世界を騙すのは絶望か、希望か(1)
「しょ、正気ですかい!?」
「こんなこと、ふざけて言えるか!」
どよめく部下たちを一喝するマークルフの前にマリエルが立つ。
「男爵、教えてもらえますか? その理由を?」
「異形たちへの対抗策を俺なりに考えた結果だ」
マークルフは周囲に立つ部下たちに言い聞かせるように首を巡らす。
「奴らは“機神”と同調してその端末と化した連中だ。ただ、今まで思い違いをしていた。あくまで人間の欲望を糧にする“機神”そのものを模しているだけで、活動するための力は独自に得ている」
「異形の力の源は世界への憎悪と怨嗟。それは天使からの話として聞いています」
「そうだ。“機神”の威を借りて悪意が具現化した存在、それが異形と見ている」
「それに異論を挟むつもりはありません。ですが、それが子供をさらう事に関係するのですか?」
マリエルも科学者として客観的に検討するつもりか、冷静に尋ねる。
「悪意ってのはな。相手が嫌がろうが何が何でも伝えなきゃ気が済まないもんだ。そして異形が怨嗟の集まりというなら、それは必ず何かに向けられる」
「……その対象が子供だと?」
「そうだ。異形を構成する悪意の目的は要するに世界の否定だ。ならば、どうすれば一番に世界を否定できるのか? それは世界が守ろうとするものを破壊することだ。その対象こそが今の時代に生きる人々に守られ、希望と可能性を託されるべき存在――子供たちだ」
「ねえ、それってさ」
近くに座っていたリファが挙手する。
「やってることって、すっごくゲスくない? 男爵さん?」
「その通りだ。だがよ、怨嗟と憎悪は絶望と表裏一体だ。憎しみに満ちたゲスい奴らほど絶望の恐ろしさと、それが全てを否定する最高の武器だというのを知っている。ただ、殺して破壊するだけでは全ての否定にならない。未来を残し、それを絶望に陥れてこそ、世界への復讐になる」
マークルフは周りの者たち全てに言うように答えた。
「“機神”もこの世界の希望を否定して、その隙に自らが望む未来に作り替えようとしている。それが“機神”と“異形”とを結びつける目的だ。どうだ? てめえらも傭兵稼業をしてきてゲスい連中なんてごまんと見てきただろう? そのゲスの権化が子供たちを標的にするのも納得できると思わねえか?」
話を聞く部下たちからも異論は出ないが、あまりに突拍子もない意見であり、皆も半信半疑の状態だ。
マリエルも目を閉じて考えていたが、やがて開いた目がマークルフに向けられる。
「異形の行動原理としては納得することはできます。ですが、子供たちを隔離して異形たちに対抗できる理由があるのですか?」
「俺はもう一つ疑問に思ったことがある。異形の被害は人の見ている前だけ酷いんだ。俺も鎧を着てあちこち空を飛んで地上を見てきたが、奴らは目撃者が残っている場所以外で暴れた痕跡がない」
「……異形は誰かが見ている前でしか暴れていないという事ですか?」
「ああ。あれだけ暴れているなら、知らない間に全滅していた村や集落があってもおかしくないんだが、現時点でそういう報告は皆無だ。自分の恐ろしさを誇示するために残すのか、それとも誰も見ていない場所では力がでないのか――理由は分からないが大事なのは誰も見ない場所では暴れないってことだ。そして、俺が気になっていたのは生き残った目撃者の中に必ず幼い子供が存在することだ」
マークルフは答えた。
「異形は“聖域”の影響にも左右されずに行動している。人の欲望がその力の源だというなら、奴らは人の心に見せる幻影みたいな存在じゃないかと思っている」
「その幻影を消す手段があるとお考えなのですね」
マリエルが相づちを打つ。おそらく彼女もマークルフの意図に気づいたのだろう。
「異形を存在させる怨嗟と憎悪を一つに束ねるのが何かを考えれば、それは復讐相手だ。奴らは世界の希望を否定し、絶望を残すためだけに存在する。だから子供たちの前で破壊や虐殺はしても、絶望を植え付ける対象である子供だけは殺さなかった。逆にいえば子供にそれを見せられなければ怨嗟と憎悪を束ねることができず、現実に干渉できないんじゃないかって思っている」
