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水底の妖鼠  作者: 84g
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八話 あの少年

 北村花は水で喉を潤すように、この()れる気持ちを冷やしたかった。

 駐車場で見ず知らずの男の救護。傷口を男が掻きむしらないように抑えるなどすることは多い。陽子が嵐を助けに向かうために必要なこと、そう自分に刷り込んでいく。

 花は名前を知らないが畑信之助の命は自分に託されている、死んでしまうと。


 “死”



 その言葉に、花が連想するのは実の両親の死だが、思い返すのは義理の父母、つまり北村嵐の両親の荼毘を済ませたある日のことだった。



 六畳間に置かれた真新しい仏壇に花は手を合わせていたが、心の中では義父母のことを想ってはいなかった。

 北村夫妻が亡くなったことは悲しかったが、それ以上に花を揺さぶったのは自分の将来のこと。

 保護者は義理の姉である北村嵐であるが、嵐はまだ若く、常識的にも花は養護施設へと送られる可能性は高いだろう。

 養護施設を恐れてはいないが、花の恐怖は姉と慕う嵐に家族ではないと拒絶されるそのこと自体だった。


 賢く行動的で光輝く義姉。

 初めて出逢った日から弟として自分を受け入れてくれた義姉。

 自分にとって一番の自慢であり、実の両親の死を補い、余りさえする美しい義姉。


 その義姉から、姉弟ではないと否定されることは花にとって自己の存在を否定されることに等しく、ならば弟で有る内に自死することすら考えたが、もし嵐が自分の義姉であろうとしてくれているならば、自分が嵐から最後の家族を奪うことになる。

 涙を隠して喪主を毅然と務めた義姉の笑顔を守りたい。

 一度も見たことの無い姉の涙を今後も見たくない、それは花が自らに課した戒律だった。


「花、入るよ。話が有るの」


 花は自分の心臓が止まるのを辛うじて防いだ。

 義姉の声、花は何よりも好きなその旋律に感じたことの無い色を見出だした。


「花、父さんと母さんが死んで、私とあんた、家族じゃなくなっちゃったね」


 隣に座った直後、前触れもなく放たれた弾頭に搭載されていた原爆は一撃で花の心を砕いた。

 花の心臓が止まろうとするのを、空気を吸うだけで読めはしない肺が邪魔をすることによって起きる過呼吸、そして脳から絶望が溢れて出来た濁流は涙にも似て。

 無防備な花を獣が押し倒した。嵐だ。今までに花の前で見せたことのないような俊敏な動きで花を畳に押し込め、その耳たぶに唇を触れさせながら、薫るような声で(ささや)く。


「――私と家族で居たい?」


 花はその福音に言葉にならない言葉を重ね肯定した。


「儀式をしよう、花。

 院不澄の家族になる儀式。父さんと母さんも、これで家族になったんだ」


 体温が熱いと花は思った。泣いたせいではない、接触している嵐の身体が衣服を越えて自分の身体を熱していた。


「――俺、姉さんと家族でいられるならなんでもするよ、全部あげる」


 いつの間にか嵐の手の中に大降りのハサミが現れていた。

 それをどこに突き刺してくれても良いと花は眺めていたが、嵐はハサミで花の衣服だけを裂いた。熱くなった身体に冷たいハサミが妙に気持ち良かった。

 衣服を剥がれた花は殻を剥かれた果実のように無防備だが、その手は嵐がハサミを手渡してくれることを望んでいた。今度は俺の番、と。

 しかし嵐は許さず、ハサミをタンスの一番上に置く。子供の手が届かないように。


「嵐姐ッ!」


 当惑し懇願する花を見下ろしながら、嵐は自ら服を脱ぐ。

 ねだる花を無視するように一枚一枚、布のモザイクを剥がしていく。

 嵐の肌が晒される度、花は泣き止み、吸い込まれていくようだった。


「じゃあ、儀式、しよっか?」


 その儀式は、ひどく冒涜的な踊りのようだった。

 指と指、足と足のように様々な同じ部位を絡めたかと思えば、嵐は花を心ない家具のように扱い、花はその行いに背徳めいた充実を覚え、見様見真似で嵐にもやり返す。

 互いに持ちうる熱と熱が伝導して過剰に熱する。

 その儀式の激しさに、幼い花が息切れしだした頃、嵐が急に冷めたような目を見せたのを花は一生涯忘れないだろう。


「――花は、まだ子供だものね」


 成熟しきらない花の身体は熱を持て余し、その熱を放発する術を持たなかった。

 先程まで共に儀式をしていた嵐の軽蔑に似た落胆を受け、花は困惑と、そして嵐の見たことのない表情を引き出したことに奇妙な充足感を覚えた。

 それは腹の底から込み上げるようで、今までの儀式で積み上げた熱と合わさり、嵐の落胆を払拭した。


「できるじゃん、花」

「――俺、嵐姐の家族になれたよね?」

「当たり前でしょ? 今までよりずっと繋がったもん。お父さんよりも儀式しやすかったし」


 奇妙な感触が花の中に芽生えた。

 ただの院不澄地方の風習の儀式で、それを親から子へ引き継いだという当たり前のことを聞かされただけなのに、不思議と遺影に写る義父が生きていれば、この手で殺したかったと、むせる感触。


「たったふたりの家族だもん、これからも仲良くしようね、花」



 それから、どちらからということでなく、呼吸が合ったときに毎日のように儀式は続いた。

 自然と儀式の時間を作るために花が家事の一切をこなしていき、北村家は上手く回る。

 花も昔の人は上手いことを考えるものだと儀式を考えた院不澄の血の繋がらない先祖を敬った。




 嵐が居なくなって四日間儀式をしておらず、花の限界は近かった。

 このままでは身体に熱が溜まって爆発しかねず、これだけ長いこと儀式をしなければ嵐とも家族でなくなってしまうという恐怖。

 腕が切断された男を見て花が思うのは、腕と命くらいで騒ぐなということだった。

 命より大事な姉が居なくなって、お前のせいで助けにも行けないんだぞ、と。

 それは、脱出してきた佐藤史朗と遭遇するまで続いた。


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