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水底の妖鼠  作者: 84g
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六話 団雄一の怪(後)

 暗がりで動かない陽子の存在すら捉えきれていない“それ”とは真逆に陽子はその姿をハッキリと脳に焼き付けていた。

 陽子の視線は“それ”の乱杭歯に挟まったカラスの顔面と重なり、“目が合った”。

 へしゃげたカラスの眼球は死が浮かびながらも、陽子に何かを語るようだった。

 吐き出せと。吐瀉と絶叫を全て出せば自分の居る位置を譲ると。この生臭くも安寧に満ちた口腔内に飛び込めと。


「まいわ、やにきく、だごづんだごで、とぅーれ」


 冒涜的なまでに人間のような声で、陽子には理解できない言葉を“それ”は話す。


「だごどんっ! ダアアっっゴッ、ドォォォン!」


 “それ”ことダゴドンが吠え、勢いで口の中のカラスの目玉が飛び出してベチャリと自らの頬に張り付いた瞬間、陽子は限界を迎えた。


「……い、イヤァあああーッ!」


 それは素早かった。蛇以上に静かに、蛙以上に大きな跳躍で、鼠以上の俊敏さで獲物に襲い掛かる!


「……あれ?」


 ――しかしながら、陽子は無事だった。陽子が叫んだとき、既に目の前からダゴドンは居なくなっていたのだ。


「賢が……助けてくれた?」

《寝ぼけないで陽子! 疾風迅雷!

 今の音を聞いていなかったのかい! 陽子が叫ぶ前、外を走る音がした! だからダゴドンはそっちに行っただけだ!》

「外を走る、音……?」


 泣きそうになりながらも、陽子は外に意識を向けた。


「た、た、す、ああああ!」


 不規則な足音を鳴らし絶叫が陽子の耳に届いた。

 ヤキソバ五人組の誰かだと想像が追い付いた。


《彼は遊園地の外に向かって走ってる! このままだと手首を切断された彼と花も襲われるよ!》

「……怖いよ、賢作……」

《人工無脳の僕にはわからないね》

「助けてよ、賢ぅ……」


 無様に陽子は泣きじゃくり、膝はカタカタと震えていた。


《――僕のセンサーには、近くにそんな人確認できないね》


 泣きじゃくり、奥歯を鳴らし、絶叫も許されない中で陽子は立ち上がっていた。

 陽子は、自身は賢のように折れない心は持っていないことを知っていた。

 だからこそ、折れても起き上がらせる。自身を奮い起たせる。弱いからこそ強くなろうとする。

 荷物から必要な物を取り出し、息を整え、身体に力をたぎらせる。


「こっちよ! ダゴドン!」


 トイレから飛び出すと同時に陽子はパーカーを脱いでタオルのように顔に付いていたカラスの死骸を拭き取った。

 結果、パーカーにはおぞましいまでの血色の歯垢が付着したが、それも陽子の予定通りだった。

 太陽の熱射が晒された陽子の肩からうなじを焼くが、香る匂いは生臭い。陽子が何かのパフォーマンスのように振り回しているパーカーからはカラスの死骸とダゴドン自身の体液と、僅かながらの陽子の汗が化学反応を起こしたように臭気を放っている。


「だ、だるまし、ましまし、ざぶしあらーけん!」


 意味不明な妄言のあと、ダゴドンはターゲットマーカーを男から陽子に変更していた。

 その瞬間を見逃さず、陽子はパーカーを勢い良く投げ捨て、自分は真逆へとダッシュを掛ける。

 あるのかないのかもわからないようなダゴドンの脳味噌は、強烈な臭いのパーカーと陽子自身を秤に掛けた。

 先に意識が向いたのは馴染み有る悪臭漂うパーカーだったが、陽子の走ったあとの残り香はダゴドンの本能に選択を迫る。


 暑さのせいで流れる体温調整のさらりとした汗は陽子の全身を濡らして湿らせ、異形への恐怖から生まれる神経性のヌメりとした汗は(くび)から腋窩(えきか)に抜けて雫となり、乳房の下を掠めるように伝っている。

