過去からの来訪者(2)
「マークルフ様とエレナさんが──」
リーナは大公より告げられた話に動揺を隠せなかった。
しかし、同時に突然の大公の来訪など、疑問に思っていたことも氷解した。
「坊主と姫の絆は知っておる。いや、儂もまた姫を“狼犬”の戦いに巻き込んだ一人じゃ。その儂がこのような事を言うなど虫が良すぎると思うじゃろうが、どうか聞いて欲しい」
「なぜ、そのような話が──」
リーナは自分でも心の整理ができないまま尋ねる。
「儂はな、坊主がフィルディング一族との戦いで疲弊していくのを止めたいのだ」
大公も苦渋に顔のシワを刻みながら答える。
「現在、あの一族は立て直しを迫られている。一族の最長老ユーレルンは孫娘と坊主を結びつかせることで、二人に一族の監視と立て直しの両方を託そうとしておる。儂もそれに乗った形じゃ。儂としても坊主を休ませてやりたいと思っておった」
リーナは《アルゴ=アバス》の姿を見つめ続ける。
この鎧を纏い、マークルフは“機神”と戦った。
そして、この鎧が大破した後は自分が代わりの“鎧”となり、“機竜”や疑似“機神”となったオレフと戦った。
数年にも満たない間に、彼は死闘を繰り返していた。
「儂は若い頃の怪我で子を残せん身体でな。だからこそ、儂は坊主を息子や孫のように思っている。なにより、戦友から託された忘れ形見じゃ。儂らが託した使命とはいえ、これ以上あの若者を潰させたくないんじゃ。それはきっとルーヴェンも同じだと思っておる」
リーナはうつむく。
マークルフに休息を与えたいという言葉。
それは誰よりも彼の隣にいたリーナ自身の願いでもあった。
「……まだ半分残っているのか」
様々な動作テストをこなしていたが予定の半分まで来た時点で休憩時間を挟むことになった。
マークルフたちは息抜きのため、研究施設の外に出て身体を伸ばしていた。
「いやあ、姐さん代理は納得するまでトコトン気にする人ですからねえ」
「男爵は寝ているだけで良いっすけど、僕たちは機械との追いかけっこしているようなもんですからね」
ウンロクとアードも団扇で自分を仰ぎながら近くの地面に腰を下ろす。
「何言ってやがる。こっちの身にもなれ。下手に動けない方も辛いんだぞ」
マークルフは腕を組んで肩をすくめた。
「こんな事ならもっと腹に何か詰め込んどくんだったな。朝は玉子一個と半分しか食ってねえんだ」
「えらく質素な食事っすね」
「リーナ姫とケンカでもされたんで?」
「逆だ。リーナ以外と険悪でな」
三人が愚痴をこぼし合っているとマリエルが外に出てきた。
「テストを再開します。二人ともすぐに準備をして」
マリエルの指示にアードたちは慌てて整備室に戻る。
「男爵」
自分も戻ろうとしたマークルフをマリエルが呼び止める。
「いま大公様とリーナ姫が姉さんの所にいるそうです」
「何だと? まさか!?」
「ええ。例の縁談の件を姫様にお話するそうです」
「爺さんめ! 勝手な事を!」
マークルフは脱いでいた上着を拾い上げるが、マリエルがその腕を掴んで止めた。
「大丈夫です。男爵の身体については伏せて話をするそうです」
マークルフは歯噛みする。
「大公様は本気です。本気で男爵の身を案じておいでです」
マリエルがそっと告げる。
「うちもそうです。これ以上、男爵の負担を増やさないため、テストは絶対に手を抜きません。ですから男爵も本気で今後の事をお考えください。テスト中、考える時間だけはありますから──」
マークルフはマリエルの手から自分の腕を引き剥がす。
「……そんな暇つぶしがあるかよ」
マークルフはそう言うのがやっとだった。
「マークルフ様とエレナさんは……その話を承諾されているのですか?」
リーナはしばらくの沈黙の後、大公に尋ねた。
「エレナ嬢は承諾してくれておる。坊主は──拒んでおる。一族と手を結ぶことも、そなたを手放すようなことも念頭にないと見えてな」
大公が《アルゴ=アバス》を見る。
「坊主を唯一、説得できたであろう人間もおらん。後は姫の言葉に耳を貸すかどうかじゃ」
リーナは自分でもその心を整理することができない。
いまの大公の返答も予想はしていた。きっと、あの人ならそう答えてくれるだろう──
しかし、それを喜ぶこともできず、かといってその感情を否定することもできずにいた。
「無論、そなたを追い出そうとは思っておらん。エレナ嬢はそなたが今までのように坊主の傍にいることも認めてくれておる。自分は形だけの妻でも構わないとまでな」
リーナの懊悩を察したのか、大公がそう付け加える。
