世界を救う終幕のために
「隊長!」
マークルフの居る天幕に古傭兵の音が飛び込んで来る。
副長ログから留守を任されているウォーレンだ。
「大公様からの繋ぎが届きましたぜ!」
「よこせ!」
マークルフはウォーレンから紙を奪い取ると、それに記された暗号文に目を通す。
現在も傭兵たちが各地で活動し、マークルフたちを支援するための情報網を維持しているのだ。
「……どうやら、ログは爺さんの所に足を運んだようだな」
「副長が?」
「ああ、ログからの知らせも一緒に来ている──ログは魔剣を追ってエールス村に向かって旅立ったようだ。それに──」
マークルフは紙を握り締めると天幕から外に出る。
「隊長、どちらへ?」
「マリエルの所だ!」
マークルフはマリエルの居る天幕に入った。
そこではアードとウンロクの二人が測定機の監視を続けていた。
“機神”から届く“力”の反応を受信し、その動向を調べるためだ。
そして、マリエルは天幕の隅で椅子に座りながら記録の束と睨み合っている。
その表情は浮かないが、それでも厳しい目で記録を精査していた。
「──マリエル、“機神”はどうしている?」
マークルフは敢えて、慰めも励ましの言葉も言わなかった。
「“機神”の反応は極度の不安定化から少しずつですが安定に向かってます」
マリエルも自分の役目を果たすことが全てとばかりに、いつも通りに返答する。
「この調子でいけば姉さんが計算している、“機神”を破壊するために必要な閾値まで持って行けるかも知れません」
「そうか、“聖域”復活のおかげだな」
マリエルが口をつぐむ。
マークルフは黙って彼女の前に立った。
「マリエル、頼みがある。《アルゴ=アバス》の起動準備をしてくれないか」
「どうするつもりですか?」
「“機神”の現在地も教えてくれ。この目で実際に確かめてくる」
「危険です! 鎧を機動したら間違いなく魔女たちに察知されます!」
マークルフが紙を取り出す。
「先ほど大公の爺さんから知らせがあった。どうやら、王都で魔女の一人が倒されたらしい。これで魔女のうち二人が倒れたことになる」
「ですが魔女はまだ一人、残っているはず」
「俺の推測では残った魔女は動けないはずだ」
知らせでは王妃が帰還したが眠ったままだとも記されていた。
王妃に魔女が憑依しているのだろう。だが、近くで妹魔女が殺されたのに王妃に異変が何もなかった。
マークルフは魔女エレが母体と胎児を維持するのに力を使い、動くに動けないからだと考えていた。
「それに魔女が仮に動いたとしても、一人だけなら鎧も“心臓”も止められる前に逃げ出せると思う。この前は三人がかりだったからな」
「ですが、今は魔剣がなく補助動力機関も使えません。“聖域”の力を取り戻し始めた現在、鎧自体の出力も落ちるのは避けられません」
マリエルの危惧する表情は消えないが、マークルフは口の端を吊り上げる。
「俺もログが魔剣を取り戻すまでにできる限りのことはしておきたいんだ。“機神”がどうでるか、それを確かめたい。なに、無茶はしないさ」
マリエルはしばらく考えるが、やがて立ち上がった。
「分かりました。ですが、すぐに戻って来てください。それと激しい戦闘行為は厳禁です」
「ああ、“機神”との決着前に余計なことで寿命は削れないからな」
「今から準備をします。二人とも、“機神”の現在地を記録に出して」
マリエルは別の場所に安置している《アルゴ=アバス》の所に向かって外に出る。
「……無理をしているな」
マークルフは呟く。
「それはそうです。所長のことを一番心配していたのは所長代理ですからね」
アードが測定機を操作しながら答える。
「お前たちも辛いだろうが、マリエルを支えてやってくれ」
「無論でさあ」
ウンロクも答える。
「姐さんから頼まれてますからね。自分がいなくなったら姐さん代理のことは頼むと──」
二人も黙々と作業を続ける。
この二人もエルマに拾われてからずっと彼女を慕って従ってきたのだ。
マークルフの前に《アルゴ=アバス》が安置されていた。
「起動準備は済みました。ただ──」
隣に立つマリエルが言葉を濁す。
「分かっている。ここで鎧を起動したらヴェルギリウス側にも反応を辿られる危険がある」
マークルフは振り向いた。背後には彼が呼びつけたウォーレンが立っている。
「撤収の準備をしろ。部隊を移動した後、俺が鎧を纏って“機神”の様子を見に行く」
「了解しました。ですが、どこへ向かえば?」
「ログはエールス村に向かっているそうだ。それを追え。俺も戻ったら合流する」
ウォーレンは承諾し、この場を後にする。
「マリエル、“機神”を破壊できるまでの安定化に要する時間は?」
