二度と“剣”が必要とされない道のために(2)
マークルフたちは馬を止めた。
この先にログが向かったという林に覆われた丘陵が広がっている。
「隊長、副長はあの先に──」
ウォーレンが先を睨んで厳しい顔を浮かべる。
林の向こうでは闇を払うように炎が上がり、空も煙が漂っていた。
マークルフが馬から下りると、向こうから人影が現れる。
「サルディン!?」
「若も来たんですね」
サルディンが振り返った。
その視線の先に、地面に突き刺さる剣があった。そして、その先には息絶えた男たちが倒れている。
まるで、この剣の先は修羅場だと教えているかのように──
「こいつは──」
馬から下りたウォーレンが剣の前に立つ。
「警告の墓標……」
サルディンが呟く。
「何だ、それは?」
ウォーレンが首を傾げるが、サルディンは答えずにマークルフの方を向く。
「ともかく、先に行ってみるぞ」
マークルフたちは林の中へと踏み込む。
そこで彼らは息を呑んだ。
そこかしこで血塗れの者たちが倒れ、木々も返り血を浴びている。
年格好などバラバラであるが、全て鋭い斬撃、あるいは正確に急所だけを狙った一撃で事切れていた。
それが転々と奥へと繋がっている。
奥ではすでに炎が見えており、先に進むことはできない。
死体の道は炎の闇へと繋がっているかのようだった。
「こいつは副長が──」
「他にいないさ。天使野郎に煽られてやってきたバカ野郎どもが返り討ちにあったんだろうぜ。俺も妨害工作のつもりでめぼしい奴は潰したんだが、こんだけ来てたとはな」
サルディンが答える。
「世界の危機で血迷った奴が多いんだろうぜ。ともかく、お嬢ちゃんたちを連れてこなくて正解だったな」
ウォーレンたちがマークルフの方を見て指示を仰ぐ。
「……この近辺の木を伐採する。延焼を止めなきゃならねえ。近隣の住人にも応援を要請しろ」
マークルフは命令した。
「副長を助けに行かないんですかい!?」
ウォーレンが食い下がるが、サルディンがその肩を掴んで止めた。
「誰かが助太刀に入れば天使は逃げるつもりだ。この先は副長に任せるしかない」
「しかし、あの天使が約束を守る保証なんてないんだぜ!」
「……ログは約束を確信して行った。それも含めてログを信じるしかない」
マークルフはログが行ったであろう先を見つめながら答える。
「行かせてやろう。あいつも、もう終わらせたいんだ」
マークルフは顔を伏せる。
「あいつにとって戻る場所は──ここじゃないんだ」
ログは林を抜け、丘陵の頂に来ていた。
その身は返り血を浴び、負傷した右足を庇いながら先を進む。
振り返れば炎が眼下に広がっていた。このまま炎が広まれば、ここも煙と炎に包まれるだろう。
(帰り道はないか……だが、あの天使を倒せば後は閣下たちで魔剣を回収してくれる)
ログは進み続けた。
そして草が茂る岩場にたどり着く。
そこに鞘に収まったシグの魔剣が立てかけられていた。
ログは右手に持った剣を握りしめる。
「約束通り一人で来た。そちらも出てきてもらおう」
ログが振り返ると、鎖帷子で頭から覆った男が立っていた。
「そう律儀に約束を守られては逃げるわけにもいかんな」
「……そろそろ正体を明かしたらどうだ? カーグ=ディエモス伯爵──」
ログは告げた。
「“監視者”は常に正体を隠していた。それは我らが知る人物だということ。そしてクレドガル王国を活動の拠点としていた。エールス村の件も知っている。さらにタニアに目をつけるほど事情を知っている人間──思い当たる人物は一人しかいない」
“監視者”からの返事はない。
「その経歴も調べた。ディエモス伯爵は若い時に遠縁からの養子として伯爵家当主となった。しかし、それ以前の経歴については記録がほとんどない。いつからだ? いつからカーグ=ディエモス伯爵を演じていた?」
「……やれやれ、あの村で仕留められなかった時点でやはりバレてたな」
“監視者”が鎖帷子のフードをずらした。
そこから露わになったのは口元を襟巻きで隠していたが、紛れもなくカーグ=ディエモス伯爵だった。
「最初から俺がディエモス伯爵だ。跡を継いだ若き“狼犬”や貴様と初めて対面した時からすでにな」
正体を現した伯爵が答える。いつもの我が輩口調は消えていたが、豪放な態度は変わってはいない。
