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水底の妖鼠  作者: 84g
9/11

九話 写本の歴史

 ミラーハウスは、中で迷うことを楽しむ冒険ゲームだが、それは既に機能を失っていた。

 ガラスと壁材が床に散乱し、所々に鋭利な刃物――団雄一のダゴドン――が付けた跡が見て取れた。

 床にはここまで来るまでと同じく血の筋が続く。恐らく畑信之助の血液だろう。傷口から直接流れたものか、ダゴドンの鉤爪や牙から垂れたものかは判別付かないが、行く道はひとつだった。


《陽子、僕は会話できなくなりそうだよ》


 長い長い階段を昇る途中、賢作は申し訳なさそうにつぶやいた。


「やっぱり?」

《録音や他の機能は使えるよ。百花繚乱》

「……もしかして、もう通信できてない?」


 返事はなかった。電子無脳の賢作はウェブ上の言語を収集して言語を紡ぐ。

 例えば、持ち主の陽子が“腹が減った”といえば、類似する語句を探し出し、それに関連して用いられる言葉を選んで発言する。

 ラーメンという語句が多く見付かれば、“ラーメンでも食べようか”などと切り返す。

 インターネットの電波を拾えない空間では、賢作の四字熟語発言機能も無効となる。

 最初からもちろんひとりで向かっているわけではあるが、会話する相手を失った事実は孤独を突き付けた。

 陽子は、先ほど拾っておいた大ぶりなスコップの感触を確かめる。

 ヤキソバ五人組の持っていたもので、動画撮影の際にピッキングで開かない場合はこれで侵入したこともあるらしい。

 とんでもないことをやらかす学生たちで、取り残されている東翔の自業自得ではあるし、武器としては心許ないが入手のために時間を使えないことを考えれば最良の選択であると思えた。

 とても長い階段に、陽子は賢作の中に残されていた一色賢のダゴドン調査資料のことを思い出していた。



 ★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始

 始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★



 院不澄事件の概略

 この資料は、俺の後にこのデバイスを使うことになる誰かのために、デバイスにまとめさせた概略だ。

 恐らくデバイスを使うのは陽子か○○○だとは思うが、そのどちらにせよ、今すぐに院不澄からの脱出を勧める。

 ……最も、俺が云ったくらいで聞く連中ではないが……。

 結論から伝えれば、院不澄事件は解明することはできたが、解決することは現実的に困難である。

 時間があるならば別項の資料を参照されたい。


 ドリームランドに謎の怪物が出る、ミラーハウスに入った者が行方不明になったり正気を失う、そんな事件が続いた。

 俺はその調査を■■■によって依頼された。

 調査の中で、ミラーハウスで怪現象を起こした者たちは確認できた限り、皆、院不澄の血縁だった。

 この土地自体に何かが有ることは明白だった。


 ある夜、水槽で飼育されていたアザラシやペンギンが、“一部分”を残して消失した。

 調査を続ける内、アクアリウムに設計書にはない落とし穴のような通路を確認した。

 何者かが作った通路ではあったが、階段や梯子はなく、俺はロープで地下へと進み、迷路のような入り組んだ地下道を抜け、位置的にはミラーハウスの真下に当たる位置で初めて実物を確認・捕獲した。

 便宜上、ここで捕獲した体長二メートルほどの未確認生物をダゴドン・ヒュドン、人間に類似した頭部を持つ一〇センチほどの動物を妖鼠と呼称する。

 捕獲方法は俺以外には使用できない方法であるし割愛する。


 ダゴドン・ヒュドンは全体的なフォルムは類人猿のようだが、両生類のような特性を多く持っていた。

 ダゴドンはやや大きく、両手足に鉤爪を持ち男性的外観の特徴を持つ。

 ヒュドンはダゴドンより全体的に小ぶりで乳房を持ち、全体的に人間の女に似ている。

 共通して最も特徴的な頭部だが、大きな口や牙は肉食動物として多く見られるが、鼠のような眼球が奇妙である。

 嗅覚・聴力・動体視力にも優れているが静止し、かつ無臭の食料を発見することは困難であるらしい。

 皮膚は当初は人間に酷似していたが、数日もすると全身が鱗で覆われ、生殖器を持たず繁殖方法は不明である。

 食性は雑食。しかし植物由来の物と動物由来の物があれば動物由来の物を優先して摂取する。ここでいう動物由来の物には同種であるダゴドンとヒュドンも含まれ、共食いの性質がある。