しかし、彼女はゆっくりと首を横に振ると、二人のやり取りを見守る《アルゴ=アバス》の方へと振り返った。
「……私に構わず、縁談をそのまま進めてください。私もマークルフ様にお話をしてみます」
リーナは背中を向けたまま、大公に答える。
「……姫」
「私が傍にいては、エレナさんの方が余りに傷つきます。あの方もきっと一族のためとはいえ、一族の地を離れて天敵とも呼んだ相手に嫁ぐのです。よほどの覚悟だと思います。その方を余計に辛い立場に置かせるわけにはいきません」
リーナは淡々と答える。
「きっと、邪魔者は私の方なのです。私は過去の滅びた王国からこの時代に落ち延びた人間です。その私がこの時代を生きる人たちの人生を邪魔する資格は本来、ないのです。それを忘れるところでした」
「慰めにならぬかも知れぬが、誰も姫を余所者とは思っておらん」
大公が言った。
「皆がここまで来れたのも姫の尽力があったからこそだ。坊主がああして生きていられるのも全ては姫がいてくれたからこそ。儂も感謝しきれぬほど感謝しておる……なのに、このような仕打ちで応えねばならないのは本当にすまないと思っている」
リーナは背中を向けたまま、また首を振った。
「ありがとうございます、大公様。ですが、お気遣いは無用です。マークルフ様とエレナさんはおじいちゃん子同士、お似合いかもしれません」
リーナは振り返り、笑みを浮かべた。
「そう、お似合いです。私がこの時代に来なくてもあの二人はいずれ、どこかで出逢って結ばれる運命にあったんじゃないかって、そんな気がします」
大公はリーナの笑みをじっと見つめていた。
「エレナさんならきっと、マークルフ様の良き理解者、良き伴侶となって下さるはずです。お二人はよく似てらっしゃいますから──」
大公は自ら目を背けるように頭を下げる。
「聞き入れてくれて感謝する」
上階で待っていたログとエルマの前に階段を上がってきた大公が姿を見せた。
「大公様。リーナ姫は──」
「聞き入れてくれたよ」
ログが椅子を用意し、大公は疲れたようにそこに腰を下ろす。
「大公閣下。姫はどうされているのですか?」
「もう少しあの鎧を見ていたいそうだ。嘘など貴族社会で幾らでも聞き慣れておるが、嘘の下手な娘が必死に嘘をつく姿を見るのも、その嘘に騙されるふりをするのも、この歳になっても辛いものよ」
大公が呟く。
「誰よりも辛いのはあの娘ではあるがな」
リーナは初代“狼犬”の遺産である古代鎧の姿を見つめていた。
その表情はいまにも泣き崩れそうであった。
大公の前でだけ笑顔を繕っていた姿をこの鎧もじっと見つめていただろう。
「……無様な姿をお見せして申し訳ありません、先代様」
リーナはかつての鎧の主であったルーヴェンに告げると、自分の手を右の手甲に重ねた。
「私は先代様が遺されたこの鎧の代わりを務めてきたつもりです。ですが、この鎧が復活し、フィルディング一族の戦いも止めることができるのなら……私も役目を終える時が来たということです」
リーナは静かに語りかける。
「先代様の御本を読ませて戴いたことがあります。戦乙女とは勇士を戦いの中で護る存在であり、最後には勇士の魂を死後の楽園に導くのだと──」
リーナが唇を噛みしめる。
「私はマークルフ様の為ならどのような手助けも惜しまないつもりでした……でも、私は考え違いをしていたのでしょうか? 私はひょっとして、あの人を力尽きるまで戦わせようとする死神なのでしょうか?」
そう呟いたリーナは意を決したように鎧の前で毅然とした姿を見せる。
「そんなの私は嫌です。ですから先代様、もう少しだけお待ちください。戦いに休止符が打たれる時が来たら、その時は必ずマークルフ様をお返し致します」
リーナはそう告げるとその場に崩れ落ちる。
そして黄金の髪で顔を隠すと背中を大きく震わせるのだった。
「さすが親分だ。こんな隠し部屋があったなんて──」
「俺を誰だと思っている。かつては《四つ首》の二番首と言われた男だぜ」
デカ鼻にボサボサ髪、がっしりした体躯の小柄のオヤジが部下の傭兵に答える。
防衛戦では右に出る者がいないと言われた傭兵部隊の元部隊長であり、建物の構造を推測する特技に長けていた“親分”は地下遺跡の隠し部屋を発見していた。
「いくぜ。どんなお宝があるか手当たり次第、探しだせ」
“親分”を先頭に傭兵たちが破壊した隠し扉の向こうを歩き出す。
「危なくないんですかい、親分?」
「大丈夫だろ。危ないのは残っちゃいねえって」
「でも勝手なことして王様に怒られやしませんか?」
「何が残っているか調べるのが仕事だ。それに怒られるとしても、それは“龍聖”の仕事よ」
