残された天才と最後の特異点(3)
「天使様が自ら跪いて下さるなんて、とても光栄だわ」
魔女ミューが揶揄するように口を手で押さえて笑う。
ドラゴは黙ったまま右手に刺した枝針を構えた。
「両手と両足の指を潰されて、輝力をろくに使えないほどボロボロなのに単体で挑むつもり? 呆れるのを通り越して感心するわ。ああ、その目は自分で抉ったんだから、こちらのせいにしないで頂戴ね」
怪我をおして来た彼には光翼を広げて飛ぶ余力もない。
立てない足で膝をつき、握れない手に針を固定し、見えない視界の代わりに周囲の力を感知して気配を読み取り続ける。
そんな姿で力を増した魔女に挑もうとするのだ。相手にはさぞ滑稽に見えることだろう。
魔女に従う鉄巨人が自分に絡み付いていた光糸を掴むと振り回した。
糸で繋がっていたドラゴの身体が宙を舞うが、左腕を振るうと意思を持つように光糸がうねり、鉄巨人にさらに光糸が巻き付いた。
ドラゴは受け身をとって地面に着地し、光糸を引く。
鉄巨人が光糸を振りほどこうとするが細い光糸を切ることができない。
「それはもう計算済みよ」
鉄巨人の身体が急に分解した。光糸から抜け出した巨人の部品は宙を飛ぶと、ドラゴの目の前で再び合体した。
「クッ!?」
鉄巨人の拳がドラゴを跳ね飛ばした。
地面を転がるドラゴだが、息を切らせつつも肘を使って何とか起き上がろうとする。
「今度は土下座までしてくださるのね。姉様に面白い土産話ができるわ」
ドラゴは膝をついた姿勢のまま、再び右手の針を構える。
鉄巨人が近づいて来た。
ドラゴは左腕を振るった。光糸が舞うが狙いは鉄巨人ではない。
その頭上に広がる天井の岩だ。光糸が岩に絡まるとドラゴは腕を引いた。
天井が崩落し、無数の岩が鉄巨人に落下した。
砂塵が舞い、機体を押し潰す。
ドラゴは荒い息の中、見えない目で周囲の力を探る。
背後に魔力を感じる。
だが、振り返るよりも早く鉄の拳がドラゴの頭を掴んで持ち上げていた。
「残念でした。今は魔力が増してるから、けっこういろいろと出来るのよ」
晴れた砂塵の向こうで魔女が冷笑する。
巨人の立つ地面に真紅の転移陣が浮かんでいた。
鉄巨人がドラゴを近くの岩壁に叩き付ける。
ドラゴは声にならない苦悶の声をあげて、その場に崩れ墜ちた。
「これで片づいたかしら? 時間稼ぎに付き合うつもりはないの」
魔女がファウアンたちに向かおうとするが、足を止める。
ドラゴはあらん限りの力で起き上がると、再び右手を構えた。
「……そんなボロボロで、何もできないのにまだやる気? 感心を通り越して、憐れみを覚えるわね。いいわ、まずは貴方から“神”の許に送ってあげる。それだけ頑張ったんだから“神”さまもお褒めの言葉を下さると思うわよ」
鉄巨人の腕から巨大な針が伸びる。
ドラゴは動かない。いや、もはや動く力もろくに残っていない状態だ。
それでも構えは崩さない。
彼が感じているのは身を隠していた地下室に張ったままの光糸だ。
作り出した光糸の振動は離れていても感じ取ることができる。ドラゴはそれを感じ取ることに集中していた。
光糸が震えているのは光と闇の力の衝突で起きている見えない力の波を受けているためだ。 闇の領域と化した“聖域”内で“光”の特異点を作り出そうとする中で生じた特殊な力の波長だ。
その波は特異点の完成が近づくに連れてさらに強くなっている。
(もう少し……)
巨人と魔女の気配が近づいて来る。
もう攻撃に耐える余裕はない。
これが最後の攻撃になるだろう。
(ウェド──信じるぜ)
『ここだけの話だけどさ。僕ね、苦手な“音”があるんだ』
ある日のウェドとの会話だった。
『音?』
その時のドラゴは黄金の針枝を研石で研いでいた。
『うん。輝力と魔力が接触した時に生じる音なんだけどさ』
『そんな音、俺は聞いたことねえぞ』