 筋力に優れ、鉤爪は■■■に用意させた合金製ケージは破壊できると思われたため、鉤爪を取り除き観測を必要とした。

 恐らく他の大型肉食獣でも対抗できず、水陸において活動できる性質から、人類が“一般的に”観測している現存する動物の中で最強であると判断する(人間自身を除く)。


 そして妖鼠だが、これにも奇妙な性質が有った。

 常に特定のダゴドン・ヒュドンに近づきたがり、そして行方不明になった人間とその顔が酷似していた。

 さらに同じような大きさでありながら、人面ではなく顔形や鉤爪の形状がダゴドン・ヒュドンに酷似した個体も多数捕獲された。後述する特性からこの人面でない妖鼠を未体と呼称する。

 当初は妖鼠・未体はダゴドン・ヒュドンの幼体と推測し、親の近くに行こうとしているのかと思っていたが、ある事件から否定された。


 ある日、一匹のダゴドンが死亡した。

 死因は捕獲時に俺の攻撃で肺を損傷させてしまったことだったが、ダゴドンが死亡すると同時にそのダゴドンとに近づきたがっていた妖鼠も死亡した。

 解剖して死因を調べると、ダゴドンと妖鼠、肺の損傷が全く同じような状態であった。

 更にDNA調査の結果、妖鼠とダゴドンは対になるものは完全に一致するDNAを持っており、そしてそれらは通常の方式では人間のDNAと判定されるほど人間と似ていた。

 俺は独自の方式で人間とダゴドン・ヒュドンのDNAパターンの違いを見分けることができたが、そこから俺は■■■に協力を要請し、院不澄の住民たちのDNAサンプルを入手した。


 院不澄の住民の中で、以前からこの地域に住み続けている家族からは、ダゴドン・ヒュドンと同じようなDNAの特異性が多く見られた。

 それだけでなく、行方不明者を出した家族のDNAサンプルと肉親であると断定されるダゴドン・ヒュドンが多数確認された。

 この事実から、ダゴドン・ヒュドラは行方不明となった人々の変貌した生命体であると俺は確信した。

 以前からこの調査に当たり、俺自身がダゴドンとなる可能性を考慮して部屋は密閉し、理性を失い定期的なパスワード入力を怠れば部屋全体が爆発する仕組みを用いていた。

 だが、これはウイルスなどを理由とする突発的な疾患ではなかった。


 しばしば起きていた未体の突然死についても説明しよう。

 その何例かで同刻に院不澄の住人が死亡しており、採取させたDNAは死亡した未体と一致していた。

 このことから、未体と遭遇した人間がダゴドン・ヒュドンに変質するのではなく、同じDNAを持つ院不澄の住人と未体が出会ったとき、院不澄の住人は性別によってダゴドン・ヒュドンに変貌し、未体はその住民の顔を受け継ぐ妖鼠となる。