彼らは“聖域”東南部の国ブランダルクの領地内にある古代遺跡にいた。
この近辺の傭兵組織を動かす“龍聖”セイルナックの手配だ。
依頼主はブランダルクの若き新王フィルアネスで、領内の古代遺跡に残存する兵器がないか探索をさせていたのだ。
古代兵器が残っていたら無力化して欲しい──それが国王の依頼だった。
「王様ももったいない事しますよね。兵器をわざわざ使えないようにしてくれなんて」
「王様なりのお考えだろうさ。俺たちは俺たちの仕事をすればいいのさ」
永らく使われなかった通路を罠を確認しながら進んでいく一行。
やがて通路の先にある大きな空間に辿り着いた。
「なんだ、ありゃ?」
空間は古代機械に囲まれた一室だ。
その中心に水晶で出来た柱がそびえており、周囲の機械と配管等で繋がっていた。
柱の水晶の中に何かが埋まっていた。
それは鋼の装甲を持つ人型の兵器だ。
ただし、その頭部は狼の形状をしており、鋼のたてがみも伸びている。鋼の装甲に包まれた手足も獣のそれであり、獣人をそのまま機械仕掛けにような姿だった。
水晶柱は淡い光を放っており、獣人型兵器が生きているのかどうかは不明だ。
「親分、また、なんかやばいモン見つけちまったんじゃ……」
親分は眉を潜める。
「しかし、変だな。“龍聖”の話ではこの近辺の古代兵器はいつぞやの“機竜”騒動で利用されて全て出払っているという話だった。この遺跡だって兵器らしいもんは残っていなかった。なのに何でこいつだけ放置されている?」
「壊れてるんですかね?」
「だと、良いけどよ。やっぱ嫌な予感がしてきたぜ」
「いまさら、そんな……」
その時、獣人の瞳が光った。
親分たちは思わず後ろに退く。
水晶柱が微かに震えた。水晶柱の輝きが増すが、それに抗うように獣人の装甲の隙間からも目映い光が漏れ出す。
「ど、どうなってるで!?」
「知るか! しかし、やばそうだ。ここは撤退だ!」
親分たちが来た道を引き返そうとした時、その先に誰かがいるのに気づいた。
それは灰色の髪と紫の瞳を持つ少女だ。見た目はおそらく十代前半に差し掛かったぐらいの子供だ。全身に外套を羽織り、親分たちの前に近づいて来る。
「おい! 何でこんなところにガキがいるんだ!」
少女が親分たちの間を横切って先に進もうとする。傭兵の一人がそれを止めようと手を伸ばすが、火花が散ってその手が弾き返された。
「人間の皆さん。ここから去りなさい。ここはあなたたちには不要な場所です」
少女は見た目相応の声で告げると水晶柱の前まで進み出る。
『──久しく眠っていたようだな』
声がした。柱の中の獣人の口が動き、兜から覗く獣の目が少女に向けられる。
「魔導王国が滅びてから五百年は過ぎているでしょうか」
少女は答える。
「お迎えに来ました、我が同志。どうか我らと共に来てください。その力をお貸しください」
『この封印の力も大きく乱れている。何か異変が起こりつつあるのだな……承知した、同志よ』
「お手伝い、しましょうか?」
水晶柱の力と格闘している鋼の獣人に少女は尋ねかける。
『我が力を封じ込める霊力の封印だ。自力で砕けそうだが時間も無駄にできまい。頼む』
「はい」
少女が答えるとその背中から一対の光の翼が広がった。
虹色に輝く翼が周囲を照らし、少女は右手を水晶柱にかざした。
少女の全身から光が放たれ、水晶柱は軋みながら亀裂が広がっていく。
『ぬううぅあッ!』
獣人の全身が光った。
その瞬間、水晶柱が砕け散り、周囲を真紅の閃光が包んだ。
親分たちが床に伏せると頭上を爆風が通り過ぎた。
やがて爆風が止み、顔を上げた親分たちは揃って驚きの表情を浮かべる。
少女の全身を光が包んでいた。その光が水晶柱から暴発した魔力を防いでいたらしい。
光が広がる。それは一対の光の“翼”であり、少女の背中から発生していた。
それは過去の伝承で伝え聞く“神”の眷属たる“天使”を連想させた。
「ご無事ですか?」
翼を広げた少女が尋ねる。
獣人は床に散らばる水晶の欠片の真ん中で四つん這いになって床に着地していた。
「……ああ。我が封印から抜け出た時の最後の罠らしいが、やはり長い年月が過ぎているのだな。罠も威力は残っていなかった」
獣人が立ち上がる。鋼の装甲に囲まれた獣人の姿は大の男よりも身体半分以上大きかった。
「世界に現在、何が起ころうとしている?」
「その説明もしますので、わたしと一緒に来てください。他の同志も待っています」
『承知した』
そう答える獣人の背中からも、少女と同様に光の翼が広がるのだった。