「つまり、子供たちに“認識”されることで存在を保っているという事ですか?」
「“認識”って言葉は俺も詳しくは知らんがな。要は奴らがやりたいのは世界は恐怖と絶望しかないクソな存在だって芝居だ。そして、子供たちをむりやり観客に選んで見せているってわけだ……だったら、そんなクソったれな芝居なんぞ観せることはねえ! 観客席から子供たちを連れ出してしまえ――これが俺の考える異形への対抗案そのものだ」
悪ふざけともつかない話に傭兵たちが再びざわつき出す。
だが、マリエルは冷静にその話を吟味するように考え込む。
「……男爵、そうすることで異形が出てこないと考える根拠は何ですか?」
あまりに突飛な話ではあるが、それが本当なら各地で暴れる異形たちをどうにかできるのだ。
皆が答えを求めるようにマークルフの方に注目する。
「根拠か――」
マークルフは自分に注目する部下たちの視線を受け止めて答える。
「そんなものはねえ……全部、俺の勘だ。二代にわたって“機神”と戦ってきた“狼犬”のな」
マークルフは断言する。
その姿に部下たちは一瞬、声を失う。
だが、一斉に周囲から声が飛び交った。
「そんな堂々と根拠のない話を言ってたんですかい!?」
「本気でそんなことを!?」
「いくら何でも無茶すぎじゃ――」
マークルフは近くに置いていた《戦乙女の槍》を掴むと部下たちに向けた。
「やかましいッ!!」
マークルフの怒声が部下たちの声をかき消す。
「他に良い案があるなら遠慮なく言ってみろ! いくらでも命を賭けてやらあッ!」
マークルフは槍をきつく握りしめた。
「リーナと約束したんだ。必ず俺たちの手で“機神”を倒して全てを終わらせると……立たなきゃいけねんだ。失敗して全てを失うことになろうが、どんな手を使ってでも“機神”の前に立たなきゃならねえんだ!」
周囲は一気に静まりかえる。
確かに他に手がある訳ではない。
しかし、あまりにも無謀な賭けであった。
「あたし、手伝う!」
静寂を破るようにリファが声をあげた。
「何があっても男爵さんとリーナお姉ちゃんの味方って言ったのは嘘じゃないからね! 世界を救うために世界を敵に回す大博打なら、あたしは男爵さんに全部賭ける!」
そう言ってリファはマークルフの持つ黄金の槍を掴む。
「……そうね、男爵の仮説を実証してみるしかないでしょうね」
マリエルも進み出て槍を掴む。
アードとウンロクが戸惑いの声をあげる。
「ほ、本気っすか、所長代理!?」
「姐さん代理が一番嫌いな何の根拠もデータもない賭けですぜ!?」
確かに堅実な検証を旨とするマリエルらしからぬ行動であった。
「何も根拠がないから確かめるしかないのよ」
マリエルが答えた。
「うちらは本来なら科学者として、この現状の打開策を提案する立場にあるわ。だけど、残念ながら確たる根拠に基づいた対抗策を出せない。それなら、せめて一番もっともらしい仮説を一つずつ確かめていくしかないわ」
「しかし……」
返答に渋る二人にマリエルは微笑を浮かべる。
「失敗してもそれは間違っていたって実証できるわ――うちが尊敬していた科学者の一人ならそう言うわ。それに、もう一人の尊敬していた科学者は多くを敵に回してでも“機神”破壊の理論を実証したわ。その理論を基に戦おうとしているうちらが無謀な実験を否定するのも、おかしな話と思わない?」
アードたちは互いに顔を見合わせる。しばらく彼らなりに相談したようだが、そろって肩をすくめた。
「……しゃーない、アード。俺たちも乗っかるか」
「そうっすね、ウンロクさん。所長なら喜んで乗っかってたでしょうしね」
二人もマリエルの後ろに立った。
「――やるしかねえな」
ウォーレンも前に出た。
「ここで尻込みしてたら単身で天使を追ってる副長にも面目が立たねえ」
そして古株の傭兵は仲間たちを見る。
「失敗してもどうせロクデナシになるだけだ。傭兵からロクデナシになった所でたいして違いはねえさ」
マークルフは賭けに乗った仲間たちの視線を受け、彼らを取り囲む部下たちを見渡す。