 以前に入手していた写本によって解読しただごどん遺跡に残されていた文章と、これらの性質を合わせたとき、俺はある仮説を立てた。

 すなわち、ダゴドン・ヒュドンとは―――


 ☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末

 末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆




 階段を下り終えた陽子は、遺跡にたどりついていた。

 一面にはいくつもの干からびた鉤爪のある蛙――未体――が転がっていた。


「……この中に、花くんの義父おとうさんや義母おかあさんも、居るのかしら……」


 院不澄に住んでいるDNAが適合する人間と出会わなかったミイラ化した未体は、何百、何千、何万、それ以上かもしれなかった。

 三角錐の池の中には大量の未体が泳いでいたが、その数は多すぎるように陽子には思えた。

 賢の資料では、今現在、院不澄の住民たち全員がDNA特性を持っていたわけではなく、花のように外から最近来た者も多いはずだ。


「嵐さんや団雄一さんはこの院不澄に執着を持っていた。帰ろうとしていた。ここに呼ばれていたんだ。ここに居る“自分自身”に」


 陽子が奥へ奥へと進む中、あるはずの金剛地大悟のスプラッタな死体が見当たらないことに陽子は安堵しつつ不振に思っていた。

 団雄一のダゴドンが食べたという回答はありえない。

 なぜならば、団雄一は畑信之介と佐藤史郎を追って移動したはずであり、団雄一の食事の速度はカラス一匹を食べるのに数十秒から数分を要しており、死体を丸ごと食べることは不可能である。

 導き出される答えは、更に進んだ先に落ちていた黒い塊によって証明された。


「……デジカメ、ね」


 東翔のデジカメだった。陽子は自身のスマホとケーブルで繋ぎ、言語での操作ではなく手動で賢作を使ってデジカメ内の動画から“現場”のシーンを引き出した。

 金剛地大悟の身体が、団雄一のダゴドンによって切断されるシーンから始まったそれに思わず目を反らしそうになる自分を陽子は画面に押し戻す。




 ★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始

 始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★始★


 佐藤史郎と畑信之介の絶叫。


 団雄一の声

「――だごどん?」


 東翔の声

「ああ、そうだな……雄一、俺も……探すよ。近くに居るんだ」


 視点が大きく動き、カメラが投げ捨てられた。

 血飛沫と共に飛んでくる畑信之介の手首が交差するように映る。


 東翔の声

「見つけた。俺の、俺自身……やっと、俺は……帰ってこれた」


 握りつぶすような不快な音

 ――音の方向は金剛地大悟の死体が有った方向――



 ☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末

 末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆末☆




 東翔は院不澄の西瓜を食べたことがあると云っていて、それを金剛地大悟は認めていた。

 親戚の家に遊びに来たか、住んでいたかは不明だが、東翔もまた、院不澄の人間だったのだ。

 ならば、この場には生きた人間は居らず、ここに留まる必要はない。陽子の成すべきことは一刻も早く脱出し、ここの出入り口を封鎖することだった。

 そのとき、遺跡の中に奇妙な音が響いた。落ち葉の中を走るような、未体の死体を踏み荒らす、子供の足音だった。


「――花くんっ!?」


 驚いた分だけ、陽子の反応が遅れた。花は陽子の手をすり抜けて遺跡の奥へと向かっていた。

 しまった、陽子は自分の判断の甘さをことごとく恨めしいと思った。

 自分の行動から、結果的に佐藤史郎の命を救えた事実、しかしながら史郎を花の元に戻すとき、多少の時間をロスしても一緒に行くべきだった。史郎の車に花を押し込むべきだったのだ。


