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戻れない道を行くのは一人だけでいい

「明日、お迎えが来るわ。やっておきたい事があったら言いなさい」

 夜の《戦乙女の狼犬》亭。

 そこでは女将が膝をかがめ、幼い孫娘と向かい合っていた。

 フィーもまた、他の子供たちと一緒に隔離されることが決まっていた。

「……ニャーちゃん、つれていったらダメ?」

「すまないな。何があるか分からないから動物も連れて行けないんだ」

 応えたのは二人のやり取りを見ているサルディンだ。

 フィーがうつむく。やはり、心細いのだろう。

「若様とリーナ姫がね、悪い奴らを倒すから、そのためのお手伝いして欲しいってお願いしているのよ」

「男しゃくとおねえちゃんが?」

「ええ。そのためにフィーや他の子供たちの協力が必要なの。ばあばでは無理なの。フィーじゃないとできない事なの」

 女将は孫娘の頬に手を触れた。

「若様と姫様が戦おうとしているのはね、とても悪い奴なの。放っておいたら皆が苦しくて悲しい思いをしないといけない。若様たちはそれを許すことができないの。だからその悪い奴を倒すまでの間、他の子供たちと一緒に隠れていて欲しいの。迎えに来る頃には若様たちが世界に平和を取り戻してくれるわ……だから頑張れる?」

 フィーはしばらく女将の顔を見ていたが、やがてうなずいた。

「分かった。フィーもがんばる。婆ちゃんみたいにフィーもがんばる」

 そう言ってフィーの小さな手が女将の目元をぬぐった。

 その目には涙が浮かんでいた。

「あら、涙が出ちゃってたのね。フィー、ありがとう。それでこそ《戦乙女の狼犬》亭の看板娘よ」

 女将は最愛の孫娘を抱きしめた。



「すまないな、女将さん」

 フィーは飼い猫ニャーに最後の手入れをするために奥へと行った。

 女将と二人きりになったサルディンが頭を下げる。

「隔離するならせめて親元の近くが良いんだろうけど、そうもいかないんだ」

「ええ、分かってますよ」

 敵は“機神”と異形だけではない。

 同じ人間にも敵意を持つ者が潜んでいるかもしれず、それを考えれば一カ所に集めて隔離するのが最善の策だったのだ。

「でも、フィーもいつの間にか強くなったものね」

 女将が目元の涙を指で拭う。

「異形に啖呵を切るほどの祖母が目の前にいるんですからね。それに他の連中も女将さんが率先してくれるおかげで説得もしやすい。感謝してます。先代が“狼犬”なら女将さんは戦乙女ですよ」

