過去からの来訪者(1)
刺客たちを撃退した翌朝。
マークルフは食堂へと足を運んだ。
「マークルフ様、おはようございます」
会食用テーブルの端、マークルフと向かい合ういつもの席にすでにリーナが座っていた。
「……お疲れみたいですね」
寝ぼけ眼のマークルフを見てリーナが言う。
「ああ。結局、ほとんど徹夜だったぜ」
マークルフは大きく欠伸する。
「もう少しお休みになられては?」
「朝食を食べてからな」
マークルフが呼び鈴を鳴らす。
やがてタニアと仲間の若い侍女たちが朝食を運んで来た。
リーナの前にはパンとチーズ、豊富な豆を使ったスープにゆで玉子が載せられた銀製の玉子立てが置かれる。
そして、マークルフの前には皿に乗せられたゆで玉子が一つ置かれた。
「失礼いたします」
タニアたちが一礼をして去っていく。
「……ちょっと待て」
マークルフが呼び止めるとタニアたちが一斉に振り向く。
「何ですか?」
タニアが言うが、その声は冷ややかだ。
「何ですか、じゃねえ! 何で俺だけ玉子一つなんだよ!」
「お疲れのようですので、少し控えめにしました」
「控え過ぎだ! 何で領主の俺がこんな食事なんだ!」
マークルフがフォークで玉子を叩く。ヒビが入り、そこから熟した黄身がこぼれ落ちる。
「しかも生茹でじゃねえか! 俺は半熟よりちょっぴり固めが好きなんだ! 知ってるだろうが!」
「申し訳ありません。茹でるのを待つ時間が惜しかったので」
「侍女が領主の食事を差し置いて何の時間を惜しむって言うんだ!」
「他の片付けがありますので、失礼します」
若い侍女たちは一斉に挨拶するとマークルフを残して去っていった。
マークルフは肩を落とすと席について黄身のこぼれた玉子を見つめる。
「……刺客たちとやりあって疲れている領主に何なんだ、この仕打ちはよ」
「あの、マークルフ様?」
うなだれるマークルフの横からリーナが近づき声をかける。
「私ので良ければ半分こしませんか?」
リーナが遠慮がちに自分のゆで玉子を半分に割り、少し大きい方をマークルフに差し出す。
マークルフは目を潤ませるとリーナの手を両手で握って頬を押しつける。
「マークルフ様?」
「なあ、俺は何か悪い事したか? むしろ心当たり有り過ぎて分からないんだが、俺は何をしたんだ?」
「……さ、さあ」
「もう信じられるのはお前だけだぜ」
シクシクと落ち込むマークルフにリーナが困ったような笑みを浮かべていた。
「タニア!」
侍女頭マリーサは通路の花瓶に水を差していたタニアを見つけると大声で呼び止めた。
「男爵様から苦情が来ましたよ。いったいどういうつもりなのですか!?」
マリーサが詰め寄る。
しかし、普段なら驚くか怯むはずのタニアも今回ばかりは憤然とした様子を隠さなかった。
「タニア、その反抗的な態度はどういうことです! 言いたい事があるならはっきりと言いなさい!」
マリーサも語気を強くするが、タニアは水差しを花瓶の横に置くと答える。
「マリーサさんは知ってるんですか? 大公様がこの城に来た理由を──」
マリーサは一瞬、言葉を失う。
「やっぱり知ってるんですね。男爵が縁談を進めているって事!」
「どこからそれを!?」
「大公様の護衛の騎士たちが話をしているのを聞いたんです!」
「あなた! また盗み聞きを!」
マリーサは怒鳴るが、タニアも一歩も退かない。
「あの人たちが噂話をしてるのをたまたま聞いただけです! あたしだけでなく他の皆も聞いてます! それよりも姫様はどうなってしまうんですか!?」
タニアが逆にマリーサに詰め寄っていた。
「……それは私たちが関わる問題ではありません」
「だったら、マリーサさんのゲンコツは何の為にあるんですか!」
タニアがマリーサをきつく睨む。
いままでそんな事は一度もなかったため、マリーサも戸惑うしかなかった。
「マリーサさんのゲンコツは先代様からのお墨付きで、男爵だって逆らえないって聞いています! だったら、こういう時こそ男爵にガツンと言ってやるべきじゃないんですか! 姫様を裏切るのかって!」
「……あなた」
タニアの目には涙が浮かんでいた。
「姫様はどんな危険な時でもずっと男爵を支えてくれた人ですよ! その姫様が何も知らない騎士の人たちに『捨てられた』とか『可哀想』とか言われて、あたし……どんなに悔しかったか!」
タニアが叫ぶと背中を向ける。
「男爵はいい加減で適当で、ろくでもない事もたまにしますけど──信じてついて来る人は絶対に裏切らない人だと思ってました!」
タニアの姿にマリーサもかける言葉が浮かばなかった。
「タニア、もう少しだけ時間をくれ」
二人にそう声をかけたのは、通路の向こうからやって来るログだった。
「……ログさん」
「声が聞こえたのでな。ともかく、この件はもう少し胸の内に留めてくれ。閣下も承諾されたわけではないし、リーナ姫もその事をまだ知らされていない。大公様が直接、姫と話をされる。どうなるかはそれからだ」