「俺たち傭兵は世間を股にかけて芝居をしてきたんだ。それを異形ごときが最悪の世界なんてクソつまらん筋書きの三文芝居で横槍いれて来やがるんだぜ? 受けて立ってやろうと思わねえか? 世界を騙すのは絶望か、希望か! てめえらはどっちだ!」
ブランダルク王宮――
広い会議室に置かれたテーブルに重臣たちが並んで座り、上座には国王フィルアネスが座っている。
若き国王を中心に今日も重臣たちによる会議が続いていた。
議題は各地で暴虐を繰り返す神出鬼没の異形たちへの対策だ。
“聖域”が復活し、闇に覆われた空にも少しずつ光を取り戻しつつある。
だが異形たちの脅威は衰えず、打つ手がないまま後手後手の対応に迫られるのが現状だった。
「被害の拡大については――」
「あの咆哮が聞こえる頻度は減りましたが、襲撃が頻繁なのは変わらずです。はっきり申し上げればこちらの戦力では太刀打ちできません」
「被害を最小限に抑える方法を検討するべきでしょうな」
「避難箇所を増やし、人の集まる場所を分散させるべきでは?」
重臣たちが口々に意見を出すが、どれも現状をどう凌ぐかであり、攻勢に出る策など何もなかった。
「それに、この城もいつ襲撃されるか分かりませんぞ」
「そうだな。不幸中の幸いというべきか、この城に関してはいまだ異形の襲撃を受けていないが――」
「何が幸いなものか!」
会議を黙って聞いていたフィルアネスが立ち上がった。
その顔には焦りと苛立ちがありありと浮かんでいる。
「奴らはあえて手を出さないだけだ。こうして手をこまねくしかない我らを嘲笑っているんだ。それしか襲撃しない理由はない!」
若き主君の剣幕に重臣たちも黙って引き下がる。
その時、扉が開き、そこから一人の男が現れた。
それは半裸に鎧を纏った男であった。肌には全身を這うように蛇の入れ墨を施しており、王宮において異質な雰囲気を醸し出していた。
「国王陛下。お腹立ちのところ急な謁見をお許しください」
“蛇剣士”の異名を持つ傭兵隊長カートラッズが一礼する。
「傭兵隊長殿!? 急に何であるか!?」
「そうだ! 陛下が懇意にされている立場とはいえ、無礼であろう!」
重臣たちが騒ぐがカートラッズはその声に割って入るようにフィルアネスの前に進み出る。
「無礼は承知の上。ですが急ぎ使者として馳せ参じた次第……こちらとしては血統書付きのお使いをさせられて不本意ではありますがな」
「男爵からなのか!」
カートラッズは跪き、書状を取り出して恭しく差し出す。
フィルアネスはそれを受け取って封を開けると、その場で目を通した。
「これは……」
「“龍聖”の組織に血統書付きから送ってきた伝達内容の全てです。これをクレドガルほか、他の傭兵組織にも送っているようです」
「男爵は本気でやるつもりなのか?」
「こう真面目に馬鹿げたことを言ってくるのは間違いなく本気でしょうな。“機神”も本調子ではなさそうですが数週間後には“聖域”の外に出るようです。それまでに何としてもやり遂げるつもりのようです。これが世界の運命を決める最後の決着になると――」
“機神”の活動を耳にし周囲がざわめく。
フィルアネスは家臣たちの動揺を手で制した。
「しかし、こんなこと本当にできるのか?」
「血統書付きも大胆に見えて用心深く計算する方ですが、今回ばかりは何の勝算もないままの大博打になるでしょう。このままなら無謀な暴挙として失敗に終わるかもしれません。ですが、奴は今までの“狼犬”の名声を泥に捨ててでも、その賭けに出るようです。ただ、ひたすらに戦乙女のための狼犬として――」
「……リーナお姉ちゃんが待っているんだな」
フィルアネスは手紙を閉じ、目を閉じた。
その姿を重臣たちはいぶかしげに見守る。
「そうだよな、男爵……どうせ騙されるなら希望の方がいい。分かった、俺もその賭けに乗る!」
目を開け、決意を固めたフィルアネスが傭兵隊長に答えた。
そして自分に注目する重臣たちに告げる。
「各地に急いで収容場所を用意させろ! そこに国中の子供たちを隔離する!」