「伯爵家は地元の豪族が成り上がった家系だ。その豪族も元は魔剣を守っていた我が一族の末裔よ。俺は一族の人間を介して伯爵家に潜り込んで現在の地位を手に入れた。表舞台に立ってからは意図的に歳を重ねているが、本来は貴様より少し若いぐらいの年齢よ」
“監視者”シグ──いや、ディエモス伯爵が腰に帯びた剣の柄に手をかける。
「何のために伯爵に化けた?」
「ご挨拶だな。これでも二つ名通りに“監視者”として働いていたんだぞ」
伯爵は豪快に笑う。その姿だけはいつもの伯爵そのものであった。
「ルーヴェン=ユールヴィングの蜂起から始まった“狼犬”とフィルディング一族の戦い。いずれ“機神”と世界を巻き込む戦いになるかも知れないと思ってな、こうして伯爵として生きてきたのさ。俺も“機神”を利用するフィルディング一族の増長は目に余っていたからな。もっとも末裔の一人がフィルディングのボンボンについていたのは謝らなきゃならんかな」
「ならば何故、今になってこうして妨害する?」
「簡単だ。“狼犬”はあの魔剣を使って“機神”と戦うのだろう? だが、そうすればあの魔剣も破壊されるかもしれん。戦乙女の武器化した“機神”を破壊する戦いだ。我が魔剣だけ無事に済むとも思えん。違うか?」
ログは答えない。
「急に無口に戻ったな。さすがに“勇士”を主君に持つだけあって自覚はしているようだな。“勇士”から戦乙女の武器を奪うことがどれほど非情な行いかを──」
伯爵の姿が消えた。
ログは身構える。
“監視者”には光を操って周囲の景色に溶け込む能力がある。
剣を抜く音が聞こえた。だが、正確な位置がつかめない。
ログは魔法剣を起動した。真紅の魔力を宿す刀身を眼前に構える。
「──!」
風を切る音と共に魔法剣も真紅の軌跡を描いた。
ログの左肩口が斬られ、同時に目の前で光が散り、伯爵が姿を現す。
伯爵も胸元の鎖帷子が切り裂かれ、血が滲んでいた。
「……俺の動きが分かるか」
ログは答えないが、魔法剣を眼前に構えたまま伯爵と対峙する。
「答えないならこっちで答えてやろう。確かに俺は周囲の光を曲げて姿を消せるが、あくまで自然の光だけだ。魔力の光までは干渉できん。魔力の光が俺の姿を映したか」
伯爵は剣を構えた。
「対策は立てているか。面倒だが正々堂々の勝負と行くしかないか」
伯爵が躍りかかった。
ログも左手で腰の小剣を抜くと二刀流で構える。
伯爵の続けざまの斬撃がログを狙うが、それを両手の剣でことごとく打ち流し、相手の死角をから小剣を振るう。
伯爵は身を反らして躱した。
「……手傷を負って少しは楽ができると思っておったが、そうもいかんようだな。あの女の剣を思い出す」
「あの女……?」
伯爵は再び剣を構える。
「貴様たちが“神女”と崇めていた戦乙女よ。俺も長生きしている方でな。“神女”リーデに会ったこともあるのさ。手合わせもしたが、貴様の剣はあの時の剣とそっくりだ」
両者は同時に動き、剣を切り結ぶ。
「若いのにここまでの剣を練り上げたのだ。さぞかし活躍してきたのだろう?」
伯爵は戦いながら問う。
「だからこそ解せん。これほどの剣士が何故、傭兵部隊の副長のままでいる?」
伯爵が間合いをとり、剣先をログに向ける。
「貴様は“最後の騎士”として戦い抜き、ブランダルクを救った。たとえ血塗られた過去があろうと英雄となればそれも英雄譚を飾る試練として勲章となったであろう。それなのに何故、選ばれた勇士とはいえあの若者の副官に甘んじている?」
「……甘んじてなどいない。わたしは“狼犬の懐刀”だ。これこそがわたしの執るべき剣の道だ」
ログも伯爵の剣先を睨め据える。
「そうかね? ブランダルクの国王は“狼犬”の盟友というではないか? 祖国に留まり“最後の騎士”という英雄として“狼犬”の戦いに協力する道もあったと思うがな」
「何を言いたい?」
「なぜ脚光を浴びる英雄の道を歩まない? 性格に多少は難があるが、貴様にはそれだけの力量と資格があるはずだ」
ログも剣を構えながら、隙を探って伯爵ににじり寄る。
「俗に一人を殺せば人殺し、しかし千人殺せば英雄と呼ばれるという。だが貴様はそれだけ殺してながら頑なに英雄の道を拒絶する。それは何故だ?」
ログは答えない。
「答えてくれても構わないだろう? 俺もかつては勇士シグと呼ばれた過去を持つ。多くの者を斬り、英雄とも呼ばれた。故に貴様のその剣が行き着いた結論に興味があるのだよ」