『普通の人には分からない“音”だからね。ドラゴは耳からして普通じゃないけどさ』
ウェドはドラゴの耳である細い葉の先をいじる。
『うるさい! くだらない話はよそでやれ。俺はいま忙しいんだ』
『ああ、待ってよ。けっこう大事な話なんだよ』
背中を向けるドラゴにウェドははしゃぐように回り込む。
彼と居る時のウェドには子供っぽい言動が目立ち、それにうんざりするのがドラゴの日常でもあった。
『この“音”さ、きっと魔女たちも苦手だと思うんだよ』
『どうしてそう思う?』
『昔、収容所にいた頃、警備システムにその“音”を出す装置があったんだ。それを聞かされると“小鬼の取り替え子”は何も考えられないぐらい頭がガンガンしちゃうんだ』
ドラゴは針を研ぐ手を休めた。
『お前も反抗的でその“音”を聞かされた口なんだろ』
『まあね。でもあの“音”を聞いたら何もできなくなって、それも止めちゃったんだ……個人差はあるけど、“小鬼の取り替え子”は皆、苦手な“音”を持ってたんだ』
『魔女にも同じ弱点があるって言いたいのか』
『うん。あれはきっと“亜人”の血を引く“小鬼の取り替え子”特有の感覚なんだ。だから魔女たちにもきっと同じ感覚があると思うんだ。奴らは“亜人”ベースの人造生命体だからね』
ドラゴは思いついたように針先をウェドの鼻先に向けた。
フードの奧でウェドが首をすくめる。
『お前は輝力と魔力の対生成を操れるんだから、その“音”を出せるんじゃねえのか? それで魔女たちを追い詰めることができねえのか』
『うーん、出せないことはないけどさ。その“音”を出すのってけっこう高いレベルの力が要るんだよ。僕の能力だと出すのにすごく時間がかかるし、出せても維持できないんだ。僕自身がまいっちゃうからね』
『何だ、まるで実戦に使えねえじゃねえか。得意気に言い出しておいて、締まらねえ事言いやがる』
ドラゴは悪態をつくが、やがて一本の光糸を紡ぎ出す。
『よーし、てめえが嫌いというその“音”を出せ』
『えっ、ここで?』
『俺がその“音”とやらを覚えておいてやる。いつか役に立つ時もあるかもしれん』
『え~、でも魔女が同じ“音”が嫌いだと限らないよ? それにそこまで対生成するの結構、時間がかかるよ』
『言い出したのはてめえだろ』
『……でも、僕、あの“音”出すの嫌──』
『てめえ、俺の頼みが聞けないっていうのか?』
ドラゴが睨みを利かすとウェドは肩をすくめた。
『わ、分かったよ。やるよ、やるからそんな怒らないで~』
「どうしたの? 構えてはみたけど、実はもう観念しちゃった?」
魔女の声が響く。
巨人の後ろに隠れているが魔女自体も今までになく強い魔力の結界を張っていた。完全にこちらの攻撃に備え、勝ち誇るように余裕の態度を見せる。
ドラゴが感じている光糸の振動と、ウェドから教えられた振動が重なっていく。
「何も喋らないなら、言い残すことはないと判断するわよ」
魔女が巨人を操作し、ドラゴにとどめを刺そうとする。
「……いつか謝らなきゃいけないと思ってたんだ」
ドラゴが口を開く。
魔女が怪訝そうな表情を浮かべた。
「へえ、誰に?」
「俺の仲間さ。あの時はあそこまで苦しいもんだってのが分からなくて無理強いしてしまってな。涙流して悶えていた時はさすがに悪いことをしたと思ったものさ……だけど、俺もあいつには意地を張るところがあってな。結局、先に逝っちまって最後まで言いそびれてしまった」
「だったら丁度いいじゃない? 仲間の所に送ってあげるから今度はちゃんと謝ればいいわ」
巨人が腕を振り上げた。
だが、命令を下そうとした魔女の口が止まる。
「……なに──!?」
魔女が何かに気づいて戸惑うが、すぐに頭を抱えた。
「な、何なの──うああぁあッ!?」
魔女が頭を押さえながらその場にうずくまる。
