エピローグ ダごドん
――ここに居てはいけない、地上に花を連れ帰らなければ――
陽子は花を地上に戻す方法を模索していたが、花は自分から切り出した。
「ねえ、陽子さん! 車に嵐姉の着替え有ったよね、お弁当も! 上に戻って取ってこようよ!」
陽子が初めて見る、花の会心の笑顔に、反論も代案も持たなかった。
花は少しだけ待っててと云い、嵐だったヒュドンにキスした。凛々しくも悍ましいものだった。
夏祭りに向かう子供のように軽やかな足取りで、花は階段を登り、スコップで鏡を割った。
鉄骨のある場所を避け、ほんの数メートルの移動でミラーハウスから脱出したとき、陽子は痛烈な違和感を持った。
「……花くん、今、どうやったの?」
「一刻も早く嵐姉の所に帰らなきゃって思ったら、最短距離を行かなきゃ、そうでしょ?」
花のポケットの中で何か――ネズミ大のモノ――が動いた気がしたが、陽子は確認する勇気を持てなかった。
ここまでで疲弊した陽子は、事実を確認するでもはなく、保留することを選んだ。
そして駐車場に到着したとき、異常な光景が広がっていた。駐車場に何台もの車が止まっていたのだ。
救急車ではない。黒塗りの高級車、大型トラック、霊柩車。様々な“普通ではない車”が集っていた。
その中から現れた男、年齢は花より上だろうが、陽子より年下そうな男は、暑い暑いと手をウチワ代わりに仰ぎながらダラケ切った顔を向けていた。
「……ああ、やっぱりアレね。一色賢の女だわ。資料で見たのと同じ顔」
反射的に陽子は気が付いた。この一団は■■■だ。賢の資料の中に有った伏字。賢が自分には知らなくて良いとあえて伏せた一団。
「無駄な労力だけどお疲れさま。メン・イン・ブラックですよスカリーさん……なんつって」
「陽子さん、出番ですよ」
「……え?」
日が落ちていた。
それどころか、そこは院不澄の夏祭会場、そして陽子は祭りの運営スタッフの格好をしていた。
目の前には目の細い見覚えのある男、腕時計を指して何かしゃべっている。
「え? え? え?」
「ほら、西瓜の早食い! 参加者が足りないからお願いしますって云ったじゃないですか!」
「え、あ、はい! 任せといいて、ください?」
時間と記憶が飛んだまま、陽子は西瓜を食べた。
とても甘く香りがよく、そして驚くほどに爽やかだった。
三日間の祭りが終わり、陽子は北村家を訪ねたが、そこには誰も住んでいなかった。
温泉付き一軒家で売り出し中。
そんな看板がどうにも陽子には信じられなかった。
そして、院不澄で借りた車でドリームランドへ向かったとき、陽子は愕然としていた。
工事が始まっていた。
先日まで荒れ果てた遊園地だったはずのそこは、解体されるのではなく、営業再開のために作業を始めたというのだ。
駐車場に有ったはずのだごどん遺跡はそのままだったが、碑文の部分は削り取られていた。
《……陽子、これ、どういうことだろうね。奇奇怪怪》
「わからない。私の錯覚じゃ……ないよね」
《僕の中には経緯が記録されているけど、真偽はわからない。データはいくらでも改竄できるからね》
遊園地の補修作業をしているのは皆、普通の人間。
ダゴドン相手にするより気楽だわ、そう思って陽子は立ち入り禁止の看板を飛び越えた。
忍び込んだ陽子は、ミラーハウスの位置に新設され始めているオバケ屋敷を眺めてから、団雄一がカラスを食べていた女子トイレに入ったが、そこにはあの悪臭すら残っていなかった。
沈黙する陽子に賢作は語り掛けた。それが自分の存在意義であるというように。
《また名探偵になりそびれたね。陽子》
「……それは良いよ。私、名探偵なんて柄じゃないし」
賢作が探したヤキソバ五人組の公開している動画は削除はされていなかったが、更新もされていなかった。
それまでマメにコメントを返したいたらしいが、最近は更新が途絶えたと呼ばれ、それが話題になっているようだった。
《結局、なんだったの? ダゴドンって?》
「賢は人類の亜種か……あるいは人類そのものだと書いていたわ」
《……え?》
彼らは“だごどん”と“ひゅどん”。
水底に住まう大蛇、あるいは大蟇、あるいは妖鼠のようであるが、いずれでもない。
我らの支配者であり、捕食者であり、神であり、父であり、母であり、故郷である。
強く賢い彼らは、動く者どもを食べ尽くし、我らは彼らを永久の微睡みの中へと奉る。
不遜なる動く者どもが再び地上に満ちたるとき、我ら院不澄、だごどんとひゅどんを掘り起こすべし。
「もし、あのまま嵐さんと東翔が卵を産み続けて、院不澄に関係ある人の数より多い卵を産んでたら、どうなったのかしら。
賢は院不澄の人と、他の人間のDNAは違ったと云ったけど、どう違うのかはどこにも書いてないの」
《それって……!?》
答えの無い疑問の中、陽子は人目を避けながら遊園地を回ってみた。
アクアツアーの水上コースターには既に水が張られていた。テストか何かのためだろうかと陽子が思ったとき、蛙がピョコンと跳ねた。
「……え?」
ほんの一瞬、遠くてよく見えないはずのその蛙の顔は、行方不明になった北村花のもののように、陽子には見えた。
そんなはずはない。賢作のセンサーは捉えて居ない。花は院不澄の血を引いて居なかった。ダゴドンになるはずがない。
もし花がダゴドンになるならば、それは――。
ただ太陽が眩しかった。水底の妖鼠は今日もまた笑っているのだ。
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