「待って! 花くん! 待って! そっちに行ったら……! そっちには……! そっちは!」


 東翔と、そして北村嵐が居る。

 花がそう感じているように確かにそこには北村嵐が居るはずだった。

 絶叫と、暗転。



 花の絶叫に遅れること数秒して陽子がやってきたのは、遺跡の最奥に眠る最も大きな部屋。

 地下であるはずなのにそこには神々しいまでの明かりに満ち、中央の最も明るい祭壇のような段の上、“それら”は役者のように存在していた。

 その姿はライムライトの下の役者のようであり、ポルノ映画の撮影に臨む役者たちのようでもある。

 スコップとランタンを投げ捨て、陽子は腰を抜かした花を後ろから抱き寄せた。

 下着越しに陽子の体は、花の後頭部の放つ異様な殺意にも似た熱量にビクンと震えた。



 居たのは、ダゴドンとヒュドンだが、陽子の感じたのは恐怖ではなく狂気だった。

 二頭で仕立てたウロボロスの輪。無限ではなく虚無たる怠惰を象徴するようなそれ。

 ダゴドンはヒュドンを下半身から丸飲みにし、ヒュドンはダゴドンを下半身から丸飲みにしている。

 互いに食い合うようにしながら苦痛の色はまるでなく、口からは双方の上半身以外に艶めいた呻き声が漏れる。

 そして、へそから生えた樹木の根のような管は交わるように絡まり、壁を伝って枝分かれし、無数の水たまりにその先端を浸している。


「賢は……生殖方法が不明だと書いていたけど……こういうことなの!? これが! これが、こんなものが“そう”なの!?」


 状況を把握してしまった陽子の手が緩んだ。しかしながら状況を把握していない花の見解は違った。


「さわんなよ」


 花の冷淡な言葉は陽子向けたものではなかった。

 反射的に陽子は花を強く抱きしめたが、それを上回るような百人力で花は脱出していた。

 花は陽子の投げ出したスコップを握りしめ、血走ったその目を真っすぐに東翔だったダゴドンに向け、そしてそのスコップの丸まった切っ先を向けた。


「さわんなよぉおおお! 俺の! 俺の嵐姉だぞ! お前の姉ちゃんじゃない! 俺だけの家族だ! 俺の、俺だけの嵐姉ちゃんだ!」


 刃物とは呼べないスコップは最初は殴打のように東翔の身体をさいなんだ。

 東翔はダゴドンになってから時間が短いことからその体には鱗がほとんどなく、人間と同じ肌色の表皮はスコップによって裂き歪ませられる。

 皮膚からは血が噴き出し、血の中に肉の塊が浮き、骨片が舞い、開いた胸から空気が漏れる。


「花、くん……」


 呆然と眺める陽子の視線の先には、原型を留めない東翔だった塊肉かたまりにくと、下半身を食われたヒュドンと化した北村嵐だった。

 四日前に行方不明になったという北村嵐の顔は既に爬虫類と化し、残る上半身も鱗が生え揃って乳房の付け根まで覆われている。


「嵐姉。迎えに来たよ」


 人でなくなった北村嵐に対しても、北村花は童話に出てくる王子のような穏やかな言葉を返り血に濡れた唇は囁いた。

 下半身を失いながらも北村嵐だったヒュドンからは出血の様子もなく、臍から延びる管は未だに脈打っている。


「……ねえ、陽子さん、嵐姉のお腹から生えているこれ、何?」


 管の先からは無数の宝石のような物が生まれていた。そして陽子は直感的に先ほどの互いに食い合うあの状態は、生殖器を持たないダゴドンとヒュドラの“営み”であることを直感的に理解していた。

 すなわち、管の先から出ている石は、ただの石ではなかった。


「ああ、分かった。赤ちゃんだね? 陽子さん、これ、赤ちゃんでしょ? 臍の緒だ? 嵐姉、お母さんになるんだね?

 俺……お父さんになりたかったけど、叔父さんでも良いよ。家族が増えるんだもん」


 言葉は、意味を失った。

 花は北村嵐の鱗の一枚一枚を愛撫しながらうっとりとしている。

 消化器官を失っているためか、それとも北村嵐の意識が残っているのかは陽子には分らなかったが、ヒュドンはその牙を花に向けることなく感情の読み取れない眼球を向けるのみ。

 ここは彼岸。


 善悪の彼岸であり、生死の彼岸であり、愛憎の彼岸であり、正気と狂気の彼岸。

 人間には泳ぐことのできない彼岸をダゴドンとヒュドンは泳ぎ、そして花もまた、飛び込んでいた。


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