「あら、やだ。こんなしわくちゃなお婆ちゃんを戦乙女なんて、からかわないでちょうだい」

 女将はそう言うと壁に掛けてある肖像画を見つめた。

 先代“狼犬”ルーヴェンの絵姿だ。

「もう少しですよ。もう少しで若様が悲願を叶えてくれるわ」

 サルディンもその後ろに静かに立つ。

 その時、閉めていた扉が叩かれ、人の声が聞こえた。

 その声の主に気づいた女将はすぐに心張り棒を外して扉を開ける。

「夜分すみません、女将さん」

 そこに立っていたのはマリーサだ。

「夜になるのにどうしたの、マリーサちゃん?」

「タニアはそちらに来ていませんか?」

 マリーサが酒場を見回す。

「タニアちゃんなら夕方には城に帰って行ったわ。まだ、戻ってないの?」

「ええ、あまりに遅いのでここで何かあったのではないかと思って──あの子、いったいどこへ……」

「女将さん、俺が探しに行ってくる。他の者たちにも手伝わせる」

 サルディンが店を後にした。

 マリーサが青ざめた様子で立ち尽くす。

「あの子に何かあったら……」

「大丈夫よ。サルディン君たちが探してくれるわ。あなたがしっかりしないとね」

 女将はマリーサを椅子に座らせた。

 やがて、再び扉が開く。

 サルディンが戻ったのかと思ったが、入って来たのは別人であった。

 頭から鎖帷子を纏い、口元を襟巻きで覆った大柄の男だ。

「すみません、今は営業は──」

「酒をもらいに来たのではない。別に用があってな。うるさい傭兵どもがいなくなるのを待っていた」

 男は懐から何かを取り出し、それをマリーサに投げつけた。

 マリーサが受け取ったのは丸めた布切れだった。それを見たマリーサが顔を強張らせる。

「これはタニアのエプロン……まさか、あなたが!?」

「別に何もしてはいない。ただ、こちらも頼み事があってな。人質にさせてもらった」

「あなた、何をするつもりですか!?」

 食ってかかろうとするマリーサを女将が止める。

「……何が望みです?」

「冷静だな。さすがはかの英雄と近しい女将だけはある。こちらの要求はそのエプロンの中にある」

 マリーサがエプロンのポケットから羊皮紙を取り出す。

「傭兵には仲間内で使う情報伝達網があると聞いている。ここで頼めばあの男にまで伝わると思ってな。それさえ、やってもらえればあの小娘に手出しはせん──用件はそれだけだ。それが確認できれば娘は解放してやる」

 男は背中を向けて出て行った。

 女将とマリーサが後を追って外を見た時には男の姿は消えていた。

「……女将さん」

「落ち着くのよ、マリーサちゃん。嘘は言っていないと思うわ。ともかく、サルディン君に戻ってきてもらうのが先よ」



 ログはとある村の片隅で休息していた。

「水で良かったら飲むかい?」

 軒下の長椅子を借りて座っていたログに家主の老婆が木杯を持ってきてくれた。

「すまない」

「いいんだよ。こんなご時世に旅なんてあんたも大変だね」

 ログは水で喉を潤すと、目の前の広場に村人とその子供たちが数人、集まっていた。彼らに向かって顔役らしい老人が話をしている。

「あれは?」

「ああ……今度、疎開するんだよ。近くにユールヴィング領の傭兵たちが避難所を設けていてね、ユールヴィング男爵様が帰還して“機神”を倒すまでそこにいるんだよ」

「そうか……ここまで話が伝わっているんだな」

「正直、突拍子もない話だけどね。それでガアガアうるさい化け物を何とかできるなら一か八かでもやってみようって話さ。なんでもどこかの若い王様が自分の首を賭けてまで各国に訴えているそうじゃないか。苦労して取り戻した王の座を賭けるんだから、みんな、それに騙されてもいいと思ってやってるのかもね」

 ログは杯を置いた。

 本来、自分たち〈白き楯の騎士団〉が守るべきだった正当なるブランダルクの王。騎士団壊滅によって最も苦難を強いられたのはこの少年王だったのかもしれない。

 それでもこの若き王は苦難に負けず、盟友と共に世界の危機に立ち向かう立派な王として立っている。

(リーデンアーズ団長、それにアデルさん……ブランダルクはきっとあの方が支えてくれます。後はわたしが若き英雄たちのために捨て石になる番です)

 目を閉じるログ。

 瞼の裏に浮かぶのは親代わりだった騎士団長、先輩たち、そして団長の娘アデルの姿だ。

(もう少しです──もう少しで、わたしは役目を終えられる)