「大まかな計算で言えばざっと二、三週間でしょうか」
「それが世界の運命を決める終幕の公演時間になるな」
マリエルはマークルフが握る黄金の槍を見る。
「……それまでにその槍で“機神”を貫けば、リーナ姫を“機神”から引き離すこともできますよ」
マークルフは苦笑する。
「エルマと同じことを言うんだな、頼りになるぜ……なに安心しろ、エルマが用意した舞台に上がらず逃げる真似はしないさ。この槍に誓ってな」
マークルフはそう言うと天幕の入り口から見える影に目を向ける。
「リファ、心配するな。ちゃんと戻ってくるからよ」
リファが天幕の入り口から顔を覗かせる。
それに微笑みかけたマークルフは鎧の前に立つ。
「そろそろ真打ちも動き出さないとな。そうだろ、祖父様?」
「いやあ、暇じゃのう」
エールス村──
村の指導者であるケウンは聖所の外で椅子に座る。
村は閑散としていた。暗雲の空もあり、村は寂れた空気に包まれている。
「ケウン様、やはり皆さんをここから遠ざけてしまったのは失敗だったんじゃありませんか?」
隣に立つ村人の男が言った。
普段は勇士シグの後継者候補(自称)の傭兵たちが活動しているのだが、現在は皆、異形たちから人々を守るためなど諸々の理由をつけて出払っていた。
「仕方ない。このご時世じゃ。世界のために戦った勇士シグの後継者を看板にしたらイヤでも注目を集めてしまう。そうなったら芝居どころじゃなくなる」
「でも、村の評判が落ちませんかね。地上が大変な時に勇士候補たちは何をしているのかって?」
「なあに、本当に地上が大変な時にここまで出歩いて来る奴は数が知れてる」
「魔剣を抜けるか試す者もめっきり来ませんねえ。地上が大変だからこそ、自分が勇士になるんだって魔剣抜きを試す者が増えると思ったんですけどねえ」
「いやあ、厳しいんじゃないか? ここに来るまで危険だし、仮に頑張ってみたとしてもどうしても“狼犬”殿の方が目立つし。ぶっちゃければ魔剣より強化鎧の方が強そうだし、頼りになりそうだしな」
村人がガックシと肩を落とす。
「魔剣の伝説で食ってる人がそんな身も蓋もないこと言わないでくださいよ。こっちも生活がかかっているんですから~」
「とはいえ、本物の魔剣はログ副長に預けたし、“狼犬”殿たちが勝ってくれることを祈るしかあるまい。そうすれば村の生活の後ろ盾はしてくれる。副長殿が約束してくれてるからな」
「あの副長さんも不思議な人ですよね。剣は凄腕だし、魔剣も認めたんですから。あの人がここの看板になってくれたら村はもっと大盛り上がりなのに──」
「……そうじゃな。魔剣を預けて送り出した身としては副長殿には魔剣と共に無事に戻って来てもらいたい──」
そこまで言ったケウンは聖所に続く道に立つ人影に気づき、椅子から立ち上がった。
「どうしたんです、ケウン様?」
「戻って来た!?」
「いやあ、まさか、こう早く戻って来られるとは思っておりませんでしたぞ」
「すまない。奴を追ってきたらここに辿り着いたのだ」
ログはケウンを伴い、聖所の奧にある魔剣が安置された洞窟の奧へと向かう。
「奴とは?」
「それは深入りしない方がいい」
二人は洞窟の奧に辿り着いた。
開けた先に池があり、その中央に顔を出す大岩に魔剣が刺さっていた。
「ここに特に不審な者が来たりはしていませんでした。こうして、贋作ですが偽の魔剣も刺さったままです」
ログは剣を睨む。
「……いや、間違いない。あれは本物だ」
「え? そ、それはどういう……?」
剣から目を離さないログの言葉にケウンは戸惑いの表情を浮かべる。
「ケウン殿、貴方はここから下がっていてもらいたい。この先、何があろうと顔を出さないようにしてくれ」
ますますケウンは戸惑う。
「おっしゃることがよく分かりません。いったい何が──」
「今は事情を詳しく説明できない。だが、頼む」
ログの真剣な目にただ事ではないと悟ったのだろう。ケウンは一歩後ろに下がる。
「分かりました……お気をつけて」
「すまない」
ログは一人、洞窟へと進む。
そして池の飛び石を渡り、剣の刺さった中央の岩まで辿り着くと、魔剣の前に立った。
白い刀身を晒し、岩に突き立てられた魔剣。
ここにある剣は村が用意した精巧な贋作のはずだった。本物はログに渡したからだ。
だが、ログには分かる。
目の前に刺さっているのは間違いなく本物のシグの魔剣だ。誰かが偽物と本物をすり替えたのだ。
ログは手を伸ばし、魔剣の柄を握り引いた。
ログも主の資格を持つと認めているのか、魔剣の刀身が姿を覗かせる。
その瞬間、池の水面から水柱が立ち、そこから剣を持った人影が躍り出た。
ログは魔剣から手を離すと腰の剣を抜いた。