「姫様はどうなるんですか?」
タニアがログを見上げながら尋ねる。
「それを決めるのは閣下と、他ならぬ姫様ご自身だ」
タニアは顔を伏せたが、やがて黙ってログの脇をすり抜けて去っていった。
「マリーサ、すまない。迷惑をかけた」
「いえ……私も少しはタニアの気持ちを分かるつもりです」
マリーサは遠ざかるタニアの後ろ姿を見つめる。
「あの子は私以上に若様や姫様、ログ副長の戦いをお手伝いしています。だから、きっと誰よりも今回の件について衝撃が深いのだと思います」
ログの視線もタニアを追っていた。
マリーサは自分の手を見つめる。
「……本当に私も不甲斐ない限りです。先代様ならどうされたのでしょうね」
リーナは大公が宿泊する客室の前に立っていた。
大公が呼んでいると知らせがあったのだ。
リーナが部屋に入ると大公が椅子に座りながら外の景色を眺めていた。
「やあ、すまないね。わざわざ呼び出して」
「いえ。それより私にご用でしょうか?」
「実は《アルゴ=アバス》の修復状況を見物に行こうと思っていたのだが、一人で行くのも味気ないのでね。どうかね、一緒に行かないかね?」
リーナは微笑を浮かべる。
「私でよければ──クレドガル王国で大公様のお屋敷に逗留していた時の事を思い出しますわ」
「なに、今度は儂が案内してもらう番だがな」
「マークルフ様にはこの事は?」
「今回もあの時と同じように坊主には内緒で行こうと思ってな。そういうのも一興じゃろう」
大公が立ち上がる。
「そうですね。お供させていただきます」
リーナも静かにうなずいた。
「それでは、左手の指を親指から一本ずつ、順に曲げてください」
城の敷地内にある古代文明の研究施設。
その整備台の上にマークルフは横になっていた。上半身裸となり、その手足や胸には幾つものケーブルが付けられている。
整備台のモニターを睨むマリエルの指示に従い、マークルフが左手の指を動かしていく。
その横では助手のアードとウンロクの二人が計器をせわしなく操作していた。“聖域”内では機械を動かす魔力消費が激しいため、必要な時だけ必要な物を起動しながら、なおかつ正確な操作をしなければならなかった。
「……はい、次はその逆をお願いします」
マークルフは順に指を折り畳んでいく。その横で助手二人もドタバタを繰り返す。
「……はい、ありがとうございます。もう一度その動作を繰り返してください。先ほどよりも半分の速さでお願いします」
マークルフはまた指を折り畳んでいく。正確にゆっくり動かすというのは思ったよりも神経を使う作業だ。計器を管理する助手二人も同じなのか先ほどよりも運動量が増えているようだ。
「ありがとうございます。では、いまのを後十回繰り返してください」
「ああぁッ! まどろっこしいッ!」
マークルフは飛び起きると、モニターと睨みあっていたマリエルに抗議する。
「いったい、どれだけやらせるつもりだ!?」
「そう思って用意しております」
マリエルが一枚の紙を取り出して彼の前で広げた。
そこには作業行程がびっしりと書き記されていた。先ほどの作業もそれのほんの一文に過ぎなかった。
マークルフだけでなく、助手二人もゲンナリとした表情を浮かべる。
「おい! 前回より調整作業が十倍ぐらい増えてないか!?」
マークルフが現在行っているのは強化装甲鎧《アルゴ=アバス》との連動を再確認して調整用のデータを採取する作業だった。
「必要な作業です、男爵。《アルゴ=アバス》の修復は順調に進んでいます。ですが、姉さんの意向で可能な限りの改良を施す予定なんです。つまり、大破する前とは相違点があるのです」
「それは分かってるさ。俺が聞きたいのは何で作業がこんなに増えるんだってことだ?」
マリエルはもう一枚の紙を取り出してマークルフの眼前に突きつけた。
そこには強化鎧と装着者の連動の仕組みが彼女の注釈付きで記されている。
「そもそも強化装甲は装着者に埋め込まれた制御ユニットと同調することで連動して機能するのです。しかし、男爵の“心臓”を取り出して制御ユニットを改良することができない以上、装甲側の追加プログラムでそれを補うしかないんです。そのためには少しでも念入りにデータを採取して寸分の狂いもないようにしておかないといけないんです」
「言ってることは分かるけどよ……鎧が完成してからじゃダメなのか」
「そうはいきません」
マリエルが厳しい顔をしてマークルフに顔を近づける。
「強化装甲との連動に少しでもズレが生じれば性能を損なうだけでなく、男爵自身にかかる負担も余計に増すことになります。それに修正データ次第では鎧を修復している姉さん側にも修正が必要になってきます」
目の前で力説され、マークルフは思わずたじろぐ。
「確かに大変な作業です。ですが、ここできっちりやっておかないと後で修正がきかなくなる恐れがあるのです。最悪の場合、“心臓”側がズレを不具合と誤認識してその機能を再調整させられたら、ズレの修正に大きな支障が出る場合もあり、さらに──」