「な、な──これ──ッ!?」
ミューが狂乱するように両手で頭を押さえる。
闇の領域とファウアンたちの儀式で生じた光と闇の力がぶつかり合う波長。波長は変化を続けていたが、ついにドラゴが待っていた波長に到達したのだ。
ウェドが教えてくれたその波長──それが魔女の感覚を破壊するほどの衝撃を与えていた。
ドラゴは最後の力を振り絞って魔女の後ろに転移すると左腕で羽交い締めにする。
悶え苦しむ魔女は何もできずにドラゴに捕まった。
「は──あ──あ……」
魔女が目を見開き、横目で後ろを見る。
ドラゴが右手に固定した黄金の針を構えた。
「や──いや──やめ──」
「……てめえだけは道連れにする」
「イヤッ──はなぜ!」
魔女が叫ぶと何かが空を切り、魔女の頬を掠めてドラゴの胸に矢が突き刺さった。
先ほどクーラに破壊された人形たちの残骸。その中に落ちていた弩を持つ人形の腕が動いてドラゴを撃ち抜いていた。
魔女の必死の抵抗だったのだろうが、ドラゴはそれでも魔女を離さない。
魔女は魔力を解放して身を守ろうとするが、上手く制御できずにドラゴを引き離すこともできない。
「……お……終わりだ」
ドラゴは口から血を流しながら、針を魔女の首に深く突き刺した。
「──イヤッ!? イヤだ! たすけ──にいさ──」
魔女が何かを叫ぼうとしたが、ドラゴは深く針を埋め込む。
輝力を込めた針が魔女の中枢神経を破壊した。
魔女の全身から全ての力が抜けると腕からすり抜けて地面に倒れる。
「やったぞ……ウェド」
魔女は目を見開いたまま、事切れていた。数百年を生きる魔女の一人の呆気ない最後だった。
ドラゴも右手に巻いていた光糸が消え、血に染まった針が落ちる。
やがて森人の身体も仰向けに倒れた。
「ドラゴ!」
クーラが穴から抜け出して駆け寄った。
「ドラゴ、しっかりしてください」
「……俺なりにケリはつけた……」
ドラゴは荒い息で告げる。
重なる負傷と魔女の魔力が彼の身体を命の限界まで蝕んでいた。
「そっちも……運命を……見届けて……」
「……ありがとう、ドラゴ」
ドラゴが目を閉じた。森人の姿が光になって分解していく。
古代王国に一族を蹂躙され、その憎しみを糧に数百年を生きてきた孤独な戦士の最期であった。
エルマの目の前に目映い光点が浮かんでいた。
狼頭天使が手をかざす先に浮かぶ直視もしがたいほどの光点。無限に遠ざかる点のような空間に無限の輝力が集約された、この世に本来あるはずのない“神”の領域であった。
ついに“光”の特異点が完成したのだ。
「少女天使さん、狼さんと交代して、すぐに“神”を呼ぶ儀式を始められる?」
エルマは降りて来たクーラに尋ねる。
「はい。ですが、貴方がたの脱出を待たなくていいのですか? 私一人なら脱出できますが──」
「そうしたいけど、特異点がいつまで安定してくれるか分からないのね。だったら、すぐにでも始めた方がいいわ。その間にうちらは脱出する。そちらも気をつけて。闇の領域で“神”を呼び出せばおそらく大規模な破壊の衝撃が起きると思うわ」
「分かりました。ファウアン、代わります」
クーラがファウアンの隣に立ち、同じように手を差し出す。
「……ドラゴはよくやってくれた」
「ええ、彼は最後まで自分のやるべき事をやりました。私もそれを見習いたいと思います」
“特異点”はファウアンからクーラの影響下に入った。
ファウアンが後退すると妖精たちを両手に掴む。
「……科学者、貴様も死にたくないなら連れてってやる」
「オオカミのおじちゃん、ありがとう」
プリムの喜ぶ顔とダロムの含みのある笑みにファウアンが目を瞑る。
「クーラ、先に行くぞ」
「分かりました。ファウアン、貴方も気をつけて」
ファウアンがエルマも左脇に抱えると光翼を広げて地下空間を飛翔した。