 芳醇な(ソース)の混ざり合う脇腹に歯牙を突き立て白い肉に赤を広げるという衝動は、ダゴドンの下半身を迸らせ、大蛙そのものの前傾からかつてない跳躍を繰り出していた。


 しかし、大きすぎた。何物も大きすぎてはならない。

 陽子の進路を予測したものだったが、直前で陽子は踵を返し、役所所長から預かっていた鍵を捩じ込み、ドアを開け、メリーゴーランドの操作室へと退避していた。

 しかし、目の前から居なくなっても居場所も分かる。

 僅かに開いているドアからは陽子の体臭がダゴドンを誘っている。


「のぅぅぅあ、めひまれ、ぬぅんあ、あっあっふうー!」


 ドアの開け方を知らないのか、鉤爪が邪魔でノブを掴めないのか。

 ダゴドンはドアに鉤爪を叩き付ける。金属で出来ているはずのドアは太く鋭い轟音を響かせて悲鳴も歓声も飲み込み、一撃ごとに大きく変型していく。

 その隙間から陽子の顔が覗いたとき、ダゴドンの下半身に血液が充填され膨張する。

 反り立つように肥大化した左足の放つ踏み抜くような前蹴りは、容易く扉を粉砕した。


《情意投合》

「それ、絶対意味違う。タイミングは良かったけどね」


 絡めるように陽子が鋼線入りのロープをダゴドンの足に巻き付けた次の瞬間、そのロープは爆発的に縮んだ。


「があぅっ?」


 ドアの破砕音に掻き消されていた心が躍る音楽と共に、ロープを巻き取っているそれはなんとファンシー。メリーゴーランド。

 それが廻る度に馬や馬車にロープが掛かり、糸車のように巻き取っていく。

 アスファルトにゴム人形のようにダゴドンを叩き付ける音がBGMと合わさり、シュールなレコードのようだった。


「……この噂、マジだったのね。メリーゴーランド、動くんだ」

《? え、知ってたんじゃないの?》

「まさか。ただ屋根にソーラー発電パネルが付いてたから、動くかなって思っただけ」


 偶発的にメリーゴーランドは動いた。

 もし、パーカーを投げ捨てたときにロープが掛からなかったり、長さや強度が足りなくとも失敗していた。

 命を懸けるには細すぎる綱、だが陽子は渡りきっていた。

 真夏の太陽を動力にエンドレスに廻り続ける回転木馬に引き回され、ダゴドンはロープを切ろうと鉤爪を振るうが体勢が悪く、足首を傷付けるのみ。

 そのとき、排水溝から小さな影が跳ねた。

 それは鼠大の鱗の生えた蛙のようだったが、その“顔”を見て陽子は気温から来る錯覚かと見直したが、違った。

 人の顔だ。無表情に息をする度にゲコゲコと無様な歌を漏らすが、その顔は紛れもなくヤキソバ五人組の中に居た顔だ。


「これが賢の書き残していた“妖鼠(ようそ)”!?」


 人面蛙――妖鼠――は、視点の合わない目をギロギロと動かし、ダゴドンへと近付くが引きずり回される姿に成す術なく、ただ眺めているだけだった。

 ―――そして。


「えいっ!」


 陽子の靴底は、感触の悪い全ての音を鍋で混ぜてから一秒分だけ抽出したような旋律を立て、妖鼠はアスファルトの粘り気ある汚れと成り果てた。

 そして振り向けば、メリーゴーランドに翻弄されていたはずのダゴドンも、同じように折れ曲がり、冒涜的な汚物になっていた。


「……これで、良かったのよね」


 応えられる者の居ない問いは、暑気と共に空へ向かっていくようだった。


「出して……」


 囁きのような音量のそれは一瞬陽子の二四時間営業の心臓を職務放棄させかけた。


《方角はバッチリ観覧車の方だね。奇々怪々》

「奇々怪々じゃないでしょ、どう考えたって」


 落ち着きを取り戻し、自分が肌着姿のことを思い出したが、脱いだパーカーは拾うには気が引ける状態で、取りに戻るのは時間が惜しく、諦めてそのまま観覧車へ足を向けた。


「出してぇ……」


 閉じ込められていたのは、なんのことはない、先ほどダゴドンに襲われていた男だ。

 陽子に救われた後、その陽子を放置して観覧車のゴンドラに逃げ込み、外から鍵が掛かって出られなくなっていたらしい。

 ゴンドラは直射日光に暖められてサウナ状態、男の顔は涙と汗で直視できないような状態だった。


《こいつ、このままで良くない? 自業自得》

「助けて下さいぃ、ごめんなさいぃ……あんなことになるなんて……知らなかったんですゥ……」

「もちろん助けます。でもその前に……聞かせて。何があったか」

《一部始終ね。ウソ吐いたら怒るよ》


 男はゴクリと唾を飲み込み、俯きながら経緯を説明し出した。

 ――話を聞き終えると陽子は男のスマートフォンからヤキソバ五人組の写真や情報をコピーし、ゴンドラを開けた。

「正面の出入口から出て。そこにあなたの友達の畑信之助(はたしんのすけ)さんと北村花くんが居るから、あなたの車に二人を乗せて逃げなさい」

 云いながら陽子は手早く救急車へ連絡を付けた。途中ですれ違うワゴンに怪我人を乗せた、と。互いのナンバープレート情報を伝え合い、通話を終えた。

「街側よ。間違えないでね。ナビは入れておいたから」

「い、一緒に来てはくれないんですか?」

「甘えないで下さい。佐藤史郎(さとうしろう)さん、まだ残ってるんでしょう? あなたの友達がミラーハウスに」

 怪談には明るすぎる逆光の中、ミラーハウスは建っていた。


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