 その時、複数の蹄の音が響き、目の前に止まった。

 目を開けたログが見たのは広場に止まる騎乗の傭兵たちだ。

「副長! よかった、まだこの近くに居てくれたんだな!」

 先頭にいたのはサルディンだった。



「あの天使が!?」

 村から離れたログは、ユールヴィングの城下町で起こった経緯を説明されていた。

「ああ、タニアをさらったのはあの野郎に間違いない。事が重大なのでできれば俺自身の口で説明したくてな」

 サルディンたちは最後に繋ぎをつけた傭兵宿を頼りに追って来たらしい。相当に急いで来てくれたのは間違いない。

 ログは息を呑むが、次の瞬間には冷静さを取り戻していた。

「何か要求があったのですか?」

「ああ、副長、あんたにこの事を知らせること。居場所もすでに向こうが教えている」

「そこで決着をつけるという事ですか」

「それだけじゃないんだ。このことを傭兵の情報網を使って近隣に広めろと奴は要求している。この一騎討ちが“狼犬”と“機神”の戦いの成否を握る。何人たりとも副長の助太刀は認めないとな」

 思わぬ要求であったが、やがてログは相手の意図を理解する。

「妨害には何も言及していないのですね」

「……ああ、これが向こうの要求だ。これを呑めばタニアは返すらしい」

「分かりました。やってください。わたしは引き続き、奴を追います。サルディンさん、この事を閣下に伝えてください。わたしはこの命に懸けて天使を止めます。わたしが戻らない時は魔剣の回収をお願いすると──」

 ログは答えた。

 その淡々とした口ぶりにサルディンも苦悩の表情を浮かべる。

「分かっているんだろ。敵は異形だけじゃない。“機神”側に寝返りたい連中や、噂では時代を超えて転移されてきた古代エンシアの人間もいるって話だ。この事を知った連中がこぞってあんたを止めに来るかもしれないんだぞ」

「それが奴の狙いでしょう。従わなければ天使は逃げるだけ。それこそタニアを無事に返す保証もない」

「正直に一騎打ちに応じてくれるかの保証もないんだぞ」

「奴は逃げないでしょう。向こうにとっても魔剣を賭けた対決は特別なもののようです」

「どうして、そう言い切れる?」

「奴は魔剣の勇士だった男。その者から魔剣を奪うということは、閣下からリーナ姫を奪い取るぐらいの非情な行いなのかもしれません……奴と一度、剣を交えたことで確信しました。だから向こうも求めるのです。そこまで自分と戦いたいなら、とことんまで血に染まった汚れ役をやり通してみろと──」

 ログは静かにサルディンに頭を下げた。

「サルディンさん、ありがとうございました」

 そして先を行こうとする。

「……また苦しむことになってもいいのか」

 サルディンが言った。

「あんたが一番に分かっているだろ? 血塗られた道は行くのは簡単だ。いや、気づいた時には踏み込んでいる。だけど、その苦しみは後からやって来るんだ! そうだろ?」

 サルディンが叫ぶ。

「先代に拾われ、落ち着いた頃だ。時々塞ぎ込むようになって、日に日に斬り捨てた相手の声や姿が脳裏に浮かび上がってくると俺に泣き言を言ったのは誰だ? あれから苦しみを克服するまでにどれだけかかった? 先代や若様やあんた自身もどれだけ苦労した?」

 傭兵の先輩として苦悩の過去を知るサルディンの言葉は、ログの背に深く突き刺さる。

「多くの人間があんたを止めに来る。また多くの屍を踏み越える道を行くことになる。もし、この戦いが終わっても、あんたにはより多くの業しか残らない」

 ログは振り返った。

「大丈夫です。あの時──まだ死ねないという、その願いのためだけに数多の命を屠ったあの時から、後戻りできない場所に立っているのは自分で分かっています」

 ログは再び頭を下げた。

「本当に、ありがとうございました」

 まるで最後の挨拶のような姿にサルディンもやり切れない思いで顔をしかめる。

「なあ、せめて、俺たちに何か手伝えることはないか?」

 ログは静かに頭を振った。

「天使はわたし一人で追ってくる事を要求しています。要求を呑んだうえで一人で来ることが奴が決闘を引き受ける条件。手出しは無用です。奴の要求に応えるのと、閣下への伝達だけはお願いします」

 ログはそう言って背中を向けた。

「この先、征くのは一人だけでいいのです」


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