「“神”よ──動かざる希望、見えざる導きよ。古よりの契約に従い、我、クーラの名において世界の天秤に輝く御手を差し伸べる──」
クーラの声を背にし、エルマたちは来た道を引き返しながら地下空間を飛ぶ。
空間が震えだした。
頭上を覆う岩盤の天井が、地面が、空気が、そしてそこを飛ぶエルマたちにもそれが伝わり悪寒のように肌を震わせる。
「……始まったわね。計らなくても分かる。途方もない力が解放されるわよ」
“神”の力と“要”の半分が同時に発動するのだ。その胎動だけでこの地下が戦慄するように震えているのだ。
「長居は無用だな。急ぐぞ」
ファウアンも光翼を羽ばたかせて先を急ぐ。
だが、しばらくして空中に制止する。
目の前にあるはずの道が崩壊して埋もれていたのだ。
「これは──」
「どうやら、あの魔女の仕業ね。最悪、うちらが逃げられないようにしたんだわ」
「どうする?」
「他の道があるはずよ。そこを探しましょう」
エルマたちを運ぶファウアンは別の地下空洞を飛び、先を急ぐ。
その間にも地下は激しく震えだし、地震のように鳴動を始めた。
天井が崩落し、周囲から岩が崩れ落ちてくる。
急にファウアンの体勢が崩れた。
「どうしたのッ!?」
「わ、わからんが急にダロムたちが重く──ッ!?」
ファウアンも動転しながらも降下を始める。
やがて地面に着地したファウアンはダロムを離し、プリムを両手で抱える。
妖精娘を持つ機械の手がまるで鉛を持つかのように震えていた。
「クソッ、何でこんなに重く──おい、どうした、妖精娘!?」
「……おじちゃん……からだが……うごかない……」
プリムがたどたどしく答える。
妖精娘はとても苦しんでいた。まったく身体を動かせずにいるようだ。
「……しまった」
ダロムも苦しそうにしながら立ち上がる。
「ダロム、どういうことだ!?」
「いま、凄まじい霊力が激流のように暴れ回っておる……“要”解放の前兆なのだろうが、ワシら妖精族はそれに強く影響されてしまっておる」
ダロムが説明した。
妖精族は大地の霊力と極めて親和性の高い種族だ。それによって地中を自在に潜れるのだが、同時に強い霊力の流れに影響されてしまう特性を持つ。
現在、この地下には激しい霊力の渦が発生しており、ダロムとプリムはその力の干渉を受けて身動きがとれなくっているらしい。
「ワシはまだいい……しかし、若いプリムはこの圧力にうまく適応する術を覚えておらん……このままではプリムの身体が耐えきれずに押し潰さるかもしれん」
「だったら、なおさら早くここから脱出するんだ!」
ファウアンが抱え上げようとするがプリムが声にならない悲鳴をあげて、余計に苦しむ。
「下手に動かせないわね」
様子を見ていたエルマは答える。
「霊力の渦が力場となり、プリムちゃんをこの場所に固定しているわけね。極めて強い磁石みたいなもの。強引に動かそうとすればプリムちゃんの身体がもたないわ」
「ならば、どうすればいい!? クーラの儀式はもう止められん。このままここにいては巻き込まれてしまうのだろう!?」
普段は落ち着いているファウアンが焦りを隠せないように詰め寄る。
「ファウアン、プリムをここに置いていってくれ。先に姐さんを脱出させてやってくれ」
狼頭天使の手の中で苦しむプリムを見つめながらダロムが言った。
「ワシがプリムを何とかしよう。ワシらだけなら地中に逃げる手段もあるしな」
「下手な嘘をつくな」
ファウアンが険しい表情で古き友たる老妖精を見る。
「霊力が激しく乱れたら妖精族といえど地中に潜れなくなる。俺がそれを知らないと思っているのか」
「……仕方あるまい。ここで共倒れするわけにはいかん。ワシはプリムの傍にいる。ファウアン、姐さんを頼むぞい。勇士の戦いはこれからだ。姐さんの力もまた必要になる」
ダロムが静かに言う。しかし、それは悲壮な覚悟を秘めた頼みであった。