「もういい! 分かったから手早く頼む!」
マークルフは耳を塞ぐと再び横になる。
「できるだけ早く済ませるようにします。その前に確認する事があるので少しだけ休憩にします。すぐに戻って来ますから」
そう言ってマリエルは整備室から出て行く。
彼女の気配が消えるとマークルフは深くため息をついた。
「……俺はどれだけ付き合わされるんだ?」
マークルフは助手二人に尋ねる。
彼らの顔にもすでに疲れが表れていた。
アードとウンロクは互いに顔を見合わせると、マークルフと同じくため息をついた。
「それは所長代理が──」
「姐さん代理が──」
「……納得するまでか」
三人はうんざりするように肩を落とすのだった。
リーナと大公を乗せた馬車は城を出発した。
お忍び用の普通の馬車であり、御者も外套で顔を隠したログだった。
「お供はログ副長だけですか」
「お忍びだからね。彼はわたしが知るなかでも指折りの剣士だよ。親衛騎士の部隊とどちらを選ぶとするなら──」
「私もログ副長を選ぶかもしれませんね」
リーナが気まずそうに言うと、大公も笑った。
昔のやり取りを思い出すようであった。
覗き窓から外を眺めると大通りは人々の活気にあふれている。
「こうして見ると、見慣れた光景も違って感じますね」
「知っているかね? この馬車は実は──」
「皆さん、お忍びだって気づいてらっしゃるのですよね」
リーナは答えた。気づかない振りをしているが街の住人はこの馬車がお忍びの馬車と気づいていて、そしらぬ顔をしているのだ。
この馬車に乗っている時は特別な時だから構うな──それがこの街の住人たちの不文律であり、領主でありながら飾ることなく住人たちに溶け込むマークルフとの信頼関係を表すものでもあった。
「知っておったかね。姫もすっかりユールヴィング城の人間になったものだ」
大公が静かに微笑む。その笑みに一瞬、かげりが見えた気がしたが、リーナは気にすることなく微笑で返すのだった。
馬車はやがて郊外にある工房へと辿り着いた。
ログが手を取り、大公とリーナを馬車から降ろす。
同時に二人の近くの地面から鉄機兵が浮上した。
「一緒に護衛をしてくれてたのね。ありがとう」
リーナは現れた《グノムス》に声をかけると、大公と一緒に工房へと足を踏み入れる。
「ようこそ、大公様。お待ちしてました」
中から迎えたのは白衣姿のエルマだった。
「やあ、来させてもらったよ。やはり、エルマはその姿が一番しっくり来るな」
大公が周囲を見回す。
「それで話に聞いていた親切な妖精さんとやらはどこかね?」
「あの二人は大公様が来ると知って隠れちゃいましたわ。こっそり隠れてお手伝いしてこそ妖精の本分だとか──」
「そうか。うむ、妖精さんとやら。ご助力、感謝しておりますぞ」
大公はそう言って頭を下げた。
リーナたちはエルマの案内で地下の階段を降りる。
機械に囲まれた地下室の奥に古代鎧《アルゴ=アバス》が鎮座していた。
「ここまで修復しておったか」
大公が鎧の前まで進み出ると、その姿をしげしげと眺める。
「鎧の修復は順調です。ただ、男爵側との調整が入るので完成はもう少しかかると思います」
「いや、見事だ。“機神”との戦いで残骸と化してた時のことを思えば、よくぞここまで修復させられたものだ。よくやってくれた」
「ありがとうございます」
エルマが答えた。
「うちとログ副長は上に居ます。用があったらそこの紐を引いてください。上に知らせが鳴りますから」
「ありがとう。儂と姫は少しここに居させてもらうよ」
エルマが階段を上がっていくと、残されたリーナと大公は《アルゴ=アバス》の姿をしばらく眺めていた。
「……正直、二度とこの姿は見られんと思っておった」
かつての姿を取り戻そうとする鎧を前に大公が口を開いた。
「はい。クレドガルの研究所を訪れた時を思い出します」
リーナも答えたが、やがて彼女は自ら大公の前に進み出る。
「大公様、何かお話があるのではありませんか?」
リーナは尋ねた。
大公は答えず、静かに鎧を見つめたままだ。
「以前、大公様に教えていただきました。真実は答えではなく、真実を知った時こそ本当の答えを求められると──また、私が答えを出さなければならない事があるのではございませんか?」
「……分かってくれてたか。気を遣わせてすまないね」
大公はそう言うと手にする杖に両手を重ね、頭を下げた。
「そして、あらためて詫びねばならん……すまない、リーナ姫」
「大公様、どうされたのですか?」
思わぬ大公の謝罪にリーナは意図が分からず、首を傾げる。
「儂は現在、坊主の縁談をまとめようとしておる」
リーナは大きく目を見開く。
「相手は姫も知っておるじゃろう、エレナ=フィルディング嬢だ」
そう告げて顔を上げた大公の眼差しは、いまだ痛々しい損傷が残る英雄の鎧を捉えていた。