を上げた。

「重大な秘密を抱えたあなたをおいそれと実家に返すわけにいきませんから。その代わり、わたしの下できっちり働いてもらいますからね」

 マリーサがタニアの頭をコンと小突く。いままでとは違う軽い拳骨であった。

「……マリーサさん」

「タニア、力を貸してちょうだい。男爵様がどのような選択をされても、それを支えるのがあの城に暮らす者の仕事なのよ」

 タニアは女将から離れると、マリーサの前でゆっくりと首を縦に振った。

 女将はマリーサとタニアの間に立つと二人の背中にそれぞれ手を伸ばす。

「やっぱり、あなたたちって似てるわね……ルーヴェンに代わってお願いするわ。若様を助けてあげてね」



 酒場の扉の前に立っていたログは取っ手に伸ばしていた手を黙って引っ込め、その場から立ち去る。

「あれ? 副長、女将と話があるんじゃなかったんで?」

 ウォーレンが戻って来たログを見て言った。

「いや、先客がいた。それに話の必要もなくなったようだ。悪いな、約束の酒はまた今度にさせてくれ」

「いいっすよ。気にしないでくだせえ」

「わたしは巡回警備の指揮に戻る。すまないが酒場にいる先客たちが出てきたら城まで送ってやってくれないか」

「巡回の指揮なら俺がやりますぜ」

「いや、どうも気まずくてな。頼む」

 そういうとログは一人、その場を去っていくのだった。

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