水滴が池に無数の波紋を描く中、人影とログの剣が交錯する。
「──なぜ、魔剣を抜かなかった?」
鎖帷子を頭から纏い、口元を首巻きで隠した“監視者”が尋ねる。
「わたしなら魔剣が抜けないように細工し、その隙を狙う」
ログも答える。
“監視者”の剣がログの肩口を掠め、ログの剣も“監視者”の脇を掠めていた。
両者はそのままの姿で対峙する。
「さすがは“狼犬の懐刀”か。我が末裔にした事への意趣返しのつもりだったが、そうは上手くいかんもんだな。生半可に腕が立つ者なら、反射的に魔剣を抜こうとしてその隙に斬られていた」
両者は離れた。
ログは飛び石を渡り、池の外に立つとあらためて剣を構える。
“監視者”が手をかざすと魔剣が刺さっていた岩が割れた。
そこから魔剣の刀身と、刀身の下半分を覆っていた黄金の鞘が宙に浮かぶ。
「……いや、俺が避けなかったら貴様は死んでいたが、俺も死んでいたか」
魔剣は黄金の鞘に収まると“監視者”の手に握られる。そのまま“監視者”は腰に魔剣を差した。
「この剣を奪取するためなら相討ちも構わん刺客か──“狼犬”もとんだ罠を差し向けたものだ」
ログは右手で魔法剣を構えつつ、左手で腰の小剣を抜いた。
「魔剣が欲しくて追って来たのだろう? 世界を救うために“機神”と戦う主君のためか? ひとつ聞きたいものだ。そこまでして世界を救おうとする理由はなんだ? “狼犬”も、貴様も、そこまでの苦難の道を強いる世界のために、なぜ、身を犠牲にしてでも戦おうとする?」
“監視者”はログを警戒しながらも剣を肩に担ぐように構える。
「世界は幸福に満ちた方がいい。それは当然の話だ。だが、幸福を望む世界は残酷だ。世界はその幸福のためにどんな残酷なことも強いる。一人の罪のない者がその未来を犠牲にしても一顧だにしない。そんな残酷な世界を救う価値が貴様のなかにあると言うのかね?」
部隊が撤収し、マークルフは強化鎧を纏って飛び立った。
目的地はマリエルたちが割り出した西の荒野だ。
半日かけ、空を飛んだマークルフはやがて目的地に到達する。
周囲を俯瞰できる崖の上を見つけると《戦乙女の槍》を手に降り立った。
そしてモニターが因縁の宿敵の姿を捉える。
山の裾野の一角が崩れていた。
周囲には残骸が転がり、巨大な何かが衝突したことを教えている。
そして、そこに異形の存在がいた。
鋼のツタと水晶質の甲殻で編み上げられた異形、三対の翼を持つ上半身だけの巨人──“機神”だ。
先の戦いで機能不全に陥った機動要塞はここまで彷徨い、墜落したのだろう。
だが、“機神”の全身は黄金化していた。
先の戦いから戦乙女の力との融合が進み、機体を構成するツタは全て黄金のツタに変わっていた。
水晶質の甲殻からも目映い光が放たれるが、真紅の光が交じる。
しばらく観察していたが、“機神”の全身が時折、明滅するのが確認できた。
“鎧”が不安定化した時の状態と同じだった。
“機神”も戦乙女の武器化をしてはいるが、不安定な状態なのだ。
(リーナ……)
マークルフには感じとれた。
この“機神”の中にある“光”が“闇”に取り込まれまいと抗い続けているのを──
『大胆な──ことをする──ものだ』
目の前にヴェルギリウス=エンシヤリスの姿が現れる。
いや、正確には彼の視界に直接、幻影を投影しているのだ。
だが、その幻影も不安定で時折、姿が明滅する。
“機神”が異質な存在に変化したため、マークルフへの干渉も難しくなっているのだ。
『ここまで──乗り込んでくるとはな』
「魔女の“妹”たちを亡くされたお兄様に哀悼の意を表しにな」
マークルフは腕組みをしながら幻影と対峙する。
『わたしの過去を知っているようだな──リーナの仕業か』
「……いや、回りくどい話はなしだ。本当のてめえと腹を割って話をしたくてな」
『意図が読めないな──わたしが何かを偽っていると?』
「リーナが教えてくれているんだ。てめえは何かが違うとな。ぜひ、俺の質問に答えて欲しいもんだ」
『何が──聞きたい?』
「てめえの呼び名だ。俺は騙すのは好きだが逆は好きじゃねえんだ。長年、先代から喧嘩してきた“狼犬”のよしみだ。そろそろ本当のてめえを教えてくれてもいいんじゃねえか?」
マークルフは手にした黄金の槍先を幻影に向かって掲げる。
「ヴェルギリウス=エンシヤリスか? 《アルターロフ》か? “機神”か? それとも“闇”か? “狼犬”芝居最後の幕──それを飾る親玉の本当の名も分からねえんじゃ面白くねえだろ? なあ、我が宿敵よ!」
マークルフは芝居がかった口調を、だが、誰よりも“機神”に抗う者の意志の姿をエンシアの亡霊に突きつけるのだった。