「……英雄という道などない」
「ほう? ブランダルクの英雄“最後の騎士”としても、“機神”と戦う英雄“戦乙女の狼犬”の副官としても、共にありえん答えではないか」
「……仮に千人を斬ったとて、それはただ千人を殺した人殺しでしかない」
ログの答えを聞いた伯爵はやがて豪快に笑った。そしてやがて深く息を吐いた。
「なるほどな。やはり貴様は俺が思っていたような人物だ。だからこそ、断言してやろう。貴様は生涯、救われることはない」
伯爵はまるで予言のように告げた。
「考えたまえ。人々は英雄の切り拓いた輝かしい未来の道を歩みたいのだ。千人を斬った後悔と罪に苛まれた血みどろの道を、これが切り拓いた道だと言って人々が喜んで歩むと思うかね? 貴様の言葉は人々の願いを無視している。いや未来に血の泥を塗る冒涜に等しいのだ」
ログは攻撃を仕掛けた。伯爵はそれを受け止め、振り払うと再び対峙する。
「……分かっているという顔だな。ならばこれから俺の言う事も分かるだろう? 人はどんな善良な人間であろうと自分が理解できる範囲の人しか救えぬ。英雄とならずに人殺しのままでいる貴様など誰が理解できよう? 貴様に気をかけてたあの小娘も例外ではない。血に染まらぬ道を行くあの娘には血だまりにいる貴様に本当に触れることもできないのだからな」
返り血に染まった姿のログに伯爵は冷笑する。
「貴様は愚かなほどにお人好しだ。亡き同志たちの遺志を守るため、血塗れの道を進んだのだろう? その時、貴様は恨まなかったのか? 疑問に思わなかったのか? 同志たちが無責任に託した願いが貴様を悪夢に苛まれるほどの人殺しに変えたのだぞ」
「黙れ!」
ログが剣を振るう。
だが、その瞬間、伯爵の姿がタニアに変わった。
ログは構わず剣を振り下ろすが、タニアから元の姿に戻った伯爵はログの懐に飛び込んでいた。伯爵の腰の鞘から刃が飛び出し、身体を重ねるようにログの腹を刺した。
「どうした、動揺で隙ができていたぞ?」
伯爵がログの眼前で呟く。
だが、ログも逆手に握った左手の小剣を伯爵の喉元に向けていた。
「……浅いか。相討ちはごめんだな」
伯爵は離れた。
ログは思わず膝をつくが、手にした剣を支えに立ち上がる。
満身創痍の状態だが、それでもその目から闘志は消えていない。
「……どんなに剣を血に染めても生き残りたいと願ったの俺の意思だ! 団長たちの──あの人たちの願いを貶めるのは止めろ!」
鬼気迫る視線を露わにしたログに伯爵は不敵な笑みを浮かべた。
「『俺』か……やっと心からの本音を聞かせてくれたな」
そして伯爵も剣を構える。
「悲しい話だ。貴様たちが“神女”と呼んだ戦乙女リーデ。彼女は騎士団の祖たる戦士たちに未来を託すために剣の技を遺し、自らはひっそりと消えた。そして時が巡り、その遺志を継ぐ最後の騎士が選んだのは未来のために血に染まった剣──血糊と刃こぼれで斬れなくなるまで酷使され、最後には輝かしい道の影に放置される使い捨ての道具よ」
「……それで十分だ」
ログは死力を振り絞り、剣を構える。
「“剣”は戦うだけの道具でいい。戦いが終わればその身は墓標となればいい。ここから先は来るなという警告の道標として──棄てられて終わる。それが俺の選ぶ“剣”の役目だ」
「どうやら本気で言っているようだな。ならば認めてやろう。貴様は紛れもなく神女リーデの後継者だよ……哀れに思うぐらいにな」
伯爵が目を閉じる。そして再び瞼を開けた時には凍てついた瞳が浮かんでいた。
「“剣”に徹する貴様の生き方は賞賛してやろう。だがな、俺は認めん」
伯爵は鞘を抜き、剣を収めた。だが、その殺気はさらに張り詰めていた。
「自分が使い捨ての“剣”で満足するならそれで構わんさ。だがな、それでも放置できずにいる者だっているものだ。貴様とて、気にかけている小娘がいるだろう」
伯爵は黄金の鞘と柄を掴んで構える。
林から炎が迫り出していた。
炎が黄金の鞘と伯爵の顔を照らし、熱気がログの身体に刻まれた傷に染みていく。
「貴様は地面に突き立った剣が墓標代わりになればそれでいいと思っているのだろう。だがな、多くの者が引き返しても、その小娘だけがボロボロに朽ちた剣にすがりついてその歩みを止めてしまったら、貴様はそれでも自分のしたことに満足できるのか」